2015年3月25日水曜日

20150325 今年は講座の予定が少ない

前から、わたしの講座が、5月以後から減っているし、公開カウンセリングの講座を申し込みたいけど、その予定がないのか、ということをよく聞かれているらしいです。わたしが聞かれているのではなく、わたしの講座を企画している人たちに、参加希望者からの質問らしいです。

わたしは講座を今年は減らしています。それに講座していても、終わりの時間が早いです。だいたい、わたしの仕事は五時半とか六時にスタートするので、すると、8時間労働だと、午後2時には終わることになります。
で、講座の時間は、以前は10時から午後の5時までというスケジュールはけっこうありましたが、これは数日間、後遺症が出るので、今後は午後3時まで、というふうに決めたのです。
それだけではなく、講座そのものを減らします。そもそもわたしの年齢は、いまは62歳なので、定年退職している年齢ではないか。なので、減らしても、それは普通のことです。
講座を減らして暇になるのか、というと暇になりません。もっとたくさん本を書きたいからです。それは出版社で出すだけでなく、たまたま出版社で出す機会が少ない時には、すかさずキンドルで、自己出版します。しばらくキンドルで出していないのは、出版社の本を立て続けに書いているからで、キンドルをする暇がないからです。

休みなく本を書いている人は書くのに忙しいので、考える暇がない。ということが言われていますが、(これはショーペンハウエルが言ってること)、わたしは毎日のように走っています。最近は皇居からスタートするので、とくに信号がなくなり、そのぶんずっと走っています。で、走っている間は考えるというより、考えることをやめるので思考がやってくる、という感じで、沈思の時間です。ほとんどのアイデアは、走っているときに出てくるので、毎日走っていれば、少なくともその時間はわたしは考えています。なので書いてばかりで、考える時間がなくなり、何も考えていない奴だということにはならないと思います。

惑星の年齢域を考えると、歳を取るごとに、ひとつずつ惑星が増えていくという印象ですが、わたしの土星は天秤座なので、これも活動サインで、つまりますます後になるほど、活動サイン的なキャラクタになっていることになります。で、わたしの異常に活発な、活動サインの牡羊座と天秤座の4つの180度アスペクトを作る天体群を、3ハウスと9ハウスに持っていくと、書いたり講座したりするということが、もっと増えるのではないかと思います。そしてヤフオクと商業出版的な要素が減ると思います。出版するにしても、商業的なものをベースにしないという姿勢に変化するのでは。
この3ハウスと9ハウスに移動させるには、場所としては、ニューヨークとクアラルンプールが適当です。

こないだ大阪の対談で、シュガーさんが、南フランスにひたすらこだわり、南フランス南フランスと連発していたのだけど、これはカバラが南フランスで大きな発展を遂げたということから来ています。わたしのイメージの中では、南フランスというよりは、スペイン半島なんだけど。
で、わたしのイメージでは、フランスというのは、ともかく退屈な場所で、うっかりすると、昼から昏睡してしまうというような印象でおぼえている世界です。
わたしはまず、土地といわれた時には、音楽で連想する。
◎ラヴェルは、スペインに近いバスク地方の生まれ。大変に好き。
◎ビゼー。もうずっと聴かないなー。わざとらしいから。
◎ダリウス・ミヨー。南フランス的か?といわれると、ブラジルが混じりすぎている。でも、このぐちゃぐちゃ感は、違う意味での混成の武満徹と同じくらいお気に入りです。
◎ダンディ。家系は南フランスの貴族で、生まれたのはパリ。フランス山人を描いているけど、もうずっと昔聴いていたので、わたしは忘れている。印象が薄い。というか、多産で継続的な仕事をしていない人をわたしは認めてない。
◎ガブリエル・フォーレ。これぞ、フランス退屈男の代表。でも、この退屈さは、ピュアなもので、わたしはこれをフランス音楽の代表中の代表と思います。明るい日差しの午後、眩暈を起こしたような感じの音楽ばかりです。
◎オリヴィエ・メシアン。最近は比較的よく聴きます。鳥のカタログも。色彩感覚が半端ではないです。
◎ベルリオーズ。ラ・コート・サンタンドレも、南フランスと言っていいのでしょうか。ベルリオーズは、正規の音楽教育を受けておらず、いわば独学的、アマチュア的なところからスタートしたので、それが逆に個性的で異色な特質を持つことになりました。フランス的退屈さと、この退屈なオーケストレーションの中に、ベルリオーズ生来のベートーヴェン的興奮症が混じっているので、そこが、重いビニールシートの中であがいている人みたいです。わたしはこの作曲家は好きです。
◎シャヴリエ。べつにどってことない作曲家。廉価な映画音楽作曲家というところです。

こう並べてみると、わたしは音楽を通しての南フランスの気配には親しんでいますね。
で、対談で、カバラというのは、歪曲と誤認の歴史と言ったのだけど、これは、カバラというような宇宙法則とかを探求する分野においては、地上的な資料がどうしたとか、過去のデータに忠実にというような姿勢ということそのものが無意味で、非局在性が大事なんだから、歪曲と誤認はむしろあったほうがいいのではないかと思っているところを、ちゃんと伝えませんでした。地上的なデータに忠実な姿勢は、宇宙法則的には、でたらめさが増えてきます。
カバラにおいては、地上の太陽の光が差し込む明るい世界は、暗黒を意味します。そして太陽光線が隠蔽しなかった、物質的光のない世界においての精神の光こそが、光明なんですよ。
南フランスの退屈さは、地上の生活はどれもこれも同じ、面白くもない、と言ってるような印象もあります。フォーレは教会のオルガン弾きをしていた時、葉巻を吸いながら演奏したので、首になりました。












2015年3月22日日曜日

20150322 久しぶりの大阪、春分

久しぶりに大阪に来て、イズミリュウイチ氏、シュガーさんと対談をして
その後、珍しくラクシュミのustream放送に参加しました。
複数の人が参加するのに、ノートパソコンに付属のカメラとマイクで話すという
わたしからすると、信じられないような装備で、やはりこれはハウリングなどで
聞こえなかったようです。カメラはパソコンの付属のでもいいけど、マイクはさすがに
あれではダンゴになるんです。ひとりだけで話すなら、まだいいけど。

で、このustream放送で、話したのですが、そして多くの人が聞き取れなかったようなんですが、
土星が射手座に入り、うお座の海王星とスクエアです。
表向き、否定的な意味としては、つまりこのアスペクトを「使い切れず、ありきたりの活用法に流れてしまうと」これは情報工作とか、誤情報などが増加します。

で、わたしはこのアスペクトができてから、急に関心を持つようになったのは物理学です。
高校までは古典的な物理学しか教えてもらっていないというのがとても不思議ですが、それとは違う戦後の物理学です。
マクロなコスモスと、ミクロなコスモスは原理は違うということですが、違うけど、「似ている」はずです。そうでない場合に、マクロかミクロに対する解釈が間違っているのだと思います。実際には両方だと思います。

うお座が場を作り、この中で射手座は格闘技をします。
なので、うお座が場が広いほど、射手座の競技の種目のバラエティは増加します。
うお座の海王星なんて、極限的に場が広いです。
なので、これまでの物理学理論では、「とりこぼしていたような」要素が、今回は参加します。
つまり門外漢に見えるものも、参加してくるのだよ。
で、わたしは占星術をしていますから、太陽系の構造について考えています。
そこからあらためて原子について考えたいと思います。
とはいっても長岡・ラザフォードとはまったく違うところで。
おとめ座の12度の解明力は、解明するのではなく、むしろ例外的な要素を切り取って、形のない自然界の中にフォーマットを、切り出します。おとめ座は排他機能です。
なので、これは解明ではなく、型押しです。そのようにして、シュレディンガーの公式もできた。
このあたりは、科学というのは宗教である、しかも一神教であるということですね。

アーノルド・ミンデルは、心理学と物理学を結合した体系を展開していたけど、物理学において、新規な理論を打ち出していたわけではなく、ある程度定番的になったものを、心理学に適用したというところです。
心理学の側から、物理学の理論を考えるという逆転の発想があってもいいのにね。
基本的にミクロの世界は人間の集団妄想が作り出すイリュージョンで、原子はそもそも存在しないと考えてもいいし、見ているときだけ存在するというダルマさんが転んだ方式でいいと思うのですが、考えてみると、原子の構造は陰陽という二極性の典型的なあらわれがあるので、なにか扱いやすいという気がします。
そしてグノーシス思想を誤用したキリスト教の思想が、そのまま、この原子構造に反映されているということになると思います。
視覚は思考の反映であるということをもっと拡大解釈し、ミクロな世界は思考の反映であり、時代の変化の中で思想が変わると、この構造も変わる。
いずれにしても、物理学の思考実験ほど、神秘主義的なものはないので、それは面白いかもしれないと思います。
核と電子雲は、元出雲族のわたしからすると、電子雲が先で、核が後だと思うのだけど、皇居の周りを走っている人は、一日3000人超えるそうです。
しかし、どのくらい走るのかわからないので、これも存在確率なんですかね。
射手座の土星の議論の枠は、うお座の海王星によって、「いま」という時間軸が取り外されるので、
ほとんど柵がない状態になり、まとめられない場合には、土星の「閉鎖する者」としての役割が台無しにされるように見えてきます。
台無しにされたと怒る人がいるとしたら、それは土星の枠が狭すぎただけです。

二週間とか三週間前から、左の前方に、奇妙な模様のついた、紺色の服を着た男の人が見えています。わりにずっといるので、ちらちら視界に入ってきます。同じ場所で、違う時間にいるというところでしょう。
左前方は、わたしのヘリオセントリックのマップでは、正面がおとめ座の22度くらいなので、てんびん座の終わりあたりに立ってる。もうすこしさそり座寄りかもしれない。
で、今日、大阪のホテルで、寝ているときに、夢を見て、男性がわたしの住んでいる家に押し入ろうとするのを見た。で、追い出した。
起きて思ったのは「いやいや、まだまだ」ということ。つまりその人は早めに接近しようとしているけど、わたしはもう少し遅らせたい。
早めに入ってくると、わたしがクラッシュするし、それは小出しでいい。つまり理論がトレースできるスピードで進みたい。

昨日の朝、大阪に来ようとした時、部屋のドアの内側のキーが壊れていて、バカになっており、ドアが内側から開けられなくなっていました。
で、しかたなしに、警察を呼んで、ドアの新聞入れの扉を外から押してもらい、そこに指をいれてもらって、わたしの鍵を渡して、外から開けてもらいました。
大阪に来たら、こんどは心斎橋で、どこにいけばいいのかわからず、うろうろしていると、知っている人が道を歩いていたので、どこなのか聞きました。
この人がいないと、わたしは会場につかなかったと思います。
カイロンの場所を覚えるにはまずは十回以上は来ないと、たぶん無理です。
わたしはよく初めて来たビルの中では遭難します。コーヒー館のある証券取引所でもそうでした。

外から内へ、内から外へというマッチングが、ちぐはぐなので、これは取り組むと楽しいテーマだと思いました。現代人の大半が、三分節脳が正しく機能していない。この三分節が正しく結びついていない状態では、マクロコスモスとミクロコスモスはつなげない。つなぎは人間なんだから。
だから、マクロコスモス像と、ミクロコスモス像はばらばらになってしまったんだと思います。
わたしはヘリオセントリックでは、おとめ座とおうし座が強く、おうし座は思考感覚ですが、この思考によってコントロールされた視覚がおとめ座です。
で、ずっと考え続けるというのはもっとも好みの作業なので、占星術するなら、いっそのこと、ミクロ世界も適用しようと思ったのです。ヘミシンクではT細胞に入るというプログラムがあるらしく、リンパ液は自律的になると、やがて血液に発達するであろうと考えられています。いまのところ、筋肉圧力でしか移動しないし。
で、惑星に入ったり、恒星に入ったりするのならば、心臓に入ったり、T細胞に入ったりするのも、普通に試みるでしょう。こうした大組織よりは、原子、あるいはもっと小さな領域のほうが、よりマクロな宇宙に対応しています。