ぼちぼち今書いているのが、終わりの時期に来ました。
でも、すぐ次のがあるので、楽しいです。
先週、新大阪の講座に行った時、主催者の描いた絵が、荒れた海のようで、この感覚、感情の不安定な揺れ動きはどうしたのか、と聞くと、今本を書いていて、この試行錯誤で、大変なんだという話でした。
根底から嵐のようにダイナミックになるのは、本を書いている時の特有の体験であって、
それは書いている人にしかわからないのは当然だ。果たしてできるのか、いったいどうなることやら、という感じは、その行為の中で、エネルギィを掘り出すことになるわけです。外部のどこかにいっても、これを手に入れられない。自分で掘り起こすと手に入る。
最近見たホドロフスキーの「リアリティのダンス」では、お母さんのサラはオペラ歌手で、いつでも歌っていました。で、このサラが歌う曲のトーンは、メキシコのオペラ、カターンの「ラパチーニの娘」にも似ているし、さらにブラジルのバッハ、ヴィラ・ロボスにも似ていると思ったら、ほんとに最後はヴィラ・ロボスの曲を歌っていました。
ホドロフスキーの映画見ていると、ほんとにこの人は精神異常のような感じに見えてくる。で、それは面白い。作品の数が少なすぎる。もっと徹底して映画監督してほしいです。こないだ来日したときは、ほんとにタロット占いしていたらしいです。
でも、すぐ次のがあるので、楽しいです。
先週、新大阪の講座に行った時、主催者の描いた絵が、荒れた海のようで、この感覚、感情の不安定な揺れ動きはどうしたのか、と聞くと、今本を書いていて、この試行錯誤で、大変なんだという話でした。
根底から嵐のようにダイナミックになるのは、本を書いている時の特有の体験であって、
それは書いている人にしかわからないのは当然だ。果たしてできるのか、いったいどうなることやら、という感じは、その行為の中で、エネルギィを掘り出すことになるわけです。外部のどこかにいっても、これを手に入れられない。自分で掘り起こすと手に入る。
最近見たホドロフスキーの「リアリティのダンス」では、お母さんのサラはオペラ歌手で、いつでも歌っていました。で、このサラが歌う曲のトーンは、メキシコのオペラ、カターンの「ラパチーニの娘」にも似ているし、さらにブラジルのバッハ、ヴィラ・ロボスにも似ていると思ったら、ほんとに最後はヴィラ・ロボスの曲を歌っていました。
ホドロフスキーの映画見ていると、ほんとにこの人は精神異常のような感じに見えてくる。で、それは面白い。作品の数が少なすぎる。もっと徹底して映画監督してほしいです。こないだ来日したときは、ほんとにタロット占いしていたらしいです。