わたしのホロスコープでは、8ハウスに、天秤座の24度の海王星がある。ずっと昔、理由もなしに、唐突に倒れて立ち上がれなくなった時があって、その時に意識が遠のいている状態で、向こうの丘の上に老人が立っていて、にんまり笑いながら、わたしに手を振っていたのを見た。
その丘の上の老人から、わたしに向かって、川が流れていて、その時、この川が境界線の向こうとつなぐ作用を持っていることを知った。
で、わたしのホロスコープには、この海王星に関係した4つのオポジションのアスペクトが、2ハウスと8ハウスの間にあって、これが問題の川であることを知った。
これを死の川と考えてもいい。となると、まるで三途の川みたいだ。
で、とくに火星と海王星が、牡羊座と天秤座の24度領域に近く、この24度領域は、牡羊座と天秤座に関してのみ「外との接点」として働く。なのでハウス的にも、サインの度数的にも、川の作用が強調されている。
で、毎年、太陽はこの海王星というか川に接触するのが10月半ばで、わたしはいつもその時に、その年が終わったと感じる。というか、極端に脱力して、燃え尽き症候群みたいになり、何か壊れていくという印象を抱く。毎年決まって、だ。
川の先に、死の領域の接点としての海王星があり、ここを刺激されると、結果的に現世的な価値観とかアイデンティティのプチ崩壊を起こす。死の接点は、同時に生の価値観の崩壊と引き換えであることは言うまでもないので、元気に爽快に、死の領域との接点を作るということはあり得ないので、このプチ崩壊は自然なものだと思える。生のフォーマットがひずむのだ。川の先の海王星のとなりにある土星、すなわち老人はにんまり笑っていたが、このにんまり笑うところに、そうとうな意地悪な印象があって、これは生の価値観とかフォーマットを軽く壊してしまう意地悪さだと思う。それに、「そんなことは、前々からわかってるだろ」と言いたげな感じで、わたしに笑いかけたのだ。
で、昨日、雑誌のムックの記事を作るために、わたしに取材して、それを執筆する予定の編集者のYさんが来て、ひとあたり、説明が終わって、帰ろうとするときに、「そういえば、最近続々と人が死んでませんか。怖いんですけど、大丈夫でしょうか」と言った。
Yさんの個人的に知る人たちが死んでいるらしい。
で、わたしはわたしで、自分個人の周囲でも同じと考えていたのだけど、さらに、わたしにはそういう現象に接触しやすい面があった。
トランシットの火星が、わたしの出生図の問題の海王星の上にぴったりと張り付いて、動かないのだ。ずっと天秤座にある火星は、ここしばらくそこから動いてくれない。
毎年一年で一回転する太陽よりも、二倍、つまり平均二年で一回転する火星は、太陽よりも、もうひとつ深い作用を持つ。いつものことだが、ここでいう太陽は、占星術的な太陽、つまり地球のことである。
地球をわたしたちとみなした時、占星術の太陽は、わたしたち自身と同一化される。地球に生まれて、個人としてのエゴを持つ生き物としての同一視だ。
シュタイナーは、この地球(太陽)の両側にある天体の金星と火星について、金星はミクロコスモスへ誘う。火星はマクロコスモスへ誘うと説明している。夜眠って身体から離れるとき、人はマクロコスモスに。朝目覚めて身体感覚の中に入るとき、人はミクロコスモスに向かう。それぞれ案内というか、牽引するのが火星、金星ということなのだ。
シュタイナーの説明は、火星で飛び出し、木星で夢見し、土星で行動化するというものだが、このマクロコスモスでの三つの星の作用は、占星術の場合には、火星、木星、土星を社会的なコスモスに結びつけすぎているので、さらに、マクロコスモスを拡大解釈するためには、火星と天王星、木星と海王星、土星と冥王星を連動させた形で解釈したほうが自然だ。天王星は飛び出し、海王星で夢見し、冥王星で行動化する。太陽系の外へと。
で、火星はマクロコスモスへと誘う天体であるというシュタイナー的見解からすると、わたしの、川の先にあり、高みの見物をしている老人(天秤座の27度の土星)が随伴するところの海王星(天秤座24度)の上に、火星が乗っていると、毎年太陽が来る時よりも、はるかに、強くプチ崩壊が起きている。この場所は発射台で、火星はミサイルのような。
火星だけならまだ抽象的な、占星術的な作用しかないが、そういう時に今月の22日に、自宅療養中のK氏が死んだので、扉が開いたままの、毎日気配がなだれ込んでくる状態。
編集者Yさんの言う、最近人が続々死ぬんですけど、という話は、わたし個人の接点でも、そういう事情なので、よりいっそう印象が強いということなのだ。
24日に、Tさんが講座中に、自分の夫が死んだ状況はどうなんですかと聞いたので、死んだ人のホロスコープから、死んだ瞬間の状況を読んだ。この場合、死を悲しいとか不幸と解釈するのは、直線時間の習慣で、一方的すぎるので、そういう考え方はしないでくださいと説明することにしている。むしろ楽しい旅立ちのケースもあるのだ。これは円環時間的な思想を取り戻した後でならば、そう言える。つまりひとつの円の終わりは次の円につながり、さらにそれらを七つまとめて、大きな円が統括している。でも直線時間ならば、ともかくこの生きている今以外に何もない暗闇なので、死は怖いことで不幸で、取り返しのつかないショッキングな話なのだ。
Tさんは夫が死ぬ前後に、生前はもう車いすから立ち上がれない状況にあった夫が、立ち上がり、「ここなら自分でも立てる」と言った夢を見ていたそうだ。身体は動かないけど、エーテル体の身体は、むしろ肉体の身体が衰えるときに、その肉体の身体への自己同一化をうまく引きはがすことができたら、逆に元気に立ち上がり、歩くことができる。ホロスコープは、興味津々で、いままで馴染んでいなかった世界に飛び出すという配置を作り出していた。飛び出すエネルギィを十分に持っていた。
で、わたしの四天体が2ハウスと8ハウスの間で、四つのオポジションを作り出す川の場所は、土星と火星も含むので、ハーフサム的に言えば、石川源晃式熟語の「死軸」も作り出しているので、ともかくどんな天体がここを通過しても、その作用はいったん死ぬ。
なので、火星が通過するという自家中毒的な配置であるが、火星の作用は「それまで続いていた性質・テーマとしては」ストップする。
ただずっと停止しているので、ストップしたままになっていて、わたしの体温はどんどん落ちていってるのかもしれない。なんせ調子がいい時で35度。そこまで行かない時が多く、34度台の後半なんだが、「それでも人は生きていけるんですか」みたいな状況。生きていけると思うけど、免疫力は思い切り弱体化しているので、何かいろんな衝撃が耐えきれない状況です。跳ね飛ばせない。なので、前進するなり、逆行なりしてほしい。火星が死軸の上で寝てるんです。
K氏は、いつも接触していた囲炉裏のじいさんはわたしとほとんど同じ発想で、ほとんど筒抜けの関係に見えると言ってたことがある。そもそもそのじいさんは、出雲族だと言っていたので、わたしと同系の要素は多い。で、そのじいさんのモチーフには、わたしの8ハウスの、丘の上で笑って手を振るじいさんも混じっている。
その丘の上の老人から、わたしに向かって、川が流れていて、その時、この川が境界線の向こうとつなぐ作用を持っていることを知った。
で、わたしのホロスコープには、この海王星に関係した4つのオポジションのアスペクトが、2ハウスと8ハウスの間にあって、これが問題の川であることを知った。
これを死の川と考えてもいい。となると、まるで三途の川みたいだ。
で、とくに火星と海王星が、牡羊座と天秤座の24度領域に近く、この24度領域は、牡羊座と天秤座に関してのみ「外との接点」として働く。なのでハウス的にも、サインの度数的にも、川の作用が強調されている。
で、毎年、太陽はこの海王星というか川に接触するのが10月半ばで、わたしはいつもその時に、その年が終わったと感じる。というか、極端に脱力して、燃え尽き症候群みたいになり、何か壊れていくという印象を抱く。毎年決まって、だ。
川の先に、死の領域の接点としての海王星があり、ここを刺激されると、結果的に現世的な価値観とかアイデンティティのプチ崩壊を起こす。死の接点は、同時に生の価値観の崩壊と引き換えであることは言うまでもないので、元気に爽快に、死の領域との接点を作るということはあり得ないので、このプチ崩壊は自然なものだと思える。生のフォーマットがひずむのだ。川の先の海王星のとなりにある土星、すなわち老人はにんまり笑っていたが、このにんまり笑うところに、そうとうな意地悪な印象があって、これは生の価値観とかフォーマットを軽く壊してしまう意地悪さだと思う。それに、「そんなことは、前々からわかってるだろ」と言いたげな感じで、わたしに笑いかけたのだ。
で、昨日、雑誌のムックの記事を作るために、わたしに取材して、それを執筆する予定の編集者のYさんが来て、ひとあたり、説明が終わって、帰ろうとするときに、「そういえば、最近続々と人が死んでませんか。怖いんですけど、大丈夫でしょうか」と言った。
Yさんの個人的に知る人たちが死んでいるらしい。
で、わたしはわたしで、自分個人の周囲でも同じと考えていたのだけど、さらに、わたしにはそういう現象に接触しやすい面があった。
トランシットの火星が、わたしの出生図の問題の海王星の上にぴったりと張り付いて、動かないのだ。ずっと天秤座にある火星は、ここしばらくそこから動いてくれない。
毎年一年で一回転する太陽よりも、二倍、つまり平均二年で一回転する火星は、太陽よりも、もうひとつ深い作用を持つ。いつものことだが、ここでいう太陽は、占星術的な太陽、つまり地球のことである。
地球をわたしたちとみなした時、占星術の太陽は、わたしたち自身と同一化される。地球に生まれて、個人としてのエゴを持つ生き物としての同一視だ。
シュタイナーは、この地球(太陽)の両側にある天体の金星と火星について、金星はミクロコスモスへ誘う。火星はマクロコスモスへ誘うと説明している。夜眠って身体から離れるとき、人はマクロコスモスに。朝目覚めて身体感覚の中に入るとき、人はミクロコスモスに向かう。それぞれ案内というか、牽引するのが火星、金星ということなのだ。
シュタイナーの説明は、火星で飛び出し、木星で夢見し、土星で行動化するというものだが、このマクロコスモスでの三つの星の作用は、占星術の場合には、火星、木星、土星を社会的なコスモスに結びつけすぎているので、さらに、マクロコスモスを拡大解釈するためには、火星と天王星、木星と海王星、土星と冥王星を連動させた形で解釈したほうが自然だ。天王星は飛び出し、海王星で夢見し、冥王星で行動化する。太陽系の外へと。
で、火星はマクロコスモスへと誘う天体であるというシュタイナー的見解からすると、わたしの、川の先にあり、高みの見物をしている老人(天秤座の27度の土星)が随伴するところの海王星(天秤座24度)の上に、火星が乗っていると、毎年太陽が来る時よりも、はるかに、強くプチ崩壊が起きている。この場所は発射台で、火星はミサイルのような。
火星だけならまだ抽象的な、占星術的な作用しかないが、そういう時に今月の22日に、自宅療養中のK氏が死んだので、扉が開いたままの、毎日気配がなだれ込んでくる状態。
編集者Yさんの言う、最近人が続々死ぬんですけど、という話は、わたし個人の接点でも、そういう事情なので、よりいっそう印象が強いということなのだ。
24日に、Tさんが講座中に、自分の夫が死んだ状況はどうなんですかと聞いたので、死んだ人のホロスコープから、死んだ瞬間の状況を読んだ。この場合、死を悲しいとか不幸と解釈するのは、直線時間の習慣で、一方的すぎるので、そういう考え方はしないでくださいと説明することにしている。むしろ楽しい旅立ちのケースもあるのだ。これは円環時間的な思想を取り戻した後でならば、そう言える。つまりひとつの円の終わりは次の円につながり、さらにそれらを七つまとめて、大きな円が統括している。でも直線時間ならば、ともかくこの生きている今以外に何もない暗闇なので、死は怖いことで不幸で、取り返しのつかないショッキングな話なのだ。
Tさんは夫が死ぬ前後に、生前はもう車いすから立ち上がれない状況にあった夫が、立ち上がり、「ここなら自分でも立てる」と言った夢を見ていたそうだ。身体は動かないけど、エーテル体の身体は、むしろ肉体の身体が衰えるときに、その肉体の身体への自己同一化をうまく引きはがすことができたら、逆に元気に立ち上がり、歩くことができる。ホロスコープは、興味津々で、いままで馴染んでいなかった世界に飛び出すという配置を作り出していた。飛び出すエネルギィを十分に持っていた。
で、わたしの四天体が2ハウスと8ハウスの間で、四つのオポジションを作り出す川の場所は、土星と火星も含むので、ハーフサム的に言えば、石川源晃式熟語の「死軸」も作り出しているので、ともかくどんな天体がここを通過しても、その作用はいったん死ぬ。
なので、火星が通過するという自家中毒的な配置であるが、火星の作用は「それまで続いていた性質・テーマとしては」ストップする。
ただずっと停止しているので、ストップしたままになっていて、わたしの体温はどんどん落ちていってるのかもしれない。なんせ調子がいい時で35度。そこまで行かない時が多く、34度台の後半なんだが、「それでも人は生きていけるんですか」みたいな状況。生きていけると思うけど、免疫力は思い切り弱体化しているので、何かいろんな衝撃が耐えきれない状況です。跳ね飛ばせない。なので、前進するなり、逆行なりしてほしい。火星が死軸の上で寝てるんです。
K氏は、いつも接触していた囲炉裏のじいさんはわたしとほとんど同じ発想で、ほとんど筒抜けの関係に見えると言ってたことがある。そもそもそのじいさんは、出雲族だと言っていたので、わたしと同系の要素は多い。で、そのじいさんのモチーフには、わたしの8ハウスの、丘の上で笑って手を振るじいさんも混じっている。