2015年9月20日日曜日

20150919 飛行機の中

20150918 帰りの飛行機の中で

手持ちの文庫本は空港で飛行機待ちしている間に読んでしまい、飛行機に乗っている間の13時間どう過ごそうと思いました。なのでJFK空港で、Kindleを検索して、雑誌のターザンで糖質を制限するというタイトルのものがあったので、それをダウンロードしましたが、これもあっというまに、読み終わってしまいました。
昨日、カウンセリングした人の中に、夫婦で糖質をカットしている人がいて、夫は9年間続けている。で、その人からすると、わたしのブログを読むかぎりでは、わたしの知識には間違いがあるんだそうです。確かに厳密にすれば、チックビーンズも食べてはならないのです。でも、わたしは厳密にする気はない。たんに、ご飯、パン、麺類などを食べないという程度のものです。山田悟医師は、ゆるい糖質制限を提案している。それからすると、わたしはオールカットですが、昨日の夫婦の基準からすると、わたしのものはかなりいい加減ということになります。
で、やはりANAの機内食は恐ろしいほどの糖質の塊です。でも、コストを落としたものは、すべて糖質食なので、それを避けるというのは世間的には難しい。で、昔のカロリー制限という考えは、ターザンで読む限りは、20世紀の、すなわち前世紀思想であると説明していて、21世紀は、カロリーはあまり気にしない、糖質を気にするというものです。この考えから言えば、油をもっと摂れということになるし、たとえば、鳥の唐揚げはお勧め、マヨネーズは使ってもいい、という話になります。ステーキとかぎとぎと油の食物は気にしないのです。むしろ食えという話になってきます。
コレステールもあまり気にしない。という意味では、みんな卵は1日1個くらいと考えていたと思うのですが、それは間違っていることになります。

で、マンハッタンで宿泊していたホテルは、6日連泊で、税金などを入れると、2100ドルくらいになりましたが、それでも9月においては、少しばかり平均よりも安い場所だと思うのですが、朝は食事サービスをしています。で、フレッシュ、ヘルシーなどと書いてあるけど、実際に置いてあったのは、ワッフル、マフィンの粉ものと、平べたく卵を焼いたもの、ハンバーグ、ウィンナーなどがありました。野菜はなく、小さなりんごはありました。
ロンドンに行った時には、ホテルでは、部屋に朝食が運ばれてきて、複数の種類のパンなどがあり、やはり糖質はこれでもか、というくらいに満載されていました。甘いパンとジャムと、紅茶とジュースですからね。かなり恐ろしい話になっています。ターザンによると、朝食の糖質がもっとも危険なんだそうです。朝は、身体が自然的に血糖値をあげようとする。そこに糖質が追い打ちをかけると、異常に血糖値が上がるそうです。

糖質制限なかなか難しいね。ご飯、パン、麺などを減らしても、さらに、みりんを使った煮物はダメとか、中華のとろみはアウトとか、つなぎに炭水化物を使うのだから注意しろとか、焼き魚はいいけど、煮魚は問題にされます。
でも、ともかく、いまのわたしは、適当な糖質カットの食事をしているうちに、血糖値が上がる場合も、落ちる場合も、傾斜かなだらかになり、つまりは腹が空きにくくなり、走っても貧血になりにくくなり安定しています。カロリーで考えるのは、前世紀の遺物という考えもなかなか極端ですが、それでいえば、わたしはカロリー不足かもしれません。
こんなに無駄なことをたくさん書いているのは、新MacBookのキーボードの練習のためです。これはなかなか慣れなくて、間違い打ちばかりをしています。強く打たなくていいということはわかりました。スタパ斎藤は、このキーボードが好きらしく、すべてのマックをこれにしてほしいと書いています。それとわたしが書いているのは、飛行機の中が暇だからです。アイルシートにしてくれと言い続けて、そしたら、なんとかアイルシートに変更されました。

精神宇宙探索講座ですが、九州と、大阪、東京、北海道で行うことができるようになりました。これでコンプリートだねと書いた時、「四国が抜けてるよ」というメールが来ました。
夢を見て、そこで、わたしの父親がやってきました。で、わたしは「あれ、死んだと思ったのに生きていたのか。ブログで死んだと書いていたのに、その内容は間違いになってしまうではないか」と言いました。アストラル領域では、生きているので、確かにそうですね。死んだ時は80代でしたが、夢の中では、40 代程度に戻っていました。まあ、そんなもんでしょう。リアルな生々しい感触でした。時間軸が過去から未来へという一方的な流れに支配されない世界では、父親は、わたしの前にいた人間と考える必要もないです。わたしの後の人間かもしれないし。年功序列は完全に無効です。地上においての関係性の痕跡はどんどん失われ、縁はあるが、父と子という関わり型は、ひとりが地上にいなくなれば成り立ちません。地上にいなくなれば、というのは、時間と空間の型にはまった枠の中に縛られなければという意味です。

マンハッタンは狭くてごみごみして人が多い。狭さは東京都と似てる。ブロードウエイのミュージカルとかは、見る気がしないのは、そもそもあの手の演劇はわたしが好きでないからでしょう。わざとらしさが露骨に感じるし、いかにもアメリカ的な幼稚さですよね。

リコーGRで撮影した写真、調べてみると、すべてがピントあっていない結果でした。一枚も、まともな撮影がないです。これもすごいです。手振れ補正機能つきでないと、撮影できないということです。