ヤフーのトップページで、時々、あなたのルーツを調べますという遺伝子チェックの宣伝がある。これで、自分がどこから来たのか、どこに所属しているのかを確認できるというものだ。
で、実際にそれによってわかることがあるのか、というと、自分の半分、いわば下半身の部分のルーツがわかると思う。上半分はわからない。
先週かあるいはその前の週に夢を見たのだが、映像として、水に浮かぶ丸太の上に、立っていた。で、この丸太は丸いので、端のほうは円形に下がっていて、それから下は水の中にある。
自分は反対側を見ることはできない。この反対側に、自分の半身が存在している、という映像で、意味そのものは単純。しかしこの映像の表現がなかなかよかった。どこまでいっても、反対側は見えないというものだ、丸太でなくても、球形でもいいと思う。どこまで移動しても、半分は見えないのだ。
人間は長い歴史の中で、地球上をあたかも幾何図形を作るかのように移動する。前世とか、あるいは大きな自己の中の、今の自分とは違う位相にある小さな自己がさまざまな地域に分散していると考えてもいいが、総合として、地球を苔のように覆うネットを作り出そうとする。そのことで、地球的な自己と、太陽的な自己の平均的な繋ぎができるからだ。それが懸け橋になる。
地球を全部埋め尽くすことで、大きな自己というものに到達する懸け橋ができるが、このネットは、大まかな骨組は、立体の幾何図形で、たとえればマカバのような形を考えるといい。
遺伝子などでわかる移動のコースは、このマカバの下側の女性型正四面体の部分をあらわしている。それに対して反対側の領域は、いわば魂に属するものであるが、遺伝子的なものではわからない。それは丸太の話を出したように、見えてこないのだ。どこまで歩いても、球形の反対側がわからない。片方が西に異動すると、片方は東のほうに異動する。そして、片方が下に行くと、片方は上に向かう。
感覚的なものに包まれていると、私たちは自分を中心にしかものを見ることができないので、この球形の反対側、丸太の反対側はいつまでも発見できない。感覚から離れたら、視覚は全方位的になる。
上側の正四面体は、物質的でもなく感覚的でもないので、移動コースを地図の上では復元できないという面が多く、それでもあえて地図を移動していると考えたい場合には、下側の正四面体からの投影として、逆像として想定はできるだろう。平面的な移動だったら、経度の移動を想定して、その反対側の動きを考えるといいし、この平面的、二次元的な動きを考えるならば、ホロスコープをたとえに考えてもいいが、マカバは平面的でなく立体的な幾何図形だ。
どこまでも二次元的な発想しかできないホロスコープだが、たとえば時間の流れとして、過去から未来へという方向性は、2ハウスで表現される。過去にある資産。これはすでに持っているものなので、わたしたちはそこに依存するが、魅惑はされない。
未来からやってくる資産は、11ハウスで、これは持っていないということで興味を抱く。それは強い吸引力を持つので、持っていないということそのものが財産とみなされていい。
わたしたちは過去から未来へと進むので、この気分があるかぎり、過去はひきつけるものでなく、常に未来がひきつける力を持つ。見えないところから、何かが綱で引っ張ってくれているようなものだ。
物質から過去からやってくる。
ヴィジョンや「意図」は未来からやってくる。
この両方のどちらかを失うと、二点の間につられた糸の上を歩くことができなくなるので、わたしたちはどこにも進めなくなる。
で、いまわたしは進行の月はまだ2ハウスにある。月は創造性を持たず、ただ模倣するか、思い出すかしかできない。
そして2ハウスは過去の資産なので、わたしはいま、自分のすでに持っているものだけを消費して活動している。よく知ってることを繰り返して話しているだけなのだが、たいてい人はこういうことにお金を払う。で、無計画に、参加者のホロスコープをただ読んでいるだけだが、この過去の資産を使うだけ、思い出すだけ、というのは進行の月が2ハウスを去ると、既知のものの繰り返しのみということをしなくなる。
90度のアスペクトは、裏腹な協力関係にあり、同じ平面に並べると、互いが阻害しあう。が、表裏の関係ならば、それは協力関係だ。2ハウスと11ハウスは基本的には90度の関係にあるもので、2ハウスの過去のものを、どういう方向に「消耗させるか」を、11ハウスが裏側から指示している。11ハウスの、まだ持たざるヴィジョンを、どの方向に着地させるか、2ハウスが裏側から指示している。
たとえば、誰かがお金を使う時、どういう使い方、どういうなくし方をするのか、そのなくしかたは、11ハウスがあるべきイメージを作り出しているのだ。
単純な発想では、お金がなくなるほど、11ハウス的なヴィジョンが割り込んでくる。
勢いよくなくすと、勢いよく11ハウスがなだれ込んでくる。
なので、手に入れると駿足でなくすのが好きな人というのは、11ハウスが好きな人だ。
たとえば、部屋の中にある乱雑な荷物をハイスピードで断捨離すると、捨てた分、11ハウス的なヴィジョン、意図、イメージが、その隙間を埋めてくる。
ものがたくさんある人は、疲れ、道を見失い、怠惰の中にうずもれる。ともかく前進するとは、過去を燃やして、意図すなわち未来を引き寄せることなので、そのためには、部屋の中にあるものをどんどん減らしていくと、ここに活発な新陳代謝が起こる。
で、わたしはいま2ハウスの進行の月の時期に、過去の資産でどのくらいのことができるのかを、点検しているような印象もある。橋幸夫とか、過去に売れた一曲だけで、地方を巡業すれば、それだけで暮らしていける。こういうのが2ハウス的な暮らしだ。わたしにとっては、使い古した手法であるハーモニックも、巡業ではウケるんです。わたしにはサビアンも2ハウス的なもの。
完全に消耗しつくさないと次に行けない。つまり収入が不可能になったり、耕作できなくなると、移民に行くように、2ハウスの資産は完全に使い尽くさないかぎりは、人は未来に向かわない。
で、実際にそれによってわかることがあるのか、というと、自分の半分、いわば下半身の部分のルーツがわかると思う。上半分はわからない。
先週かあるいはその前の週に夢を見たのだが、映像として、水に浮かぶ丸太の上に、立っていた。で、この丸太は丸いので、端のほうは円形に下がっていて、それから下は水の中にある。
自分は反対側を見ることはできない。この反対側に、自分の半身が存在している、という映像で、意味そのものは単純。しかしこの映像の表現がなかなかよかった。どこまでいっても、反対側は見えないというものだ、丸太でなくても、球形でもいいと思う。どこまで移動しても、半分は見えないのだ。
人間は長い歴史の中で、地球上をあたかも幾何図形を作るかのように移動する。前世とか、あるいは大きな自己の中の、今の自分とは違う位相にある小さな自己がさまざまな地域に分散していると考えてもいいが、総合として、地球を苔のように覆うネットを作り出そうとする。そのことで、地球的な自己と、太陽的な自己の平均的な繋ぎができるからだ。それが懸け橋になる。
地球を全部埋め尽くすことで、大きな自己というものに到達する懸け橋ができるが、このネットは、大まかな骨組は、立体の幾何図形で、たとえればマカバのような形を考えるといい。
遺伝子などでわかる移動のコースは、このマカバの下側の女性型正四面体の部分をあらわしている。それに対して反対側の領域は、いわば魂に属するものであるが、遺伝子的なものではわからない。それは丸太の話を出したように、見えてこないのだ。どこまで歩いても、球形の反対側がわからない。片方が西に異動すると、片方は東のほうに異動する。そして、片方が下に行くと、片方は上に向かう。
感覚的なものに包まれていると、私たちは自分を中心にしかものを見ることができないので、この球形の反対側、丸太の反対側はいつまでも発見できない。感覚から離れたら、視覚は全方位的になる。
上側の正四面体は、物質的でもなく感覚的でもないので、移動コースを地図の上では復元できないという面が多く、それでもあえて地図を移動していると考えたい場合には、下側の正四面体からの投影として、逆像として想定はできるだろう。平面的な移動だったら、経度の移動を想定して、その反対側の動きを考えるといいし、この平面的、二次元的な動きを考えるならば、ホロスコープをたとえに考えてもいいが、マカバは平面的でなく立体的な幾何図形だ。
どこまでも二次元的な発想しかできないホロスコープだが、たとえば時間の流れとして、過去から未来へという方向性は、2ハウスで表現される。過去にある資産。これはすでに持っているものなので、わたしたちはそこに依存するが、魅惑はされない。
未来からやってくる資産は、11ハウスで、これは持っていないということで興味を抱く。それは強い吸引力を持つので、持っていないということそのものが財産とみなされていい。
わたしたちは過去から未来へと進むので、この気分があるかぎり、過去はひきつけるものでなく、常に未来がひきつける力を持つ。見えないところから、何かが綱で引っ張ってくれているようなものだ。
物質から過去からやってくる。
ヴィジョンや「意図」は未来からやってくる。
この両方のどちらかを失うと、二点の間につられた糸の上を歩くことができなくなるので、わたしたちはどこにも進めなくなる。
で、いまわたしは進行の月はまだ2ハウスにある。月は創造性を持たず、ただ模倣するか、思い出すかしかできない。
そして2ハウスは過去の資産なので、わたしはいま、自分のすでに持っているものだけを消費して活動している。よく知ってることを繰り返して話しているだけなのだが、たいてい人はこういうことにお金を払う。で、無計画に、参加者のホロスコープをただ読んでいるだけだが、この過去の資産を使うだけ、思い出すだけ、というのは進行の月が2ハウスを去ると、既知のものの繰り返しのみということをしなくなる。
90度のアスペクトは、裏腹な協力関係にあり、同じ平面に並べると、互いが阻害しあう。が、表裏の関係ならば、それは協力関係だ。2ハウスと11ハウスは基本的には90度の関係にあるもので、2ハウスの過去のものを、どういう方向に「消耗させるか」を、11ハウスが裏側から指示している。11ハウスの、まだ持たざるヴィジョンを、どの方向に着地させるか、2ハウスが裏側から指示している。
たとえば、誰かがお金を使う時、どういう使い方、どういうなくし方をするのか、そのなくしかたは、11ハウスがあるべきイメージを作り出しているのだ。
単純な発想では、お金がなくなるほど、11ハウス的なヴィジョンが割り込んでくる。
勢いよくなくすと、勢いよく11ハウスがなだれ込んでくる。
なので、手に入れると駿足でなくすのが好きな人というのは、11ハウスが好きな人だ。
たとえば、部屋の中にある乱雑な荷物をハイスピードで断捨離すると、捨てた分、11ハウス的なヴィジョン、意図、イメージが、その隙間を埋めてくる。
ものがたくさんある人は、疲れ、道を見失い、怠惰の中にうずもれる。ともかく前進するとは、過去を燃やして、意図すなわち未来を引き寄せることなので、そのためには、部屋の中にあるものをどんどん減らしていくと、ここに活発な新陳代謝が起こる。
で、わたしはいま2ハウスの進行の月の時期に、過去の資産でどのくらいのことができるのかを、点検しているような印象もある。橋幸夫とか、過去に売れた一曲だけで、地方を巡業すれば、それだけで暮らしていける。こういうのが2ハウス的な暮らしだ。わたしにとっては、使い古した手法であるハーモニックも、巡業ではウケるんです。わたしにはサビアンも2ハウス的なもの。
完全に消耗しつくさないと次に行けない。つまり収入が不可能になったり、耕作できなくなると、移民に行くように、2ハウスの資産は完全に使い尽くさないかぎりは、人は未来に向かわない。