2015年9月10日木曜日

20150910 人を集める場を形成するには

東京での、精神宇宙探索講座があっというまに満席になったことについて、それはTさんの力以外の何ものでもないです。で、数日おきにサーチしていた人も、見つけたときには、もう満席になっていて、参加できなかった。困ったという連絡が来ていました。

で、わたしは自分では主催できないということを昨日書きましたが、これについて考えてみると、四つのエネルギィを集中的に蓄積する四つのポイント、すなわち固定サインである牡牛座、獅子座、蠍座、水瓶座のそれぞれ真ん中15度近辺の中で、このうち、人を集めるというのは、蠍座なんですね。

蠍座は生命感覚で、生命感覚を強めるには、一番早いやり方は、たくさんの人を集めて、その人垣の頂点に立つことです。すると、複数の人の生命力が圧縮集合して、頂点にはその力が集まり、これが人を、地に落ちた蠍から、鷲に戻すのです。そして鷲は、この第三等級宇宙の前の第二等級宇宙の力に接触させます。この集まった力は、もちろん参加者全員にも共有されます。ブルースモーエンは、集団探索を重視していますが、集団探索によって得られるパワーは、ひとりで頑張っても獲得することはできません。
蠍座は権力に関係しますが、権力は集団の人間の中で作られるもので、元素としては土・水が持つものです。風・火は、その場から拡散して逃れようとしますから、火・風の元素の人には、権力は得られません。

で、わたしにはこの蠍座の真ん中の天体がなくて、だから、この人の集まり、圧縮場を散らしてしまう癖があるんですね。七年間くらい新宿の朝日カルチャーセンターで教えていたときも、三年以上は来ないでほしい、と言っていたことがあります。何度か。
で、わたしの月は水瓶座の真ん中あたりにあるので、活動の基本は、手を汚さない塀の上にいて、そこから、下界を見るという地点です。ビルの上から、街を見ているバットマンです。あるいはしらゆきひめと7人の小人というところでは、しらゆきひめです。小人ではないんです。小人には、小人のリーダーがいます。
人が集まる圧縮場の蠍座に、わたしはいないのです。この点で、わたしは人が集まり講座をするという場合には、誰かの手を借りなくてはいけなくなります。だいたい自分で講座を募集していたときには、最後には人数が把握できず、15人だと思っていたら、20人来たとか、つかめなくなっています。それに継続性というものがない。本を書くということなら、わたしは蛇のようにしつこい。それは継続する自信がある。でも、それは牡牛座力に他なりません。3ハウスの牡牛座の力です。そして、これはひとりで継続できるものです。ひとりで継続することは、わたしには慣れています。

で、ある人が、精神宇宙探索講座に参加したいけど、息苦しい場ができてしまうことに抵抗感があり、躊躇すると言ってましたが、誰かがコーディネートして、精神宇宙探索講座をした時に、この主催者のカラーははっきりあって、そして、人が集まるというのは、そのことそのものが蠍座の場ができて、ばらばらに個人が自由に展開するということはできにくいのです。蠍座の真ん中の度数は、集めることで強いパワーが発生し、このパワーに支えられて、ひとりでは決してできない領域に行くことができる。それはいい面と悪い面がある。いい面は力が集まり、一人では決して行けない境地に行く。悪い面は、互いに締め付けてしまい、自由が失われる。たとえば、モーエンの集団探索でも、ひとりだけ、自分はぜんぜんみんなが体験したことがわからない、自分の体験はまったく違う、みんなと共通したものなんて、ひとつもないと言ったら、それは失敗したとみなされますよね。
反対に、カフェに行ったら、みんなと同じ体験をした。参加者がそこにいた。君も見たよ、などというと、それは成功とみなされます。でも、この成功というのは、たんに共有体験であり、集団的主観性に過ぎず、集団で共通した体験をしたからといって、それが真実だとは言えないのです。たんに力付けをされただけです。この力づけこそ、生命感覚の充実という蠍座の意義なのです。
東京の精神宇宙探索講座を主催したTさんは、蠍座の真ん中に天体あります。この場合、蠍座の力は、ジオセントリックでもヘリオセントリックでもいいです。九州のTさんは、へリオで蠍座です。わたしは根本的に蠍座力が欠落している。人の集まりは仕切れない。牡牛座力はあります。万年筆をコレクションすることはできる。そして水瓶座力にスイッチが入ると、それをアッという間に手放します。
この場合、ハウスはあまり効力がないです。それはリロケーションすると、簡単に違うハウスに移行します。あちこち移動する人は、ハウスが流動的になり、ハウスの効力が弱まります。タクシー運転手には、方位が使えないというのと同じです。わたしが人間はあちこちに行くのがいいと言ってるのは、ハウスに沈没しないように、と言ってるのと同じです。

集団探索について、あらためて、その効果を正当に認めたほうがいいですね。人が集まり、共有体験をすると、蠍座の生命感覚、すなわち8の数字の力は圧縮され、蠍は鷲に戻り、アステカのピラミッドの頂点の台座が表れ、次の宇宙との接点が作られるのです。そして、それまでの個人が持つ、「個人としての人格のアイデンティティ、それにふさわしい意識の範囲」が砕かれ、溶かされ、より大きなものに再構築されます。そこで抵抗する人は、個人としての範囲にとどまりたいということを主張しているのです。自分のプライドを守りたい、と。その先にまで進みたくない、と。
わたしは、このことができないので、それについては、他の人にお願いしたいです。わたしは塀の上です。塀の向こうではなくてね。(笑)
塀の上では、地上よりは遠くを見渡すことができる。空間的だけでなく、時間的にも。中央高速で、トラックの運ちゃんは、「おい、渋滞はずっと向こうまで続いているよ」と言えるくらい、遠くが見れる。なので、わたしはヴィジョンを提供する。でも、大地には降りない。わたしにとってはグランディングは塀に着地することです。

こんなこと書いてたら、五分もしないうちに、北海道のけいざぶろうちゃんから、俺にも蠍座はあるでー、北海道で講座できるのでは?というメール来ました。面白いです。九州、大阪、東京、北海道ができたら、コンプリートだ。でも、けいざぶろうちゃんは、蠍座力というよりは、蟹座のパワーのピークを持っているということが重要なんだよね。それは蠍座力を補う。プリマドンナやってほしいなー。

李白は、わたしと同じ年齢の62歳で病死したけど、伝説では、船の上で、水に映る月を捕まえようとして溺れて死んだということになっています。月はエーテル体。そこに手を伸ばして、結果的に、肉体を失った。肉体をまるごと失うくらい、そこに意志を向かわせたのです。つまり彼は、肉体を捨て、エーテル体を肉体とする、すなわちひとつ次元が上の存在状態にシフトした。それ以後は、人と接触するときには、応身で接触することになり、それは集団に働きかけるということです。李白はさまざまな伝説で語られ、小説ではたくさん脚色された。これこそ、肉体を台座にして存在したのではなく、応身を土台にして生きたという意味です。彼は生理学的奴隷でなく、生命だったのです。伝説ばかりあって、実際のところがまったくわからない、というのが人の正しい生き方です。つまり物質的に、ひとつの塊に拘束されていないということです。
人間は伝説的存在にならなくてはいけない。それこそが神話・元型的な「人」です。伝説的な存在になれなかった人は、支えとなる細胞であると定義しましょう。草、細胞、歯車ですね。生理学的奴隷です。肉体の存命を第一目的にします。つまり肉体と自分を自己同一化します。この小さな身体が第一義である、と。シュタイナーは、アストラル体は肉体を破壊しつくしてしまうと言ってますが、普遍的なものになると、肉体の一個体から力がはみ出すので、結果的に肉体を壊してしまうのです。やりすぎだと一気に死んでしまうので、生きている間は、兼ね合いですね。ドンファンが言うように、第二の注意力の問題点は、力が強すぎてしまうということです。

江戸時代に生きていた清兵衛は、歯痛があまりにもひどくて、日枝神社の入り口近くで切腹自害した。そこに祠が作られた。清兵衛は歯神になって、「歯神の山王清兵衛」という名前で親しまれた。これも清兵衛は、神話・元型的な「人」になったということなのです。彼は肉体寿命よりもはるかに長い時間を生きている。肉体でなくエーテル体に身体を持ったのです。へたれは、へたれを貫けば、小原床助さんになれるよ。