2014年10月29日水曜日

20141029 夢のシナリオのちょっとした書き換え

今日は夢を見ていて、しばらく使わなかった建物に行ったけど、肝心の鍵を忘れていて、入れない。また取りに戻ると四時間かかる、という段階で、目が覚めた。
で、鍵は持っていたことにしようと考え、また眠りました。すると、鍵は持っていた設定で、夢が続き、夢から覚める前に、鍵を取りにいくのに四時間かかるので、その間は外で何か時間をつぶしてくれと伝えていた男性には、二度目の続きの夢の中では、違う男性から携帯電話をかけて、呼び戻してもらうことになった。それがなかなか戻ってこないんだよね。
で、この建物は、旅館のようなもので、ここではかなり純度の高い自然食を出す。味付けは塩だけ、というものでした。これだけでも作れるもんだなと感心しながら、作っている。わたしが経営者だ。中には男性ばかりがいて、ひとりだけ女性いたんだけど、それは朝に追い出してしまい、その女性は、隣の家にかけあって、戻ろうとじたばたしていた。でも無理。

で、思い出したのですが、わたしはこういうふうに、途中で目がさめると、夢の内容を少し書き換えて、また続きを見るというのをよくやっていた。ヘミシンクとか、長い間してないので、というのも、昼は細かくいろんな作業すると、時間なくなってしまい、その余裕がない。
なので、夢で何かするというのがいいです。しばらくは。
途中で少し目がさめてしまう、というのが一番いい。
なんせ毎日寝てるので、わざわざ別の時間を設ける必要がない。

以下のようなメール。

>深川の前日の、走水でも話題にしていたんですよ。
>その、存在が消されて無意味化されるところを、
>光瀬が、百億の昼と千億の夜の中で、ディラックの海に還元されるって、
>描写しましたよね。そこがわたしの、ずっと憧れだった。渇望した時期もある。
>先生が、30年考えてきたってことは、先生も憧れてるんですね。
>わたしがN先生に対立するのは、そこの部分。
>N先生は、消されることにものすごい恐怖してる。
>でもわたしは消されることが救済だと、思ってきたのです。

わたしは憧れてるわけない。
30年考えているというのは、境界線をどこに置くかという問題。
果たして人間の意識って、どこまでをそれと定義できるのか、と。
人間の世界はトリトコスモスで、この下のミクロコスモスは、人間としては意識できない。書いたように、そこには無限の壁があり、無限というのは、意識が働かないということだ。しかしグルジエフは、トリトコスモスの上のメゾコスモスを理解すると、
同時にミクロコスモスに進展する、というふうに上下に意識は拡張すると主張する。
整理するために、このコスモスの種類を列挙しとく。

1.第一宇宙、プロトコスモス。これは創造の光における絶対の領域。
2.アヨコスモス、聖なる宇宙。あるいはメガロコスモス、巨大宇宙を示している。これは創造の光においては世界3と呼ばれ、全世界をあらわす。
3.マクロコスモス、大宇宙。われわれの星雲界。あるいは銀河系。創造の光では世界6
4.デュートロコスモス。第二宇宙。太陽、太陽系。世界12
5.メゾコスモス。中宇宙。全惑星、世界24。あるいは惑星界の代表としての地球。
6.トリトコスモス。第三宇宙。人間。
7.ミクロコスモス。小宇宙。原子。

アリストテレスは、プラトンの四元素の思想を「曲げて」怪しげな四元素論にしてしまったけど、プラトンの立体幾何図形としての四元素、さらに第五元素は、
メゾコスモスとしての、惑星グリッド。そして、ミクロコスモスとしての分子構造などに、そのまま拡張できる仕組みを持っていて、アリストテレスは、それに反して、人間をトリトコスモスの視点に閉鎖するきっかけを作った。その後、キリスト教などは、このトリトコスモス以外は「死物」とみなすようになった。そこに生命はない、と。
もちろん今日の科学も、トリトコスモス以外はすべて死物とみなしている。
トリトコスモス以外を死物とみなすことは、たとえば、地球とか日本とか大地は、人間が住むために存在し、御岳山がいきなり噴火したり、東日本震災があったりすると、それを意外な事件、不幸な出来事とみなすことになる。対応も対処もできない。
わたしたちが見ている天体図は、トリトコスモスの感覚で見ている宇宙で、メゾコスモスから見る宇宙は、まったく違う形に見える。
だいたい、火星に生命は住めるのか、金星にはどうなのか、という議論が出てきた時に、酸素とか水とか、温度とか、生命が住める条件を考えたりするけど、それは生命が発生できる条件でなく、地球に住んでいるかのような人間が生存できる条件であり、炎の中に生息する生き物だってありうるわけです。水がなくても、酸素がなくても、そこに住む生き物なんていくらでも想定できる。

フォーカス27は、人間としての意識として究極の頂点にある。
フォーカス35は、「非人間的な意識」で、つまりトリトコスモスからはみ出している。
ブルース・モーエンの死後探索3で扱っているギャザリング2の知性体ネットワークは、ブルース・モーエンの「解説者」が作り出した投影で、こんなんあるか、と突っ込みを入れたくなったので、こんど実際に突っ込み入れてみます。
で、人間に前世はあるのかということを検証する時に、トリトコスモスの視点では、それを確認できない。
トリトコスモスの真上のメゾコスモスの視点に入ると、ひとつの人生が葡萄の粒ひとつとみなしたような、葡萄の房が見えてくる。その段階ではじめて意識の連続性を確認できるけど、この連続性は、トリトコスモスの視点によって遮蔽される。
世界をプラトンの視点に戻すと、わたしたちはメゾコスモスと、ミクロコスモスに行ける。
以前、モンロー研のヘミシンクの初歩的な会にいった時に、地球を見るというのがあって、で、ヘミシンクの中で地球が「実体を見たいのか?」と聞いたので、見たいと答えたら、地表の芝生をはがすようにして、中に、正八面体の骨組みが組んであった。
シュタイナーは、地球が球体だというのは大きな間違いだと強い口調で断定していたけど、このロシアの科学者たちが言うような地球は巨大な水晶という見え方は、すこしばかりメゾコスモスに近づいたことをあらわすと思う。
わたしが関心があるのは、この領域が、文字の起源を作り出しているという点です。

人間は人間の意識の中に閉じこもった。それ以外を死物とみなした。フォーカス35は、この視点を打破する。
それと、トリトコスモスに閉鎖すると、それを基準に天国とか地獄が生まれるけど、この枠組みは、フォーカス35に行くと、いったん全部解体しないといけない。この解体過程で、問題の「クラスターに吸収できない、本来はクラスタの一員であったが、地球にやってきて、この地球の特殊条件にさらされたあげく、もとのルートを失い、しかも、アーリマンに入れ知恵されて、無条件の愛に戻れなくなった孤立した魂」を切り離すかどうかの判定する基準が変わってしまう。クラスタが親クラスタになると、下限も拡張するからだ。無だけが無限に近づくことができる、というもの。
消滅する人というのは、地獄に幽閉されるわけではないのね。
なぜなら地獄に住むのは、ずっとそこで閉鎖され、苦しみ続ける。
消滅する魂は、この地獄よりも下に行くのです。そして存在そのものがなくなる。
しかしエネルギィ不変の法則から言うと、消滅というのはないので、それは
「有機化できる限界」を超えた領域へ、分散化するという意味です。
有機化というのは、簡単に言えば、もっとも単純な素子の三角形になるかどうか。
この三角形が、意識が成り立つ限界だからです。

N先生が恐怖するのは、わりに想像できることでしょう。
トリトコスモスの中で消滅したかに見えて、より拡張された枠組みの中に入り込む可能性は、まったく新しいリスクのあるものだけど、可能性がないわけではない。
アーリマンも、意味のある意義によって生まれた。
トリトコスモスの中の愛着に生きている哺乳動物的な感性からすると、こんなに恐ろしいことはない。

わたしが言いたいことというのは、
無条件の愛の方向で、一体化していくコースは、ずいぶんとルシファー的なもので、
それは全体性、ユニティに戻るように見えて、実はトリトコスモスに幽閉される。
ということでしょうか。
二極化された思考の中で作り出された概念が無条件の愛というもので、それは実際には、ゼノンの矢のように目標に到達しない。











2014年10月28日火曜日

20141028 先週は二日続きで対談していた

土曜日はヒカリエ、日曜日は深川で対談していました。
ヒカリエは至近距離。深川も、大江戸線で25分くらい、一本で行ける場所だったので
行きやすかった。
それで、対談というのは、いずれにしても、人間相手で、相手のスピードに合わせるので、
それはとても緩い、リラックスしたものとなり、強い集中力を要求されないことなので、
やはりわたしにはこれはレジャーのようなものだと思いました。

直居氏との対談では、直居氏が、終末論の話に持って行ったので、結果的に、その話をせざるを得なくなった。毎度いうことですが、直線時間と円環時間の対比で考えると、
たとえば世界が終わるとか終末というイメージは、直線時間においてのイメージです。
つまり直線時間には、はじまりと終わりがある。
円環型の時間では、円の中にある4つの区切り、あるいはひとつの円から次の円に移行する時に
節目があり、この節目は、それまで続いていたものからすると、終末になるが、
しかし次の円につながるものなので、段差、変化などをあらわすものになる。

直居氏との対談では、終末の話になったけど、
その前の土曜日でも、わたしは、リタイアの年齢になったら、世の中の役に立たないことをしたほうがいいという話は出しました。
つまり直線時間において、老年は終わりに近づくことであるが
円環時間においては、老年は、次の円とかサイクルにつながるための準備などをする。
そのための知識などを提供する役割がある。
それは世の中の合意的現実の世界に貢献することではないという意味です。

で、終末論的な話でいうと、直居氏の口から、とても懐かしいとも思えるような話が出てきた。
世の終わりに、宇宙船が救済のために準備をしている。そして少数の人は、特定の場所に運ばれて、保護される、というものです。
こういう話がわりに話題になっていたのは、70年代くらいでしょうか。
昔はそういう時に、肉体を持ったまま、生身で連れていかれるということをみな考えた。
しかしそれはあり得ない話だと思うので、今の直居氏の話でも、死んだ後で、とか、
死んだ後なんだけど、またもとの肉体に戻される可能性もあるとか、そのあたりが微妙にあいまいなまま、話が続きました。

円盤に運ばれていく、という懐かしい話が出てきたので、わたしはその話の続きをいかにスムーズに運ぶかと考えて、モンローとかモーエンのギャザリングの話を持ち出した。
これは地球大転換の様子を見に、多くの宇宙知性がフォーカス35に集まっているという内容。
様子を見に来ているわけではない。
それぞれ、直結の子供たちが、地球の中に埋もれている。
そのつながりを、子供たちは忘れている。このつながりを取り戻して、
地球経験のエッセンスをレポートするというもともとの役割を思い出してもらい、
本来のルーツに再接続するために、ぎりぎりの至近距離まで来ているということなのです。
地球は極度に過酷な場所なので、ここに生まれると、すべての人が記憶を失うのです。
暗闇の中に沈んでいる子孫を、リトリーバルするというようなイメージです。
これはそれぞれのクラスタへ、再接続するという点では、
直居氏式の、円盤が待っているということに繋がらないことはないと思うのです。

で、モーエンは、このクラスタが回収される時に、どうしても引き取れない魂があり、
この引き取れない魂は、最後の最後には、クラスタは切り離す。
すると、この魂は、存在が消滅する、ということを、死後探索の三巻あたりに書いている。
これはごく稀な話です。
でも、ないわけではないと思われる。
というのも、ひとりの重すぎる負荷のために、クラスタが永遠に縛られるというのは無理だから。
そのあたりの見極めをしなくてはならない。
で、この切り離される魂というのは、存在の両端、無と無限で言えば
無限の部分、有機化不可能な領域に近づきすぎている存在です。
無と無限は、両極で似ている。
無に近づく魂は、つまりワンネスに向かうものたち。
聖なる固きもの、無限に近づくものとは、ばらばら、ちりぢりになる者です。文字通り無限。
無限にまで分解することで、救済される。つまり完全無意識になってワンネスに回収されます。
シュタイナーのいうアーリマンは、こういう存在たちを増やそうとしている。
そこに絶対悪の存在たちがいる。
クラスタは、完全なワンネスに近づかず、その途中にあるもので、まだ生命として
種々の活動をしていく集団意識だ。
でもこのクラスタが回収できない、クラスタそのものを壊してしまいかねない分離者たちは
一足飛びに、無限へと向かい、魂は無意味化され、逆ワンネスとも言える闇に吸収される。
この状況を、ブルースは描写している。
わたしはたぶん三十年くらい、この境界線はどこにあるのかな、ということを考え続けている。いつも、頭の片隅では。
だから、グルジェフの水素96と水素192の境界線のことばかり気にしていたんですね。
意識として存在する。意識として存在しない。その境界線だ。

で、ここにはちょっと特別な条件があって、
グルジェフは、上に進化する意識は、同時に下にも向かうということを述べている。
つまり、わたしはこれを水素の絶対値の拡張という言い方をしたんですが、
グルジェフ式にいうと、地球の生命を感じはじめると、それは同時に原子の生命を感じることになつていくという話です。大を理解するものは、小にも向かうと。
フォーカス27よりも、フォーカス35の生命たちは進化している。
これは言い換えると、27のクラスタが切り離そうとする孤立者を、35は、そうでもない、まだまだ境界線はもっと下にあるよ、と言えるということなのです。
27が否定したものを、35は否定しない。
クラスタが扱える境界線をどこにするか、という見極めは、ひどく重要なのだ。

ちなみに、死後は存在しないという考えかたの人は、死後は存在しないという信念体系に凝り固まっていると考えられているけど、死後は存在しないと考えているのではなく
死後は存在したくないという願望の表れであるケースもあり、
アーリマンが提唱するように、一足飛びに、全存在を消して、無限の闇に吸収されろ、それもまた、逆ワンネスへの回帰だという誘惑に乗った人々でもある。
ひとつの次元は他の次元と断絶があり、
ひとつの次元の上は無。下は無限。
そして、この次元のひとつ下から見ると、その下の次元においての無は、この上にある次元の底辺の無限と結びついている。
このコスモスの中で分解した魂は、ちりぢりばらばらになって無限化し、そして、実はより下の次元においての無の上空から降り注ぐパーツになる。
なので、わたしはブルースの見解には不足があると思っている。
でも、トリトコスモスに住む、わたしたち人間には、この無限の下の世界はとうてい認識できないのです。それは人間の知覚の限界、それこそ無限というつるっとした板の向こうにある話だから。
それを覗きに行きたいと思ったものは、自分がそこに引き寄せられ、もう脱出できなくなる。
自分が塵にならなくてはならない。

絶対者だけが無限に触れられる。つまり神だけが地獄に行くことができる。
神、人、地獄という三つの世界では、人はこの上にも下にも行くことを許されない。
無と無限は連動した開閉弁になっている。




2014年10月21日火曜日

20141021 コーヒーメーカー

アメリカのタンパにいったとき、そこで宿泊したスティーヴのペンションでは、キューリグのコーヒーメーカーが置いてあって、カップを入れたら、そのままコーヒーができるので、大変に気に入って、帰国した当日、夕方に日本についたので、そのまま秋葉原に行って、キューリグのコーヒーマシンを買いました。
これは一度壊れて、またもう少し大型のものを購入した。
でも、面倒なのは、キューリグのKカップのコーヒーは、日本ではあまり普及しておらず、新宿のヨドバシカメラに行かないと手に入らない。
で、ヤフオクで、アメリカ製の、徳用カップというか、ケースだけあって、中に自分でコーヒーを入れるという詰め替えアダプタを三つ手に入れて、使っていました。中に、コンビニで買ったレギュラーコーヒーを入れるのです。

わたしはコーヒーメーカーはあまり詳しくなかった。で、最近、知ったのは、自分でレギュラーコーヒー入れるのならば、紙パック式の、コーヒーメーカーのほうがもっと簡単だということですね。キューリグを使う必要性があまりない。
で、ゾウジルシのものを手に入れました。水を入れて、紙パックを入れて、そこにレギュラーコーヒーを入れ、電源をオンすると、そのまま三分くらいでできる。非常に簡単だ。掃除も簡単。だいいち値段がやたらに安い。

紙パックに感動したので、近所のコンビニで、三種類のメーカーのものを手に入れたけど、だいたいどのメーカーのも同じサイズなので、どれを使ってもいいようです。で、たくさん買いすぎて、これだけでも数百枚あるね。500枚程度だ。

いまは、また新しい本を書きはじめている。また、PDFの初校も、校正しています。
最近本の校正は、紙ではなく、いつもAdobe readerの注釈機能を使っているので、校正用に一本だけ持っていたウォーターマンのルマン100の使いみちがないです。
これ以外の万年筆は全部、新宿のマップカメラのビルの上にある万年筆中古屋さんに売ってしまいました。

何か書くときに、以前なら、紙の本を何冊か開いて、引用したりしていたけど、いまはPDF自炊本にかなりのものが入っているので、Ipadmini、IpadminiRetina 、IpadAirなどを複数置いて、それらを使い分けていけばいいのではないかと思った。さらにキンドルホワイトがあり、こないだ手に入れたonyxのE-inkリーダーもある。スタバで、机の上に、Ipad miniをふたつ置いて開くのもどうかなーと思うけど。でも、本の場合には二冊程度置くことはありますからね。
DropBoxは、無料版でなく、有料会員になったので、かなりのメモリーが使える。で、ここにPDFを大量に入れておくと、どんなマシンでも、そのままpdfをダウンロードして読めるのです。これはかなり便利なものです。




2014年10月16日木曜日

20141016 E-ink ブックリーダー手に入れた/ウエアラブル・ビデオでランニング撮影

おとといくらい、onyxの9.7インチのE-inkのブックリーダー手に入れました。
これは目が疲れなさそう。いま、またプラトンを読んでいます。
プラトンみたいに、対話形式で、抽象的な話をするのは面白そうですよね。
ただ、onyxは、動作速度はとても遅いです。
それとコントラストは弱い。

14日に、ウェアラブル・ビデオカメラで、走る光景を撮影してみました。
http://www.youtube.com/watch?v=-uzmvFiqa3Y&feature=em-upload_owner

19号台風が去った直後なので、風は強かった。
30分過ぎた後の、皇居の光景は、以下のものです。これはパート2ね。
ただ走っているので、退屈かもしれないけど、わたしはなぜか退屈でないです。

https://www.youtube.com/watch?v=bwSYMEEZOng&feature=youtu.be


二番目のビデオのほうは、youtubeの側で、画像の揺れを除去しますか、ということで、除去にしてみましたが、一番目のほうは、そのまま。なので、かなり揺れますが、
揺れているほうが、走っている感じが伝わります。
このパナソニックのHX-A500は、バッテリーが二時間しかもたず、
走る時間をフルで収録できない。
携帯電話充電用のポリマーのバッテリーを持っていけば、記録用のSDカードそのものは
8時間まで撮影可能なので、全部録画できるけど、大げさな装備で走りたくない。
こんなに面白く画像撮れるのならば、あちこち、違う場所を撮影しながら走りたいですね。
ただ都内は信号が多く、信号が多すぎると走った気分になれない。



2014年10月13日月曜日

20141013 今日は、渋谷のアルカノンで、三次元ホロスコープ講座

ですが、ソーラーファイアがないので、
おそらく、基本的にヘリオセントリックの部分が多くなると思います。
以前に、アルカノンのほうで、ソーラーファイア購入したら、できますか、という質問があったのですが、使い慣れていないので、いきなりソーラーファイアやっても、うまくいかないです。
そもそもSGでさえ、使い慣れていると感じたのは、ラクシュミだけで、他の人で素早く扱える人は見たことないです。これらは頻繁に使わないと、なかなかうまくいかないです。占星術のアプリはみなそんなものでは。

で、大阪のレディナダでは、はじめからずっとソーラーファイアばかりで、参加者も、みなソーラーファイアばかり。時々SG使う人がいたら、特殊な人、みたいな扱いなので、
そこでならソーラーファイアでやっても、素早いです。
ただソーラーファイアはかなり癖があり、まずインストールの段階で、挫折する人もいます。
Windowsを英語版にしないといけない。そしてWindows7だと、ファイルがうまく入らないこともあり、出生データを記録しようとすると、アプリそのものが強制終了したりする。
MacBookAirで、WindowsXPをエミュレーターで走らせたときには、この状態で、やはりデータを保存できない。
で、Windows7をインストールして、この中で、さらにXPモードというややこしい設定でソーラーファイアをインストールしたら、正常に保存できるようになった。しかし動作が遅い。
いまはWindows8マシンに、クライアントHyper-VマネージャでWindowsXPを入れて、ここにインストールしています。正常機能するし、速度も速い。
要するに、いちいち英語版にしなくてはいけないので、それが面倒で、普通に使うWindowsに常駐させたくないということがネックになるのです。

Hyper-Vは、マウス操作が、いちいちCtrl+Alt+左矢印を押さないと解放されないので、これが面倒くさいです。

このソーラーファイアのあまり便利とは言えない癖が原因で、大阪のレディナダにはノートパソコンが四台くらい転がっていて、これはわたしの推理では、うまくインストールできないと、新しいパソコンを買って試すということを繰り返した結果ではないか。
たぶん、これを正常にインストールするには、パソコンのマニアのようなスキルが必要なのかもしれません。
でも正常にインストールできて、安定して使えるようになれば、ソーラーファイアはわりに便利です。マップは、astro.comと似たような感じです。

占星術ソフト、ごたごたとすることが多く、いろんな場所で講座している時に、主催者が参加者の出生データをあらかじめ入力してくれている場合がありますが、だいたい、いままで見ていると、三か所以上で、生まれ時間とかかなり間違いの入力が多く、逆に時間かかっていたりします。

昨日も、30キロ走りました。こんどは空腹も感じなかった。マラソンの後に、ビール飲むのが好きという人は多いし、そもそもアースマラソンをしていた間寛平も、マラソンをするのはビールを飲みたいからなどということを言ってますね。
で、わたしは最近、走った後に、炭酸水にはまっています。
これは、ただ水を飲むと、一気に飲んでしまいますが、炭酸水だとそんなに早く飲めないからという理由だったけど、どうも、この炭酸が、乳酸を減少させる効果があるらしく、
つまり走った後の筋肉疲労回復に、少し役立つということらしいです。
500ミリリットルでも足りないと感じることがあるのは、これが原因かもしれない。
そして炭酸水を飲むと、そのあと、食べたくなくなる。なぜなら胃がいっぱいになってる感じがするから。これもネットで見ると、最近は炭酸水ダイエットがあるそうで、この胃がいっぱいになった感じが、ダイエットに効果的らしいです。わたしは知りませんでした。






2014年10月12日日曜日

20141012 PDFのリーダー/火星について

今度出るKindleの新機種も、6インチなんだそうで、高解像になっても、わたしの用途からすると、見にくいと思います。
自炊PDF本を読むのに、6インチとか7インチは小さすぎる。Kindle本ではないので、文字数が可変にはならないからです。かといってIpad airは、目がひどく疲れるので、一時間以上は読み続けられないことが多いのでは。

やはり読書に理想的なのは、E-inkで、この大型サイズを探すと、9.7インチのKindle DXが、2009年に発売され、その後しばらく品切れだったのが、最近少しずつどこかで手に入る状態にはなっている。日本では発売されていないけど、日本語版にするのは可能。
新製品は出さないようで、この古い2009年版のみが手に入ります。

もうひとつ中国のOnyxから、KindleDXと同じ解像度、同じサイズでE-inkのものが出ていて、これは2011年発売。このときはM92で、最新のものはM96。でも、ロシアとかでしか発売していないかもしれない。
これはKindleDXに比較して、SDカードで32Gまで読めるらしく、これだけでも、KindleDXよりは優れている。あるいはmicroUSB端子で、外部の2.5インチのSSDのストレージが読めるならば、それを接続すれば、KindleDXでも変わりはない。
わたしはあまったSSDドライブを、2.5インチのHDDケースに入れているので、これは軽いし、使いやすいのです。

オランダのメーカーからも9.7インチのものが出ているけど、これは手に入りにくいと思われる。

昨日は、30キロ走ってみました。30キロはとても退屈だろうと思って、土曜日、つまり皇居でたくさん人が走っている時を狙って、皇居をぐるぐると回りました。人が走っているのを見ると、退屈しないんです。ただ横並びで走るグループが多く、進路妨害がすごいです。で、走ってみて、20キロとあまり変わらないことが判明したが、さすがに、25キロ過ぎてから、かなり空腹になります。20キロだと水も持っていかないけど、水も飲みたくなります。

表示を見ると、だいたい1930キロカロリーの消費なので、空腹になるのは当たり前か。
しかしいつも不思議だけど、走った後は、空腹感は感じなくなるのです。
スタミナ的にはあまり困らないけど、やはり、足が痛くなるのは早いです。これは、靴が合わない場合には、決定的にダメージあると思いました。だいたい体重の三倍の加重がかかるので、これは大型バイクがのしかかったようなものです。大型バイク、いったん倒れると、起こすのが大変なんです。
昨日はだいたいキロ5分30秒程度の速度で走っていたので、つまり二時間半前後続けているのだから、足に負担がかかると、ずっとこの時間連続してかかり続けるわけですね。自分に合う靴をもっと積極的に探したほうがいいと思いました。
あと、わたしの場合、骨折の影響で、足の外側の筋肉を使い過ぎ、内股の筋肉が弱い。このアンバランスもかなり出てきます。つまり足の筋肉が痛みやすい。
少し距離を伸ばすと、20キロの時にはわからなかったことがいろいろ出てきます。
ならば、やはり42キロも走ってみないことにはわからない。
パーソナルトレーナーは、30キロ走ったときの状況を教えてほしいと言ってて、それによってトレーニングのメニューをまた変えるらしい。しばらくは毎週一回か二回は、30キロにしたい。

動物捕獲の記憶で、42キロ走ると、人類は満足感を感じるという説があって、これは狩猟の時に、動物をずっと追い続けると、だいたい動物は42キロくらいで死ぬらしい。そういうスローな狩猟の経験が集団的な記憶として刻まれているために、42キロ走ると達成感があるというものです。昨日のことから推理すると、この距離になると、かなり足が痛くなるはずで、この対処を考えよう。

基礎代謝があがって今は1450になって、それで30キロ走ると、これに1930キロカロリー足して、3380キロカロリー必要だということになる。これは高校生並みに食べないといけないという話ですね。
でも20キロ走っていた時には、もう当たり前になっていたので、テンションが上がらず、だらだらとやっていたけど、30キロになると、少しまたテンション上がりました。少し無理をすると気力が高まることを確認。

先月書いていた本で、火星のことを説明するのに、達成したものは当たり前になるので、すると火星にスイッチが入りにくいということを書いた。火星をある程度活発に活用するには、今の自分よりも少し無理な状態をチャレンジし続ける必要があるということです。
当たり前が太陽。少し無理をして広げるのが火星。
当たり前が月。少し無理をして広げるのが金星。
という具合です。
シュタイナーは、火星はマクロコスモスへの誘いと書いていて、マクロコスモスへ向かうというのは、ある種リスクがある。火星はこの多少危険なところにチャレンジするとともに、その危機管理にも関係する。地球に外接し、火星に内接するのは、正十二面体で、これは面の部分が五角形なんだけど、このキリスト・グリッドと言われるものは、わりに矛盾しているように見えるのは、地球の防衛網として、地球に外宇宙の外敵が接近しないようにする「編み目」なんだけど、この編み目そのものが、同時に、外敵を誘発するものだからです。
モーエンの先生が、「防衛は必ず打ち破られる」と言っていたのをおぼえているけど、防衛網があると、それを打ち破る目標を相手に与えてしまうのです。

で、人間には現状維持はなく、拡大か、縮小か、どちらかしかないので、いつもの状態を安定して続けようとすると、結果的に、それは縮小、停滞、低下になる。それがいやなら、後は、拡大、チャレンジしかないんです。すると安定するという性質がある。
これを単純に、わたしの運動=火星的ということに結びつけると、20キロを続けるのは、もう後は停滞しかない。わたしはどんどんやる気失う。速度も、同じ速度を続けると、だんだんと低下する。ちょっと心臓苦しいなーと思っていても、少し無理をしていると、すぐにそれが当たり前になって、楽になるからね。

占星術の、全部の天体を均等に使おうという、わたし流儀のスローガンでは、10分の1は、誰でも火星あるわけですから、生活の中で、10分の1は、この「今までからすると、ちょっと無理なことをチャレンジする」ということをしなくてはならないわけです。誰でも。
30代から、自分でこれは無理かなーと思うと、いつもそれをやっていたけど、そういう加減が一番健康なのかもしれない。







2014年10月10日金曜日

20141010 今日は白金の講座の日/Steve Jobs

昨日、村上春樹関連で、テレビで千駄ヶ谷の鳩森神社近辺が映っていました。
で、ノーベル賞を取らなくてよかったと思いました。
村上春樹は、どうみてもラノベ。それはそれで悪いと思わない。読んで面白い。けど、これでノーベル賞取ったら、かなりジャンル違いではないのかと思います。やはりノーベル賞は、大江健三郎とかが取るのが似合ってる。賞をもらったフランス人作家のほうがはるかにふさわしいと思います。

昨年は基礎代謝が1350だったのが、昨日久しぶりに調べたら、1450になっていた。年齢平均の数値よりも高い。やはりトレーナーについて筋肉運動しているからだ。トレーナーはさらに上がる可能性はあると言ってる。レッグプレスも、最近は55キロ自力で3セットできるようになったし。
週に12時間以上トレーニングしている人を、アスリートと言うそうです。ということならば、わたしはアスリートに入るね。

今年はもう、燃え尽き時期にきたので、なんとなくスローにしますが、
来年は、たぶんわたしの打ち出す理論というのは飛躍したものになると思います。
たとえば、ハーモニック62では、水星と冥王星が獅子座のはじめのほうで合だ。
で、この62のもとの31でも、火星・木星と、水星・冥王星はともに合なんだけど、31歳の時に何をしていたか、まったく覚えていない。冥王星は5度なので、無理難題を言い始める。天秤座の壁を、牡羊座が突き破ろうとすることに関しての言及という配置。


いま、思い出しましたが、昨日、沈み行く帝国を読んだので、あらためて、astrodatabankで、ジョブスのホロスコープを見ていた。


活動サインのグランドクロスの激しさが、あの激しい仕事のやりかたになったわけですね。
山羊座と蟹座のラインは、いわば集団的平凡さをあらわします。これまでの前例みたいなもの。
で、それを左右の牡羊座、天秤座が、横に大きな振り幅を与えて、拡大しようとする。牡羊座は限界を突き破る。天秤座はこの牡羊座に対する抵抗体としての境界線。
でも、ジョブスの限界の境界線の天秤座は海王星なので、基本的には境界線はぬかるみで、限界のイメージはあたかも存在しないかのように見せられる。
この蟹座、山羊座に対する新しさのアプローチがあるからこそ、たとえば多くの人が使う電話機とか、パソコンとか普及するものに対しての新しさを打ち出すことになる。

こういう活動サインの強い主張は、静かにおとなしく暮らすことはできないし、静かにおとなしい暮らしをすると、だんだんとおかしくなってくるので、ぼろぼろになるまで活動すればいい。
待ちの姿勢を柔軟サイン、同じことをするのを固定サインとすると、6個もある活動サインは、これまでのものを継続するということが念頭にないので、はまり役の仕事を手に入れられない場合には、たんに壊して歩くだけになる。生活の中で六割が、現状維持できません、何か新たにいじります、というバランスですから。

やはり、こうなるとクックのチャートも比較したいです。
クックは、ずっとジョブスと一緒にいて、補佐みたいなことをしていたけど、この補佐を長く続けていけるということ自体が、活動サインがそう多くはないという証だ。活動サインの多い補佐がいたら、社長は絶対ノイローゼになる。ともかくうるさく、じっとしていないから。

今後、iphone ipad Macbook路線を続けるかどうか、クックの図を見たい。
ソニーが盛田亡き後に、だんだんと今のソニーになるみたいに、アップルも、だんだんと普通の企業になるとは思いますが。

牡羊座を自我感覚、天秤座を触覚とみた時に、
ジョブスの場合のように、天秤座海王星、牡羊座火星だと、触覚=存在の境界線の抵抗がないに等しいので、火星は確実に暴走する。すると、抵抗体としての手ごたえを、スクエアでかかってる山羊座や蟹座のグループに求めることになる。
で、沈みゆく帝国を読むと、ジョブスの権力志向みたいなものも露骨に描かれていますが、この権力志向というのは、集団社会の中で発揮するものなので、やはり水のサインの特徴。
たとえばジョブスみたいに、蠍座に土星があって、蟹座に木星、天王星などがないと、権力に興味がいかないでしょう。このあたりがアップルの閉鎖性とか、守りの強さなどにも出てくる。
権力を必要とするというのは、単独では生活できないタイプ、という意味でもあるわけだし。

年に何度か、経営アストロロジー協会の講座やってて、社長とか会社のチャート見てますが、やはり、会社は社長が支配するものなのかもしれない。

天秤座の境界線、鏡、触覚のラインは、たくさんの種類があって、このどれかに設定することで、それが抵抗になり、抵抗があることで、牡羊座は働きかけの意志を持つことができる。
天秤座の境界線がないと、牡羊座の働きかけは、闇夜に働きかけたような感じになり手ごたえがない。で、同時に、この抵抗体によって、働きかけの意志の総量も決まるので、
天秤座と牡羊座は、お互いに相対的に成り立ち、支えあっている。
抵抗を感じるというのは知覚にあがってくるという意味。つまりそこに注意を向けている。
境界線は数多くあるのに、そのうち、どれかが目に入り、それ以外の多くが目に入らない。
設定した天秤座の境界線によって、その存在の形が決まる。
自分と似たような境界線の範囲に生きている人どうしはコミュニケーションできるし、相手を認識できる。
でも、異なる境界線の場合には、目に入らないどころか、存在さえわからない。
情報はすべてわたしたちを貫通しているけど、この貫通しているままのものは、何一つ気が付くことはないし、わたしたちは吹き流しのようなものだ。
(この中で、どれかを捕まえて意識すると、逆説的な言いかただけど、
この捕まえたものだけが見えず、この捕まえたもの以外のすべてが、捕まえたものを重心にして、知覚できるようになる。捕まえたものだけが意識できない。)

モーエンの場合、牡羊座の太陽と、天秤座の海王星が180度で、天秤座の海王星が触覚となるので、牡羊座の自我は、この境界線上で働くようになり、すると、すぐそばを歩く死者と会話をする、などという話になってくるわけです。そこを知覚の抵抗体にする。
モーエンの場合、ジョブスと違って、この牡羊座と天秤座セットには、蟹座・山羊座との強い関係がない。だから、ありきたりのもの、集団性に働きかける気がない。
以前から、蟹座に天体がないと、多くの人に普及するものは作れないと言ったけど、
ジョブスの場合には天王星と木星のセットが蟹座にあり、これが蟹座世界に新しい機器を持ち込むことになり、普及する電話などができたわけですね。そして、そこに牡羊座・天秤座の絶え間ない、休みない働きかけが、なされたわけです。
この牡羊座と天秤座が忙しすぎると、働きかけのターゲットとしての蟹座の天王星・木星すなわち機器のリニューアルのサイクルが早すぎることになる。













2014年10月7日火曜日

20141007 本はだいたい書き終わった/霊界文字、神代文字

三か月の間、ずっと本を書いていて、これは9月の終りに完了したのですが、最後の本について、ちょっと気になっていた。「女子中学生でもわかるような本にしてください」と言われていたけど、相変わらずの書き方をしていたので、大丈夫かなと思っていた。

でも、昨日、編集の人から、「後半は特に軽いですよ」と言われ、全体にポップな感じです、という感想なので、これが自分としては予想外の反応ではあるが、ちょっと安心しました。
軽く用語説明補足する程度でなんとかなるらしい。
だいたい最近は、原稿を書き終わってからまとめて渡すというよりも、グーグルドライヴで書いて、編集の人に、はじめから共有設定をして、経過を全部見せるというやりかたをしている。

それで、いまは10月なので、そろそろ一年のサイクルでは、わたしの燃えつき症候群の時期に来つつあるので、少しペースを落とそうと考えた。
以前カメラに興味がなくなったと書いたのは、三か月の間、本を三冊書いていたので、この間は、講座以外はまったく何もできず、カメラを持っても、まずどこに撮影も行けないということもあったわけです。だいたい一日二時間とか三時間走ると、外を散歩する気はなくなります。
デジカメは1000万画素いらないという新書があって、確かに高画素になっても、わたしは4Kテレビをパソコンモニターにした画面でしか見ないので、高画素の特徴もわからない。
で、アイフォンは800万画素で、これでいいのではと思ったこともあり、カメラは全部なくなったのですね。一時大三元セットも持っていた。が、これを持ち歩くことは不可能だと思った。
撮影画像の違いという細かい部分は、実はどうでもいいことなんです。

それで、静止画カメラは、興味をなくしたのですが、実はウェアラブルのビデオカメラを手に入れました。いまウェアラブルは、ソニーとパナソニックが代表だと思うけど、とりあえず、パナソニック。で、頭の左側に装着します。カメラ部は40グラムの重さしかない。コントロール部は、腕に取りつける。
これで何をしようかというと、走っている時に、映像を撮りたいからです。

となると、神宮外苑をただ退屈にぐるぐると回るのではなく、もっと山とか、地形が変化する場所を撮りたいですね。前から走っていると、歩く時よりも、景色が鮮明に見えていたのだが、やはり走る時に景色を見るのが一番いいです。
フルマラソンのセドナやホノルルはすごくいいそうです。景色が。
youtubeで、こういうマラソンの動画をのせている人はたくさんいるけど、最近のカメラは手ぶれ防止がかなり進化しているので、走りながらでも画像はそうとうに安定している。
あとは、バッテリーが2時間マックスなので、オンしたりオフしたりしながら撮影すればいいわけです。

象徴文字、秘密文字、霊界文字、神代文字

シュタイナーは「いかにして超感覚的認識を獲得するか」で、ごく一部に、象徴文字というか霊界文字について書いている。
霊界文字と、神代文字には少し共通点がある。
表音文字は、もとは象形文字から来ていて、ものの形を簡略化したものから始まったというのが定説だが、占星術は農耕民族が星を見て、そこから始まったというのと同じく、これは古代人を馬鹿にした考え方で、プラトンのいうアトランティス時代の記述などを考えてみれば、わたしの考えでは、事物の形が出来上がる前に、抽象概念とか、イデア的なもののほうが先に発達したのではないかと思う。占星術の12区分にしても、統計的とか経験則的に、この法則ができることはありえない。まずは理念や概念、イデアなんですよ。

で、事物の形が出来上がるのは、神々が没落した後。つまり「神代」ではなくなった段階で、少しずつ事物の形が固定されてきた。というのも事物が固定する、すなわち感覚が硬化する、というプロセスは、主客が固定的な関係を作らないことには進まないのだから。
なので、事物が固定されてはじめて作り得る象形文字の中に神代文字はないというのが、わたしの考え。

とくに日本の中で、神代文字的な要素を損なったのは、漢字だけど、漢字を使うことで、わたしたちは、意識の深層に入り込むことを阻まれる。
で、神代文字はたくさん記録に残っているけど、この中でハングルのコピーみたいな怪しげなものは除外する。たとえばアヒル文字などは取り除いて、だんだんと精密な形を探していけば、ちゃんと見つかるのではないかと思う。

こないだの、アボリジニの文字を受け取ったということについては、わたしは日本の文字との共通点についても考えています。日本の文字という時に、漢字ははじめから除外する。ひらかなも除外する。すると、いまのところ、カタカナしか残らない。

アボリジニの祖先と、日本人の祖先が分離したのは、いつかな。スンダランドが沈没をはじめた時期から考えてみると、面白いです。
ただ、こういう「地を這うところで伝わるもの」ということにこだわりすぎると、普通の歴史家が考えるようなものになってしまうので、間違った推論に行き着くでしょう。二極化した片方でしか考えないということになるからです。
というより、そもそも霊界文字や神代文字というのは、この「二極化の片方からしか考えない」という偏った脳の使い方を補正するための言語なんですね。

霊界文字や神代文字は、二極化の片方からしか考えないことを補正するためにあり、両方使ったところで成り立つ意識をあきらかにする。
つまり霊界文字や神代文字を使うと、「地を這う伝達」で推理する歴史の流れとは違うものをあきらかにする。となると、わたしが受け取ったアボリジニの文字と日本の文字の関連性を考える時に、スンダランドなどのことを考えたりする必要はないということですね。
霊界文字や神代文字は、二極化の片方からしか考えないことを補正するためにあるので、こんにちの研究者や学者は、二極化の片方からしか考えないのを正当の研究姿勢にしているので、霊界文字や神代文字は、必ず否定される立場にある。とうていそれらは受け入れられないものだからです。

それで、ゲリー・ボーネルとかは、アカシックリーディングに使う文字は、結局自分で作り出すしかないんじゃないかという意見らしいのですが、(身近な関係者に聞くと。)前に聞いた話では、いったん決まった文字も、少しずつ変化するという話だった。
たぶん、このボーネルの言う文字は、霊界文字とか神代文字とは違うニュアンスだ。

で、こないだのアボリジニの文字を受けとった時に、同時に、「この文字と、その後の世界の展開には、ひずみがある。世界を正しいとみるよりも、まずこの文字をリファレンスにして、のちの世界をひずんだものとして、そのひずみを修正してほしい」と言われた内容について考えていたのですが、この考え方は、ヘブライ語のサメクにも関連した話だと思った。

サメクは支柱という意味です。世界の階層について考える時に、中央の柱のはじめの部分、ケテルからティファレトは、女教皇であり、ここには原初の歪、破れ目、砂漠がある。
カバラでいう歪は、たぶんここに関してのみだ。
そのあとティファレトとイエソドの間の柱が、このサメクです。
昔から、これは人馬宮が割り当てられているけど、射手座ということから離れて、人馬というイメージをそのまま当てはめると、ティファレトが人、イエソドが馬の部分にも当たります。

で、太陽系の中でケンタウルス惑星群、太陽系の外でのケンタウルス座が、それぞれまっすぐに通過できない傷をあらわすのですが、これも人馬の絵柄で説明されることが多い。
ケンタウルスのアジェナ、トリマンは足の傷ですからね。
夢の中で、世界の歪という時に、これはケテルからティファレトの間の傷か、あるいはティファレトからイエソドの間の傷ということに関係する。
まだまだある。イエソドとマルクトの間の傷です。
世界が源流からひずんでしまう要素は、この三か所あるわけです。
しかし例の、わたしがよく使うヤコブの梯子、四つの生命の樹の連鎖で考えると、この三つは、互いに入れ替えられるので、全部同じだよと考えてもいい。アッシャーの女教皇は、イェツィラーの節制(サメク)のことなのだから。

サメクとしての支柱は、傷を受けて、柱が割れている。この歪がいろんな芸術の創作の原動力にもなっている。女教皇のギメル、節制のサメク、世界のカードのタウの歪は、上と下の領域が地続きではないことをあらわしていて、身近な話としては、多くの人は、生活のための仕事と、自分がしたい仕事が違う。昔の神道の本を読んでいると、天のアマテラスの代行を、地上の天皇がするという考えがあって、これはギメルが歪なく通っていることをあらわしていますが、もちろん現代においては、天皇はそんな役割はしない。天皇は最近は税金も払っているという話で、これは地上の法則にしたがう天皇なんで、税金を払いつつ同時にアマテラスと通じるのは難しい(かもしれない)。
地上においての経済法則とかは、地上世界が独自に発展した結果のものであり、個人の権利を守るということと連動している。こういうものも、またサメクの傷のひとつでもある。
この点では、傷とか歪はそのままで残しておいて、もうひとつ二重的に、そうではないまっすぐに通ったものを想定しないといけないわけだよ。この両方が必要です。
単純にひずみを修正するというところまでシンプルに考えなくてもいい。

共産党ビルの前に出ている赤旗新聞の一部の記事に、大江健三郎が、阿部首相は、時代精神を侮辱していると書いてるのを見た。でも、わたしが思うに阿部首相が持つ悪意はもっと根深いと思います。大江健三郎は、阿部首相は、戦後のレジームに対する憎悪で行動していると書いているが、実際はそれよりももっと黒いのでは。

ゲリー・ボーネルを書いたので、それで思い出したけど、ボーネルは、原子は存在しないと言った。シュタイナーも原子は妄想だと言ってる。
で、原子論が、その前の四元素論を淘汰したんですが、
まさかアリストテレスの四元素論、つまり四気質論はともかく
わたしはプラトンの四元素論は、未来の科学で復活すると考えています。
物質の最小単位は、あるのか。というと、プラトン式に言えば、ない。
しかし人間が認識できる限界という意味での最小単位はある。
グルジエフは、次元と次元の間には、無と無限の壁があると言ったけど、
物質の最小単位はなくても、人間の知覚の限界として、最小単位は無限だ。
それを人間の視点としてのトリトコスモスの領域から推理すれば、ただの知的な遊びになってしまい、とても自閉症的な行為になってしまうので、ある段階からはやめたほうがいいと思うけど、
物質の究極の最小単位を考えることは、宇宙の極大の最大単位を考えるのと同じ行為で、
どちらに行っても、トリトコスモスが仮死状態になる領域に到達する
わたしたちは、壊れたくないので、そこまで考える前に引き返してくる。