2014年5月16日金曜日

20140516(2) スケジュール混乱/三次元ホロスコープ/蟹座14度の謎

わたしはスケジュールを、iphoneでは、サイスケという有料ソフトを使って、Googleスケジュールと同期しています。
ところが、昨日気がついたことだけど、サイスケで入力した予定が、googleスケジュールに反映されていないものがある。それで、最近、スケジュールで混乱事態になりました。

7月26日の川本さん主催のイベントを記録したけど、それはGoogleでは反映されておらず、Googleでは、ほかの定期講座があらかじめ入っていた。iphoneでは、その日は空いていることになっていたので、iphoneで予定を入力したのです。
で、ダブルブッキングということで、川本さんに予定を変更してもらい、7月5日に変更したのですが、これはiphoneでは空いている日ということを確認していた。でも、グーグルでは、7月5日は、福岡のカイロンの講座の予定が入っていた。というわけで、福岡は、7月6日のみ、講座になりました。

予定がむちゃくちゃになっていて、いろんな人にご迷惑をおかけしています。パソコンが開けない場所では、予定をiPhoneで入力するということをしていたけど、これがパソコンで管理するデータと完全には一致しないことが判明したのだ。
サイスケはほとんどはGoogleに反映されるけど、一部が反映されない。
結局紙のノートを持って一元管理というのが一番いいのですかね。
日ごとに増える講座。
木星は7月17日に獅子座に入ります。
すると、わたしにとって獅子座とは6ハウスの場所で、いつも、火星が来ても、木星が来ても、自分の許容度を超えて仕事が増加する。
これから一年間は処理不能なほどに仕事が増加することは目に見えている。そして、そうなると、なんとなく自律神経失調みたいになる。前は、たとえば、コンビニで買い物をして、気がつくと、カゴを持ったまま、外にいました。カゴの中には買うべきものがそのまま入っていた。レジに持っていくという部分が記憶が飛んでいたのです。
わたしが忘れると、それにひきずられて、お店の人も、それに気がつかなくなる。つまり巻き込まれる。仕事が許容度を超えて増えると、こういうふうに、意識がブツギレになります。
それで、海王星はアセンダントに合になっている。ぶっ飛びはひどくなります。

わたしは、最近手持ちのカメラのいくつかをマップカメラで売り払い、そのお金で、nikonのDfというカメラを買いました。マップカメラの中古です。
理由は、日本でもっとも交換レンズの多いメーカーはnikonであり、圧倒的にレンズの数の少ないソニーよりは、可能性が高いから。
nikonのDfはニコンのオールドレンズも全部使えるというフルサイズのカメラ。
サイズは大きいけど、妙に手に馴染むので、使いやすい。これをいま、大阪に持ってきました。今日から三日間は、大阪で講座なのだ。で、ビルを撮影している。ダイマルとか。

ニコンのオールドな28mmF2.8のレンズを、キタムラで、格安で手に入れたが、もしかしたら、わたしは28mm単レンズだけで、すべて終わってしまうのかも、というくらい28mmが好きです。ソニーのα7Rも、ツァイスのビオゴン28mm使っていたし。
35mmは、あまりにも長く使いすぎたので、これには飽きている。やはり28mmかな。50mmは、使いこなせない。ナチュラルなわたしの視覚は、28mmに一番近いのかもと思いました。アメリカ村のお店の看板類を撮影しています。東南アジアから来た観光客を装うと、どこでも写真撮影しても、違和感はないよ。
いま中国人は、ヨーロッパでもどこでも、一眼レフをぶら下げて、歩き回る。ニコンDfという巨大な一眼レフをぶら下げて歩くには、中国人を装うといい。すると、どうでもいい光景でも珍しいという視線で、写真を撮影することになる。

今日は、朝の三時半に、マツヤでご飯食べました。で、松屋で食べると、その後、長い時間、空腹にならない。食事をするのが面倒になると、わたしはスーパーおおたかを飲みます。毎回、大阪では、昼に何か食べて、気持ち悪くなっていたので、改善策として、今回は、スーパーおおたか小瓶180mlを持って来ました。スーパーおおたかのすごさは、これを飲んでいると、血糖値が落ちないので、講座していても、ダウンしない。脳が安定した機能を維持できる。やはり脳はブドウ糖だけを栄養源にするということからすると、このスーパーおおたかの糖分は脳にはいいのかもしれませんね。へたな食事より、こちらのほうがいいです。
東京体育館の公式インストラクターは、毎度わたしに「ちゃんと食べてますか」と質問するけど、わたしが昼は面倒なので、大孝酵素ですと、言いにくい。言うと、たぶん、なんですかそれ、筋肉増えるわけないでしょと言われのは、わかりきってますね。
でも、Anyway、わたしは一定量以上食べると、気持ち悪くなり、吐きそうになる。なので、おおたか酵素には大変に助かっている。ともかく今日は、am三時半くらいに朝ご飯を食べて、その後講座修了のpm6:00まで、何も食べないかわりに、昼に飲んだおおたか酵素で、ずっと安定していた。
たぶん、明日も朝にホテルのビュッフェで食事すると、その段階で直後に気持ち悪くなり、これをすっきりさせるために、昼はおおたか酵素だけになるのだろう。

三次元占星術、展開しようと思っています。展開というか、開発か。
恒星を使うと、太陽系惑星のパンケーキ的二次元のホロスコープではなく、三次元のほうがフィットしやすいのです。わたしはこの三次元ホロスコープについては、三十年前くらいから言ってるけど、レーザーホログラムがなくてもできることがわかったので、することにしたわけ。
で、三つの視点ということを使い分ける。個人の感覚的な存在は、地球の地表にはりつき、東を前方にしている。これが普通の従来までのホロスコープ。
シュタイナーは、この立ち位置で、人間には六方向の力が働いていて、その均衡の中で、その人は直立しているということを説明している。

つぎに、地球を基準にしたものがある。これは地軸が駒の軸。
さらに太陽のヘリオセントリックの座標がある。
頭のてっぺんはどこを基準にするかというので、三つの視点があるということでは、誰もどれかひとつを基準にしておらず、この三つを無意識に使っている。
地球の自転は、太陽に依存しつつ、自分の範囲においてのエゴを作り出す。人は、地球に依存しつつ、自分のエゴの範囲を作り出して生きている。
そして、この自分の世界の範囲を決めてしまうと、それよりも上の次元のものを、意識から追い出します。わたしたちは、いつも生活している時に、地球が回転していることを意識しない。自分のアイデンティティを確立することで、より大きなものから分離するのだ。これはタロットカードでは、魔術師の頭にある無限マークをあらわしている。円を、よじって、無限マークにした時に、上位のコスモスを記憶喪失する。

若田さんの帰還のニュースを見ていて、宇宙に人が飛び出すとき、人はみな地球に依存しているという事実を忘れ、自分がそれ自身で肉体を構築する磁力場を作り出すことなどできていないことを認識しないと、地球から離れるにつれて、意識もばらばらになっていくことに対処できない。母親のことを忘れて、自分が自立していると思い込んでいる子供みたいな感じ。離れようとした時に、いかに依存しているかに気がつく。
人は、この地球に依存していることを忘れて、独自の磁力的求心力というか重力みたいなものを作り出せていない段階では、外に飛び出すことはできない。ごくごく近くをうろつくだけ。

人間個人、地球、太陽という三つの座標を使い分けつつ、三次元ホロスコープを展開しようと思う。これを図示しながら説明するためには、ソーラーファイアのプラネタリウムが不可欠で、スターゲイザーではできません。で、レディナダでは参加者とかは、前からソーラーファイアばかり使っているようなので、まず大阪ではこれを説明しやすい。
チャクラ論と占星術を結合します。あるいは生命の七つの階層と、12の感覚を立体的に表現することになる。今年の夏以後から、それを展開するかな。
この場合、恒星と、ヘリオセントリックの惑星位置を併用する項目も入るので、そしてブレイディのような狭いオーブではない形で使うことにもなり、常に視覚的に確認しながら考えるということになります。

基本的に7と12の数の原理が使われることになりますが、いっぽうで、わたしは最近まったく音楽を聴きません。7と12の音律で使われる情感というのは、いつも同じにしか聞こえないから。12よりも区分を拡張した音楽を聴きたい。スーフィの音楽でもいい。ギュンベルは、9000ヘルツ以上の音は、より高次な意識とつながる音で、それを聞くためには沈黙が必要だと言ってるが、トマティスの言うモーツァルト効果は、3500ヘルツだったかな。これは首の後ろが刺激される。

老人の場合、耳が衰えて、7000くらいから上は聞こえなくなる人が多いけど、音は耳だけで聞く訳ではなく、身体全体が耳になっている面もあるので、あまりかまわない。
いずれにしても、3500よりも上になると、首から上の頭が刺激されやすい。頭の中心に圧迫感を感じるのは、ギュンベル式に言えば、9000から上なのかもしれない。若者は高い音が聞こえるので、若者にしか聞こえない周波数で嫌な音を聞かせると、若者が近寄らなくなる場所もできる。なんか蚊を超音波で追い払うみたいな感じですね。

ただ、この周波数の固定的な位置づけ、つまり絶対音感みたいなものは、人間のアストラル体や知性、自我には働きかけしない。人間はその部分は相対音感で、移調できるから。つまり音と音の関係性の上に成り立つ。固定的な周波数は、ものと音の関係で作られ、これはあくまで物質の固定された基礎の上に立つ、つまり人間で言うと、身体という存在を意識して考えられる発想だ。

動物は絶対音感で、移調すると、同じメロディだということを認識できない。ズスマンは、動物の群れの中で、子供が母親から離れてしまうと、母親も子供も、もう群れの中でお互いを探しだすことができないと説明していて、これは静止するという軸が、動物にはまだ確立されていないからだと説明している。動いているけど、動いていることを認識していない。マグロは自分が泳いでいることを意識できていないのかもしれない。

絶対音感というか固定された周波数でなく、相対的な音と音の関係の上に作られた相対音感は、音の中に静止するということも可能にしている。絶対音感は物質的な関係の中で音を定義するので、それ自身の中に静止できないということでもある。周波数の変動のほうに気を取られて、音と音の相対的な関係の中に構築されたものを認識できない。
つまり、特定の周波数に特定の効果があるという説は、身体との関係でのみ有効で、アストラル体、自我、心理には影響が及びにくい。
たぶん、わたしが以前モーツァルト効果ということで、和合教授などが展開していたものにあまり共感できなかったのは、モーツアルト効果を周波数などで説明し、モーツァルトの音楽そのものにあまり触れなかったからだ。みかんの皮だけを取り上げて、みかんの中身については話題にしていない、というような。
つまり特定の周波数の影響ということを考え始めると、音楽を認識できなくなる。これは言葉にこだわっている間は、言葉であらわす会話とか内容を理解できないというのと同じ。内容とか会話が成り立つ条件は、言葉そのものをあたかも無であるかのようにみなし、自動化しておかなくてはならないのだ。周波数を意識しないとき、音と音の関係で作られる意味にたどりつくことができる。
オーディオマニアは音質、周波数、音色とか音の持つ固定的な属性に興味を持つので、音楽そのものを聞いていない人も多い。自衛隊の大砲の音を毎日聞いて、音楽CDはそんなに持ってないという人もいる。
音楽の意味を理解するには固定的な周波数の意味から独立する。話の内容を理解するには、言語そのものから独立する。
これは、地球に張り付いていて、激しく回転している地球の上にいるにもかかわらず、人間はじっと静止しているかのように思うのと似ている。あたかも地球は無であるかのように思うのだ。
で、サハスララを人の頭にするのと、北極にするのと、太陽の軸にするのと、というのは、固定的な関係においては、それぞれが分離しているが、構造共鳴的、ひな形的には、相似象だ。

蟹座の14度に、東北の老人のサビアンシンボルがある。蟹座は集団原理で、小さい集団は大きな集団に飲み込まれる。5度には、列車により自動車が破壊されるというのがあり、これは小集団は大集団に飲み込まれる。そのときにいったん自動車という小集団で作り出してきた保護装置、プライドなどがクラッシュしなくてはならない、ということだ。
この5の数字の、偶数系列すなわち内的なもの、そして似た意味として、14という数字がある。1と4を足すと5だから。それでいて偶数だから。

14は自己生殖の数字というが、外的に自動車が列車で壊されるのでなく、13度で親指を曲げて内部に隠し、内へ内へと進んでゆくと、蟹座の集団原理には、次の大きな集団原理へと抜けていくぽっかりとした穴が開く。外的に壊れたのでなく、内的に壊れたら、それに気がつく。これまでの感情、心理、実感がまったく機能しなくなる瞬間があり、まったくの空虚になるが、そこから次のレベルの集団原理、つまりより大きな蟹座に入るのだ。
わたしのこのサビアンを説明するために今日(5/17)は、ドストエフスキー、埴谷雄高、秋山駿のそれぞれが試した「地下室の手記」的なものをひきあいにした。
外的なもののすべてから目を逸らし、ドストエフスキーの言う、「世界が戦争になろうと、今自分が飲むお茶のほうが大切」と思い、ひきこもりの極に向かう。すると虚空が見つかる。わたしは中学生の頃は、この無感覚、無感情というブラックアウトに非常に頻繁に悩まされた。感覚が全部オフになる。

ルディアは、この東北の老人の意味する東北は、23.4度だと言うが、つまり地球軸の蟹座意識から、太陽座標へと抜ける穴を、老人は見つけ出したというわけだ。
東北の老人は、沈黙、孤立の中で、非世俗的な生活をする。つまり地球的な座標の中に張り付いたすべての属性から手を離す。そうしないと東北の抜け穴は見つからない。
この大きな集団原理の力を吸い込んだ人は、それをもって現世に向かう時には、飲み過ぎ、食べ過ぎ、領海侵犯的な蟹座の15度に変貌する。
5度で自動車は大きなものに破損され、14度では、心理は大きなものに空虚化され、この受けた作用を、こんどは自分が何かほかのものに対してしてしまう実行者になるのが、15度だ。アメリカは太陽がこの度数。ハワイを食ったり、いろんなところに侵入して、噛み砕き、食べていく。他国に対する内政干渉をし続ける姿勢は、蟹座の15度そのもの。
多くの国がアメリカ嫌いなのは、この侵略性、飲み過ぎ食べすぎ姿勢に対して抱く感情があるからだと思う。蟹座は少なからず押し付けがましいが、15度ではそれが破壊的なまでに強い力になる、ということだ。それぞれの度数は、それを実行している時にリアルになり、エネルギィがみなぎる実感を感じる。だから、アメリカは侵入し噛み砕いている時、自分の正当性を感じる。

7の生命に対して、12の感覚は、硬直化している、というのは、卵のような船が地上に、12本の綱で繋がれ停泊しているというイメージで考えてみよう。12本はままならない。船は動きたい時がやってくる。その時は12本の綱をとりはずす。一瞬、無感覚、無感情の空白が訪れる。そして船は23.4度傾斜して、すべりだす。
12本の綱がついたままで、この14度東北の老人の穴を見つけ出してしまうと、それはとても怖い体験かもしれない。12本をとりはずしても、わたしはそれとは別個に存在する、という実感が大切だ。12本のすべてがわたし、というアイデンティティの人がいたら、虚空はまさに自動車を押しつぶす列車みたいな働きをする。
この意志の引きこもりの13度、東北の穴14度、侵略の15度を考えた時、やはり感覚は本質につながらない。本質に行くには、感覚をとりはずす必要があるということをあらためて考えるので、(中学生のときの日々空白な体験の実感を思い出して)、するとまたグノーシス派に戻ってきますね。逆に感覚が本質から分離しているということが、カメラのレンズを変えるように、特定の世界に生命をマウントでき、また違うところにもマウントできる自由性を与えたのかもしれない。マウントして、外周にあるリング状の12の感覚をねじ止めしてロックするような感じで。

15度は、タロットカードの悪魔のカードと類似した意味がある。悪魔のカードは、ティファレトから、ホドのパスで、太陽がいくつかの光線に分割され、この分割された光は、地上に向かう。前にも書いたけど、光の皮膜は、19太陽のカードが受け持つ。これはイエソド月から、ホドに向かうライン。
悪魔のカードは、外界に侵入し、押しつけ、仕切るが、これは7から12へという感覚への侵入とも関連しているとみなすと、繋いで、また回収して、という両方ができるといいことになる。