2015年6月9日火曜日

20150609 明日から飛行機に乗る

明日から飛行機に乗ります。また腰が痛くなるくらい長時間だ。

ここ数日は、もともとのわたしの書こうとしている路線の本を書いています。

そういえば、北海道の対談で、波木先生が、占星術を真剣に勉強しようとしている人に対して、わたしが書いている姿勢はどのあたりにあるのか、というような質問をしていましたね。

でも、これは占星術とは何を目的にし、どういうものを占星術と考えているのかということを、質問者が明白にしないかぎり、答えられない話だ。みんな占星術に対するイメージが違うんですね。

わたしの明確な目的で書こうとしているものは、あと十年くらいは続けないと
ひとあたりの節目に達しないかもしれないです。

そして、自分が目的にしている内容、追求しようしている方向の本だけを書き続けることができないという状況もあります。
要求されたことを書いている場合がそうです。
その都度、そもそも書こうとしているものは中断されます。
でも、今の中断され加減は、ちょうどいいかもしれない。
今年のはじめに、今書こうとしている本のさわりを書いたけど、どう取り掛かって良いのか、あまりしっかりとイメージができなかった。果たしてできるのかなーというところだった。

ところが、今では、はっきりしています。
つまり、半年くらい、時間が経過して、すこし膨らんできた感じなんです。
よくいう、機が熟したという感じか。
あらゆる暇を見つけて、書きたい。

本を書くことにしても、取り組みの姿勢がみな違いますね。
ある歴史的なことを題材にした小説で、しかもそれは映画化されたのだけど、
わたしはそれを読んだとき、作者の意図がわからなかった。そもそもなぜこんな本を書くのか。横のものを縦にもしないで、あまりにも暇だから、こんな本を書いたのか。だからなに?というような本だったのですね。この人はどういう楽しみで生きてるんだろうか。
わたしはそういう趣旨の本は書けないし、書くつもりにもなれない。
たとえば占星術の本を書くときに、歴史を調べて、それについて書くというような種類のものは、わたしはおそらく一ヶ月もしないうちに投げ出すでしょう。

そういえば、歳をとってきて、年齢がいくにつれて、
わたしは古いもの、歴史に関心を失いました。とくに日本に関して興味を失っている。
やはり歴史に興味があるのは、三十代とか四十代の段階かな。
いまのわたしの年齢だと、伝統、歴史などに価値を見出せない。
たとえば、ISがイラクの遺跡を破壊するという話を見ても、それはそれでいいのではないかと思ったりします。おらそく失われた時は二度と取り戻せないという考えをしていないからだ。
それにご飯食べたいとか、日本食がいいとか、思わないし。食べ物はなんでもいい。違いなんかない。

対談ではノストラダムスの話も出てきました。
で、最近の中国を見ていると、例の1999年の7の月の話がだんだんとリアルになってきている面もあるのかなと思いました。
中国がヨーロッパに侵略に行く。それを撃破する大王が、1999年に生まれるというヴライク・イヨネスク解釈の話です。中国は一番イギリスを標的にしたい。