もう移動した時しか、雑記書かないみたいなところもあります。
おとといは、占星術で、昨日はタロットカードでした。
で、昨日思い出したのだけど、
時々聞かれることで、占星術の四元素の、火風水土は、水と風がモイストで、火と土がドライという古典的な分類なんですけど、わたしは四元素というのは単独で成り立つ性質を持たないで、常に相対的にほかの三つとの関係性で特性が決まるということを強調しますから、
とくに「風の元素はモイストである」という表現をしません。
強いて言えば、風の元素は、前半は土の元素を風化させる、すなわち注意力の分散に集中する。
後半は水の元素に引き寄せられて、湿っぽくなるということで、
前半がドライ、後半がモイストという言い方をします。
風の元素の後に水の元素が来ます。風の元素は、終わりころになると、ほとんど水没直前です。
たとえば、アイドルになりたい双子座の終わりころは、次の水のサインである蟹座という大衆性を意識しすぎて、風の元素の自由性がそうとうに奪われます。
四つという元素はひとつのものを四つに分けたので、そのそれぞれが独立的でなく、ひとつが優勢になっても、あっというまに次の勢力に飲み込まれていきます。月のトランシットであれば、二日半程度で。つまりそんなにきっぱりはしていないです。
おとといの占星術の題材は少し特殊でした。
占星術でみる霊性、スピリチュアルというものです。
で、冥王星は太陽系の外との接点ですから、これが霊性の代表の天体と考えてもいいです。
この冥王星が持ち込んだ、太陽系から見て異物の力は、そのままでは、けっして太陽系の中に消化されることはありません。
海王星は、冥王星が持ち込んだ異物に、「似たもの」を、太陽系の過去から未来の範囲のすべてから検索して、該当物を持ってきます。この海王星が探してくる「太陽系内の符合物」がないことには、冥王星の力は太陽系の中に取り込まれることはありません。
また海王星は過去から未来という一方的な時間に束縛されておらず、ファイマンの言うような、未来から過去に向かって、「最小の道」を辿ってくる情報も扱うので、サーチは未来のことをサーチするということも含まれます。
冥王星の人格の異常化みたいなものを、海王星は内部的な夢見に変換します。
つまり果てしなく流れる夢見の中に、一瞬異物がある。
異物は、夢見の中の象徴の何かに産み付けられるのです。
この果てしない夢見の中での一瞬の異物という表現はシュタイナーの表現ですが、
果てしない夢見が海王星で、一瞬の異物が冥王星を意味します。
一瞬の異物がない場合、それは正しいヴィジョンとは言えません。
偽物スピリチュアル、というのは、要するに海王星だけで成り立ったものです。
それは外との橋渡しの役割の冥王星とつながっていないので、外とつながることのない「閉じられた」浮遊する白日夢です。宇宙的現実と接触しない空想です。
海王星だけだと、霊性もスピリチュアルもないのです。
いまはずっと冥王星と海王星は60度ですが、このふたつのセットを見るのが、霊性占星術と考えてもいいでしょう。この60度に捕獲された反対側のヨッドの位置にある天体は、夢見とその中の一瞬の異物を持ち込まれる媒体にされてしまいます。八割がたとか九割がた、夢見の中にあり、しかし、時々ぎょっとする異物的な行動をします。
いつも海王星ぽい人でも、その中に冥王星を持ち込む人がいるので、海王星的な人と、冥王星・海王星的な人の違いを見分けるには、外的宇宙との切れ目があるかどうかです。
おとといの講座には面白いサンプルの人がいて、わたしの好きな変則的なアスペクト、つまり元素の組み合わせが違うタイプのものでした。
護身のための武道、というふうに考えた時、防衛と攻撃はまったく合わない意味作用です。しかしこの二点が協力するのです。乙女座の30度の冥王星と、いて座の1度の木星・天王星の60度は、土の終わり、火の初めというミスマッチのセット。でも乙女座という防衛と、いて座の攻撃がうまく協調的に組み合わされるのが、護身術としての武道なのだから、この矛盾した意味を成り立たせるには、おとめ座の終わりといて座の初めでなくてはならないのですね。体を守りつつ、手だけは前に飛び出す。
おとといは、占星術で、昨日はタロットカードでした。
で、昨日思い出したのだけど、
時々聞かれることで、占星術の四元素の、火風水土は、水と風がモイストで、火と土がドライという古典的な分類なんですけど、わたしは四元素というのは単独で成り立つ性質を持たないで、常に相対的にほかの三つとの関係性で特性が決まるということを強調しますから、
とくに「風の元素はモイストである」という表現をしません。
強いて言えば、風の元素は、前半は土の元素を風化させる、すなわち注意力の分散に集中する。
後半は水の元素に引き寄せられて、湿っぽくなるということで、
前半がドライ、後半がモイストという言い方をします。
風の元素の後に水の元素が来ます。風の元素は、終わりころになると、ほとんど水没直前です。
たとえば、アイドルになりたい双子座の終わりころは、次の水のサインである蟹座という大衆性を意識しすぎて、風の元素の自由性がそうとうに奪われます。
四つという元素はひとつのものを四つに分けたので、そのそれぞれが独立的でなく、ひとつが優勢になっても、あっというまに次の勢力に飲み込まれていきます。月のトランシットであれば、二日半程度で。つまりそんなにきっぱりはしていないです。
おとといの占星術の題材は少し特殊でした。
占星術でみる霊性、スピリチュアルというものです。
で、冥王星は太陽系の外との接点ですから、これが霊性の代表の天体と考えてもいいです。
この冥王星が持ち込んだ、太陽系から見て異物の力は、そのままでは、けっして太陽系の中に消化されることはありません。
海王星は、冥王星が持ち込んだ異物に、「似たもの」を、太陽系の過去から未来の範囲のすべてから検索して、該当物を持ってきます。この海王星が探してくる「太陽系内の符合物」がないことには、冥王星の力は太陽系の中に取り込まれることはありません。
また海王星は過去から未来という一方的な時間に束縛されておらず、ファイマンの言うような、未来から過去に向かって、「最小の道」を辿ってくる情報も扱うので、サーチは未来のことをサーチするということも含まれます。
冥王星の人格の異常化みたいなものを、海王星は内部的な夢見に変換します。
つまり果てしなく流れる夢見の中に、一瞬異物がある。
異物は、夢見の中の象徴の何かに産み付けられるのです。
この果てしない夢見の中での一瞬の異物という表現はシュタイナーの表現ですが、
果てしない夢見が海王星で、一瞬の異物が冥王星を意味します。
一瞬の異物がない場合、それは正しいヴィジョンとは言えません。
偽物スピリチュアル、というのは、要するに海王星だけで成り立ったものです。
それは外との橋渡しの役割の冥王星とつながっていないので、外とつながることのない「閉じられた」浮遊する白日夢です。宇宙的現実と接触しない空想です。
海王星だけだと、霊性もスピリチュアルもないのです。
いまはずっと冥王星と海王星は60度ですが、このふたつのセットを見るのが、霊性占星術と考えてもいいでしょう。この60度に捕獲された反対側のヨッドの位置にある天体は、夢見とその中の一瞬の異物を持ち込まれる媒体にされてしまいます。八割がたとか九割がた、夢見の中にあり、しかし、時々ぎょっとする異物的な行動をします。
いつも海王星ぽい人でも、その中に冥王星を持ち込む人がいるので、海王星的な人と、冥王星・海王星的な人の違いを見分けるには、外的宇宙との切れ目があるかどうかです。
おとといの講座には面白いサンプルの人がいて、わたしの好きな変則的なアスペクト、つまり元素の組み合わせが違うタイプのものでした。
護身のための武道、というふうに考えた時、防衛と攻撃はまったく合わない意味作用です。しかしこの二点が協力するのです。乙女座の30度の冥王星と、いて座の1度の木星・天王星の60度は、土の終わり、火の初めというミスマッチのセット。でも乙女座という防衛と、いて座の攻撃がうまく協調的に組み合わされるのが、護身術としての武道なのだから、この矛盾した意味を成り立たせるには、おとめ座の終わりといて座の初めでなくてはならないのですね。体を守りつつ、手だけは前に飛び出す。