2015年10月15日木曜日

20151015 日本とフィリピンはものすごく違う

昨日の夜に、日本に戻りました。
で、今日も朝になって、通勤の人たちを見て、日本とフィリピンのギャップがかなりあるので、あらためて、フィリピンの凄さを思い出しました。

14日の午前の、ホテルでの体験は、実際に激しいもので、ほとんど映画のエクソシストみたいな感じですが、あのリアリティは、日本では信じることもできないのでは。地面が割れて、村がひとつ、地獄の底に飲み込まれたというのは、日本ではそんな話信じられない。でも、わたしはフィリピンでは、はーっなるほど、そういうのもありか、と聞いていました。

この違いはすさまじい、とさえ言えるかもしれない。だから、メールの人が書いていたように、命の危険を感じてもマニラにいく80歳の老人の心理もわかります。日本に戻った瞬間、死んだみたいにおとなしい空気ですから。何か渦を巻いていたものが、ぴたっと静止した感じ。確かに、フィリピンは世界で一番台風が多いですよね。それも関係あるだろう。その台風はたいていコースがはずれて、日本の東には来ない。フィリピンの人は、日本みたいな嵐のない世界に行きたいのかなー。ここまで生気のない世界はないよ。朝、通勤の人たちを見て、びっくりした。生き物ではないみたい。フィリピンではスタバにさえ警備員がいて、しかも腰にはピストルが。日本では絶対ピストルは必要ない。

で、死んだクリスティンにしても、去年わたしがスカイプで話していたときには、興奮して断末魔みたいなまくし立てる英語になったりしていた。わたしは心臓が悪いからなのだと思っていたけど、フィリピンではそう珍しくないのかもしれない。
この台風王国に取りつかれると、毎年あるいは三ヶ月に一度、マニラにいくでしょう。
それと、わたしはクリスティンがセブと言ったけど、記憶違いだ。クリスティンは、ダバオだった。

正確に言えば、台風は中国が一番多く、次がフィリピン。日本は三番目です。世界から見たら、日本も台風が多いわけです。でも空気が違いすぎる。

これについてメール来ました。

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先生、フィリピンの雑記面白かったです。

私は小学6年から中3の終わりまで4年間フィリピンにいて、
はじめて行った時の衝撃と、帰国したときの衝撃を、
先生の雑記をみて、思い出しました。
小6の時、はじめてフィリピンについた時は、本当にカルチャーショックだった。

そして、30年以上前のマルコス政権下では、
しょっちゅう停電があった。
夜、停電してしまって、真っ暗闇の中をろうそくの火だけで、
ご飯食べるとか、宿題するとか、
そういう日が、月に2~3度あった。
そんなことも思い出しました。

日本にいた時は私の家族は崩壊寸前みたいな感じで、
母はノイローゼだし、兄は校内暴力&家庭内暴力で、
それがフィリピンに移住したら、全部改善してしまったことも、
なんか先生の雑記を読んで、
あれはフィリピンという土地のせいだったんだなあと思いました。

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そうなんだよね。フィリピンショック、生かす方法ないかな。
帰ってみると、あのインパクトは、凄いし、楽しい。
それにしても、あの、ベッドが地震のように激しく揺れて、わたしは痙攣を起こしてという体験、日本では、想像ができない。なんなんだ、あれ。もちろん物質的にそういうことが生じているわけではない。エーテル体レベルです。しかしそれがかぎりなく、物質体に近いところで生じるのです。物質世界の体験であると言いたいです。
そうでないと、あの昔のフィリピンの心霊治療なんかもできるわけないしね。
あの激しさ。そしてクリスティンのあつかましさ。クリスティンの呪いの力と言えるんだけど、あとで考えると、笑いこけてしまいそうな。ベッドから弾き飛ばされそうだった。恐ろしいんだけど、パロディだよ。こんなタイプが男女とも、フィリピンにはごろごろいるんだよ。
エーテル体は7つの層がありますが、物質世界に近い、低い段階のエーテル体は、やはり物質に影響力を持っている。日本人はそこにはタッチしないものだね。

わたしの父親は、わたしが小学生の頃に、仕事の関係で、マニラに頻繁に行っていた。これは、だいたい50年前ということになると、かなり治安が悪い時期のはず。こんな時によく行ってたね。で、半袖だと馬鹿にされると言ってた。フィリピンでは、長袖だと、尊敬されると。賓客には、最高級の豚の皮が振舞われるけど、気持ち悪すぎて、食べれないと言ってた。みんながじっと見ている中で、豚の皮を食べなくてはならない。