2014年5月29日木曜日

20140529 水晶透視に関するコメント/はっきり見える必要がある

水晶スクライイングに関して、メールが来たので、引用とコメントしておきます。質問は、水晶で映像ははっきり見えるのか。あんがい、いろんな本では、それが明確にされていないという内容に、わたしがつぎのように答えたのです。

> くっきりテレビを見るように具体的に映像が見える。
> でも、見える人の人数としてはきわめてまれ。
> ほとんどの本は、その体験をしたことのない人が書いている。

これ以後は、メールよこしてきた人の文章です。
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はぁ、薄々気づいてはいたけれどやっぱりそうなのかー。
なかなか人には聞けない部分です。
今まで、「先生の水晶講座へ参加したけれど、まだくっきり映像は見れていない、でもクラックで印象を拾えることで現時点では満足している」とはっきり教えてくれたのは、Kさんだけです。
彼女は客観的で、正直な人だと思う。

では、あまりくっきり映像にこだわらずに活動するのがいいんでしょうか。
私の目標は、見始めてから短時間でくっきり映像を見る、それと、水晶透視をするたびにくっきり映像を見ることです。これは現時点では、結構贅沢な目標です。

集まりに来てくれる人は、驚くほどはっきり「見えた!」と言い切る人が時々いて、一回で出来るようになったと思い込む人がいる。なかなか扱いが難しい。
先生が、いつかきっともう一度、水晶透視の講座を開いてくれるのを私は祈ります。
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これ以後はわたしがコメントします。

印象が入ってくるという段階と、くっきり見えるという間には、かなり隔たりがある。ただ、理想は、はっきり見えること。これは、オーラを見た時に、肉体が消えて、オーラのみが見えるというくらい驚く体験です。
エーテル体に深く入り込むことで、このくっきりと見える段階に入る。すると、強い生命力がチャージされる。それに変性意識に切り替わるので、深淵に触れるような体験をする。水晶が見えると長生きし、健康になると言われているのは、これが原因。

で、遠隔透視とか、未来が見えるということは期待しないほうがいい。
それを期待する人は、たいてい、そのような欲求を持つことで、深淵に近づけないものなので、映像は見ることができない。
未来、遠隔透視。それをしなくても、映像を見ることで、私たちは、現実というものに触れる。それは、ちょっとショッキングだ。そこにはまさに神秘がある。不思議でしようがない。

で、わたしは水晶スクライイングを教えていたけど、それを習って、見えるようになるところまで行くとは期待していない。
というのも、それは、長い時間がかかり、シュタイナーの言うように、血液が神経に接触しないで印象を取り込むような作用を引き起こす必要がある。人間がまるっきり変わってしまうような変化が必要だ。

視覚は思考の反映で、おもに乙女座に対応するとズスマンは言っていたが、感覚の視覚はジオセントリック。松果腺から、視覚に引き下ろすという逆の流れの映像視覚は、ヘリオセントリックの乙女座に対応すると思う。松果腺はヘリオの太陽で、そこから惑星に自己分割するのが、ヘリオセントリックの構造だから。地上からの情報回路ではない。流れは全く反対の方向だ。

ちなみに、わたしはある光景を、自分が場所を移動しながら、別角度で見ると言う体験をしている時には、そこで、細部まで映像を見る。それこそ、葉っぱの一枚一枚。カメラが移動するみたいに、対象は固定され、見る角度がゆっくり移動する。
で、水晶ではないけど、体がリラックスして、感覚が薄くなると、このくっきり映像が出てきます。やたらに植物が多い。

地上の事物に依存して成り立つ映像は、地上のもので、人は死ぬ時に、それを持っていけない。ヘリオセントリック的な視覚は、地上に依存しない、いわば視覚のエーテル界への移送のようなもので、神経すなわち肉体がなくても、独立してなりたつ。
もし感覚が12あるなら、これをぜんぶエーテル体に移送できれば、蝉の抜け殻のように感覚を脱いでも、その人は損なわれることなく、その後も機能する。
エーテル体は、上からの力の受け皿となるが、肉体はその働きがない。なので、水晶にくっきり映像を見ることは、このエーテル体が上のつなぎを始めたことの証だ。

視覚は乙女座。乙女座は、自分が部分化して、全体が見えなくなることを意味するが、わたしたちは、視覚に心を奪われている。そのことで、小さな私に占有され、自己を喪失する。
太陽の自己分割としての創造の光線の下降は、如何なる音にもなれるという原則からすると、むしろ、水晶の映像は、それに夢中になり、心奪われるところまでいかないと、異なる音への降下が果たされない。
たぶん、降りることができると言うことは、上がることができる。降りることを通じて、シはドに上がるのだから。

松果腺からの映像は、地上から見た時の映像と、ちょっとしたギャップがある。上からの映像は真実で、下からの映像は事実、という違い。だから、未来を見る、遠隔透視するというのは、厳密には無理な話と考えるといい。地上の出来事と違うことを言ってしまうのだから。でもそのほうが価値があると思う人は、正しい考え方をしている。

きょうは、わたしは、ライカのズミクロンを手に入れて、α7rの拡大ピント合わせの練習しています。ピーキングだと、完全に合わせられない。オートフォーカスはもちろん結構はずしが多い。なので、マニュアルフォーカスで、拡大画像ピントあわせが、一番理想に近い。
α7rは高画素すぎて、わずかでもピントがずれていても、それははっきりと出てしまう。レンズにハマったり、映像のピントあわせは、ちょっと水晶スクライイングに通じるものがある。





上の四枚は、ズミクロン、ミノルタMDなどの50mm。
下のDSC-RX1は、コンパクトサイズのカメラにもかかわらず、どこまでも緻密な画像。