2015年4月13日月曜日

20150413 居住空間学

今日も話題がないのに、無理やり何か書いてみよう。

今日朝、コンビニで、BRUTUSの居住空間学、合本というのを買いました。
いろんな人の居住空間の写真を撮影したものです。
わたしはこの手の本が好きです。
で、このBRUTUS見て、それぞれの人の優雅な生活の空間に感心しました。
住む場所にこだわりがあり、その空間を楽しんでいます。余裕がある。
ピアニストの園田高弘は、グランドピアノを4台置いていたらしい。その部屋の写真があります。
わたしは家具の配置とか、休みなく移動させる癖があります。
でも、トランシット海王星がアセンダントに来た頃から、掃除することができなくなって、ゴミ屋敷と化しました。たとえば何か買ってきても、それを紙袋から出さないまま、そこいらに放置するということが、多くなってきました。食べものが腐っていたり、不思議な生物とかキノコが生育していたりということは、まだありません。
それで、最近の自分は広い空間は制御できないことがわかり、狭くしようと思いました。

外の世界というのは、実は脳の奥に入っていくことで開かれていきます。
脳の外にある世界は、感覚的な、狭い世界で、それは外ではなく、内にあるものです。
それと似て、狭い空間に入り込むと、そのぶん、何か外に開かれていくのかもしれない。
BRUTUSで、こばやし・ゆうが、自分は一畳あればいいと言ってるけど、たぶん圧縮された空間ほど、外に拡大するからでしょう。
これは、ベルリオーズが作曲するために、三畳間みたいなところにピアノ持ちこんでいたという話が記憶に残っているので、そう考えるのですけど。
あるいは伊藤左千夫が、創作するために、自分の家の壁にカプセルホテルみたいな穴をあけて、そこで書いていたという話をおぼえているからかも。
意識がもっと外に拡大すると、それにつれて、身近なところがままならなくなってくると思います。お片づけもできなくなってくるような状態になりやすいと思います。

わたしが最後に持っていた大型スピーカーは、15インチのタンノイのグレンエアですけど、この15インチの反応の鈍さというのが気にいらず、最後はほとんど聴かなくなった。ずっと10年くらいは、この手の大型スピーカー聴いていたけど、グレンエアを最後に、興味を失いました。
で、最近はヘッドホンか、あるいはニアフィールドモニターで、とくに、パソコンのCRTの両脇に、小型のスピーカーを置いたニアフィールドのリスニングは、スピーカーが近いので、アンプにパワーも必要がないし、スピーカーも小さい振動板なので、反応速度が速いし、低音も近いとそこそこ聴けるということがわかって、気に入っています。たとえば8センチのユニットです。

実際、たくさん手に入れたとしても、場所を取らない。それに圧倒的にお金かからない。
たとえば音楽の友社のステレオ誌の付録の、フォステクスのカンスピ、ウーファーとツィーターがそれぞれふたつのセットで、3800円です。
BRUTUSでは、音楽プロデューサが、部屋の本立てかなんかの下の空間に、タンノイのビーナスV30かマーキュリーM20を、そのまま横に床置きしているのが気になる。横に床置きした音がどんなのか、想像してしまうからですね。音楽の仕事をしている人が、どうしてそんなぼわぼわの音を受け入れられるのかと思ったりするわけです。
ひとあたり読んだ後は、BRUTUSは裁断されて、PDFになりました。五分もかからないうちに。

それで、ニアフィールドの小さいスピーカーとなると、やはり秋葉のコイズミ無線の通販に興味が行って、いくつか、そういうのを手作りしたいと思ったりしますが、わたしは自分のキーボードを打つ音を聞くと、打ち間違えたり、また打鍵の速度が急に落ちたりします。
なので、やはりイヤホンとかヘッドホンで、自分の打鍵の音が聞こえないくらい遮音性の高いもので聴いていたほうがいいです。STAXは密閉性がないので、外のどんな音も聞こえる。遮音性が高いのは、シュアーのイヤホンですが、あまり音がいいとは言えない。
自分のiTunesには、手に入りそうなCDを片っ端からリッピングしているので、まるで辞書みたいです。たとえば今日はプロコフィエフ聴いていますが、プロコフィエフだけでも、CDは24枚入っています。
アンドレ・プレヴィンがかなり好きなので、ホロスコープ作ってみたかったけど、親が移住やら亡命やらを繰り返していて、自分の出生の年月日もわからないんだと。ネットではプレヴィンのチャートは掲載されていますが、本人がわからないというんだから、作ってもしようがないと思うんだけど。