2015年6月28日日曜日

20150628 昨日は九州にいた

帰りの飛行機は、昨日の夕方のANAでしたが、空席が目立ち、こういうスカスカの飛行機に乗るのは、とても良いです。
でも、最近、だんだんと飛行機に乗りたくてしようがないみたいな感じになっていて、国内よりも、とりわけ海外に行く飛行機に乗りたいです。ずっと空の上で暮らせないだろうか。地球も、実は空の上をずっと回転している大型の航空機みたいですが、空の上を飛んでいるという実感がない。実感がある状態で、空の上にいたい。

その人の生活のベース、基盤は月にあります。
わたしの月は、水瓶座で、風・固定サインで、これは中空に浮かんだまま、大地に降りる気はない、というサインです。つまり水瓶座の月の人にとって、「グランディングする、着地する」とは、大地よりもすこし遊離したところ、惑星グリッドのラインに降りることが着地することです。その下の地面ではないです。
「地に足をつける」というのは、そもそも地というのが人によってかなり違うのですね。27歳くらいの時に、もうすこし細かい、具体的な、大地的なところに降りないといけないなと思いました。それによって、もう少し重い栄養分を吸収して、肉体を救済できる通路ができるからと思ったからです。
で、その結果が、占星術です。これも地を這う人からすると、中空を浮かんでいるような世界ですが、わたしからすると、これは十分に大地的でした。
その後、土星の一回転ぶんが経過したので、このテーマはすでに完了し、それ以上に降りる気はなく、もとに戻ろうとしています。
占星術から、飛び立って、本来の元の存在位置に回帰しようという方向ですね。

昨日、九州の講座では、一日目も、二日目も、ひとり20分くらいの割り当てで、11人か12人とかのリーディングをしていたのですが、だいたいひとり20分というのは、およそ限界に近いと思います。大阪のカイロンでは、だいたい30分で、すると、午前4人、午後4人です。そのくらいでちょうどいいかもしれないと思います。

で、昨日の九州で、ヘリオセントリックを読んでいたのですが、やはり時々、ヘリオ惑星が、より高められた意識に発達すると、そこで恒星と接続され、「時間の中で動くはかないものに、永遠性が宿る」ということをもう少し強調したいと思いました。蠍座は、地に落ちた鷲。生命感覚を溜め込み、凝縮すると、鷲のところまで上がります。その時に、恒星とつながります。古いやり方だと、これは多くの人を支配し、その頂点に立つこと。つまりステーヴン・キングがペット・セメタリーで描いていたような、アステカのピラミッドの方法論です。

で、昨日は、主催者の高野さんがレッツノートのwindows8.1に、新しく英語版のアカウントを入れて、再ログインすることで、solarFireを起動するという設定をしていたので、あらためて、わたしは自分のノートパソコンに、SolarFireを入れようと思いました。
いまのところ、デスクトップのwindows7のwindowsXPモードに入れて使っていたのですが、ノートパソコンに入れたら、地方講座で、SolarFireが使えるから、すると、わたしはヘリオ惑星と、恒星と、そして太陽系チャクラの説明もできるからです。Sandra Kynesは、恒星よりも、まずはコンステレーションから入るということを提唱しています。
ゼータ・レティクル人は、レティクル座から、エリダヌス川を鮭のように川登りして、オリオンの近くで、エササニ星人になった。レティクル座星人と地球人のハイブリッドが、エササニのバシャールですが、2015年から、そろそろ地球に住む計画になっています。たぶん青梅あたりからはじめるのでは。

で、今日は、いろいろ試行錯誤しましたが、Windows8.1のノートパソコンに組み込むのは失敗。で、MacbookAir11インチに、相変わらず、パラレルデスクトップで、windowsXPには、SGを。windows7には、SolarFireを入れるということに落ち着きました。
あまりにもノートパソコンをころころと変えるのでwindows7のライセンスのどれがどれかさっぱりわからなくなっていたのですが、休眠のwindows7ライセンスのひとつが、うまくairに登録できました。

これで、大阪とか、あるいはあちこちのお出かけ地域で、SolarFireを、プロジェクタ出力できます。となると、ジオセントリックと、ヘリオ&三次元の図の比較、未来への展望などを説明することができます。普通のチャートのリーディング会は、どこでもキャンセル待ちというふうに言われていますが、ジオセントリックは、地面を這う生活においての展望を見ます。
ヘリオとか三次元は、もっと大きな視点だし、未来への可能性がありますから、このリーディング講座を何度もしてもいいと思います。

日本国内で、日本人が普通に会話するときに、決して文法通りに話す人はいない。徹底して省略します。それと同じく、アメリカで、マンハッタンで、文法通りに話す人はいなかった。とくに黒人は、かなり短縮というか、省略していたと思います。そもそも文盲が多いアメリカで、文法なんか知らないというのが多いのでは。
いつも行く健康フーズのお店で、ノーシー?と聞かれて、何の意味かまったくわからなかった。
要するに、レシートなしでいいのか、それとも要るのか?ということを聞かれていたのです。
で、わたしが答えないと、口をへの字に曲げて、レシート出していたのです。
紙代を節約しようとしているのか。
こういうのは、どこの教科書にも書いてないで。
たとえば、カフェとかで
for here? to go?
というのはだいたいメニューに、for hereとか書いてあるので、これはある程度はわかると思います。think cafeには、壁にfor here場合の価格と分量が書いてあった。でも、ノーシーはわからない。
ともかく、そういうのは、その場でしばらく過ごさないことにはわからないですよね。

わたしが北海道の波木先生を、並木先生と、書き間違いをするのは、ナミキというと、並木伸一郎を思い出してしまうからです。昨日、久しぶりに、ANAの帰路で、並木伸一郎の秘密結社についての文庫本を読んでいました。あいかわらず、いつまでも、ブレないねー。いまでも、300人会議とかの話が出てくるんだから。みなみやまひろし、とか、やおいさんとか、なみきしんいちろうは、わたしの懐かしい故郷の人々みたいです。久保田八郎も。

手書き図形などを入力するために、手書きノートを模索しています。
烏賊の肝臓のコレステロールを使った液晶画面のノートは、文字が暗いし、あとはbluetoothで転送した時に、とりこぼしがあります。
これまでのようにipadで、スタイラスで入れたほうがいいのか。