昨日、大阪から戻りました。
ところが、今週、あさってに、また大阪に行きます。
わたしがその音楽を愛しすぎている武満徹の著作を読んで、
武満徹が、ネクロノミコンの文章を引用しているのを見て、思わずズッコケました。(古い言い方)
でも、武満徹の狂死した叔母が、小さな武満徹に、実は人間の肉体は、骨の中にあるのよ。骨の外のぶよぶよした肉体は、みせかけにすぎない、と語っていたらしいことを読んで、喜びました。
骨はやがて、透明になって、人の目には見えなくなる。
武満徹の文章は、武満徹の音楽に比較すると、はるかに平凡で、低レベルです。
それは、ただの耄碌爺のように、世の中に対して批判を繰り返しているからです。
つまり彼は、世の中に、自己同一化している。自分の仲間だと考えていた。そして愛国心さえ持っている。だから、西洋と東洋という落差に、活力のエネルギィを得ることもできた。
でも、西洋と東洋の落差なんて、ないよ。それは僅差でしかない。
こういうところよりも、武満徹の音楽ははるかに優れています。
落差、電位差によるエネルギィという点では、谷川俊太郎が、はじめは20億光年の落差を持って、詩作していたのに、やがては家族を持ち、落差が、人と人の間くらいに微弱になってきた後、こんどは、遠くのもの、近くのものを行き来するように巧妙さを発揮するようになったことが、書かれていた。
武満徹も、文章を書いている時に地に墜ち、音楽を作っているときに、飛翔し、遠ざかる。いったりきたりしている。
わたしも、恒星のエネルギィと、こんどは惑星間の、時間の中にある、僅差のエネルギィによる活動との間を行き来したほうがいいのだろうか。果たしてそれはできるのか、考えています。
昨日の大阪の講座の話ですが、ある参加者が、講座に参加していない、しかし時々いままで講座に参加しているTさんが見た夢を聞いたらしく、わたしに報告しました。
わたしが8月に、あまりにもマイナーな内容の著作をして、それを読んだ読者が全員引いてしまい、それからわたしの講座の参加者が減少した。
それをわたしが喜んでいる、という内容です。
8月というのは、今なので、いま書いているものはなく、校正しているだけですが、
このあまりにもマイナーな、というのは、わたしが書いた、ETに関係した本だと思います。占星術関係の人たちは、総じて知性が低く、というか、低いというよりは、広がりがない。それは、しがみついている生きかたをしているからです。
で、随分と保守的なので、わたしがいきなりETの話に飛ぶと、たぶん、拒絶反応が起こると思う、というのは、わたしも想定しています。
それで、わたしはもともと精神世界の分野に住んでいて、占星術は需要の問題で、数は増えたが、結局は、もとに戻ります。そうすると、宇宙人話が増えてきます。
そのことで、占星術に凝り固まった人が離れていくというのは、実は、わたしにとっては露払いみたいな感じもある。恋愛問題とか就職などを占星術で相談する人たちというのは、実はわたしは、人生を勘違いしてないか?というふうに思っているので、そういう人たちがわたしの講座に来なくなるのは、わたしにはリラックス効果がもたらされるのですね。
で、こういうふうに、地を這い凝り固まり他の教養を受けつけず占星術に依存する人たちの輪から離れる機会は、今年にやってくることは、たとえばわたしのソーラーリターン図にあらわれています。なので、わたしは今年がそういう節目だと思っていました。
5ハウスの獅子座、木星のノリに加速されて、迎合しない独自見解としての火星・天王星を押し出します。それによって、社会的な立場が、冥王星によって変化します。それをわたしは楽しんでいます。1ハウス金星、5ハウス木星。
それでいったんET関係に走ってしまうと、それは止まらないだろうね。
こういうふうに思うきっかけはたくさんありますが、かなり大きな影響を与えたのは、わたしの両親の行動です。
今年のはじめに、わたしの父親が死去しました。でもいつ死んだのか、実は正確な日時がわからないのです。なぜならば、母親は、ひそかに火葬に処し、墓も作らず、そして数日してから、わたしに電話で、「父親のことは、もう処置したので、後は何も考えなくていい」と言ったのです。
で、数日後に、金庫を整理していたら、この中に、遺言書のようなものがあり、そこには、「自分が死んだ時には、子供たちにも、親族にも、知らせないでほしい」ということが書いてあったらしいのです。
母親の取った行動は、父親の意志に沿っているというわけです。
それは、わたしの好みというか、趣旨にかなり沿っている行動で、わたしがこの両親の息子だから、そう思ったのか、それとも、わたしが両親に影響を与えて、両親がそのように思ったのか、わからない。でも、おそらく、一方的な時系列を配慮しないのなら、わたしがこの両親にそういう思想を植えつけたのだと思います。
このことで、地上的な配慮、地球的な慣習に従う気はない、という意志が、わたしの中で、とても明確になってきました。
日本人は、つながりを重視して、互いに監視しあい、横の網目を作り出します。それが宇宙的な影響力を遮断する膜を作ります。わたしはそれを腐った慣習だと考えています。東日本震災のあとの態度はほんとにひどかった。
わたしの両親はあっさり、それを断ち切ってしまったんですね。最高に、わたしの好みです。
父親が死んだとき、父親の太陽に海王星が重なっていました。父親の自我は、海王星に乗って、地球から去りました。死んだ後に、父親がどうなっているのか、わたしはそれを追跡というか、共体験しています。だから、死んだ後から、急に、父親と親しくなりました。彼は、驚くことに、死んだ後のコースについては、お前に決めてほしいなどと言います。なんて甘えん坊なんだよ、と思いますが、しかしそのほうがより正しいと、わたしは思います。実際、父親の足りない部分は、わたしがサポートしようと思っています。死んだ後二か月くらしいしてから、がんがん明晰になってる。
わたしは高校生の頃から、父親をオールドワイズマンの地位から追い出し、つまり父親殺しをして、自分がその位置に納まろうとしました。母親はまるで江戸時代の人間みたいに、「お前の言うことに全部従う」というようなことを言ってました。つまりわたしが父親殺しをしたことに同意していたのです。で、父親殺しをした後、父親の表層自我に対しては仲良くなかったのだけど、なぜなら、それは高度成長期の平板な粗製だったからですが、しかし深層的な意味においては、今回死んだ後の感じからすると、結局親近性は高かったわけですね。
いずれにしても、父親が死んだ後、そして死後の父親と親しみを感じてから、わたしは世の中に対して、配慮する必要などない、という姿勢に変わってしまったと思います。なにかふっきれたということです。
武満徹の文章を読むと、なにか葛藤に苦しんでいるように見えますが、わたしは武満徹や、谷川俊太郎に、やはり根本的に共感します。
今後、わたしは世間的にかなり違和感のあることを書くことになると思いますが、その場合、べたな知能をかい潜るには、もしかしたら、詩の言葉のほうがいいのかな。象徴的に理解できるが、事物的に理解できないというような回路です。そのあたりの、理想的な表現の方法を実はいま、模索しています。金子光晴も大好きで、バハ・パドゥに帰りたいし。一度も行ってないけど。
今年、ちょっと対談していましたが、わたしはN先生や、Sに対して「おまえら、ふざけんなよ」と思っていました。もっとちゃんと、腰を入れて、研究し、思想を打ち出してほしい、と。なにか迎合の中で、大地から立ち上がれない状態です。でも、そういう中で、イズミリュウチ氏のまともさに、ちょっと感動しました。あ、普通にまっすぐ立ってる、凄い、と。武満徹の本を読んで、同業者に対して、ロビーで、「よくあんな下らない作品作ったなー、なに考えてんだよ」と、言ってる態度に驚きました。そこまで辛辣になってもいいのか。そういうことで遠慮しないのなら、わたしはN先生やSに対して、這うのでなく立て、と言いたいです。
ところが、今週、あさってに、また大阪に行きます。
わたしがその音楽を愛しすぎている武満徹の著作を読んで、
武満徹が、ネクロノミコンの文章を引用しているのを見て、思わずズッコケました。(古い言い方)
でも、武満徹の狂死した叔母が、小さな武満徹に、実は人間の肉体は、骨の中にあるのよ。骨の外のぶよぶよした肉体は、みせかけにすぎない、と語っていたらしいことを読んで、喜びました。
骨はやがて、透明になって、人の目には見えなくなる。
武満徹の文章は、武満徹の音楽に比較すると、はるかに平凡で、低レベルです。
それは、ただの耄碌爺のように、世の中に対して批判を繰り返しているからです。
つまり彼は、世の中に、自己同一化している。自分の仲間だと考えていた。そして愛国心さえ持っている。だから、西洋と東洋という落差に、活力のエネルギィを得ることもできた。
でも、西洋と東洋の落差なんて、ないよ。それは僅差でしかない。
こういうところよりも、武満徹の音楽ははるかに優れています。
落差、電位差によるエネルギィという点では、谷川俊太郎が、はじめは20億光年の落差を持って、詩作していたのに、やがては家族を持ち、落差が、人と人の間くらいに微弱になってきた後、こんどは、遠くのもの、近くのものを行き来するように巧妙さを発揮するようになったことが、書かれていた。
武満徹も、文章を書いている時に地に墜ち、音楽を作っているときに、飛翔し、遠ざかる。いったりきたりしている。
わたしも、恒星のエネルギィと、こんどは惑星間の、時間の中にある、僅差のエネルギィによる活動との間を行き来したほうがいいのだろうか。果たしてそれはできるのか、考えています。
昨日の大阪の講座の話ですが、ある参加者が、講座に参加していない、しかし時々いままで講座に参加しているTさんが見た夢を聞いたらしく、わたしに報告しました。
わたしが8月に、あまりにもマイナーな内容の著作をして、それを読んだ読者が全員引いてしまい、それからわたしの講座の参加者が減少した。
それをわたしが喜んでいる、という内容です。
8月というのは、今なので、いま書いているものはなく、校正しているだけですが、
このあまりにもマイナーな、というのは、わたしが書いた、ETに関係した本だと思います。占星術関係の人たちは、総じて知性が低く、というか、低いというよりは、広がりがない。それは、しがみついている生きかたをしているからです。
で、随分と保守的なので、わたしがいきなりETの話に飛ぶと、たぶん、拒絶反応が起こると思う、というのは、わたしも想定しています。
それで、わたしはもともと精神世界の分野に住んでいて、占星術は需要の問題で、数は増えたが、結局は、もとに戻ります。そうすると、宇宙人話が増えてきます。
そのことで、占星術に凝り固まった人が離れていくというのは、実は、わたしにとっては露払いみたいな感じもある。恋愛問題とか就職などを占星術で相談する人たちというのは、実はわたしは、人生を勘違いしてないか?というふうに思っているので、そういう人たちがわたしの講座に来なくなるのは、わたしにはリラックス効果がもたらされるのですね。
で、こういうふうに、地を這い凝り固まり他の教養を受けつけず占星術に依存する人たちの輪から離れる機会は、今年にやってくることは、たとえばわたしのソーラーリターン図にあらわれています。なので、わたしは今年がそういう節目だと思っていました。
5ハウスの獅子座、木星のノリに加速されて、迎合しない独自見解としての火星・天王星を押し出します。それによって、社会的な立場が、冥王星によって変化します。それをわたしは楽しんでいます。1ハウス金星、5ハウス木星。
それでいったんET関係に走ってしまうと、それは止まらないだろうね。
こういうふうに思うきっかけはたくさんありますが、かなり大きな影響を与えたのは、わたしの両親の行動です。
今年のはじめに、わたしの父親が死去しました。でもいつ死んだのか、実は正確な日時がわからないのです。なぜならば、母親は、ひそかに火葬に処し、墓も作らず、そして数日してから、わたしに電話で、「父親のことは、もう処置したので、後は何も考えなくていい」と言ったのです。
で、数日後に、金庫を整理していたら、この中に、遺言書のようなものがあり、そこには、「自分が死んだ時には、子供たちにも、親族にも、知らせないでほしい」ということが書いてあったらしいのです。
母親の取った行動は、父親の意志に沿っているというわけです。
それは、わたしの好みというか、趣旨にかなり沿っている行動で、わたしがこの両親の息子だから、そう思ったのか、それとも、わたしが両親に影響を与えて、両親がそのように思ったのか、わからない。でも、おそらく、一方的な時系列を配慮しないのなら、わたしがこの両親にそういう思想を植えつけたのだと思います。
このことで、地上的な配慮、地球的な慣習に従う気はない、という意志が、わたしの中で、とても明確になってきました。
日本人は、つながりを重視して、互いに監視しあい、横の網目を作り出します。それが宇宙的な影響力を遮断する膜を作ります。わたしはそれを腐った慣習だと考えています。東日本震災のあとの態度はほんとにひどかった。
わたしの両親はあっさり、それを断ち切ってしまったんですね。最高に、わたしの好みです。
父親が死んだとき、父親の太陽に海王星が重なっていました。父親の自我は、海王星に乗って、地球から去りました。死んだ後に、父親がどうなっているのか、わたしはそれを追跡というか、共体験しています。だから、死んだ後から、急に、父親と親しくなりました。彼は、驚くことに、死んだ後のコースについては、お前に決めてほしいなどと言います。なんて甘えん坊なんだよ、と思いますが、しかしそのほうがより正しいと、わたしは思います。実際、父親の足りない部分は、わたしがサポートしようと思っています。死んだ後二か月くらしいしてから、がんがん明晰になってる。
わたしは高校生の頃から、父親をオールドワイズマンの地位から追い出し、つまり父親殺しをして、自分がその位置に納まろうとしました。母親はまるで江戸時代の人間みたいに、「お前の言うことに全部従う」というようなことを言ってました。つまりわたしが父親殺しをしたことに同意していたのです。で、父親殺しをした後、父親の表層自我に対しては仲良くなかったのだけど、なぜなら、それは高度成長期の平板な粗製だったからですが、しかし深層的な意味においては、今回死んだ後の感じからすると、結局親近性は高かったわけですね。
いずれにしても、父親が死んだ後、そして死後の父親と親しみを感じてから、わたしは世の中に対して、配慮する必要などない、という姿勢に変わってしまったと思います。なにかふっきれたということです。
武満徹の文章を読むと、なにか葛藤に苦しんでいるように見えますが、わたしは武満徹や、谷川俊太郎に、やはり根本的に共感します。
今後、わたしは世間的にかなり違和感のあることを書くことになると思いますが、その場合、べたな知能をかい潜るには、もしかしたら、詩の言葉のほうがいいのかな。象徴的に理解できるが、事物的に理解できないというような回路です。そのあたりの、理想的な表現の方法を実はいま、模索しています。金子光晴も大好きで、バハ・パドゥに帰りたいし。一度も行ってないけど。
今年、ちょっと対談していましたが、わたしはN先生や、Sに対して「おまえら、ふざけんなよ」と思っていました。もっとちゃんと、腰を入れて、研究し、思想を打ち出してほしい、と。なにか迎合の中で、大地から立ち上がれない状態です。でも、そういう中で、イズミリュウチ氏のまともさに、ちょっと感動しました。あ、普通にまっすぐ立ってる、凄い、と。武満徹の本を読んで、同業者に対して、ロビーで、「よくあんな下らない作品作ったなー、なに考えてんだよ」と、言ってる態度に驚きました。そこまで辛辣になってもいいのか。そういうことで遠慮しないのなら、わたしはN先生やSに対して、這うのでなく立て、と言いたいです。