2014年3月10日月曜日

20140310 どのくらいするとエンドルフィンが出るのか

ネットを見ていると、 βエンドルフィンのことについて書いてあるページがわりに多い。これは脳内麻薬のようなもので、苦痛を和らげるために脳が生産する物質であるらしい。脳波がアルファ波になるとこれが出てくるという話もある。

どうしてこのエンドルフィンに興味ができたのかというと、世界でもっとも稼げる俳優ということで、数日チャーリーシーンに興味を持っていた時があって、しかしながら彼は、ドラッグをして、またアルコール依存症で、という典型的なハリウッド型の俳優だということが判明した。施設にも入ったことがあるというアルコール依存症について調べていると、アル中あるいは依存症は、エンドルフィンの不足から、アルコールに依存するようになるということらしい。風あたりの強すぎる仕事をしていると、ストレスを緩和するために、ドラッグとかアルコールとかに走る。昔ならば、性格だと思われていたものも、現代では全部依存症とか病気に分類されるので、中国の詩人李白なども、重度の依存症にされてしまうだろう。依存症のないマトモな人格というのは、存在するのか?空想的な、現実には存在しえない基準を標準にしてしまっているだろうと、わたしは思う。理念的で空想的な、というよりも、面倒なものは扱いたくない、ともかくある種のロボットみたいなものを理想に想定しているのではないかと常々思うが、それはともかく。

マラソンしてる場合には、体が苦痛なので、ある段階から脳の中にβエンドルフィンが出てきて苦痛を和らげるということが書いてある。
その結果が、いわゆるランニングハイなのだと。βエンドルフィンは快感物質を生産するので楽しいことや気持ちのいいことをすると生産されると書いてある。このような精神状態を物質で考えるというやりかたは、ともかくどんなものでも、物質の証拠がないと認めないということで、たとえば脳に異常な映像が見えない場合には、後遺症は認めないので、保護対象として認定しないとか、いま、世界から笑われている日本の医療レベルの遅れにも関係すると思うが、半面、パターン的に理解しようと思う場合には便利な面もある。

で、私としてはマラソンしてる場合にどのくらい時間が経過すると。 βエンドルフィン、すなわちランニングハイの状態になってくるかを実際的に確認してみたかった。あるブログでは25分ぐらいするとそれがでてくるという話になっている。私の場合には走り始めは多少苦痛を感じる。それも少しだけだが。それまでずっと座っていた状態でいきなり走り始めるわけだから体がまだそれに適応できておらず、足並みもそろわない。だからそう感じる。
 しかしながら少しずつ体が温かくなってきて、運動のリズムが5キロくらいの段階から整ってくる。確かにこの段階であまり苦痛ではなくなってくる。これは25分から30分前後の段階だと思われる。でもこれはランニングハイというよりも、身体の適応だと思うのだが。

その後走り続けていると、ある段階で、やっと走ったという満足感を感じる段階がある。この時に初めて私はタイマーを見ることにしている。このタイマーというのはガーミンのGPSウォッチ。毎回、このある程度満足感を感じた段階でウォッチを見るのだが、いつもだいたい15キロの段階である。少ない時で13キロ、多い時で16キロくらい。15キロ走ると、自分としては、今日はなんとなく走ったなという実感があるということである、その後20キロまで行くと走るのをやめる。なんとなくトランス状態に入ったような感じ、つまりずっと走っていても、無感覚になるのはたぶん10キロすぎたあたりからだろうか。つまり βエンドルフィンは10キロぐらい走れば出ていると感じる状況か。快感を感じるというよりはむしろ無感覚になるということです。

ちなみにランニング依存症というのもあるらしく、これは毎日走らないと、自分は死ぬかもしれないと感じたりするらしい。選手とかは、これに陥らないようにするために、わざとお休みを設定するらしいが、それでも監視しておかないと、隠れて走る人がたくさんいるらしい。
体重を軽くすると走りやすいことが判明して、体重を減らすが、すると頻繁に貧血を起こす。スポーツをする人の貧血が非常に多いらしく、スポーツ貧血という名前になっている。実は、わたしは以前はランニングをしていると、一か月に平均二回とか三回貧血を起こして、すると、その日は、走るのを停止しても、その後も歩くことさえしっかりできなくなるという状態になることが多かった。いまは、それが起きにくい。貧血を避けるために、頑張って食べているからだ。食べていても、体温は確保できていないけど。炭水化物を食べると、貧血は起こりやすい。きっと早く燃えすぎるから。なので、炭水化物をやめて、ゆっくり燃えるたんぱく質を増やす。結果として体温が低くなるということではないでしょうか。しかし最近は努力して、35度台になった。36度台まではまだ届かない。

20キロ走るというのが当たり前になってきて、モチベーションが上がらない。盛り上がらない。当たり前すぎる。なので、こんどは30キロを目標にするかな。時間かかりますね。

Huluで、イタリアマフィアのボス、ソプラノのドラマを見ていて、トニー・ソプラノのお母さんみたいな、機嫌が悪く、意地悪で、なんでも否定的に見るという性格は、ある人ならば、やはりエンドルフィンが少ないからだという説明をするのではないかと思った。
老齢化して、性格的に希望が見えない悲観的な発想の人間は、自然的に生成するエンドルフィンが少なくなっているのだというのはありうるかも。アルコール依存症の人も、通常の段階では、この成分がかなり少なくなっているらしいので。
飲まないためには、ほかのことで、エンドルフィンが生成されるようなことを見つけなくてはならない。ロンドンでは朝からカフェなどで、ビールを飲んでいる人が多いけど、世界でもっともビールを飲むチェコの人とかは、どう違うのか、調査レポート読んでみたい。ロンドンでは、ランチにビジネスマンがビールを飲む率が非常に高くなっている。

人間には信念体系がある。それは型にはめて、この型の中で眠り込もうとする性質だ。家の中では安心できるという意味。そしてこの信念体系に反することを見聞きすると、ストレスが急激に増加する。フロイトがトーテムとタブーで書いていた内容は、型から逸脱したものを体験すると、ストレスが増えるという。現代社会の場合、そういう意味では、今後ももっとストレスは増加するはずなので、エンドルフィンという単純な発想で考えるならば、もっと増やさないといけないということになりますね。ごく普通に素直に健全に生きていれば、ストレスはないはず、ということは言えない。むしろ健全な人でも、どんどんストレスが増加することを避けられない。
で、この型の中で眠るという信念体系は、個人を集合化させた集団意識のレベルでは、たとえば、日本という国家も、大きな家であって、よその国と関わるということが増えると、当然、日本的な意味での信念体系は常に揺るぎ続けることになる。

日本でも第二外国語として英語を採用しようという話がある。フィリピンみたいに、小さな子供の段階から英語を教育しようというアイデア。
ちなみに言語感覚は双子座ですが、ここでは、言語体系の違いを乗り越えて、共通の理解としての言語感覚のことを述べているわけで、言語体系の違い、すなわち地域性とか民族とかの違いで発生している言葉の違いは、おうし座が示している。結局民族とか体質とかの違いは、言葉の違いではないのか。言葉が違うと同じものを指していても、受け取るニュアンスは違う。牡牛座に、開かれた書物の一文というサビアンシンボルがあるけど、ここに記述された内容を問題にする前に、その言葉そのものに注目すると、双子座的受け取り方ではなく、おうし座的受け取り方になる。
で、ヘミシンクの初期の練習会で、わたしにはふたりの老人が出てきて、ふたりでじゃんけんをしていたのは、表象文字系と、表音文字系のふたりの大天使がいるという意味でもあったけど、日本人は、漢字、ひらかな、カタカナ(ヘブライ語)を三つ使うので、全員が、だれもが、表象文字系と、表音文字系のふたつを扱っていますね。日本という国家を一度解体しないと、本来の日本の力は出ないのではないのか。日本という国家は日本の潜在力を見失わせる小さな家で、この国家は本来の伝統を喪失させることになったのだと思う。日本は非常に多数の民族が混合されていて、にもかかわらずそうは見えなくなっているのは、途中からルーツを切り離して、島国で純粋培養してブレンドした結果ですよね。ヒングリッシュとかタゴリッシュとかジャパリッシュの違いには興味があるけど、英語を第二外国語にする場合、どのルーツの英語を取り入れることになるんだろうね。