2014年9月30日火曜日

20140930 スケジュールは、いまひとつ不安な要素はあります

次第に講座が増えて行ってるのですが、このスケジュールに関しては、わたしが把握しているつもりでも、時々、スケジューラーからデータが欠落していることがあります。
実はこないだ、12月予定がふたつ、抜けてました。

で、アル・リシャさんにも、またフェイスブックのラクシュミにも、わたしのスケジュール表を作ってもらっていますが、両方とも、全部乗っているわけではなく、
11月29日も、中ノ島の朝日カルチャーの講座があるけど、次の日に、カイロン大阪もあるとかは、記録には出てこない。

わたしはアルカノン、カイロン、朝日カルチャーセンター、レディナダ、アカデメイア、安川さん、九州カウンセリングセンター、経営アストロロジー協会、宇都宮、青柳さんイベント、川本さんプロデュース、和の大学、ほか(えっ、まだ他があるのかよ)などで講座をしていますが、これだけ数が多いと、やはり、時々とりこぼしあるようなリスクあります。
アイフォンにスケジュール入力していますが、こないだ、消えていたものがあったし。

ここ三ヶ月、毎月一冊という比率で本を書いていましたが、本を書かない隙間があれば、その時に、全部講座を埋めてもいいです。走る時間さえ確保してあれば、それ以外は埋めてもオーケーです。トランシット土星は、しばらくはこれから9ハウスにあります。以前に、進行の月が9ハウスにあった時には、休みありませんでした。

で、今考えているのは、海外のフルマラソンに参加するという理由を作って、定期的に、あちこちの国に行きたい。その予定を作る以外は、講座してもいいわけです。本を書くのは、日本でも海外でもどこでもできる。オクタサトシさんの対談で、原稿書くだけなら、どこにいてもバレないと言ったけど、オクダさんに言わすと、写真に映るTシャツとか帽子とかでバレるはずという話でした。でも、それは写真を撮ればの話で、わたしは写真撮らないし、撮ってもあまり公開しない。たまたまこないだ、五反田でのモーエンとファロンとの写真は映したけど。

もうすこしスケジュールを完全に把握したいです。

iPhoneのiOS8.にバグがあるらしく、今日、iOS8.0.2に更新したら、いきなり、iPhone6の初期化、復元という状態になりました。

トランシットの土星が8ハウスにある時に、"連合"との契約が行われ、わたしはしばらくは地球上において、いくつか存在するフォーカス35センターのひとつを担当することになったので、この契約に基づいて、今後のわたしの数年間の活動の方針が決まっています。あらゆる活動は、これをベースに展開します。ちょっとそこからはみ出しているものは、調整していきます。



2014年9月29日月曜日

20140929 昨日は対談をしました

渋谷のヒカリエで、オクダサトシさんと対談をしました。
対談の場所を探すのに結構手間取りました。
私がそういう風にヒカリエの中をウロウロ探しているのを、オクダサトシさんは目撃していたそうです。しかしながら、話しかけるのは失礼だと思って話しかけなかったそうです。
やっと目的の場所を探したのは、スタート時間にかなり近い時間でした。

今までMacBookProをよく使っていましたが、これはスターゲイザーと、ソーラーファイヤーを両方とも使うにはMacの方が便利だと考えていたからです。
今日は、 Windows8のマシンに、クライアントHiperVをセットアップして、そこにWindows XPをインストールしてみました。英語版にして、ソーラーファイヤーを入れてみました。割と安定しているので、これからはWindows8のレッツノートを講座にもち出そうと考えています。

昨日の対談は、 2人とも座って話していたのですが、私からすると、この座って話をするというのは、わりに不自然な感じがあります。やはり話をするのは立ってが良いのではあるまいか。
座るというのは、のんびりとリラックスするという感じがあって、考えたり話したりと言う体制ではありません。レッツノートを主なマシンとして使うと便利なのは、このまま少し高い場所に置けば、立ったまま音声入力ができるからです。デスクトップではこのように移動できないので不便です。
高さは1 mくらいの台に置けば、立ったまま音声入力というのがちょうどいい感じでできる。ヘミングウェイは、立ったままタイプライターを打っていたらしく、そのための台が壁に打ちつけてあったそうです。やはりその辺が1番いいのではないだろうか。

宮川さんが日本に戻ってきていて、バイノーラルビートを自分で作ってカスタマイズするというような講座をして欲しいそうです。自分用に脳波の調整を作っていくというものです。フリーソフトで信号が作れるので、この講座は不可能ではありません。それぞれ全員がノートパソコンとヘッドホンを持参すれば、そのままできます。確かにα波の時間を少し伸ばした方が入りやすいという人と、いきなりシータ波にした方が良いのだというタイプもいます。私の場合は全部のプロセスが出来る限り短時間の方が向いていて、全て完了するのが5分程度というのはいちばん好みかもしれません。

対談の主催者の青柳さんから、昨日の対談に関しての感想文を雑記に書いてくれませんかという要請がありましたが、わりに私から見ると楽しいものであったのでないかと思います。
獅子座の16度の木星の話をしましたが、
つまりそういう風に仕事としてではなく、ある種のレジャーのような感じで話をしたわけです。
多分この対談はシリーズになったとしても、やはりそういう風にレジャーになると思います。私からすると。
日頃は7時間の講座というのが多いので、そういうところからすると2時間というのは、かなり気楽な時間になります。

2014年9月28日日曜日

20140928 占星術に興味を持つ人たちが所持する根本的な反抗心

占星術に興味を持つ人たちが抱く根本的な反抗心について。

私が思うに、占星術に興味を持ち、さらに深入りして、それを勉強する人たちの中には、根本的な反抗心というものが潜在しているように見える。それは例えば社会のルールには従いたくないとか、自分で勝手に人生を作り出したいとか、あまり順応的では無い要素を持つところが、占星術に興味を持たせるのではないかと考える。

これについて思うのだが、キリスト教の初期の段階でいろんな考え方というものが成立していた。グノーシス派では、世界を創造した造物主という者がいて、それは神とは別個の存在で、そして人間はこの世界を創造した造物主には従っていないという考え方である。動物は造物主が作った。しかしながら人間だけは例外であり、人間は神の側にいて、造物主の近くにはいなかった。

ある段階で人間はこの創造された世界に好奇心を抱いた。好奇心を抱いた瞬間に、世界の中に入ってしまい、そこから抜け出すことができなくなった。それ以後、人間は世界の中に住んでいるのだが、しかしながら人間の本性そのものは世界と同一化していない。
このようなときには、世界のメカニズムというものを研究して、そこから自分を分離する。つまり、自分は世界そのものではなく、世界から離れたものであり、自分の身体の奥深くまで入り込んだ世界を、自分自身から分離するのである。

アサジョリーが、自分は思考では無い。自分は感情では無い。今、私は疲れているが、疲れているのは身体であり、私では無い。だから私は疲れていない。という風に人間のいろんな属性を次々と分離して、それらに自己同一化していない自分を切り出すという行為は、グルジエフの自己想起の手法ととても似ている。
占星術を使った場合に、人生のいろんな出来事は、かなりの比率で惑星というものが影響を与えており、詳しく考えていけば、人間の行動や人生は惑星の作り出す操り人形のようにも見えてくる。これが世界の動きであると考える。それらに同一化せず、自分というものを、そこから取り出すには、世界は動くメカニズムについて考えるツールがあると便利なのだ。

占星術に興味を持つ人たちが、根底に抱く反抗心が無くなっていけば、次第に占星術に対して関心はなくなっていくかもしれない。自分にある程度決まった性格とか運命的なものがあるとしたら、それに従って、同一化して生きていけばいいと言う素直な感情だ。
と言うよりは、そうした条件付けそのものを意識しなくなる。同一化したものは、意識できなくなるものである

占星術に詳しい人ならばホロスコープに抵抗して違う人生を歩むというのはなかなか難しいということがよくわかると思うのだが、そういう場合に、グノーシス的な反抗心を持つ人と言うのは、そうしたコースにあわせつつ、自分自身を分離していくチャンスを狙う。いったん染まってしまったのだから、脱出のチャンスを狙うのである。その場合には行き当たりばったり、自分の性格とか、運勢に抵抗するのではなく、合わせつつ、脱出の場所を狙うのがいいと思われる。
あるサンプルであるが、その人のホロスコープでは働く場所が弱く、しかしながら本人は働きたいという希望があり、このホロスコープの条件を覆すにはどうすればいいかと何度か聞かれ、それが私には面白く感じたことがある。こうした葛藤というのはホロスコープそのものに内蔵されていることが多く、この人物の場合には働くサインの天体と、そうでないサインの天体とがスクエアを作りだしていた。
つまりホロスコープの条件に対して抵抗しているわけではなく、ホロスコープが持つところの葛藤をそのままリプレイしている、ということでもある。つまりホロスコープに従って発言しているということなのだ。
天体作用からの独立というのは、この場合、こういう葛藤、働きたいという衝動、それとは違うことをしている自分など、このループそのものからの分離ということを意味する。

今日、こんなことを考えたのは、コリンウィルソンの能動的な人間は5%存在するという話を思い出したからである。囚人に性格テストを行い、積極的な5%を隔離する。そうすると残り95%は羊の群れのように従順で、決して反抗しないし、脱走も企てない。

キリスト教の場合に、アントロポースとしての人間は、造物主に属しておらず、そこから独立しているという考え方ではなく、反対に、人間は世界の1部であるという考え方の流派もある。この世界の1部であるという考え方はその人の人生をスムーズで素直にしてゆくだろう。科学の姿勢として、冷静で客観的な私というものがいて、それが対象に対して一歩離れた所から見ているというのは、この人間は世界から独立していると言う考え方から来ているのかもしれないが、実際には勘違いをしてしまった。
世界から独立したアントロポースは、二極化されていない存在である。
一方で世界の中に入った存在は、主体と客体に二極化される。
そして通俗的な科学の姿勢としての観察者は、この主体の側にいる。
こうした観察者の存在は誤った姿勢であって、量子論のように、観察者も世界の中に属しているので、現象の一部であり、冷静に対象を観察することなどできないという考え方の方が正しい。
主体は世界の中の部品だ。それは客体と相対的な関係の中にあるので、決して世界を観察することなど出来はしない。

人間は世界から独立しているという考え方と、人間は世界の中の1部であるという考え方の2つの流れは、キリスト教の初期においてYの字型の分岐をして、その後、それぞれが異なる地域へと移動していったと考えてもいいのではあるまいか。古典科学は、人間は世界の1部であるという流派の中で、さらに主体は対象を客観的に観察できるという勘違いをしていった。
グノーシス派の1人、キリストの双子の兄弟の1人聖トマスはインドのチェンナイで死んだ。
彼の流派は、人間は世界の中に属していないという考え方をベースにしている。

観察をしたり、意識化したりするのは、それと自分が同一化しないという方向に向かう。
占星術で惑星の動きが人生のいろんな変化に結びついているということを観察すると、その動きと、自分を同一視しないきっかけが作られる。
気分から自分を引き離す。
感情から自分を引き離す。
行動衝動から自分を引き離す。
こうしたことのために占星術を使うというのは比較的便利かもしれない。
つまり世界と自分を同一化しないために、世界の動きを知る、ということである。
私が見ていると、占星術に関心がない人というのは、星の動きにあまりにも素直だ。
そのことにまったくのところ疑いがないように見える。実際に抵抗する理由なとありはしない。
無意識な場合には従属し、意識的な場合には分離する。
キリスト教の2つの流派のように、どちらに属するかによって、占星術が意味を持ったり持たなかったりすると思う。

エドガーケーシーは、 12歳のキリストが女性教師に連れられてアレクサンドリア図書館に行き、そこで占星術を勉強してきたと言うのだが、これはグノーシス派的なキリストなのかもしれない。
シュタイナーによれば、 2人のキリストがいて、彼らはやがて一緒に住むようになった。
グノーシス派によれば、キリストは双子の兄弟がいたという話になる。
これらは同じ話ではないのだろうか。
それが後にYの字型に分離した歴史を作った。
つまりはじめふたつがあり、合流し、またふたつにわかれた。
地上は二極化されているので、 1人のキリスト像というものを想定するのは不可能に近い。
真実なものは、かならずふたつに分かれて存在する。
実際はひとつなのだが、地上においては必ず単一の存在は表と裏に分かれていく。

この2種類の考え方は、社会に対しての姿勢としてかなりの違いを見せてくるのではあるまいか。
例えば社会はだんだんと整備されていき、完成された共同体になっていくという考え方は、人間は世界の1部であるという考え方をしていかない限りはうまくいかない。自分と同一化している世界はもちろん平和で進化していく世界でなくてはならない。

カバラ派の一部には、世界というものは、資材置き場であり、それは経験の場であり、進化することはなく、整備されるということもないという考え方がある。たくさんの人たちがいて、やがて彼らは死んで行き、また新しい人が生まれてきて、積み上げたものは崩れて行き、どこに目的を持っているわけでもなく、偶然の中でとりあえずまとめられた共同体である。
こうした考え方は、人間は世界の中に属していないということから来ている。
例えば、東日本震災のことを考えたときに、せっかくちゃんとした環境作ったのに、ある日突然、それがこわれてしまう。しかも科学の成果ともいえる原子力施設がよけい環境破壊してしまう。
社会というものは慎重によく考えて整備しても、 10年後には存在しなくなるかもしれないし、そもそもは社会全体が統一的に進んでいくパイロット波というものを持っておらず、だからどこに行くかはさっぱりわからない。人間は経験のために一時的にこの世界の中に生まれてくるので、つまり世界に染まってしまうのだが、時がくれば手付かずで離れた方が良いという考え方である。

総理大臣がグノーシス派だと、とんでもないことになるだろう。御嶽山が噴火した。本来の日本が蘇って元気になったんだねと言ったりする。おまえはヤマタイカか。日本の山は噴火するのが当たり前だ。それを忘れてぼけっと暮らしている方が悪いのだ、などということは総理大臣は絶対に言ってはならない。

ここまで全部ドラゴンスピーチで入力しました。朝スタバでキーボード入力で原稿書いているので、さらにキーボード入力というのはなかなか大変です。したがって、スタバから戻ってくると、その後は必ず音声入力になります。この程度の文章は音声入力で十分に入力することができるのです。


今日のように、月と土星が合だと、月の感受性が、土星の殻に入れられ、月は硬直して、居心地が悪い。そして、なんとなく気分が悪い。月が土牢に投獄されるから。
その時に、トランシット天体を見て、あっ、今日は月と土星が合だ。それでむっとしてるんだ、と思った瞬間に、この気分への漠然とした同一化から自由になるでしょ。
それまで曖昧な感じで、なんとなく無意識的に、自動的に(月だから。)この気分の中にある。
でも、見ると抜け出す。
というふうに、認識というのは、理解したり、意識化すると、そこから離脱する。
これがアサジョリーの言う、わたしは思考ではない、わたしは感情ではない、わたしは気分ではない、わたしは身体ではないというプロセスのひとつです。そのために占星術を利用しているということです。

世界は機械のように動く。中世の時代に、惑星は冷たい機械時計とみなしたではないか。
意識は、この機械のように動くものの中に幽閉されている。
機械のように動くものと、わたしは同一ではない。
しかしあまりにも多くの人は、この機械と自分を同一化する。
機械はちゃんと見ていないと、あたかも機械でないかのように精巧に動く。
しかしこれは機械だ。
グルジエフが、自己想起練習で、わたしは見ている。その見ているわたしを、わたしは見ている。わたしは、さらにそれを見ているというふうに繰り返すことを提唱したが、
機械を見ていないと、機械は人を飲み込んで動く。
で、グルジエフは、惑星のある組み合わせが発生すると、地上のどこかで戦争が起こると言い、それを避けることのできる人間などいないというが、これは機械作用です。

グノーシス派が、ヘルメス文書で書いていたように、惑星作用について、いかに怒っていたか。その感情を現代人は理解できない。なぜといって、これは飲み込まれすぎているからではないか。それを意識化できないからではないか。
というのも、人間の進化過程としては、グノーシス派の時代とか、プラトンとかアリストテレスの時代の人間は、今日の人間に比較すると、きわめて総合的な視点を持っていた。
今日、この時代の知性を再現できる人はいない。
もっと極端に小さなところでささやかに自由を満喫するという生き方しかできていないので、ヘルメスの怒りとか、理解できないのではないかと思う。









2014年9月27日土曜日

20140927 昨日の夜11時30分の夢、なんでアボリジニ

走る速度をいつもより早くしているからなのか、
体調に異変を起こしています。少しだけ。
で、昨日はいつもより早い時間に寝て、というか倒れてしまったかのようになって
夢を見ました。夢を見た直後、目覚めて、時間は午後11時30分。

アボリジニの、最初の文字を受け取ったというもの。
もちろん、どの形なのか覚えている。というか、これはくっきりと覚えるために
わざわざ、その直後に目覚めたのだと思う。

この最初の文字をリファレンスにして、立て直すべきなのだと。
最初の文字と、その後の環境というのが、ずれがあるんです。
その場合、この文字に周囲を合わせなくてはならない。
この環境というのは、アボリジニとは限らない。
それで、修正すれば、まっすぐの道が立つわけです。

なぜ、アボリジニの文字の夢を見たのか。
これはふたつの要素が影響しています。

1.アボリジニの教えという日本人女性の書いた本を、さわりの部分まで読んだ。
で、80ページの、はじめての原始的生活というところで、ストップしていた。
こんなにありきたりの文章を書く人は、珍しいと思って、なかなか進まなかった。

2.神代文字について、雑誌の原稿を書くことになっていたけど、まだ書籍が書き終わらないので、10月はじめになったら、着手します、と言ってあった。

この世の文字は、この世で孤立した文字になってしまい、これをガラパゴス文字といいます。
本来の文字は、霊界と地上がつながるものでないといけない。
それを神代文字といいます。シュタイナーも霊界文字についてはいろいろ言ってます。
特にゴルゴタの秘蹟の部分のアカシックリーディングに関しては、間違いがないのか
何度もその文字を確認したけど、間違いはなかったと書いてる。

神代文字が発見されても、今日の言語学者は、
二極化された一方の知性のみで判断するようにしつけられているので、
こういう神代文字という存在そのものを、否定します。
つまり神代文字は、二極化された知性を乗り越えてしまう鍵ともなります。
それは学者の分野では認知されません。
認知されないほうがいいと、わたしは思っています。
つまり神代文字は、その起源が怪しい、とお墨付きになります。必ず。

神代文字というのは、非常に中途半端な位置づけにある。
なぜなら、文字を発明し、使うことで、わたしたちの知性は孤立した。
霊界との関係を失った。
しかし神代文字は、霊界と地上界をつなぐのです。
というわけで、境界領域にあるのが、神代文字です。
神代文字を手に入れると、地上と霊界が筒抜けになります。
つまり情報がそのままなだれ込む回路になります。

で、いきなりわたしは、アボリジニの最も重要な文字を受け取ったというか、もらったのだけど、
この時間は、わたしの8ハウスで、トランシットの水星と月が合になっており、もらうとしたら、一番適切なタイミングだ。8ハウスは、継承ですからね。
水星は天秤座の29.09度。月は蠍座の0度00度。
つまり知識が、エーテル的な力に変換される際の部分。
それに月と水星というと、太陽のカードのパスで、ふたりの子供のうち、もうひとりが活発化する。
なんせ夢の中では、激しい流れがあったからね。
グーグルアースの地図のN極が傾斜して、地図が斜めに表示されているような感じを
この文字を基準にして、ぴたっとN極あわせをしてほしい、というような内容でした。
ジョン・ディーのことを考えていたのに、どうしてアボリジニなのか。予想外の角度から入ってきた感じです。




2014年9月20日土曜日

20140920 iphone6 plus

昨日19日の朝に、予約していたiPhone6plusの128Gを、取りに行きました。
9時にいったら、もう10人以上並んでいました。
40分で、私の番になりました。
やや大きいので、打ちやすい、見やすい。
ただ、大きいので、走る時スパイベルトに入らない。
いま、iPhoneで、これを書いています。練習で。
ほんとは、iPhoneの文字入力は、音声入力がが便利。でも、新幹線の中では、しゃべることができない。
さすがに128Gは、思い切り高い。
しかし、いずれは、ライトニング端子に、ハイレゾ出力出来るらしい。
これを、待っています。買収したbeatsのヘッドホンは、わたしが一番バカにしてるものだけどね。



2014年9月18日木曜日

20140918 やはり暑い夏は走りにくかった

夏場、外を走ると、けっこうヘバることが多くて、体力なくなったのかなと思っていましたが、涼しくなるにつれて、持久力が戻ってきたので、たんに夏の暑い時は、外を走ってもスタミナ切れしやすいということに過ぎなかったのか。急速に楽になってきたので、びっくりしました。

パーソナルインストラクターに禁止されていた一日20キロの走行ですが、また最近元に戻しました。毎日20キロです。インストラクターによると、筋肉が疲労して、筋肉が成長しないから、10キロ以内にしてくれという話だったのだけど、でも、10キロには、まったくのところ、爽快感がありません。
5キロ以内にセロトニンが出て、10キロくらいだと、β・エンドルフィンが出るという話だけど、どちらもわからないです。というのも、慣れすぎていて、以前みたいに、高揚感がないです。楽しい気分を作るには、もっと距離を伸ばさないとダメなんでは。
初心に戻って、フォレストガンプみたいになりたいということであれば、一日三時間とか続けるのがいいと思うね。4時間でもいいけど、すると、何もできない一日になります。

この三ヶ月、毎月一冊くらい本を書いているうちに、写真撮影とかカメラということにまったく関心がなくなってしまい、もうカメラ全部処分しました。写真はiPhoneでいいよ、という話になりました。とはいえiPhoneでもあまり撮らないけどね。
で、やはりカメラの何が面白くないのかというと、既に存在する映像をコピーすることしかできないということですね。そこからすると、水晶透視とかヴィジョンのほうがいい。そのほうが面白いに決まってる。カメラを持っていた時も、写真撮影したりして、そのデータはパソコンに移したりしていましたが、肝心の写真を見てないというのが多かった。

神宮外苑を走っていると、いつも出会う中年男性がいて、非常に早いスピードで走ってるんですね。いつも出会う人は数人いるけど、この男性は格別早い。なので、プロだと思っていたけど、たまたま東京体育館で、外部インストラクタみたいなことをしていたので、わたしのパーソナルトレーナーに「あの左後ろにいる黄色いTシャツの人、誰なんよ」と聞いてみたら、サロマ湖100キロマラソンに毎年参加している人なのだと。で、ネットで調べたら、もう28年間もサロマ湖ウルトラマラソンに参加している人ですね。走るには、筋肉を鍛えなくてはならないという本を出してる。

筋肉を鍛えないで走ると、自転車のタイヤに空気入れないままで走るのと同じという話を読んだことがあるけど、このサロマ湖の人も、筋肉トレーニングのプロですね。

ガーミンのGPS時計にも、またiPhoneのnike+にも、オートポーズの機能がついていることに、最近気がつきました。
これは、交差点なんかで止まると、自動的に、カウントを止める機能です。
それをオンにして使ってみると、自分は、自分で思っているよりは案外と早いタイムで走っていることに気がつきました。
いままでのタイムは、交差点でじっと止まっている間も時間カウントしていたのだった。
ということならば、もう少し早いスピードということを練習してもいいのだけど、いままでは、具体的な目標というものがまったくなくて走っていたんです。
目標のない人がタイムを縮めるなんてことは考えられない。
健康法のためにゆるゆる走ってます、という感じなわけです。
大阪の権藤弁護士先生も、わたしの走ってる速度を聞いて、「あれ、それジョギングじゃないやんか」と言ってたけど、ジョギングとランニングの境界線は、一キロ6分なんです。
細かいことを言うと、それで使う靴も違うという話になります。権藤先生はジョギングしてるけど、わたしもジョギングしていると思っていたらしい。とはいえ、ジョギングもランニングも似たようなもんだと思うけど。

なら、時々フルマラソンに参加してもいいのかもと、少しずつ考え方が変わってきました。これ、パーソナルトレーナーがこないだ、「東京マラソンにエントリーしましたよ」と嬉しそうに言ってたことに影響を受けたこともある。
それまで、このトレーナーは、走るのは嫌いだと言ってたのに。要するに無酸素運動の男だったわけです。それなのに、こないだは、ちょっと外練習してきました、とか言ってる。

ちょっと筋肉つける。そしてタイムを縮める。わりにこれは具体的な目標ですね。夏場を過ぎると、多少無理しても、へばらないし。少し目標作らないと、走ることのモチベーションがあまり上がらない時期になってきたということですね。







2014年9月11日木曜日

20140911 わりに講座が多いです

今日は経営アストロロジー協会で、亀戸です。
7日は、祐天寺で、十牛図の講座をしました。

十牛図とエニアグラムは同じものだと前から説明していますが、
これは太陽系の中の惑星全部を統合するのに、役立ちます。
そして十牛図でも、またエニアグラムでも、9の位置は、外宇宙に開いた場所ですが、
そこから外に飛び出すことのできるのは、身体、感情、思考のうち、感情のみ。
飛び出すことができるくらい、感情に力がなくてはならない。
そしてまた戻ってきて、身体と思考に突破力を提供しなくてはならないけど
これは飛び出した先でチャージした力によって、なんとかなる。
まずは飛び出す力です。

太陽系のものを統合化することと、外に行くことは密接に関係があって、
統合化できないと、飛び出す意味もないのだけど、
こないだ話していて、第八図で、主客が溶けて、複数の主体なども出てくるようになり、
これは第二図の牛の足跡と関係があるので、第二図の模索は、バラエティがあったほうがいい
つまり迷いの時間がある程度は長いほうがいい、ということを説明した。

で、この第八図で主体が複数化する時に、それらは太陽系内の惑星の種々の影響が反映されているのかというと、実は、太陽系外の恒星の影響も入り混じっている。
これは9の位置を視点にして、∞マークのように、外と内が反射するために
外のものが、第八図の中に、ちらちらと影になって出てくるのです。
そして主体という防壁がなくなっているから。
それは太陽系内の惑星と類似していない。
結晶が溶けてしまうと、早く次の段階の結晶を作らないといけないので、
第二図はだらだらと伸ばしてもいいけど、第八図は、長々とすごしてはいけない。


三次元ホロスコープと、ヘリオセントリックを書いているうちに、
しっかり12サインに対する解釈とか概念とかが、変わってしまいました。
とくに牡牛座に対する解釈が大幅に変わった。蟹座もかな。