2015年9月28日月曜日

20150928 東北の話

今日は、自分で書くことがないです。そのかわりに、東北に住んでいる男の人のメール、ここに掲載してみます。
ぶちまけているけど、わたしは内容に共感します。

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塩辛い空気。
地方っていうところは最悪な状態にあると思うんです。
でも自業自得だと思います。

そもそも地方の貧乏さというのは、メディアがいうような可哀想という問題ではないですね。
田舎の連中はあえて貧乏をやっている。
持ちつ持たれず状態にして自立させないようにしている。
お金がある程度以上あると自立できてしまうから。
貧乏にして助け合い状態にして、
「共依存状態」を作り出して逃げられないようにしているんですよ。
俺たちの絆を裏切るのか?と脅してくる。
逃げられないんで自殺率も高い。
これが地方の美しい助け合い精神の実態でしょうね。

貧乏も困った状況も地方が望んだことなんですよ。
最近、私は日本てこんな国なのかと絶望している。
日本は先進国で民主主義で進んだ国なんだと教育されましたが幻滅です。
教えこまされてきたことは全て幻想だったんです。
これは戦前の日本は神国で天皇は神と思い込んでいるのと同じことだったんです。
日本で先進的と言えるのは都会の一部の地域と一部の人たちだけです。
日本の9割は人間として住めるような所ではないです。

村社会よりは城下町のほうが まだマシなほう というのも悲しい現状。
農村は電波は圏外のうえに本屋のひとつもない。
こいつら情報をなんだと思ってんだか。
本を読むやつはバカとか平然と言う。俺は50年間本を読んだことがないんだぞ、どうだ!すげえだろとか自慢気に喋ってくる。
本なんかあったって もし無人島に行ったら何の役にもたたないぞとか言う。
意味不明ですな。

地方の文化を研究しているん荒俣宏さんの講演会に私は行ったことがあるんですが、
「東北の人は外から見た自分像を知らない。自分から見た自分像だけだ。これは狭い考えかた。なぜ外からの視点を受け取らないんだ。」
とおっしゃておりました。
これは風の元素がないということなんでしょうね。

荒俣宏さんはお茶を濁した言い方をしましたが、
私は はっきり言います。はっきり言わなければなりません。
地方の人間は馬鹿です。頑固で考えが足りない。
馬鹿というのは狭い閉じ込めらたような世界観を持っているということです。
小作人を延長させたような、大事なことは上の人任せの世界。
いつまでも古いことを守り続けている小野田少尉みたいな連中。
上官がきて命令解除でもしないかぎり小作人の呪いは解けないのでしょうね。

タブーなしになんでも喋る田原総一郎さんも東北の人はおかしいって言ってますし。
知識人や文化人は徐々に地方のおかしさに気づき始めているんですよ。

お金を取りあげられる以上に情報を取り上げられるというのは恐怖だと思いますね。
水瓶座の時代に入ったんですから、地方の人は皆んなもっとこの恐怖を感じ取るべきです。
東京の人たちは情報を取り上げられる恐怖というものを知らない人が多いのではないでしょうか。
うっかり地方なんかに土地や家を買って移住してしまったら、冷や飯を一生食う羽目になってしまうと思います。

情報がない地域は知的な空気を感じない。これがこわい。本当に恐い。
下衆で泥臭い雰囲気。
今、私を一番悩ませている問題です。
同じ環境で育ち、同じ空気を吸っている私も、結局同じ穴のムジナになっている。
自分のひとつひとつの言動や行動に幻滅しています。下衆と自分は同じ。
「他人のことを批判したって、結局お前も東京じゃ通用しないおつむだろ。」

そんなわけで松村潔さんのダウンロード講座や本で勉強中です。
松村潔さんの開かれた姿勢は助かります。
どういうわけか世の中には情報をなんでもかんでも㊙︎にする人はいますからね。

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東京に住んでいると、隣の人との共感をしなくてはならないという要素がぐっと減ってくるので、かなり楽ですが、そのぶん、加速した生活をしなくてはならない。
となりに誰が住んでいるのか、まったくわからないという生活をしている人が多い。
でも、この状況をもっと進めるには、多民族が共存している環境のほうが理想的なので、
東京よりもニューヨークのほうがいいでしょう。
なので、ためしに東京に、あるいはニューヨークに行ってみればといいたいけど、
わたしは東北の人の感じが、実際にはよくわかってなかったかもしれない。
菊池氏は東北の人でしたが、どうして即断即決できないのか、どうして勝手に自分で何かしないのか、何故言われないと動かないのか、あたりがよく理解できてなかった。
で、菊池氏に東京に出てきて活動したら?と言った時に、そうですねとその気になってたのに、動かなったので、どうしてなんだと思っていました。
なので、無理に呼び出して、その日のうちに、菊池氏をつれて、不動産屋に行き、その場で、マンションを決めてしまいました。30分かからなった。
でも、やはり東京のリズムと、故郷のリズムが違いすぎたのですね。ともかく休んではいけない。そのあたりはかなり無理なことを要求していたのだと、後で思いました。

このメール見て、おなじ東北の人から、メール来ました。

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庵を結んで一人で暮らすのは地方の
醍醐味ですよ。時々里に降りてきて
必要物ゲットして。
実際は山形市の市中で、Amazonの
配達ですけどね(笑)
人と関わらなきゃ、いいんです。
閉じれば、いいの。
看板なんかで「絆」って文字が目に飛び込んでくる時は
鳥肌ですけどね。
、、、でもこういう発言はお金に余裕が
あるからですね。それ言っちゃおしまいなんだけど。

悪口言ったら止まりませんからね!
根性腐ってる話は枚挙にいとまがないですから。
でもそんな話で盛り上がってもねえ。

、、、それって、地方だけの問題だと、
本当に思われますかという話で。
日本人が等しく内在してる問題ですからね。

甘えてがめつくて人任せ、
あわよくば甘い汁吸って逃げ切れればOK。
義務と責任放棄の権利だけ主張って、
隣の国の人の悪口じゃなくて、
自分たちでしょ、てことですよね。

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それはやはりお金持ちしかできないね。
以前、東北方向の自炊温泉にいったとき、
その背後の山に向かうと、犬を放し飼いにしている家をみました。
犬を放し飼い。それははっきりいって、理想です。
いつかは犬を放し飼いにできる生活したい。

で、前から言ってるけど、隣近所との共感とか、
社会に対して開くことは、社会そのものが宇宙から孤立したシステムを持っているので、
結果的に、人を自閉的にしてゆき、狭い世界に閉じ込めていくので、
むしろ孤立した人、アウトサイダーになることで、開かれた人になるということは、
昨日の講座でつい口にした、アメリカの反戦の若者たちが70年代に支持していた
ソーローの森の生活とか、ヘッセのデミアンなども、
孤立したことによって開かれた世界に向かうということを書いた本ですね。
金持ちの変人になるのが一番いいですね。しかも偏食の。

昔、下高井戸の安アパートに住んでいた時に、そこは違う部屋には、体育会系の学生がたくさん住んでいたのですが、家主が、ほかの居住者がわたしのことをどう言ってるのか教えてくれました。家主は夜中は酔っ払いになるので、なんでもしゃべるんです。
「普通とは違いすぎているので、行動の予測がつかず、怖い。近づかないようにしている」というものでした。
その時は、孤立した、しかし金のない人をしていたということだ。
横のつながりを減らすことで、より高次な宇宙に同調する。このスタイルを、さまざまなやりかたで工夫して、安定したシステムにするといいですね。
庵で孤立した暮らしをするのは、十牛図の第九図返本還源のようで、そこでは次のコスモスと接触する。馬車、馬、御者、主人という四つの階層での、主人との接触は、山の上でがしやすい。

共同体に対して批判的で、そこから抜け出す人は、共同体が蟹座、山羊座の連合ということで、そこからひとつシフトした獅子座とみずがめ座の人のセットですが、
昨日、講座で、ハーモニックで、今年、月と土星が、獅子座、みずがめ座の180度になる人の例を説明していました。藤原角行にしても、人から指導を受けられないので、そのかわりに北斗七星から指導を受ける。占星術をしている人というのは、基本的に、この蟹座・山羊座の集団的共同体に従いたくない人が、指針として使うことが多いです。
月と土星は、生活を安定して固めるというか、私生活のスタイルを決めるということでもあり、世の中からはずれた方針を固定することですね。

北斗星はアメノウズメで、天の鳥船で、地球に降りてくる。これは羽衣伝説とも結びついていますが、そういう点では、藤原角行は、アメノウズメの息子ということになります。
プレアデスの子孫が天皇。これは北斗星の子孫とはかなり違う。プレアデスは、地上的物欲ということと大いに関係しますが、北斗星にはそれがない。舞うこと、演奏すること、歌うことに関係する。




2015年9月27日日曜日

20150927 内臓宇宙探索ってどんなもの

複数のコスモスは、構造的に共鳴しています。なので、もちろん複数の惑星は、そのまま、人体の中の内臓と共鳴し、似たものと考えてもいいです。
でも、占星術的に、惑星の作用が、そのまま内臓に反映されるかというと、直接反映されることはありません。たとえば医療占星術はそのまま使えるのかというと、使えません。

その理由ですが、法則としての、下にあるものは自力では上がれない。それは限定されている意識だから。上にあるものは自らを分割することで、下に下りることができる。つまり上にあるものは下のいかなる音に降りることもできる。といういつも、わたしがしつこく言ってる法則によって、人間は、惑星の影響を受動的に受け取り、それを選択して取り込むことはなかなか難しい。しかしながら、人の下のコスモスとしての内臓に対しては、人の意志を関与させることができるということです。惑星からそのまま内蔵へというダイレクトな回路はないのです。

なので、特定の内臓が過酷に活用され、痛んでくるというときに、その状況を占星術的に、あ、この惑星は他の内臓とのバランスを壊してまで酷使されますね、というふうに読んだとしても、ちょっとそこに実情と違う面が出てきます。内臓の総和、つまり全内臓は、その上にある統合的なもの、すなわち個人というものの意識、目的、などに支配されています。個人が特定の内臓の作用を配慮しないのならば、その内臓は異常な状況にさらされます。

で、外面的に見る視点でなく、内側から見るという視点に切り替えて、内臓と対話したときに、その内臓の意向を聞き取り、そこから、自分の生活習慣とか、姿勢をやり直すということができれば、下にあるものの意志を上にあるものが聞き取るという点で、状況は改善されるでしょう。その時、下にあるものは自分の都合だけで主張しようとします。統合者として、上にある人は、他の臓器との兼ね合いで、決定しなくてはなりません。臓器にとっては自分が重要だが、人からすると、全臓器が大切です。

血液の中に自我があり、血液は巡回して、それぞれの内臓の情報を取り込みます。自我はそれを受け取って、印象を取り込むのです。特定の印象群に関心がないと、それに関係した内臓は、自我の光を与えられていないので、だんだんと卑屈になります。
川島なお美は、胆管癌で死んだが、胆管は、胆汁を肝臓から十二指腸まで運ぶ管ですね。シュタイナー式の考えだと、胆汁は火星に対応しています。それは木星としての肝臓から発射され、脂肪を細かく分解して、脂肪を吸収しやすくする。
この例のような場合だと、探索の時、胆管の意図を聞くということになると思いますが、妨害物に悩まされて困る、火星の力を送りこむときに、それを邪魔されているというふうになるかもしれません。それは何に邪魔されているの?というふうに、話が続きますが、しかしこれらの構造、すなわち邪魔しているものを呼び込んでいるのも、統合者としての、人です。

ところで、土星は組織を外界から孤立させ、組織を守る、その組織の独自のリズムを作るという天体ですが、冬至の支配星であり、冷えて、固めて、乾燥させ、孤立させるという作用です。内臓が、ほかの内臓との連携、チームプレイで働かねばならない時に、たとえば、土星が90度で介入すると、その組織を孤立させ、他の内臓との関連を弱めてしまうことになります。その内臓作用が、冷えて固まる傾向が出てくるのです。
土星はいずれにしても、コントロールし、仕切ってしまうので、特定の内臓に対しては強いコントロール力を発揮しますが、そのターゲットとなるものを孤立させてしまう可能性はあるのですね。そのあたりの配分は、内臓というレベルでは、全統合者である人の考え方、生活習慣、目的などによって、違ってくると思います。
胆汁とか胆管に関係する火星は、占星術的には、男性という意味もあります。で、わたしが気になったのは、川島なお美さんが鎧塚さんに対して、わたしが死んだ後もできれば再婚しないで、というふうに、死後に及んでも、鎧塚さんを拘束しようとした発言をしたことです。はっきりいって、これは許されない発言です。相手よりも自分のエゴのほうが大切だったのです。死んでしまえば、この世の法則からは自由にならなくてはいけない。しかし死後も、この世の関係にしがみつく。現世的な欲を、開かれた領域に持ち込もうとしているのです。つまりスープの中のダマです。愛していたから、そういう発言もちょっと許される。などということではごまかせないでしょう。こういう傾向が胆汗癌を促進させたということと関係はないわけはないと思います。火星の通路を狭め、封じたのです。
以前テレビで見ていると、鎧塚さんは、町のフェイク温泉に行って、そこに泊り込み、日本酒を飲んで、リラックスして笑っていた。これを見て、結婚生活には、息苦しい拘束があるんだなと感じました。時々フェイク温泉に泊まると、本当に開放感を感じていた。

火星はマクロコスモスへの挑戦で、金星はミクロコスモスへの誘いです。つまり、火星は外に拡大しようとし、金星は内側におさまろうとします。男性と女性がこの火星、金星の役割を担い、さらに結婚して太陽と月の役割が分担されると、金星の小さな世界へおとなしく入ろうという意志に、さらに地球のまわりを取り囲み間合いを狭める月の作用が加わり、女性は締め付け作用が強くなります。で、この男性の外に拡大、女性の締め付けという陰陽の作用の均衡が均等に旨く行くと、そのトータルで、ユニットの独立性が獲得できるので、とても良いです。しかし一方の力が片方を凌駕すると不幸なことが生じます。つまりは、男性の欲求のままにしてはならない。しかしまた女性の欲求のままにしてはならない、ということで、両方が犠牲を伴います。片方が強すぎると、片方は死ぬのです。

川島なお美のホロスコープでは、火星は、土星と180度ですが、トランシットの冥王星は土星と合で、またトランシットの天王星は火星とスクエアで、時代を動かす冥王星と天王星のスクエアは、この出生図の火星・土星の180度に直接関与しています。冥王星が土星に重なると、この土星の仕切りというのが、暴力的なまでに強まります。
火星も太陽も蟹座とか蠍座という水のサインにあり、これは情の部分で深い愛着を示していますが、それを土星は枠の中に閉じ込める。そしてこの土星作用は冥王星が重なることで、いつもよりも強くなりすぎた。自身の中の、火星をコントロールする性質が強まりすぎて、締め付けになってしまい、この内部的な抑圧が原因で死んだと考える人もいると思います。
縛りの強い女性が死ぬと、それまで縛られていた火星は、開放されて、リラックスしますね。表向き何を言うのであれ、鎧塚さんはどこかで喜んでいると思います。
そもそも馬鹿みたいにワインを飲んでいた。自分ではリラックスできない人は、ワインとか飲んで、リラックスすると思うんですよ。ワインを借りないと、火星を楽にできない。ワインの飲みすぎは、抑圧のされすぎで、自力ではリラックスできなかったということです。占星術研究家のkさんも、酒飲みで有名だと思うのですが、これも火星・土星の抑圧感が強すぎて、それを緩和するのに、酒がないと生きていけないということなのだと思います。ルル・ラブアさんは、アルコールとかは火星、海王星と言ってたけど、火星・海王星の人は、自然体で、開放の方向を知っている。それができない人がアルコールに頼る。なので、むしろアルコール飲む人は、自分で緊張感を開放できない人ということで、火星・土星のほうが多いと思う。たぶんこれはドラッグも同じです。ドラッグが必要な人は、自力で飛べない人。だから外部的なところからドラッグを借りる。
以前田口ランディさんが、アマゾンでドラッグを使ったメソッドに参加するので、その心得を教えてと言ってきたことがあり、「なんで、そんなものに参加するの?」と聞いたら、「わたしは頭が固いから」と答えてきました。鎧を自力ではずせない人はドラッグとかアルコールを借りるのです。



でも、この川島なお美現象を、占星術的な配置だけで考えてはならないということです。内臓の上に、全内臓統合者としての人がいる。そして、惑星は内臓に直接つながらない。その間に仲介者として、中間管理職としての人がいて、これが惑星と内臓の関係を曲げます。なので、川島なお美のチャートを見て、この配置が火星、胆汁、胆管を締め付けたのかと考えるのは早合点ということですね。土星、火星180度で、胆汗癌になっていない人のほうが多いはず。
人としての意図を考えよう。心理、行動習慣、生活習慣、食習慣などを考えるべきです。

内臓探査に関しては、質問表を作ったほうがいいですね。内臓に質問する項目を箇条書きで。意図を汲み取らなくてはならない。しかしのさばらせてはいけない。




それで、川島なお美の胆管癌による死亡という件に関しては、もうひとつ、興味があることがあります。ゲルソン療法のゲルソンは、癌治療のためにコーヒー洗腸を考案しましたが、なんでコーヒーなの?というのが、わたしには一番興味あることでした。血清中の毒素を減らすには、コーヒーが一番いいらしいということですが。
代々木の赤ひげ堂では、コーヒー洗腸を積極的に薦めていますが、コーヒーの中のカフェインに触れると、直腸の血管が拡大する。その結果として、胆管は血液で膨張するそうです。すると、胆汁の量が増え、血清とその成分の解毒が高速化する。もうひとつ、直腸の中のカフェインが、蠕動運動を刺激して、栄養素の消化・吸収を促進する。小腸内の酵素触媒が7倍になり、無害化された発がん性物質は、直腸から排出されるそうです。コーヒー洗腸は、血液透析ということなので、川島なお美がコーヒー洗腸をしていたら、今回のような癌は発生しなかったのではないかと推理するわけですね。たぶんその癌は完全に無力化されたのではないか。
ゲルソン療法では、大量のニンジンジュースを飲ませますが、糖質制限という観点からすると、にんじんやめて、もっと違うジュースにすることになると思いますが。
コーヒーは口から飲むより、肛門から飲むほうがうまいんだよ、という話になりますね。わたしの体はワインでできている、というのが、こんどはわたしの体は、ワイン七割、珈琲三割でできています、と言い換えなくては。

>あと、ご質問で失礼しますが、
>今回の川島さんのチャートでプログレスの太陽にピッタリ冥王星が寄り添ってるのは、
>やはり大きく関係しているのでしょうか?
>ガン発覚から、2年ほど闘病されてたということから、
>180度の火星と直列で挟み込まれているので気になります。
>今回の冥王星の順行と同時に土星の殻=肉体を手放した、みたいな感じなんでしょうか?

プログレスの太陽は山羊座12.89。これは出生図の土星、山羊座の14.16に対して、2度弱手前ですが、火星・土星に近づいていることは確か。そこに意識が向かっていくということです。トランシット冥王星は、そこに太陽系の外の力を持ち込む。枠に興味を向けているときに、背後から、その枠を壊すような冥王星が関与してくるので、いずれにしても、出生図土星、進行太陽、トランシット冥王星があわさって、間口を強制的に広げてしまいましたね。進行太陽は、火星・土星の停止軸通過にはまだ早いけど、つまり自分の予定よりは、すこし早めに冥王星の扉が開いてしまった。









2015年9月26日土曜日

20150926 糖質制限による結果

ニューヨークの人から、糖質カットした結果がどうなったのか、メール来ました。

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今日はケトンになることではっきり感じられる変化を書きます。 *は特に著しく感じられるもの。 

ゼロカーボではっきり感じられること、夫
体: お腹がすかない、中性脂肪が低い=今34(昔は100〜150)。 *気分の安定、より人生に前向き、チャレンジ精神がより旺盛、 **外部で悪い事があっても振り回されない。
**持久力が目に見える形で高まった。 出張の時など、過酷スケジュールだが、昔それをやっていたらぐったりしていたのが、ずっとエネレベルが変わらないので
普通にこなす(食事なしで)
*花粉が治った
*以前かなり暑がりだったのが、普通になった(自律神経が向上。これについてはまた次回)。 
体臭が減った。 肌のコンディションがよくなった(つや) 
**トイレ事情=う&お事情がかなり変わった。 これも次回。

私:**イライラがなくなった。 これは衝撃的です。 性格の一部だと思っていました。 
常に食べ物の事を考えなくなった。 暇だから炭水化物を食べる、という時もありますが、*炭水化物を食べているからまたどんどん欲しくなる、不安になる、鬱になるなんていうのサイクルも有ると思います(栄養素足りなくて、
血糖値乱高下して不安定になるなど)。  
**頭の回転が向上した(ほんとか!?) 
視力が回復した、肩こり等が改善。 肌がよりぷりぷりになった。 疲れにくくなった。 春の花粉は治った。 

共通: エネルギー(気力?)の安定、風邪を滅多にひかない。 風邪を引いても治りが早い(炭水化物を取ると白血球の動きが鈍るそうです。 病気=おかゆ、オレンジジュースの公式がくずれます)
人生前向き。 気分の安定。 お腹が一切はらなくなった(たぶん、小麦の関係で。 小腸にくっつく→栄養素を吸収しずらくなる)
爪が延びるのがものすごく早くなった。 嗅覚が良くなりすぎた。 
**何かを食べて(オートミール、小麦など繊維質が多いもの)腸が重いとか腸が春パンパンになる、という感触が全くなくなった。 先生がこんにゃく食べた時の感触と同じなのかも。
***動物性脂が心のそこから美味しい、、と感じる。 これは、たぶん、本能的なもの。 昔は、ローファットやローコレステロールが良いと思っていたので
脂身はカット、鶏の皮も食べなかったです。 

利点:何を食べているのか、食べ合わせがわかりやすいので、何がどう影響しているかすぐわかる。 何種類も食材を買わずに済む。 料理の時間が大幅に減る。 野菜の処理に時間がかかっていたが、それが一切なくなった(ゴミが大幅に減った!)
冷蔵庫で物が全く腐らない。 
今流行りの健康食品が関係なくなる。 やれココアだ、アーモンドだ、グルテンフリーなど。

世捨て人編: 社交が難しい(食べ物がかわったら付き合うも変わって丁度よい)、
外食がやや難しい、旅行がやや難しい。 

先生は、ゼロカーボにするのは、もうゼロに近い、食べ物に執着がないことで簡単だと思います。

個人的には、マラソンとの関係に興味があります。  
ハイオクとコーンが原料のエタノールの違いが車の走りにでるような事を、マラソンなどで自分の体でできるなんて楽しそう! 
走り=燃費もそうですが、膝などの疲労にも良い結果がでるかもしれません。 

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わたしの場合、数年前から炭水化物がかなり少ない。数ヶ月前から、お米、パンとか麺などはほとんど食べない。というふうに、少しずつ炭水化物が減ってきた。数ヶ月前までは、代々木のつるまる饂飩に行って、うどんを三本ほど食べていたので、お店の人は、またうどん残す不良な人が来たと覚えていると思います。そもそもうどん屋に来てるのに、うどん大量に残すのはおかしい人でしょ。しかも残すくせに、実は気に入っていて、何度も来るという。紅しょうがてんぷらが食べたい。でも、それだけを注文するわけにいかない。なので、うどんをついでに頼み、そしてうどんを残す。でも、いまはうどんも食べなくなりました。
ラーメン屋に入っても、麺を全部残すという、そうとうにへんな人です。

で、ずっとむかし、三十代の頃は、実はご飯を食べると胸焼けとか体調の悪化が頻繁にあって、10年間くらい、頻繁に胃薬を常用していた。後半はキャベジンだった。これらがないと、ご飯を食べた後の盛大な胸焼けが止まらないとか、十割そばを食べると、胃液が逆流して、時々鼻腔まで胃液が上がってくる。で鼻腔まるでくると、ともかく鼻の奥が猛烈に痛いよ。キャベジンは、いわば食事のおかずのひとつ、というくらいに、常用していました。キャベジンがなければ、食事はできないという時期もあった。

炭水化物を食べていたときには、やはりどんより鉛のように重い感じの疲労感はあったけど、いまは、それを感じたことはない。とくにマラソンすると、疲労はなくなりますからね。走ると、普通の体験として、だいたい疲労感というのは消えるんです。疲労が消えるから走るという人は、大変に多いのです。

糖質制限すると精神が安定するのは当然でしょう。なぜって、気分の変動は、血糖値の変化なのだから、血糖値が上がらない、落ちないというなだらかなものになると、そのぶん気分の変動がなくなる。織田信長がもし糖尿病でなかったら、本能寺の変はなかったという人がいます。つまり織田信長は気まぐれでキレる人。糖尿病の人のキレかたは、理由がない時に、いきなりキレます。
で、イライラはなくなるという話ですが、本人的にイライラはなくなったとしても、人から見たら、キツい性格の人になっていると思うのですが。
身体が糖質カットされると、身体と心とか感情というのは鋳型が似ているので、「心にスイーツのなくなった人」になると思います。痩せた人というのは、だいたい思ったことをそのまま言う人ですね。文字通り「溜め込まない人」。その場で、ストレートに言ってしまう。脂肪を溜め込んだ人は、この脂肪の中に厳重に自分の感情、思いなどを包み込んで、味噌のように発酵させるのです。それが何十年かしてひょっこり浮上して、苦しんだりします。
で、思ったことをそのまま言うと、だいたい社交関係、対人関係は壊れるケースが多いと思うし、そもそも糖質制限は、ほとんどのパーティ、会食、人との付き合いの食事がしにくい、というよりは、皆無になると思うので、人付き合いのよくない、発言のキツい、スイーツ成分のない人になります。でも、本人としては、「わたしって、イライラのない落ち着いた人なんだよねー」となると思います。
周囲の人が警戒していることに気がつかないということもあります。

食べ物のことを夢見るというのは、糖質制限の人は激減すると思います。わたしが十代の頃って、日本では、お正月はお店は全部閉まっていました。で、お正月の前に買い物をし忘れたわたしは、この三日間、何も食べることができなかった。その時に、たまたまゴーゴリの「生ける屍」を読んでいたら、食べもののことばかりが書かれていて、やたらに料理の数が多く、頭の中では、そのことばかりがぐるぐると巡っていました。糖質制限をして、炭水化物中毒が治った人は、そもそも食べ物は「おいしくいただく、楽しみのもの」というイメージが消失し、食べることの快感というのが、だんだんとわからなくなってくるので、頭の中で、食物を想像する時間がかなり減ってくるでしょう。

このメールでは、だんなさんは内臓脂肪が34と書いてあるけど、これ基準がわからないです。去年、渋谷区の検診で、わたしの内臓脂肪は39だったけど、まだソノ頃は、朝に茶碗半分のお米も食べたし、うどん三本も食べていた時期。39は多いのか少ないのか、いまひとつ不明。
でも、糖質制限すると、放置しておいてもだんだんと体重は減っていくでしょうね。インターネットで、モデル体重BMI計算というおかしなサイトがあって、BMI19のわたしは、おデブの判定です。アラシの二宮君も、はっきりおデブです。この基準で、あなたはモデル体重です、と判定されると、おそらく、病気がちで、氷河期には最初に死ぬような耐久力のない身体になると思います。冬には凍えて死にそうだ、みたいな。ちなみにわたしはどんな椅子に座ってもお尻が痛いです。だから、立っていたほうが楽です。講座で座らないことが多いのは、この理由もあります。骨が当たります。

で、わたしはハードな糖質制限には行きにくいと思います。
ハードな糖質制限は、動物性の脂質と動物性のたんぱく質だけを摂る結果になるけど、わたしは菜食的な人だからですね。この世で一番おいしい食べ物は、ベビースピナッチに、フムスをこってり塗ったもの、というものですから。そこにカイエンペッパーがあると、もっといい。
昨日、いつもいくオリジン弁当のキャベツのコールスローに、とうもろこしが入っていたのを発見して、驚いた。もうコールスローは食べれない。ワカメはまだ少しはましだけど、昆布は糖尿病になるとか、細かいチェックが必要なので、菜食的糖質制限となると、毎回面倒ですね。一日20グラムまで、となると、かろうじて、味噌汁の中のたまねぎはオーケーかな。たまねぎひとつの糖質が15グラムなので、味噌汁の中に入ってる、包丁で十分に切れてなかったような玉ねぎだけなら、そんなに多くないですね。

で、糖質制限をする人の動機はさまざまだけど、世の中の多くの人は、糖質過剰、炭水化物中毒の生活をしている。自然界の中では、炭水化物はそう多くはなく、人類は最近になって、この炭水化物と糖質過剰の「異常な生活」をしている。
これは、わたしがよく言う、「人類は宇宙的な環境から孤立して、人類独自の世界を作り出して、この中で生きているので、宇宙的なものに再接続しずらい」というものとちょっと似ています。
宇宙的な均衡、自然的なものに戻すには、まずは、炭水化物中心の暮らしをやめなくてはならない。少なくとも、それはナチュラルなものに戻すひとつのきっかけです。

で、わざわざ、糖質制限する人は、多くの人とのホメオスタシス的共鳴から離脱したい人で、家族的な絆、共同体に埋もれること、環境に飲みこまれることから脱出したいという意志があると思います。思想とか精神とか、難しいことを言うより、まず卑近なそこから攻めたいという。でも、コストのかからない食生活というのは、80パーセント炭水化物の暮らしなので、糖質制限は、贅沢でお金のかかる暮らしでもある。つまり孤立してなお、お金に余裕のある人でないと、それは実践できない。
貧困層で、住民票がなく、バイトできない人とか、ネットカフェに生息していたりする人は、カレーライス食ってる。カレーライス一杯は、角砂糖35個ぶんで、これ貧しい食生活の代表ですよね。ダルしか食べないインドの貧しい子供は、角膜が溶けていく。

前からよく言ってるけど、人間対人間の世界に開いて、オープンになることは、より大きなコスモスからは孤立すること、というのは、アウトサイダー肯定論です。
人類は宇宙から孤立している。だから、人間社会に深く同化することは、宇宙的な意味では、自閉症になることである。アウトサイダーは社会の中で孤立し、むしろ、より大きな世界においては開かれた人である、ということですね。
この健全なるアウトサイダーになる、かなり卑近な方法のひとつが、糖質制限でもあると考えてもいいのかもしれない。もう会食に行けない。
こないだ、水害によって被災した人たちが、数日間、ずっと食べ物はおにぎりとふりかけだけだった、俺たちソノ間に太っちゃったよー、というニュースを見て、ぞっとしました。わたしなら、このおにぎりとふりかけだけの食事だと、倒れてしまうと思います。脳はブドウ糖しか消費しないと言ってるけど、わたしは炭水化物ばかりの食事をすると、体験的に、脳が働かなくなるということが多いです。さらに、カレーライスが苦手なのは、カレーライスの中の野菜は煮込んでいる。すると、野菜の中の酸素がなくなる。で、酸素のない野菜を食べると、頭痛を起こすというものです。生野菜の中に含まれる酸素はそのまま脳に送られる。でも煮野菜は酸素がないので、わたしは温野菜は警戒します。中国では野菜はナマでは食べないというけど、それはちょっと苦手だな。
炭水化物の多い食事をすると頭が働かない。ナマ野菜を食べないと、脳が機能しにくい、というのは、わたしの特殊事情なんでしょうか。

胆管ガンで死去した川島なおみの話ですが、内臓を見るときに、シュタイナー式では、脳脊髄神経系では、外面的に、見る。つまり多くの人が知っている、形として内臓を見ることなんですが、もうひとつの内側から見る、副交感神経&交感神経的に見る視点では、内臓はあたかも惑星のように見えるといいます。これは山羊座的な視点と、蟹座的な視点の違いです。
で、古代の人たちが、占星術を考えるときに、もちろん今日のような天文学的な観測はできないのですから、かなりの比率で、この内的なところから宇宙を見るということをしていました。
この点では、現代の天文学よりも、はるかに正確に宇宙を見ていた。現代の天文学というのは、この視点からすると、かなりでたらめで、いいかげんです。
内臓を見るときに、この内的なアプローチというのは、もちろん内臓の作用そのものに共感的に働きかけることで、内臓探索をすると、それは内臓作用に大きな影響を与えるでしょう。
惑星に影響を与えることはできないが、下に対しては、つまり内臓に対しては、強い影響力を発揮できるのです。胆管は肝臓に結びついている。胆管に入り込み、胆管に共感し、胆管の話を聞くということをすると、胆管に変化は発生します。
その場合、脳脊髄神経系的に、外面的に見て、いっさい同化せず、「無機的に判断する」という姿勢であれば、なにひとつ影響を与えることはできません。このアプローチ法をメインとする分析的知性は、結果的に内臓を殺すと思います。締め付け萎縮させます。
糖質とか炭水化物をたくさん摂取することは、ガン細胞を増殖させるといわれていますが、おそらく、それぞれの内臓の個性的な作用を認めないという方向に向かう傾向も関係すると思います。

第二信が来ました。

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ゼロカーボのメリットは、人体実験を長年した人のデータがないといいましたが、
アメリカ人で70後半で亡くなる前に毎日、ゼロカーボ(毎朝コーヒーに入れた動物性生クリームのみ)の人がいたんです。
何歳から始めたのかわかりませんが、確か30年は完全になしだったと記憶しています。
数年前交通事故で亡くなったのですが、今生きていたら80歳ぐらいです。 

その人=通称ベアのバッググラウンドが中々変わっています。   
カルトバンド=元グレイトフル・デッドのサウンド・エンジニアで、
一時バレエダンサーだったこともあるそうです。 

学生時代にLSDの作り方を図書館で調べ、科学専攻のGFとLSDの大量生産をしたそうです。 
多分、まだそんな事をした人はいなかった頃にです。  

合法だったのが、違法になったので捕まり2年の獄中生活も送ったそうです。
獄中では、真面目に働きよいポジションにつき、配給されたタバコとステーキを交換して毎日ステーキを食べられ、ゼロカーボが続けられたそうです。 
タバコと交換できた、なんていかにもアメリカですね。 

大分昔の話ですが、今は監獄でも低脂肪ダイエットなのでステーキなんてないでしょう。

数年前、どこかの州で、受刑者に大量に大豆製品を与えていたので、体への害の事で健康食支援団体が反対運動をしていました。
受刑者が体を壊す、と。 それもすごいですね。 

この人は、子供の頃から肉が好きで野菜など全く興味がなかったそうです。 

下の方にある、DIET AND HEALTHで、私がインシュリンや炭水化物について長々と書いてあることが数行で説明してありました。 
https://en.wikipedia.org/wiki/Owsley_Stanley 

夫は炭水化物について色々調べていた時に、この人のWEBで肉食になる利点、ならない危険性を読み、それもキッカケになって夫はゼロカーボを始めたので、感謝メールを書いたんです。
すると、”どうせ出来ないと思うけど、それを10年続けたら、おめでとうといえる”、とレスがきました。 
なぜそういうのかは理解できます。

検索でこんな記事がでてきました。ここにも彼の食べ物に関する見解が少しでています。
http://www.rollingstone.com/culture/news/owsley-stanley-the-king-of-lsd-20110314?page=6


彼は確か喉頭がんになったりしたんですが、本人は自分がゼロカーボダイエットが回復に役立ったといっています。
若いころ、大量のLSD、覚せい剤をやっていたので、その体への影響は??です。 それもゼロカーボが役だった?!
それはわかりません。

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「科学専攻のGFとLSDの大量生産」。ブレーキング・バッドですか。
LSDに関しては、健康に対する影響は、ほとんどないかもしれない。
LSDはアサガオの種子から抽出しますが、アメリカのシャーマンは、アサガオの種子そのものを使って、トランス状態に入る。これは擬似セロトニンと言われています。身体がすぐに耐性を作ってしまうために、連続的に使うと、効果が失われてしまう。半年に一回とかでないと、トリップしなくなってしまうんです。現代人はセロトニン不足。なので、たとえばLSDを投与する人が増加すると、ハッピーな人が増加して、意味なく笑ったりするかもしれない。自殺者が減る。パニック障害が減るなどの効果が見られるかもしれませんね。いずれにしても、タバコとかアルコールに比較して、毒性はうんと少ないです。なので、アル中治療に、LSDを使うのはどうか、などという研究者さえいます。
LSD使うと、そうとうに鈍い人でも、その場でオーラ見えたり、チャクラの車輪が見えたりします。
でも、意味のないことで笑いこけて、どうしようもなくなります。セブンイレブンの中で、品物が多いと言って、それがあまりにもおかしくて笑いこけて、セブンイレブンから脱出できなくなったり、オートバイに乗ってる人が、どこが直立なのかわからなくなり、倒したり、戻したりと、おかしな行動したりします。歩いているつもりで、ずっと足踏みが続き、まったく前進せず、それが2時間くらい続いて、周囲の人が、怖がったりします。

ホゼ・アグエイアスとかは、ドラッグを禁止するブッシュなどは、あきらかに集団支配をしようとする連中の陰謀的行動だと言ってましたが、それは極論としても、LSDとかマリファナを使うと、集団統率とか、集団支配が進まなくなるというのはありえると思います。ベトナム戦争時、兵士がコークを使うことを禁止したのは、彼らが戦意を失い、兵隊として働かなくなるのがあきらかだったからです。みんなハッピーになってしまい、敵に、「ピースっ!!」と言ってしまうからです。つまりリラックスしてしまうと、脳波がθ波になってしまい、緊張感と防衛心の塊のβ波が保てなくなるのです。個としての輪郭が溶けて、人類みな友達だよ、ということになると、それは近代自我としては困るでしょう。戦争できないじゃんか。
LSDのジャンキーたちは、道端で、同類に出会った時に、互いに察知します。で、挨拶するんです。バイク仲間が、出会いがしらに挨拶するように。やはり、個体としての閉鎖されたエッジが緩和されてしまうので、説明しなくても、あうんで、わかってしまうのです。


でも、こう書いていくと、別に高額なLSD(紙にしみこませたものは、隠語で、ヤギさんと言いました。ヤギが紙を食べるからです。)を手に入れなくても、バイノーラルビートあればいいだけですよね。五分以内にθ波に入れ、個体輪郭は溶解するのだから。
70年代、アメリカ西海岸にはジャンキーやヒッピーがたくさんいた。反戦運動の腰抜けがたくさんいた。現代版に置き換えて、イヤホンをつけて歩く、バイノーラルビートのジャンキーがたくさんいるというのも面白いかもしれない。彼らは神社に行った後、わたし昨日、ヤマトタケルに会ったのよとか言ったりする。彼らは足元がおぼつかない状態で、電車とホームの間の隙間に、うっかりと足をつっこんでしまいそうになる。なので、車を運転するとき、電車に乗るときには、バイノーラルビートを使わないでください、という看板が必要です。イヤホンをつけている人を見ると、注意したくなる人もいるかも。安心してください、わたしが聴いているのは、ただのミュージックです、と答えないとね。

それにしても、食事とか糖質制限話題とか書くと、がんがんメール来ますね。
中性脂肪に関して、こういうメール来ました。

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ところで中性脂肪の世間の標準がわからない、というコメントがありましたので書かせていただきます。

ちまたで栄養療法と言われるやり方をやっている医者は、空腹時の中性脂肪は100が目標と言っています。
高すぎても低すぎても良くなくて、目標が100ということですね。

サプリメントも含めた食事療法を何年やっても、数値が動かないのが、中性脂肪が低い人です。
一番動かないのが、白血球が少ない人で、次が中性脂肪です。
油をたくさん摂らせても、太っても動かないので、私はよく「もともと虚弱体質ですね、生まれつき体が弱い人です」と言っています。
ある程度意識的に生活していても、不定愁訴が多い人に中性脂肪が低い傾向はあると思います。

中性脂肪が200、300などの高い人は、食事や運動の調整ですぐ下がるので、低い人の方が、普通の生活を送るために、より厳格に生活をコントロールする必要があります。
でも、低い人が体調のコントロールの仕方がわかると、すごく元気になります。
ちゃんとコントロールできた時に、気持ちよさとか調子の良さを、しっかり実感できるのだと思います。。


私の夫も中性脂肪、コレステロールが低い人で、20歳代はよく病気してましたが、栄養などの体調管理をし始めたらはまってしまって
今は栄養療法の医者やってますし、患者さんへのアドバイスがすごく細かいです。ビタミンDは何mg摂らないといけないとか。
11月には46歳で初トライアスロンやるそうです。本当に風邪も引かなくなりました。
普通の人よりもう一段、ストイックに調整すると、すごく元気になる実感が持てるのだと思います。


逆に私は、中性脂肪が高い人で、ある程度の栄養療法をやっても自分で楽になる効果を実感しないので、栄養療法の医者はやってますが、はまらないです。
患者さんにも、だいたいでいいんじゃない?としか言えません。
もともと風邪を引かないので、それこそ生まれつき丈夫なのだろうと思います。
乳癌はやったので、癌はまたちょっと違う機序が絡んでると思いますが。

こんな感じで、中性脂肪の値は、生まれつきの体の丈夫さの指標だと感じています。
弱い人ほど厳密に調整できればすごいパワーを出せるけど、災害時などのように、意図的な調整をしにくい状態だとやはり生き残りにくいと思います。
強い人が厳密に調整できればもっとすごいのでしょうけど、感覚が鈍いので厳密な調整はそもそも難しくて、脳天気に暮らしていたらいきなり大きな病気をして寿命は短くなるかもです。

中性脂肪の数字は、患者さんの診察時に結構注目して見ていますので、参考にしていただければ。

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中性脂肪は基準値は100なのか。暑いのは気にならないけど、寒いのは苦手というのは、わたしの中性脂肪が少ない、つまり体内に毛布がない、ということですかね。真冬、ほんとに、生きていることそのものが苦しいと思うことあります。

占星術研究家yoshiさんからの質問です。(名前公開だね。)

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で、ご質問なんですが、ニューヨークのゼロカーボの方の食事?メニューとか教えていただけないですかね?
興味ありまくりです。
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ちょっと前に、この人のブレックファーストの写真が送られて来て、見ました。
見た瞬間、いやー、こんなの食べたくないなーと思いました。


ペメケンというのはアメリカインディアンの保存食、干し肉ですね。日本人なら、やはり、はごろもフーズのシーチンLフレークかな。缶詰見ると、一缶は、エネルギィ206kcal。炭水化物0.1グラムと書いてあります。
これにマヨネーズぶちかけてみるのは、どうなのよ。(笑)
ちなみに、マヨネーズはカロリー低減の新しいタイプよりも、古典的なマヨネーズのほうが、糖質カットになるそうです。とくにキューピーマヨネーズは、100g中、糖質は1グラム以下です。
マヨネーズが好きすぎて、チューブから直接チューチュー吸うというゲイがいましたが、今からすると、健全なんですかね。

下高井戸に住んでいた10代、近所の汚らしい食堂に行って、定食を食べるときに、机の上に業務用のマヨネーズがあって、それをわたしが大量にキャベツにかけてしまうので、数回行った頃から、お店のおばちゃんが、わたしを見た瞬間、マヨネーズを隠すようになりました。
でも、マヨネーズの大量かけ、あまり問題ないという話ですかね。
たとえば、あのこってりしたエビマヨ、衣が薄いなら、推薦食品になってしまいます。エビマヨを作るときに、片栗粉を採用せず、コンデンスミルクを使わないのなら、油ぎとぎとでオーケーになります。

100グラムあたり、芝エビと大正エビ、甘エビは炭水化物0.1グラム。ブラックタイガー、0.3グラム。車エビ、伊勢エビは、0です。節足動物としてのエビは、昆虫の仲間で、無脊椎動物なので、グルジエフの人間の基準、6・24・96になるために、適しています。頻繁に伊勢エビ。やはり、贅沢な食生活になってしまいます。アワビは、4.5グラムです。

フィリピンが、中国の侵略に対して、ほんとに怒っていて、かつてアジア最大の米軍基地であった土地を返還してもらったけど、あらためて、米軍に使用を許可したそうです。それによって中国の侵略を阻止しようと思っているわけですね。
アメリカはユダヤの国。で、中国はシュメール系統。かなり大雑把に言うと、象形文字派と、表音文字派の対比がある。粒子的なものと、波動的なもののコントラストですね。わたしがヘミシンク体験をした時、ふたりの老人がじゃんけんをしている光景を見ましたが、これは象形文字派にするか、表音文字派にするか、ふたりでじゃんけんしていたのだ。で、その後釣鐘の中に自分がいるというイメージに入りましたが、釣鐘の中にびっしりと書き込まれた文字は、サウンド文字でした。煮こみ過ぎて崩れたジャガイモみたいに、象形文字の土台は失われていました。
問題のフィリピンのスービック湾は、UVG120は通過していませんが、近くのマニラならば、UVG26から伸びたラインがちょっと近い。マニラ、調査に行きたい。このライン、北に向かって、台湾を貫通し、上海に伸びています。

それぞれの土地に共通するものは何か。このラインは、こういう複数の場所を貫通し、そこに同じものを見るということです。特定の場所にこだわらず、ネットワーク的に、あちこちに同じものが見出されるというのは、水瓶座の生きかたにとてもフィットしています。風・固定サインだから、土地から離れて、風の中で、とびとびに同じ類感共鳴を渡り歩くのです。
中央線に乗っていると、国分寺あたりで、スパッと記憶が途切れますが、つまり中央線は、このラインに沿って作られていないのです。建築、今日の都市設計は、このラインをずたずたにし、多くの人のマカバを壊します。
蛇の生きかた、すなわちこのラインをそのまま辿る人生は、前世の記憶を失わないし、アカシックの情報を取り込みやすくします。




















2015年9月25日金曜日

精神宇宙探索講座

九州と、大阪と、東京と北海道とか、精神宇宙探索講座の予定が増えてきました。ほんとは、これらを理解するのに、わたしが書いた本が出版されるとスムーズですが、まだ編集者さえ見つからない段階です。出版社の社長には、もう渡してあります。

脳波で言えば、β波は個人の意識に固まる段階で、ここでは個人の緊張感、警戒心、注意力、ある程度狭い輪郭に固まることなどが強化されます。
α波は、地球集団意識に開放するような、すこし個人が緩んだ段階です。これは目をつぶり、リラックスすると、たいてい入ります。でも、前から言いますが、シューマン波の周回する地球の正三角形、正方形などの節目にある、古代の通信施設、圧電物質の岩で作られたピラミッドは、米軍がほとんど占拠しており、地球集団無意識に放送しているので、わたしからすると、これはノイズに汚染されているとみなします。20人会議がコントロールしているのですが、それは有害かというと、むしろ地球社会を崩壊から救済しようと努力しているので、悪いとは思えません。
それでも汚染なので、α波よりも深いθ波に入るのが、良いです。
θ波は、昏睡直前の、すなわち個の意識が失われるような段階で、個の輪郭からはみ出したような情報がらくらくと入ってきます。恒星探査には、このθ波が不可欠です。
β波は個人。α波は地球集団意識。するとθ波は、もっと範囲の大きなものと定義すると、この定義は単純すぎるけど、でも目安にはなるでしょう。

ブルースモーエンは、集団探索というのを重視していました。ヘミシンクなどでは、だいたいθ波になることが多いのですが、もう説明したように、α波とかθ波は、個の意識を失うし、個の意識の輪郭を溶かして拡大しないことには、遠くのものに行くことはできない。遠くのものとは、空間的に遠く、また時間的に遠くということです。空間と時間は、粒子性と波動性ですが、互いに置き換え可能です。
つまり個としての輪郭は、θ波では溶けてしまい、境界線がなくなるので、これは、自然的に集団探索になるということなのです。ヘミシンクなどで、隣の人の体験がそのまま流れ込んできたりしますが、それは当たり前です。上野の近くで、モンロー研のヘミシンクしましたが、そこにいた若い男性が、ヘミシンク体験の中で、隣に来て、目をぎょろっとさせて、わたしの顔を見ていました。で、自分は望星高校の出身なんだよね、とか言ってましたが、こういう超個的な、個人の人格の輪郭が溶解してしまうのが、当たりまえです。
で、おそらくブルースのセッションでも、たびたびそういう人が出てくると思いますが、個の輪郭、個の意識にこだわって、参加者全員が作り出す集団探索的な磁場、あるいはまたそのセッションが開催されている土地の場に参加することに抵抗する人はいると思うのです。
それは、β波が残り、θ波の渦の中に入りたがらないということです。つまりスープの中にダマが残るということです。突き詰めていえば、抵抗する人は、まだ個人としての自分を充足させておらず、満足がなく、そして恐怖に支配されている人です。決して人を受け入れられない人です。

日常の生活に戻れば、人はみな個の輪郭を取り戻し、車を運転する時でも緊張感の中で、周囲に警戒するということをしなくてはなりません。でも、この習慣を、ヘミシンク中とか、探索の場に持ちこむのは、筋違いです。すぱっと切り替えなくてはならないのです。
個の意識を主張しつつ、すなわちその個人が持つ肉体的、感覚的、前世的な欲求とか欲望、目的意識を維持しつつ、探索の場に入り込むことは、いわば、他の人の探索を妨害していることと同じです。
で、わたしは上野近くのヘミシンクの集団探索の中で、主催者が、さあ、みんなで同じカフェに行こうよと行った時、行くことは行った。それが決まりだから。でも、「俺って、みんなとカフェに行くのって嫌いなんだよね」という趣味を発揮して、フォーカス21のカフェに行った直後に、みんなとは離れた席に行ったんですね。そこで、わたしのガイド、わたしがメカニックと呼んでいる男から、今後の計画としての地図を見せられていた。
で、主催者のミーさんから、ヘミシンクセッションが終わった後で、わたしに「なんで、途中から離脱したんですか」と聞かれた。

集団セッションとして、個の意識がなくなるような体験の中で、自分なりの個人としてのβ波的こだわりを持ち込むのは、実は間違っているんですね。みんなとカフェに行くの、嫌い。というのは、わたしのβ波的な姿勢です。ヘミシンク体験の中でそれをやってしまったので、ミーさんからすると、目立つ行動であり、それは非難するべきことであるよ。

で、このβ波、個人が孤立して、それぞれ自分のアイデンティと主張を持つというのは、地球的なもので、どこの宇宙も、どこのetも体験したことのないオリジナルなものです。えっ、個人て、集団から孤立して、それぞれ勝手に行動するのかと驚かれます。この個人が孤立するということのためには、個人は極端に物質的な存在でなくてはなりません。つまり振動密度が低く、物質密度が濃い金属鉱物の含有量を増やして、ものとして重い肉体を持ち、しかもこの肉体に自己同一化するという努力をしなくては、実現しません。

ベティ・アンドレアソンが出会ったクアズガは、ジェンカみたいに、前の人の背に後ろの人が手を乗せて、筒になって、部屋に入ってきた。これはゼータ・レティクルも、またエササニ星人も同じ。つまり、ひとつの生物は、より大きな次元においての部品であるという認識があると、つまり人間の例で言えば、内臓や細胞は人間の中にある部品であるという認識があれば、結果的に、ジェンカは避けられません。存在の正しい位置を見つけ出すと、近隣の存在と、ジェンカを組むことになるのです。
でも地球的人間は、そこから離れて、独自な自分を主張することができると妄想している。それは不可能です。できるとしたら、自分を近視眼的範囲に閉じ込めることです。歩いていくと新宿駅に着くのに、下を向いて歩くと、どこにでも自由に歩くことができると思うことができる。自由意識とは、実は知覚を閉鎖することで実現できるのです。

そういうわけで、精神宇宙探索講座においても、それぞれの個人の持つ欲望、こだわりなどを、一時的に捨てることになります。もしそれを最後まで持ち込む人は、その場を壊し、ほかの参加者に心理的に傷を与えるということにもなるでしょう。つまり「開かれなくてはならない時に、浮かばれない何かがあって、開くことができなかった」という姿勢が、他の人にも染み込んでいき、他の人も、θ波に入りにくくなるです。分析的精神は、ベータ波特有の属性であり、個の意識の死守ですから、そういうのを捨てて、馬鹿になる、というのがいいのです。

で、このような集団探索とか集団意識になると、かならず、そこに支配者とか全員を仕切るという代表者が出てきます。なぜといって、宇宙は階層構造ではないですか。七つのものはひとつになり、それは上の七つのうちのひとつであり、またそこで七つまとまると、ひとつになり、より上の七つのうちのひとつなのです。
すべての人は公平であり、みんな対等であるというのは虚偽です。ブルースなどは、「俺の言うことは信じるな、自分で体験し、確かめろ」といいますが、それは彼が水瓶座の月男で、わたしと同じタイプで、この集団的な場を集合させる、代表的な仕切り人間を、自分がやりたくない、ということに過ぎません。ブルースがしないのなら、誰かがするのです。実際、彼は講座を主催しない。呼ばれて来るだけ。たとえば蠍座に天体が四つもある雪乃さんとかが企画し、まとめ、そこに呼ばれたブルースがよたよたとやってくるのです。

ヘミシンクの時に、ミーさんが仕切って支配していたので、わたしは参加が楽でした。
つまり、精神宇宙探索講座をする時も、参加者は、集団探索になるので、個人としての独立性、アイデンティ、主張、こだわりはクラッシュの対象になり、それを受け入れるか、それとも、参加しないことを選ぶか、どちらかにしなくてはならない。そして、そこには全員をまとめて仕切る人が必ず登場する。(そう蠍座の力を持つ人ね。)ここに横並びの公平さなんかない。この集団性の力によって、個人ではとうてい得られない高みが現出する。
でも、これを長く続ける必要はないということなんです。プロジェクトが終われば、瞬間的に解散すればいい。体験のエッセンスは、ちゃんと身になっています。

アメリカ的な世界観は、自由主義を妄信する、つまり自由の女神のイメージが焼きついている世界だと思うのですが、それは現実離れしています。より上位の宇宙に接続されると、結果的に、わたしたちは細胞のひとつでしかないという自覚が生まれ、その席の位置さえ決まっていて、他の席に移動してはいけないということを知ります。その現実を忘れ、「自分の未来も、また行動も自由だ」と考えるには、地獄の暗い回廊の中に迷い込むしかないのです。

人間の一生のサイクルということで言えば、30代とか40代は、個の意識の中により強く同化します。個の意識を軸に組み立てられているのが、こんにちの社会であり、それは個人の欲望とか権利を最大限重視した法制度などを見てもわかるでしょう。誰かが土地を買うと、この権利は守られることになっています。で、わたしのように60代くらいになると、次の宇宙との繋ぎの役割に移るので、能の翁みたいな立場になり、超個的な姿勢が高まります。だから会社の社長とか、代表者とか、そういうのをしてはならないのです。超個的な要素を持つ存在が、政治的な場の中心に入ると、かならず破壊的な共同体になります。シャーマンと政治家はわけなくてはならない。シャーマンが政治家をすると、そこに狂った共同体が生まれます。

死んでしまった菊池氏が、東北から東京に来るときに、わたしは「三年くらいはわたしのところにいてもいいけど、その後は離れてくれる?」と言いました。
菊池氏は蠍座に四つくらいの天体がある人なので、しつこく張り付くのが自然な姿勢ですが、わたしは水瓶男なので、そういう根性に対しては冷たいです。
で、ある時期に、何か教祖みたいな人が、菊池氏に「松村氏のところから離脱して、自分のところに来ないか」と提言したらしいのです。それを聞いてわたしは、「えっ?どうしてそっちにいかないの?」と思いました。それはもう三年の期限が近づいていた時期でもあります。
蠍座の集合は、6ハウスなので、自立してやるのでなく、どこかのサーバントになるというのが生命感覚を充足させるのです。だから、どこでもいいので、どこかに所属したほうがいいのです。いい働き手になります。
その教祖は自分のところに来い、そうすれば、もっとうまくいくと言ってるわけですから、支配欲とか、自分が代表的な存在であるということに執着している人ですよね。地上ではそういう人は必要なので、それは何の問題もないと思います。何をしていいかさえ指示しないわたしのところにいてもしようがないと思っていたのに、菊池氏は移動しなかった。

わたしが放置主義なので、おそらく、わたしはその影を無意識に作り出してしまいます。つまり、わたしにはしつこい人が接近するのです。菊池氏は、依頼を断れない人なので、たとえば、8時間もずっとカウンセリングして、最後に、今日はお金ないので、5000円しか払えないと言って去るような、つまり人のことをまったく配慮しないようなあつかましい人たちも普通に継続的に相手にしていたために、完全に健康を壊してしまいました。そして死んでしまった。生きているときに、呂律の回らない菊池氏を見て、「ちょっと腎臓痛みすぎだ。限界を越えてる、なんとかしろ。休め」とか何度か言いましたが、バランスのとり方がわからないらしかった。というか、いま思うに、東北でのんびり暮らしている人間に、東京の息詰まるストレス生活を体験させるのは、やはり無理あったかなーと思います。わたしはそのリズムの違いをよくわかっていなかったのかもしれない。
Huluで弁護士のドラマ「スーツ」を見ていますが、マンハッタンは過酷だ。しかし、東京もほとんど変わらないでしょう。



















2015年9月24日木曜日

20150924 一日5グラムは日本では無理かな

ケトン体質になるために、一日炭水化物とか糖質の合計が5グラム以下にするというのは、日本ではかなり無理なことではないかと思いました。昨日。
そもそもわたしがこれに興味を持ったのは、藤田紘一郎の50歳以後は炭水化物を食べるなという本からで、その本を編集した編集者とも知り合いになったからよけい馴染んだからというのもあり、オヤジはケトン体質になろうというものですね。あるいはオヤジでなく老人。
わたし式に言い方を変えると、たとえば縄文人体質になろう、とか。卑弥呼の時代さえ、炭水化物といえば、あのまずいドングリですね。
で、日本で、厳密すぎない感じで、ケトン体質に変わるための一日の炭水化物の量は40グラム以下ということになっていて、たぶん、わたしにとって妥当なのは20グラムくらいですかね。

で、一度でもパンとかご飯食べると、糖新生スタイルのケトン体質は、普通の糖質消費体質に戻ってしまうということからすると、わたしはケトン体質にはまだなってないはず。
しばらく前までは、朝、茶碗半分くらいのご飯を食べていた。また、数ヶ月前までは、たとえば昼に食事したら、午後四時にランニングをするとして、この4時間の間、何も食べないと、5時半くらいに走っているときに貧血を起こすという症状が出るので、ランニング直前に、パンとかおにぎりとかをコンビニで買ってました。買うのはいいけど、半分くらい、気持ち悪いとか吐き気するというのはあった。とくに大福餅は思い切り戻しそうになることが何度か。走りはじめてからではなく、食べおわった時のことです。しかしそれをしないと、貧血になる、というのがありました。

でも、ケトン体質の場合には、まず5時間とか6時間程度で貧血になるはずもなく、つまり、この昼と夕方の間に、糖質中毒の人の恒例として、3時のおやつというものが必要だという体質ですから、糖質消費の体質だということですね。また時々、千駄ヶ谷駅構内のそばを食べたくなるというのも、これも糖質消費体質あるいは糖質中毒患者の反応でしょう。本来は食べたいという気分さえ起こらないはず。

で、ガン治療用に考案されたケトン食を、これからあらためてしようと思うと、まず、パン、ご飯、麺類をなくすというだけでなく、たとえば野菜でも、にんじんとか、ごぼうとか、れんこんとか、かぼちゃとか食べないようにしなくてはならず、ついこないだまで、夕食に、大根すりに醤油をかけたものだけ食べていたのですが、このだいこんも、駄目ですね。バナナ食べるとか問題外。りんごもアウト。

で、カロリー理論は前世紀の遺物という話だけど、教えてgooとかでは、この糖質制限と、カロリー制限の話がそうとうに混乱した形で議論が続いているみたいで、糖質カットすると、体内でAGEsが増加するという、正反対のことを言ってる人もいるくらいで、読んでいると混乱するでしょう。わたしの場合、糖質を全部カットしても、食べものは、糖質がある時と同じくらいのものしか食べてないとなると、あきらかにカロリー不足になりますが、しかしカロリー理論は机上の空論で、実際の生き物でチェックしないまま考案されたものであれば、特にカロリー不足でもなんの問題もないわけですよね。反対にカロリー過剰でも、問題がない。イギリス人だったかが、自分で実験をしてるyoutubeがあって、糖質をカットして、一日6000キロカロリーを21日間食べ続け、結果として、お腹がすこしへこんでいた、体重はさして増えなかったというのがあって、この人は、こんどは次に、炭水化物ばかりを食べ続けるという実験もしている。

いまのところ、カロリー理論を全部切り捨てるか、すこし残すかということが気にかかる。というのも、わたしは全部これらを走るときの体感とか体験でチェックしているだけなのですが、今年の夏、炎天下を走るときに、わりによくダウンしていた。ダウンしていた理由が炎天下だからと思っていたけど、ダウンしないで走っている爺も婆さんもいた。しかも彼らは時々帽子をかぶらない。皇居で、80代らしき背中の曲がったおばあさんが、わざわざひとり炎天下を走っていたのを目撃した。神宮外苑でも、スローモーションで走る老人夫婦いるんです。常連です。テレビでは、熱中症で運ばれた人多数と報道しているとき、こんなすごい時に走るなよ、と思いました。
で、わたしがダウンしたのは、炎天下ではなく、単にカロリー不足で走っていたからだという可能性がある。なんせ、もう直前にパンとかおにぎりは食べていないし、朝、ご飯も食べていない。水を飲んでいると、日中の貧血は起きなかったから、水を飲めば貧血もなくなり、また体温も普通の人くらいにあがると思っていたので、水は一日2リットル飲むが、食べ物は増やさないという感じでしたから。

今日の朝、コンビニで見たら、さばの味噌煮の缶詰は、炭水化物が、18グラムでしたが、同じ大きさのさばの水煮は、炭水化物が0.1グラムでした。蒲焼とかも、いきなり炭水化物の比率があがる。でも、みんながよく知ってるシーチキンは、0.1グラムしかない。油の中に浮いていてもこのくらい。
糖質制限の考えだと、これまでのように油は減らしましょうね、というのが、油はできるだけ増やしましょうねに変わるので、サラダのドレッシングに、がんばってノンオイルを探してきていた人は、これからは油どろどろのものを使ったほうがいいという話になります。サラダでも、キャベツは食べて良いけど、ケールは食べたらだめ。

わたしが三十代の頃の悪い癖として、平気で10時間とか食事を忘れるというのがありました。すると、パソコンの画面が白くかすんできたりしていた。血糖値が落ちすぎている状態。でも、この血糖値が落ちすぎるときの精神状態、体調はよく知っている。頻繁に体験しているから。ほとんど倒れそうになり、歩けなくなった段階で、食事していました。このときは、たいてい体が震えてわなわなしている状態で、寒気がして、話せなくなる段階。たぶん言ってることが支離滅裂になり、時々精神異常者のような発言になってくる。お腹がすくと危険になる、というのは炭水化物中毒患者です。犯罪者の多くは、低血糖らしいです。
たとえば、広尾の図書館に原稿を書きに行く時には、9時にオープンし、夕方に出て、食事をする。8時間くらいは経過している。
この8時間とか10時間程度で血糖値がかなり問題になるくらい落ちるというのは、やはり炭水化物中毒の人の症状ですよね。糖新生回路、つまりミトコンドリアエンジンの人なら、糖質が欠落していたら、体脂肪から糖を生産するので、血糖値は落ちない。たぶん、二、三日、ほっといても、あまり変わらない。人は睡眠時間中は、この回路で、自分を維持している。でないと、寝ている間に死んでしまう。

テレビで、アフリカの猛獣の番組見ていましたが、獲物が一週間くらい見つからないときもある。一週間何も食べないと、炭水化物依存型の体質だと、もう動けないでしょう。常時、一日三回も食べ物を摂っているというのは、やっぱり人類の歴史の中で、ごく最近の特殊事情であると考えてもいいので、昼に食べて、夕方走るのに、この間に、3時のおやつ的に何か口に入れないと貧血するんです、というのは、やはり異常な体質になってしまったということですよね。
ケトン体体質、つまり人類の本来の体質に戻すには、今の環境はなかなか大変ですね。こないだのANAの機内食も、食事は80パーセントが炭水化物。その後アイスクリームのデザートが出て、それから数時間して、甘食パンのおやつ。それから80パーセントの炭水化物の食事が出るというもので、わたしが飲み物ほしいと要求したときには、これもどうぞと言われて、せんべいが出てきました。わたしはほとんどを戻してしまったので、caからすると、偏食の奇怪な人です。こんな調子で、普通のお店、普通に提供される食事のほとんどが駄目、ということになります。

ゆるい糖質制限食を提唱している山田悟医師の奥さんは、そもそもがはじめからスリムな人だったけど、夫のゆるい糖質制限食を自分で実践したのでしょう、たまたま大阪中之島の朝日カルチャーセンターの前の信号で出会った時、鯵の骨煎餅みたいなカリカリになってました。痩せた人がこれすると、怖いくらい激やせになってしまうわけですね。
太るのは炭水化物だけで、カロリー過剰から太るわけではない、と思っていたのは、わたしの場合、子供の時から、母親が犬を飼っていて、犬は肉ばかり食べさせると、やたらに痩せる。で、時々炭水化物としてご飯とかを食べさせるというのを知っていたからですね。犬は、どれでもかも知れないけど、どんなものでも食べる。雪が降り積もった朝に散歩に出ると、必死で雪を食べはじめる。で、父親が「大変だ。これを全部食べるのにどのくらい時間がかかるのか」と言ったのを記憶しています。

フルマラソンの時に、5キロごとに、サランラップに包んだカットお餅を食べる、ということを指導している本があります。これもあきらかに糖質依存症の人が走る場合ですよね。糖質依存だと、血糖値が落ちるのが早いので、5キロごとに補給しなくてはならない。
昨年の終わりにホノルルのフルマラソンに参加した時に、42キロというのは、何か食べなくてはいけないようなレベルの距離ではないと思いました。コイサンマンは、動物を追いかけているときに、何か食べることはないよね。動物は42キロで死ぬ。それまで、ずっと追いかける。マラソンの時に、ハンガーノックを体験する人は、基本的に炭水化物依存型の体質だからということなのでしょう。糖質を身体が蓄積できるのは1600kcalまでといわれていますから、糖質依存体質の人なら、補給しないと、フルマラソンは走りきれない。でも、わたしがホノルルマラソンで、一緒に走っていた4時間ペースランナーの人は、何も食べずに、トイレにも行かず、涼しい顔をして、他の人に気を配りながら、励ましながら、走っていました。
わたしはこれまでは自分で走っているときに、時々小型のハンガーノックを体験していて、これが起こると、走れないどころか、その後歩くことも難しくなります。貧血もハンガーノックも起こさないで走るには、ケトン体質になる以外に方法はないということですね。サプリメントを摂りながら走るというのは、何かしら不気味と思っていたので、ケトン体質にして、何も持たずに走るのが理想かもしれない。

ある人のブログ見ると、江部先生のスーパー糖質制限を実践して6年目の人は、フルマラソンに参加した時に、朝はりんご一個、そして走るときにはミネラルウォーターと梅干だけで、完走したらしい。ほとんど疲労感なし。江戸時代の車屋さんですか。ハンガーノックは、やはり機能性低血糖の人しか体験しないことなのかな。体が震えて、何もできなくなる。なので、急いで、糖質を摂る。そのことで、さらに、機能性低血糖になる。この悪循環から抜け出せなくなる。

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北海道で、精神宇宙探索講座を企画してくれている高橋ケイザブロウさんから問い合わせがあり、そこでは、参加者のかなりの人が、音叉箱でシータ波に入れるので、バイノーラルビートでなく、音叉でもいいですか、という質問でした。
それ、面白いですよね。
マドモアゼル愛さんの音叉を学んでいる人たちだそうです。
以前、マドモアゼル愛さんと対談したとき、ちょっと、この音叉の音を聴いた。
で、わたしがその時に思ったのは、わたしがいつもはアクセスしないような場所をアクセスしているということでした。わたしが宇宙を探索するときに、マドモアゼル愛さん、宇宙に行かず、違うところに行ってる。うわー、濃いところだーと思いました。どぶさらいもしてるんだ、この人。
マドモアゼル愛さんの水瓶座の太陽は4ハウスにあります。なので、特定の地域を越えた下の領域に入り込みます。
なので、マドモアゼル愛さんのイメージとしては、わたしのことを誤解します。わたしがほとんど収入がなく、何度か餓死しかけていた時代、わたしの体験としては、あちこちの宇宙に飛び、それがひどすぎて、身体とか地上に十分に降りてくることができなかった。なので、食べ物とかお金どころの話ではなかった時代なんです。10秒くらい経過したかなーと思ったら、実は3時間経っていた、というのでびっくりしたというような時期。
が、マドモアゼル愛さんのイメージでは、その時期、わたしは仕事もなく、社会の底辺で差別され貧しい生活を強いられていたというような感じに捕らえていたので、驚きました。金ない、食べ物ない、ということだけ言うと、そう見ますよね、普通。でも、わたしはその身体で見る感覚の世界に不在で、チューニングしていなかったのです。まあ金井南龍に近い世界ですね。
音叉に慣れているのなら、この音叉で入るというのは、興味深い。見てみたい。どこに行ったか、聞きたい。きっと黒曜石と共鳴した世界に行ってる。音叉買ってみたい。























2015年9月23日水曜日

20150923 下層民と、高等遊民

下層民と高等遊民という区分を作るのはどうでしょうか。こんな不埒なことを言うのも、わたしは昨日のハッシーがコーディネートした三次元占星術講座で、あいかわらず、「ワーキングプアは、ヘリオセンリック占星術はしてはいけない」と言ってたからです。
職業、恋愛、対人関係などで悩み、占星術を参考にしようとする人は、間違いなく、下層民です。わたしの仕事は何が向いているのでしょうかなどと質問する人は典型的な下層民です。つまり人間にとって基本的な生活レベル、機械の要素に不足を感じ、それを占星術で可能性を探すというテーマでは、ジオセントリックの通常の占星術しか役に立ちません。
そういう通常の独力で開拓するべき領域は本来ならば占星術を使うなというのが、正しい見解です。占星術はその人の魂、すなわちアストラル体をあらわすので、機械部分としてのものを記述していません。社会が作り出した価値観、モノ、金、暮らしなどについて、占星術はあまり関与しない。

で、ヘリオセントリックは、通常の地上生活において、だいたいあらかた、こなしている。その地上において、あらぬ空想を抱いていないという段階で、はじめて意味を持ちます。地上生活はだいたいこなしている。そこに期待できない。なんか退屈。たいてい果たしたが、それが根底的なものを満たすわけではないと気がついた。その段階で、ヘリオセントリックは意味を持ちます。成功していない人がヘリオセントリックをしてはならないのです。
著書でも説明していますが、虹の7階梯のうち、下の三つはジオセントリックで考えることができる。しかしその上に行こうとした時、ジオセントリックはもうまったく可能性がない。上の4つはヘリオセントリックが埋めることができるのです。

下層民と、高等遊民とわけるのは、まあわたしのひとつの冗談ですが、生理学的奴隷としての、モノとしての人間と、アストラル的な人間をわけることです。お金のない高等遊民もいれば、金持ちの下層民もいます。極貧の高等遊民って、いるに決まってるじゃないですか。で、もう生活できない、妥協してバイトに行ったりした段階で、下層民に転落します。高等遊民ならば、妥協しないで、駄目なら餓死しろよ、というところです。でも、そこまで決意が固いと、環境が根負けします。タロットカードで言えば、20審判のカードの極意です。

惑星生活は、惑星が移動することで生じる、一方的な時間と重力場に入るので、存在は二極化する。この二極化によって、個人には特有のカルマが発生する。恒星は、この二極化を統合化するので、惑星生活での二極化に埋もれた人からすると、影、反対要素が急激に接近してくる。恒星は、この二極化の光と影を両方持つのです。オリオンは創造、分裂と、反対の融合を両方兼ね備えています。惑星から恒星へ向かうことで、固有の価値観、信念体系はすべて打ち砕かれるのです。だから、二極化の一方にのみ固執する地球生活から見れば、恒星は邪悪で破壊的で、影をつれてくるものと勘違いします。キリストはあなたがたに傷を与えるといいましたが、そんなもんです。
でも、惑星が恒星とバイパスすると、はかない惑星に、恒星の永遠性の手がかりを与えます。そしてそれは惑星のパワーを非常に強くもたらします。惑星の狭い範囲の意識をぶちこわし、そこに、より大きな力をチャージするのです。
昨日は、シリウスが火星とつながった時、日本の修験道のような、行動を通じて、極限的な開放をもたらすということを例にあげました。スパルタスロンなんか目じゃないぜ。スパルタスロンでは、食料を好きに持ち込んでもいいですが、修験道では恐ろしいことに食事は制限されます。修験道をなめんな。山岳宗教の極意なんです。
ハッシーは、土星にシリウスが関わっているので、やがてハッシーは、シリウスばばあになるといったら、みんながウケていましたが、土星の役割に、シリウスは超越性を与えるのです。
この発想は、新差別主義だ。精神的格差社会ですね。占星術は差別主義です。人はみな同じと言ってない。

お医者さんからのメールです。

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ローカーボのメールの人が話す内容。
食は文化であるって、宗教と同じレベルだよなぁと
あらためて頷いてしまう。

別のところで、不食について考えている人が、
ある実験について書いていました。
あまりに暇になったとき、食べ物を口にいれて
しまったということでした。

これは、先生が書かれていた、
体は忙しいが内面的には恐ろしく暇、
ということにつながる。

内面の暇を癒すために食べている。
、、、でも、これは肥満が精神的防衛って
昔から言われているのと同じですね。

暇の恐怖を散らすために食べているって
ことですね。

でも、好きなもので珍しいものをいただいた
ときの至福って、なんだろうかと。
一種宗教的な至福がありませんか。
ワインでも、極上の天ぷらでもいいんですけど。

恐怖を払うのが宗教。
宗教の至福。
でくくれるのかな。

あと、前から言ってますけど、
医学も完全な宗教ですよ。
感染症と外傷、工学(体外循環とか透析とか)以外は、
中世の迷信の域を出ないのでは。
本草学(中医含む)は体験と観察の蓄積なので
科学だと思います。
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好きなものをいただいたときの至福。これをわたしは体験したことがないんです。食物で、至福を感じたことはないです。音楽ならばありますけど。うまいなーと思ったことはあるけど、至福とまでいかないなー。でもLSDもまあ食物だよね。それなら、至福もありかな。
マリファナは、タバコよりも百倍健康にいいですが、つまりは健康食品ですね。

生理的なもの、物質。これらはまずは精神の投影、思考の投影によって発生すると思います。
原子は想像の産物。
で、陽子に中性子が混じり、外側に陰の電子があるという構造は、
わたしはキリスト教的錯誤から生まれてきたものだと考えています。
なので、思想が変わると、原子の構造は変わります。
ミクロな世界においては、人間の精神が自身をそこに刻印するのです。

ローカーボの人の話は、あきらかに狂信的な宗教ですよ。
で、これは面白いと思ったので、わたしも信者になろうと思いました。
ご利益、効能ははっきりとしていると思いますし。
これからは、糖質や炭水化物は一日5グラム以下にするというのをやってみようかと。
ソイジョイは、10グラムなので、ソイジョイは食べてはいけない。
鳥ササミにマヨネーズぶっかけは、何の問題もないというのが、凄い。

肥満している人は、暇の恐怖を散らすために食べているのは、そうだと思います。
つまり空虚を食うことで埋めようとする。
太った人は、みな恐れに取り囲まれている。皮下脂肪は、感じないこと、ストレスを緩和するための麻酔みたいなものだ。だから皮下脂肪を溶かす時に、このストレスの再演が起きて、それに持ちこたえられなくなるケースもある。
で、わたしは生命感覚を蠍座とみなし、依存症とかは、蠍座がどこのハウスにあるのかで判断してほしいと書きました。(本で。)つまり生命感覚が満たされないと、生きた感じがしない。緊急で、生命感覚をなんらかの手段で満たさなくてはならないのです。
わたしは蠍座が9ハウスなので、思想的な展開をすると、満たされます。ほかのいかなる事でも、満たされないんだよ。なので書いたり考えたりすると、満足感がある。9ハウスの意味でもある海外をうろつくのも充実感がある。マンハッタンは飽きたけど。
思想活動によってしか充足しないというのは、お金かからなくていいね。
蠍座がどこのハウスにあるか、ということだけで一冊の本が書けると思った。かなり特殊ネタですが。これはカスプというより、途中から蠍座が入っている場所も考えてください。

雪乃さんが、蠍座に4つくらい天体を持ち、それらがみな7ハウスにあるのですが、見ていると、ほんとに仲間というか人との交流に、満足感を感じていますね。友達がパーティを開いてくれる、というのを喜んでいる。水・固定サインというのは、セットすると、そこから生命感覚を吸い込むので、その設置場所を動かすと、吸い取ろうとしている力がこぼれてしまうので、枯渇するまでは、供給源との関係を動かしてはいけない。
なので、蠍座以外の天体が7ハウスにある場合には、また違う意味になってきます。ここで取り上げているのは蠍座の生命感覚というものだけ。















2015年9月22日火曜日

20150922 フルデジタルアンプ

オーディオ用のアンプは、アナログだと大きく重い。で、以前はわたしはマッキントッシュのパワーとプリで、両方中古でもあわせて100万円以上のものようなものを使っていたことがあるのですが、いつも思っていたのは、音楽を聴くだけの話なのに、この重厚すぎる装備はなんだということでした。
で、東日本震災の時に、ピアノが空を飛ぶという話を聞いて、その後すぐにこういうものを置くことをやめてしまいました。で、今はフルデジタルアンプです。これは、そもそも音源がCDのようなデジタルならば、そのままずっとアンプもデジタルで、スピーカー直前でアナログにするという方式でも、矛盾はないからです。つまりは電力型DA(デジタルアナログコンバータ)です。
で、前から思っていたのは、アンプはデジタルになると、高級品も、安いものも、音の違いがよくわからなくなってくるというものです。
たとえば、以前ソニーの定価120万円のS-masterのデジタルアンプを使っていましたが、音が粉っぽすぎて、わたしにはこれは合いませんでした。このアンプは、その当時使っていた、ソナスファベールのガルネリという、200万円近い小型スピーカーと完璧に相性がいいという噂でしたが、わたしにはとうていそう思えなかった。
このデジタルアンプの粉っぽさというのは、よくあるのですが、しかしIcePowerの場合はそう感じないし、ヤマハのものも滑らかである程度長い期間愛用していました。

いずれにしても、大まかにいえば、フルデジタルアンプの場合、高額なものも安いものも、音質が値段と一致しない。なので、人によっては、アキュフェーズの100万円以上するアンプに対して、一万円のデジタルが勝ったりすると思ったりするわけです。この比較はあきらかに早合点で、長く聴けば、一ヶ月くらい聴くと、やはりアキュフェーズのほうがいいとわかるはずなんですが、わたしの場合、いま使っているアンプは、中華のフルデジタルで、3万円くらいのものです。発熱しないので、電源を切るのを忘れていても、天板が熱くなっていません。中国ではフルデジタルアンプのことを、全数字放大器、あるいは準数字放大器というのだそうです。
いま、プーランクの歌曲を聴いていますが、ともかくフルデジタルはSN比はものすごく良いので、(つまりノイズがない)まったく静かな雰囲気です。
で、スピーカーは、FostexのFE103solなので、これはユニットが7000円とかなので、パソコンで、iTunesをデジタル出力、中華の全数字放大器、そしてFE103solというラインナップで、お金かけていませんね。以前のCDプレーヤーでさえ、100万円以上するものを使っていた頃に比べて、音楽そのものは、遜色ないんです。というより、ユニットの振動版の軽さからくる、高忠実度は、これ以上のものを望めないくらいなので、ビビットな音作りということでは、以前の重厚長大、ベンツが一台買えるくらいのシステムよりは、ましな感じがします。重い振動板のスピーカほどいやなものはない。

わたしの収入は、やはり占星術的な計算どおりに、進行太陽が牡牛座の数え度数15度を頂点にして、上がってゆき、そしてそれを過ぎると、だんだんと地に戻りつつあるので、いまはこの牡牛座15度頃に比較すると、10分の1あるいはそれ以下ですが、気になりません。というよりも、高額収入になると、やはりそのぶん税金も過剰に高額になりますから、それを考えると、あまり多くしないほうがいいと思います。
四元素の比率からすると、わたしの場合、土の元素の天体はひとつしかない。木星のみ。ヘリオセントリックだと、土の元素の天体はたくさんありますが、ヘリオでは、土の元素は物質に直接関与しない。物質に関係しないというと、それは間違いか。物質に関係しますが、物質の概念を変えたほうがいいです。

たとえば、ヘリオセントリックでは、牡牛座は、思考感覚です。乙女座はそれに関係した視覚意識です。で、わたしたちは視覚を使って世界を見ていますが、これは思考の反映です。つまり牡牛座と120度の関係の乙女座で、ものを見ています。
上があり下がある。空があり、地面がある。このような映像って、まずは、わたしたちが思考の中で、そういう概念を作り出してしまったのです。別にそういう見方でなくてもよかった。しかし、このような定義を思考で決定することで、視覚として、上があり下があるというものになったのです。つぎに、前と後ろ。そして右と左。空間のイメージは、基本形として、そのようなものを思考に基づき、作り出しました。牡牛座の思考感覚と、乙女座の視覚の共同により、見える世界が作られた。そして、この中に山羊座の均衡感覚として、この視覚の中のどこかに、自分が立つ場所を見出したのです。見る地点を決めた。
土の元素に関して、根底的に、考えるべきだと思っています。それは基本的にはわたしたちの想像の産物。こういうものの見方をいつ作ったのか。六方向からの圧力によって、わたしたちの存在は、ここにじっとしている、というイメージを形成することができた。六つのうち、ひとつでも力が強すぎると、わたしたちは静止できない。マグロは、ずっと泳いでいるけど、おそらく、自分は静止していると思っている。確信しているはず。つまり移動を意識化できないのです。それは自分の知覚からすり抜けています。

でも、わたしたちは6方向の均衡をとっているわけではないです。この6つのうち、ひとつを地球の重力場に依存しています。わたしたちは大地の上に立っている。これは不完全なことで、つまり、地球の力を借りないと、直立・静止できないのです。つまり「宇宙の中で、自分の位置を決められない」のです。マグロと同じです。静止しているつもりで、自分は動いている。動いていることに気がつかない。地球は動いている。が、その上に依存して、自分は静止しているつもり、ということです。この惑星にコバンザメのように張り付いていないと生きていけないというのは、やはり、苔のような存在なんですね。あるいは苔でなくても、サザエのように、地面に張り付きつつ、少しずつ移動する。サザエとかアワビかな。つまり「地球から離れた途端に、自分の知覚意識を保てない。」のです。

グルジエフの人間の定義として、食べるものが水素96で、自分が水素24、そして水素6の大天使に食べられるという6、24、96の三層の存在状態は、理想の人間を意味します。今日の人間は哺乳動物なので、12・48・192で、植物を食べる生き物です。
牛は、セルロースを分解する胃を持ち、四つの胃を使って、草を完全に消化するので、草しか食べていないくせに、あんな巨体になります。
で、夏目睦の意見によると、人間の身体の腸の性質を解析すると、そもそも人間は肉食の身体で、草を食べることはできないと言います。日本人は腸が長いので、肉を食べると、腐った肉が腸壁の穴に蓄積され、大腸がんになります。
そういう点からすると、日本人は、肉というよりは魚とか魚介類を食べる身体であると考えてもいいのではないでしょうか。

グルジエフの言う人間は、6・24・96で、無脊椎動物を食べるということです。現代では、この無脊椎動物は、定義が曖昧なので不完全と考えられていますが、たとえばホヤ、カニ、昆虫、貝類、イカ、線虫などで、Wikipediaでは、若い女性はこれらを苦手とする人が多いと書いてあります。野口整体の野口ハルチカは、若い女性は人間ではなく哺乳動物だと言ってるので、この無脊椎動物を食べるのは違和感があるということと関係あるかもしれません。
野菜を食べたりすると、それは人間ではなく、哺乳動物であり、牛なんだよ、ということでしょうか。穀物を食べることで、より定住を必要とするようになり、地球というより、地表の特定の場所に依存度が高まる。食べることは同化することなので、地面に生える植物と人間は同じになります。
本来の人間なら、さくら水産とか烏賊センターで、サザエとか、烏賊食ってろ、ということですか。
夏目睦の、糖質を食べるなという本からすると、そして人間は草を分解しない、肉食だということを考えると、あらためて、この貝食ったり、烏賊とかタコ食ったりするイメージ、蘇りますね。

こんなこと書いているのも、今日見た夢は、部屋の中に一匹の虫がいて、この虫がともかくうるさかったのです。でも、ほんとはこの虫を食べなくてはいけなかったのですね。食べるというのは、身体的に一体化することです。虫を食べるとは、身体が虫になることです。なんか最近、五郎丸になぜか感動しているのですが、虫だよね。少なくとも牛ではない。修験道の行者に見えたし、急に、高野山に行きたくなりました。

日本人の場合、西欧人と違って、魚の生き造りを食べるとき、それと一体化するという思想で食べます。西欧人は、屍肉食ですが、そこでは、違う生き物と同化しない、その生命と一体化することを拒否するという思想によって、屍肉食になるのです。だから、肉を食べることは、抵抗感があるというビーガンも出てきます。日本の場合には、根本的に、むしろ人工的な食べ物を避けるペクスタリアンです。穀物から何か料理を作ったりするのも本来は不自然で、それよりも、ホヤ見たら、いきなり噛り付くほうが正しいことになります。これはもう書いたように、他生命と一体化するという考えからで、西欧人が考えるような残酷なものでなく、むしろ、融合精神です。
それにしても、毎日、何を食うべきか、というのを考えています。これまでのように、普通の和食を食べると健康というのも、もう受け入れられなくなっているわけですから。和食では、食後のデザートは必要ないのは、和食の中に膨大に糖質が含まれているからです。
夏目睦のように、「そもそも食べることを楽しみにしたり快楽にしたりするのは異常なことである」という点からすると、旨いまずいということを考えることは間違っていることにもなるんですけどね。旨いものを食べたいというのは、現代病ということですね。わたしは前から、食通とか健啖というのは、むしろ味覚破壊の結果生じると言ってますが、それと似ているかな。

ビーガン思想は、西欧の「自分以外の存在を拒否する」という習慣を基盤に作り出されたものでもあるので、これはある意味いびつな考え方です。その行き先では、平和を作り出さないという結果が待っています。
身体、あるいは食べるものを水素96を重心にするということは、炎の身体みたいな感じになります。

圧力の6方向のうち、ひとつが自分のものになっていないということは、結果的に、感情、思考などが、この押し付けられた地表に張り付いた上でしか成り立たないような性質になってきます。草を食べる牛のような考え方になります。しかし自覚はしていないです。マグロが自分は静止していると信じていて、泳いでいることを自覚しないように。精神宇宙探索で、目的の場所にうまく行けないのは、実は、この地表に張り付いていて、そこで生成される感情とか思考のパターンに染まりすぎて、身動きとれないことが関係します。この圧力の中でしか感じることもできないのだから、よそのことを考えるというのはとんでもないんです。

この食べ物をいろいろと考えてしまうのは、普通の食べ物を拒否して、さらに排泄もしなくなって死んだ父親にも関係していますね。普通の食生活に難癖をつけることに命をかけたということですかね、。

さて、こんなことを書き終わったら、例のブルックリンの人から、メールが来ました。異様に長いけど、それそのまま、ここに掲載したいです。内容は、そんなに目新しいことは書いてないというか、夏井さんの本とかにほとんど書いてあることですが、ひとつだけ言っておくと、LSDは、簡単に精神コントロールできます。わたしはその効果を消すこともできます。逆に、なくても、同じところに持って行くことも、実はそう難しくないです。
カーブスをゼロにするには、ごぼうも、にんじんも、レンコンも食べてはいけないし、豆は大豆だけになってしまうとか、日本ではおそらく無理なチャレンジでしょうね。和食で煮物なんか食べたら、アウトですね。

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松村先生、こんにちは!!

もう帰国されたのですね。 ブログ読みました。

夫のゼロカーボ歴(一日総量が5G以下)は9年じゃなくて、7年めです。
クレームがきた、と書いてください。 笑。 

炭水化物の危険性やケトン体などについて色々調べた2009〜2010あたりには、
”ケトン体になるには、一日炭水化物総量が5G以下を30日続ける”、との事でした。
やめるとまたグルコーゲンをエネ元にする体に戻るということです。

今はよりデータが集まり、ケトン体の条件が変わっているかも知れません。   

私は一日炭水化物総量5G以下だったり、そうでなかったりするので常にケトン体でないです。

普通の人は、グルコーゲンを主なエネルギー元にしています。 それがあたりまえ、とされています。 
なので外部からの栄養素も、炭水化物で取らないとダメ、ということです。 

ですが、ケトン体になると、外部から取る炭水化物は一切必要なくなります。
ケトン体になっても、グルコーゲンは脳や体に必要な栄養源ですが、人間が必要なグルコーゲン量は勝手に肝臓でプロティンからつくられます。 

人間に不可欠な栄養素は1)アミノ酸=プロティンと、2)脂肪ですが、炭水化物はその1つではない、ということです。 

ケトン体になると、グルコーゲン主体の体からケトン主体の体に変わります。 

ケトン体とグルコーゲンをエネルギー元にする人間の違いは?というと、例えば車にハイオクをいれるか
トウモロコシが原料のガソリンを入れるのかと似ています。 
エネ元によって、走りに違いが出たり、エンジンのモチに違いがでるという事です。

体頭の調子がよい、気分がよい、という形でもでてきます。 

ケトン体までせずに普通レベルより炭水化物を落とせば目に見える変化はでますが、
ケトン体に完全になるとさらに違いが解るということです。 

なぜケトン体、もしくはそれに近いレベルまで炭水化物を極限に落とすのか?を他の視点から少し書きます。
(全て簡素化します)

**前提は、人間の構造上、解剖学上でみた場合、人間は何食か?と考えると、肉食だということです。 

人間は肉を完全に消化できる臓器(消化器官)が備わっている、という意味です。  
理由はそれだけです。 当たり前すぎですが、過激です。 

過激だというのは、一般的に正しいと信じられている食べ方:主食副食の観念、肉、動物性脂は悪、
野菜信仰、穀物や全粒穀物がよい、とかけ離れているからです。 

過激、、先生のリーディング結果と同じですね。

人が食に対して持っている考えや好みは、その人の宗教と同じぐらい強い(皆自分が正しいと思っている)です。
宗教以上なのかも。 育った環境、執着、洗脳、固定観念、伝統、文化、思い出などの結びつきがあるからでしょう。

それを覆すような事を見せられると皆さん、色んな反応をします。 逆ギレする人も多いです。 
すぐ死ぬに決まっている、そんなこと今の現状ではすべての人に供給できない、世の中美味しいものが沢山あるのにおかしい、
動物が可愛そう、その他。  ロジック違います。 人間は肉食、といってるだけです。

話は戻ります。 

人間の解剖学上、肉食=肉、魚以外のものは体に合っていない、だとすると、炭水化物がダメレベルどころか、
野菜、果物、穀物、豆類、乳製品はOKなどは一切関係ない(乳児時の母乳以外)、ということになります。 

かぼちゃはカロチンが入っているから, いちごはビタミンCが豊富だから、以前の事、という意味です。  
人間が肉食オンリーとすれば、それらはいらない、ということです。  
オーガニックかどうか、玄米か白米かどちらがよいか?なんて関係なくなります。

人間は肉食ですが、豚の様に雑食でも生きる事ができます。ですが、”肉が一番消化器官に合っているが、肉以外の物で代用できる”、となると、
*肉以外の食べ物で代用する価値はあるのか?です。
 
雑食をすると、肉以外のものを食べる事という意味ですが、”代償が出る”、ということです。 

その例が一部ですが、1)炭水化物を取る事による悪影響(インシュリン問題。 これをを大量に出すことで血管細胞、動脈を破損させる、血糖値が安定しない→低血糖症、肥満や糖尿、
白内障その他の原因) 2)繊維質からの悪影響(内蔵、小腸大腸を傷つける)、3)野菜や穀物の天然の毒素(フィトン酸、レクチンその他)などの影響。 

野菜、穀物は消化されないカスが多いが栄養素が少ない&消化が遅い=腸に負担、野菜は栄養素があまり吸収されない(セルロースは熱処理のみで破られ、栄養素がでる)などのデメリットもあります。 
詳しく説明しません。 

野菜は、日本語の言葉がわかりませんが、NIGHTSHADE系などは、その種類特有の毒素などあるそうです(ナス、芋、トマト、ピーマン系)http://paleoleap.com/nightshades/
リュウマチの人なんか要注意だそうです。 

例えば、ブロッコリーなど、がん予防に良いと人気ですが、がん細胞も殺し良い細胞を殺すそうです。 抗癌治療のようですね。  

野菜も、どれをどれ位食べると糖分の害がでて、どれのどこの天然毒素を天秤にかけて
たべるか、という事にもなります。  

肉食に完全にしなくても、ケトン体を維持しなくても、例えばいままで一日糖分総量が100Gだったのを50や20に落とすだけで
ご存知の通りインシュリン分泌が減ります。 

肉食オンリーにしたとしても、見た目では、動物性蛋白質80%に対して動物性脂20%を食べる、などにしないと
ラビットスターベーションなどの病気になります。 語源は多分、うさぎ肉=脂肪が少ないのでそればかり食べると病気になった所から
きたのでしょう。 http://www.ketogenic-diet-resource.com/rabbit-starvation.html ウィキにもありました: 
https://en.wikipedia.org/wiki/Rabbit_starvation

脂肪分が少ない肉や魚のみでは、生きていけないということです。 
ちなみに、ゼロカーボの人は、カロリー量は無視しています。 かなり高いと思います。 
食べる分量、一日に食べる回数は、やっていくうちに、何があっているかわかってきます。 

動物性脂とは、なに?というと、牛脂、ラード、ギー、鴨や鶏の脂、羊脂、魚の脂分などです。

植物性油を使うのでしたら、飽和脂肪が多いパームオイル、ココナツOILが良いと思います。
その他の植物性油は不飽和脂肪が多い=酸化しやすいです。 

ちなみにアメリカでは、低脂肪信仰が根強くササミ、皮なしの鶏胸肉が鶏部分で一番高いです。
日本では逆で脂が多いもも肉の方が高いです。

肉食は悪の代表格になっていますが、それにまつわるデマ、もはや陰謀説みたいなものも沢山あります。 例えば、
肉は腸でくさる。。肉の消化が野菜や穀物より早いのは、人工腸、肛門などある人などの排泄バッグの中身をみればわかります。。
野菜がゴロゴロ残って肉はないそうです。 

炭水化物を全く食べない人の長年のデータがあるか?ですが、殆どないとおもいます。 そんな実験のモルモットになりたい人
もみつけるのも大変そうです。 

ゼロカーボを1年やった人の検査結果や、夫のような人の血液検査結果はあります。 大量の動物性脂肪を食べているのに、
中性脂肪は驚異的に低いです。 医者が驚いています。

アメリカに家族でゼロカーボをやっている人がいるのですが、その息子二人は、母乳時期以外、
肉、魚、動物性脂肪、ペメケン(アメリカンインディアンが保存食にしていたバファローの干し肉を砕いたものに、バファローの脂を
混ぜた固形食料。。昔のパワーバー? バファローは手に入りにくいので牛肉と牛脂を使っているんだと思います。
脂は羊脂だったとおもう)しか食べていないどうです。 YOUTUBEをみたことがありますが、元気そうな子供でした。
今は、たぶん、13から15歳だとおもいます。 

代々肉脂オンリーの生活をしてきた民族はあります。

エスキモー(イヌイット)や、アメリカンインディアンのブラックフィート族など昔は炭水化物ゼロでした。 

これを書くにあたり、ケトン体と肉、脂肪量について書いてあるブログ記事をみつけました:http://zerocarbzen.com/2015/09/14/is-a-zero-carb-diet-a-ketogenic-diet/ 
わかりやすく説明しています。

この記事にある本=FAT OF THE LANDはVilhjalmur Stefansson=アメリカ人民俗学者が20年台にエスキモーと生活した記録です。
オンラインで無料で読めます。 Stephanssonは、アメリカに戻って来てから、実データでゼロカーボで健康だった事を立証する為また1年間エスキモーの所で暮らしています(その後NYの大学病院?で測定)。 

ケトン体になるには、調整期間もあります。 症状は人によって違うとおもいます。

最初は、通常値よりはるかに多い動物脂肪を消化するための胆汁が十分にでません。
よって、脂が消化されず、下痢が2種間位続きます。 体重も一時的に急激に減ったりします。 

ここで恐ろしくなって、自分に合っていない、と辞める人が多いです。  
ですが、そのまま続けると、動物脂肪を消化できるようになります。

ケトン体になると体臭がひどくなるなど言われていますが、夫の場合は、一時、金属系の匂いがしましたが、
2週間ぐらいでなくなりました。

ゼロカーボネットコミュニティーが最近まであったのですが、メンバーの報告によると、
ケトン体になったら前あった体臭が減った、ということです。 余談ですが、ウルトラローカーボになったら
嗅覚が鋭くなりました。 人のニンニク臭さなどに特に敏感になるのがネックです。。  

胆石ですが、現代人は、動物性脂肪をあまり取らないので胆汁が固まるからなるそうです。
胆石予防には、動物性脂肪を食べる、になりますが、こういう指導をする医者はいないでしょう。

何度かお書きになっている糖尿病患者の指導、インシュリン、炭水化物についてですが、
人口インシュリンが開発される前は、医者は糖分を断つ食事法で患者の治療をしていたそうです。
糖分制限で糖尿タイプ2が治るケースが多いと知っていても
ドーナツや白桃を食べ続けたいからインシュリンを打ち続けたい患者に多いと思います。

炭水化物の中毒性が高いと思います。 個人的にはニコチンより強いと思います。

*”癌は一度発ガンすると、グルコーゲンのみを餌にして成長する”というデータがあるのですが、
これを食事法にすることで進行を遅くする効果はあるとおもいます。 こんなこと医者は薦めてません。 
これを元に食生活で予防することもできると思いますが、そういう発想がないようです。 

癌&食事というと、スティーブ・ジョブスの事を考えてしまいます。 

中性脂肪やコレステロールについても正しい知識が伝わっていないと思います。 
一般的に動物性脂ギトギト=コレステロールや中性脂肪問題だと思われていますが、
違います。 

**簡単に言うと、コテステロールは人間に不可欠なもので(血管、内蔵の壊れた所を修復するもの)です。
コレステロールの必要性、役割については、これをご覧ください。 https://www.youtube.com/watch?v=awA2fsa94MI&feature=related 
このRONさんの説明、非常に解りやすいです。 これ以外は何も必要ないぐらい解りやすい。 

コレステロールは、破損した血管を修復をするためにも必要です。 例えば、心筋梗塞など動脈系の病気になった人を解剖をしたところ、
切れた血管、動脈付近に大量のコレステロールが張り付いていたことで、これはコレステロールがもたらせた問題だ!とやれ、コレステロールは悪い、
人工的にコレステロールを下げる薬を処方する(そして肝臓機能を悪くする)、などになったそうです。 

**実際は、コレステロールは、破損した血管部分の修復の為、コレステロールがそこに集中していたのです。
それで、コレステロールが破損の原因とみた?! すごい解釈で笑えません。
医学の世界はどうなってるのでしょうか?

最近になって、政府は、やっと、コレステロールは悪くないと細々と打ち出してきたり、
前は卵の黄身が悪い!といっていたのですがそれも言わなくなりました。 
ですが、以前低脂肪信仰は強いです=解っていない。

*炭水化物を減らす事で中性脂肪が下がる事はわかっていますがそれも注目されていません。 

ある種のコレステロールは必要ですが(普通の血液検査ではこの数値はでてこない)、 
普通の検査でわかる中性脂肪が高いと、よろしくないコレステロール値(悪玉善玉とは別です)が高いとみることができます。 

太っている、痩せてるに関係なく、血液検査で中性脂肪が高い人は動脈系の病気になる危険性が高いです。

**動物性脂、肉は、炭水化物と一緒に食べると、すぐに中性脂肪として蓄えられてしまうらしいので(すぐにつかえる栄養素にならない。 
肥っている人が実はエネ不足なのはこの理由)
別々に食べた方が効果的なのかもしれません。  

2008年位に低炭水化物について書かれた良い本があります。 
http://www.amazon.com/Good-Calories-Bad-Controversial-Science/dp/1400033462 
データが多く読みづらいのです。 日本語訳があるのかどうかは??です。
著者の2作目の方がわかりやすく書かれてあるそうです。
いずれも肉食オンリーなど、ゼロカーボをすすめる本ではないです。 

どうも日本の低炭水化物本はこのような本からの引用(でもクレジットはあげない)
が多い感じです。 

低炭水化物ですが、私がもし米軍特殊隊員だったら、絶対にケトン体になります。
GIなんかの非常食もペメケンにします。 アメリカ兵士の携帯食、非常食はかんぱん、ピーナッツバター、グラノラバー、チョコなどだそうです。 
それで生死に関わるコンバット時に自分の力がマックスに出せるのでしょうか? アドレナリンで頑張るんでしょう。

超ローカーボですが、私は調べている際に、嘘だと思いたいけど、どうもこれは本当らしい、まずい、、と人体実験をしながらやった結果こうなったわけです。 

夫は、これだ!と思ったらストイックにやるので、結果もでやすかったです(体の状態、気分面、仕事への影響など)
彼は30年位前、数年ビーガンだったこともあります。 それが健康だと思ったからです。 消化が悪く、いつもガスを抑える炭の錠剤を飲んでいたそうです。
ゼロカーボになる前は、穀物、豆乳、納豆ブロッコリーなど好み、赤みの肉、動物脂肪は極力避けていました。
それがヘルシーと思っていたからです。

Premise: 前提を何にするか?でその後の展開が大きく変わります。 人間はコンファメーションバイアス、といって、自分が信じたい事をサポートするデータを信じる傾向があるそうです。
逆のものは、それほど関心に止めないそうです(心理的に)

なんでもそうですが、前提がなにかはっきりすると、その後新たな情報を読んでも何がゴミかわかります。 

30以前は炭水化物を食べた方がよい、ですが
若い時は代謝がよいので沢山取ってもハンドリング出来たものが年をとってインシュリンレジスタントになるとできなくなるので
目に見えた影響がでますが、若い頃も大量に取るメリットがなんでかわかりません。 50からはダメ、というのもわかりません。

精神上ベジタリアンの人については、わかりません。  
たしかジョブズだっと思いますが、若いころインドのグルの訪れた際、グルがLSDを欲しがったのであげたら大量に食べたが
何もおこらなかったそうです。 このグルのように人間の構造を変容できる人は、肉食、雑食など関係ないのかもしれません。
仙人なんかそうですね。

植物の薬品としての効果について興味がありますが、いまは、
調味料としてスパイス(種ですね)、生姜汁やハーブティー位しか取らないので詳しくないです。 










2015年9月21日月曜日

20150921 今後はいくつかの場所で精神宇宙探索講座

今後はいくつかの場所で精神宇宙探索講座を開くことになります。
アメリカで、リロケーションの話題ばかり出していたのですが、このリロケーションは、つまりはハウスは相対的なもので、生まれた時に設定されたハウスにこだわる必要はないという考えでした。
でも、この生まれたときのハウスに固着する人はたくさんいます。というよりは、通常の占星術の考え方では、生まれたときのハウスはずっと固定され、それは変えられないと考える人のほうが多いのです。
わたしが考えるには、というか見ていると、自分の感覚(つまりハウス)に固着する人と、そうでない人がいます。といっても、リロケーションして、生まれたときの配置が全部覆されるわけではなく、それは壁の上塗りです。その程度が人によって違うのです。

で、太陽を中心にした三次元占星術の場合には、この地域性はいっさい関係ない視点です。さらに、精神宇宙探索講座になると、太陽系の外に飛び出すのですから、ますますローカル性がなくなりますね。精神宇宙探索講座に対する申し込みの人が多いらしく、わたしには、この参加希望者の人たちが何を考えているのか、まだ把握できていません。仕事とか生活とか、そういうことにテーマを置くのならば、精神宇宙探索講座はまったく貢献しないし、三次元ホロスコープでさえあまり役に立つわけでなく、リロケーションさえやめて、普通のホロスコープをしたほうがよほど参考になります。でも、ほんとは仕事とか生活ということならば、ホロスコープもやめたほうがいいです。地上の仕事などで、人間のアストラル体に適合するような種類の仕事のしかたはそんなに多くないので、「天職」などというものがあるなどと空想しないほうがいいです。職業は人工的なもので、そこに天の意など反映されません。

で、精神宇宙探索講座は、かぎりなく生活から程遠いものであり、それを十分にしていくには、地上生活部分は全部自分でできている、という条件も必要なのではないでしょうか。あちこちの恒星に意識をあわせるには、身体「的な要素の」底上げが必要で、グルジェフが言う、身体、感覚、感情の調整がなされなくてはいけません。このレベルでの重いものを持ち込むと、内容が大幅に曲がるのです。
で、究極の、理想の条件は、身体が肉体ではなく、エーテル体にかなり比重がシフトしていると、なんの努力もなしに、コンステレーションとか恒星に行きますよ。
肉体とエーテル体の間の階層は、まあたとえれば、虹の階層くらいの段階があり、人により比重はさまざまに違います。体は軽いけど、感情は重いという人もいます。体は重いけど、感情は軽いという場合には、単純に体と感情に亀裂があり、生活に矛盾がいつも起きていることでしょう。

もとの大きな自己を割って、二極化してゆき、この個性的な二極化、すなわち幸せはひとつしか種類がないが、不幸には多数の種類があるというふうに個性的にしてゆき、その不幸のシナリオを作り出すのはケンタウルス領域で、そのシナリオが作られたら、次に、それに時間と空間という劇場を与えて実践してもらうのが、二極化された時空間、すなわち一方的な時間の流れの世界としての惑星生活です。つまり生活の中で陥ったカルマ的な要素は、美術館の絵のように、その鋳型は、ヒュドラの毒で死ぬというケンタウルスで作られるので、地球からケンタウルスに行けば、このフィルムのもとの形を自分で発見するという課題が生まれてきます。地獄に落ちるシナリオは、天国の下のほうにあるということですね。不幸の遺伝子コードみたいなものは、アルヘナに保管されています。とはいえ、このアルヘナの倉庫を便覧しにいくことはしません。行けば、あなたの蝋燭が見つかるでしょう。

でも、こうした精神探索講座は、たいていわたしが午前の10時から、午後の3時まで、と指定しているので、そうなると、七つの宇宙のうち、だいたいひとつくらいしかできないということになります。あるいは多くてふたつかな。七つするには、結局三日くらい連続でしなくてはいけないのだけど、負担のきついものを、わたしが嫌がってるというのはあります。
なので、ブツ切れでするということならできると思いますが、たとえば、わたしがキンドルかなんかで、この旅行の案内書を書いて、あとはそれぞれの場所で研究会をしてもらって、継続的に「集団探索」してもらうというのが、一番効率的ではないかと思います。
あるいは日本地図に、プラネタリウムを投影して、みなみじゅうじ星とか、ケンタウルスとかを九州などでしてもらったら、プレアデス、オリオンなどを富士山から東京くらいとか、北海道では、北斗七星とかポラリスなどをもっぱら追求するセンターにしてもらうなどというのも面白いかもしれません。ほんとは地球を使うのがいいけど、すると、大がかりすぎる。
で、わたしは北海道で、精神探索講座をしたいというケイザブロウ氏に、今後は日本地図は九州を頭にするのでなく、九州を足にして北海道を頭にする考えにして、蘇我氏は北海道からシリウスネットワークをスタートして、南下してヤマトに攻め入ったという考えを言いました。蝦夷に攻めたのでなく、蝦夷が攻めたのです。北斗七星、すなわちアメノウズメは、天の鳥船で天下ったという時に、それを受け止めたのは猿田彦のアンタレスですが、この天下りは北海道のほうからという話になります。
こんな感じで、日本地図を箱庭として使うというのはどうでしょうか。
そのくらい遊べるのならば、わたしは日本地図に対応させた、宇宙探索マップを作りますよ。いまはまだ、このマップの詳細に関しては、そんなに詳しく説明していないのです。

世界じゅうを旅しても、その旅先では、当然のことだけど、その地域ごとの地元の人たちは、その地域になじみ、そこで生活しており、他の地域についてあまり考えているわけではないのです。なので、たとえばわたしがニューヨークに行っても、マンハッタンの現場では、もちろん、みんな自分の場所に張り付いて生きている人々ばかりです。それそのものは、そんなに面白いものではありません。
精神宇宙探索をするには、身体がエーテル体に近いほうがいいといいましたが、それは惑星グリッドに「グランディングの場所」を置くということも役立ちます。つまりはどこの場所にも、定着しすぎないことも、貢献します。

夢の中で、父親に会ったことを書きましたが、ひとりで来たのでなく、もうひとりいて、そのもうひとりは、わたしが頻繁に会っている親近性の高い存在、つまりわたしが変性意識の中で、あるいは夢で、あるいはヘミシンクみたいなもので接触しているものです。それと肉親というのはまったく無関係なのですが、なんと父親は、その存在と知り合いになってしまっていて、ふたりで来たので、わたしはそれに驚いたのです。
霊界では、知り合いはできません。霊界は果てしなく広大な宇宙みたいなもので、違うグループに出会うことはないのです。出会うとしたら、極端に特性を落としたミニチュア世界の地球であり、地球で出会うことのなかった人は、死後出会うことは永遠にないです。
ということは、わたしに近い霊界の存在と父親が知り合いになったというのは父親が死後にそうなったということはありえず、実際に、わたしを通じて、死後の父親とわたしのつながりが、その存在との接点を生み出したのですね。
えーっ、いったいどうしてなんだよ、と、わたしは夢の中で驚き、ま、それもありか、というふうに思いました。で、死後の霊界では、お金をもうけるために仕事するということはないので、基本、実務的な面では、すべての存在は暇です。
逆に地上では、お金をもうけるために働き、このお金をもうける為に忙しく働くのは時間を消費するけど、内的な体験はきわめて希薄なので、いわば体は忙しいが、内面は恐ろしいほど暇ということになるのです。わたしの親しい存在と父親が知り合いになったということは、霊界において、活発に活動する体制に入ったということです。暇人ではなくなったのです。
生きているときの父親は、戦後復興期とかからの世代なので、お金をもうけず、趣味に時間を使う人間は無益な存在と考えていました。遊びとか趣味性を馬鹿にしていたのです。これは表向きの表層自我の特性であり、その裏側の人格を母親が請け負っていたと言ってもいいです。つまり母親は金儲けのためにならないような趣味性、芸術性を追及したからですね。母親は書画の先生ですが、それを父親は「習字」と読んで、母親を怒らせていたのです。
死んだときは、どうやら、この戦後復興期の忙しく働く性質を、霊界的な活動に置き換えつつあるみたいです。
死んだ時、出生図の太陽と、トランシットの海王星が重なっていることに大きな影響がある。でも、たいていの場合、人格は、この海王星に乗ることはできない。海王星に同調しても、なおかつ自我は損なわれないという条件がないと、海王星に乗ろうとした時に、人格的自我は目減りを起こして、もう自分といえるものをキープできないくらいになってしまう。「存在しているけど、存在していない」つまり深層の自我はあるが、記憶を保ち、個人として名前があり、ここに生きていましたという具体的な存在性は消え去るというのが本来です。
なので、父親が死んだとき、何かが起きた。多くの人が体験できないようなことが起きたのです。要するに、それを参考にしてくれ、メカニズムとして公式化しよう、と父親は言ってます。個は消えるが、そのエッセンスを回収し結晶化し、それが海王星というものに乗ることができて、その速度でも消失しないようにできたら、すくなくとも、150年くらいは、海王星軌道面で、延命できます。

で、海老名病院で入院している時に、まるでボケ症状のように「パソコンのハードディクスを取り替えるように」「一眼レフカメラのレンズ交換するように」腸を交換してくれるように、医長に頼んでくれという話をしていました。そもそも腸が機能しないし、排泄できないことで死んだのですから、ここを取り替えたら生きていける、と。人間の個別性が存在するのは、より下の領域、場所としては腸辺りかもしれませんね。上のほうに個別性はない。普遍性の高い、ジェネリックの腸みたいなのがあるといいわけですね。

わたしの三次元ホロスコープ講座とか、アカシックの橋本尚子さんに、明日9月22日も、今後、違うときにも二回くらい講座をコーディネートしてもらっていますが、わたしが告知する前に申し込み者が満席になってしまうので、講座案内に載せることでできないです。載せるには、会場をもっと大きくしないといけないのか。それと、12月には、来年のことを考えるという講座、マザーズオフィスですることになってますが、これもマザーズオフィスの会員だけで、前回は50人埋まってました。結局、主催者の集める力がやたらに強大なのですね。











2015年9月20日日曜日

20150919 飛行機の中

20150918 帰りの飛行機の中で

手持ちの文庫本は空港で飛行機待ちしている間に読んでしまい、飛行機に乗っている間の13時間どう過ごそうと思いました。なのでJFK空港で、Kindleを検索して、雑誌のターザンで糖質を制限するというタイトルのものがあったので、それをダウンロードしましたが、これもあっというまに、読み終わってしまいました。
昨日、カウンセリングした人の中に、夫婦で糖質をカットしている人がいて、夫は9年間続けている。で、その人からすると、わたしのブログを読むかぎりでは、わたしの知識には間違いがあるんだそうです。確かに厳密にすれば、チックビーンズも食べてはならないのです。でも、わたしは厳密にする気はない。たんに、ご飯、パン、麺類などを食べないという程度のものです。山田悟医師は、ゆるい糖質制限を提案している。それからすると、わたしはオールカットですが、昨日の夫婦の基準からすると、わたしのものはかなりいい加減ということになります。
で、やはりANAの機内食は恐ろしいほどの糖質の塊です。でも、コストを落としたものは、すべて糖質食なので、それを避けるというのは世間的には難しい。で、昔のカロリー制限という考えは、ターザンで読む限りは、20世紀の、すなわち前世紀思想であると説明していて、21世紀は、カロリーはあまり気にしない、糖質を気にするというものです。この考えから言えば、油をもっと摂れということになるし、たとえば、鳥の唐揚げはお勧め、マヨネーズは使ってもいい、という話になります。ステーキとかぎとぎと油の食物は気にしないのです。むしろ食えという話になってきます。
コレステールもあまり気にしない。という意味では、みんな卵は1日1個くらいと考えていたと思うのですが、それは間違っていることになります。

で、マンハッタンで宿泊していたホテルは、6日連泊で、税金などを入れると、2100ドルくらいになりましたが、それでも9月においては、少しばかり平均よりも安い場所だと思うのですが、朝は食事サービスをしています。で、フレッシュ、ヘルシーなどと書いてあるけど、実際に置いてあったのは、ワッフル、マフィンの粉ものと、平べたく卵を焼いたもの、ハンバーグ、ウィンナーなどがありました。野菜はなく、小さなりんごはありました。
ロンドンに行った時には、ホテルでは、部屋に朝食が運ばれてきて、複数の種類のパンなどがあり、やはり糖質はこれでもか、というくらいに満載されていました。甘いパンとジャムと、紅茶とジュースですからね。かなり恐ろしい話になっています。ターザンによると、朝食の糖質がもっとも危険なんだそうです。朝は、身体が自然的に血糖値をあげようとする。そこに糖質が追い打ちをかけると、異常に血糖値が上がるそうです。

糖質制限なかなか難しいね。ご飯、パン、麺などを減らしても、さらに、みりんを使った煮物はダメとか、中華のとろみはアウトとか、つなぎに炭水化物を使うのだから注意しろとか、焼き魚はいいけど、煮魚は問題にされます。
でも、ともかく、いまのわたしは、適当な糖質カットの食事をしているうちに、血糖値が上がる場合も、落ちる場合も、傾斜かなだらかになり、つまりは腹が空きにくくなり、走っても貧血になりにくくなり安定しています。カロリーで考えるのは、前世紀の遺物という考えもなかなか極端ですが、それでいえば、わたしはカロリー不足かもしれません。
こんなに無駄なことをたくさん書いているのは、新MacBookのキーボードの練習のためです。これはなかなか慣れなくて、間違い打ちばかりをしています。強く打たなくていいということはわかりました。スタパ斎藤は、このキーボードが好きらしく、すべてのマックをこれにしてほしいと書いています。それとわたしが書いているのは、飛行機の中が暇だからです。アイルシートにしてくれと言い続けて、そしたら、なんとかアイルシートに変更されました。

精神宇宙探索講座ですが、九州と、大阪、東京、北海道で行うことができるようになりました。これでコンプリートだねと書いた時、「四国が抜けてるよ」というメールが来ました。
夢を見て、そこで、わたしの父親がやってきました。で、わたしは「あれ、死んだと思ったのに生きていたのか。ブログで死んだと書いていたのに、その内容は間違いになってしまうではないか」と言いました。アストラル領域では、生きているので、確かにそうですね。死んだ時は80代でしたが、夢の中では、40 代程度に戻っていました。まあ、そんなもんでしょう。リアルな生々しい感触でした。時間軸が過去から未来へという一方的な流れに支配されない世界では、父親は、わたしの前にいた人間と考える必要もないです。わたしの後の人間かもしれないし。年功序列は完全に無効です。地上においての関係性の痕跡はどんどん失われ、縁はあるが、父と子という関わり型は、ひとりが地上にいなくなれば成り立ちません。地上にいなくなれば、というのは、時間と空間の型にはまった枠の中に縛られなければという意味です。

マンハッタンは狭くてごみごみして人が多い。狭さは東京都と似てる。ブロードウエイのミュージカルとかは、見る気がしないのは、そもそもあの手の演劇はわたしが好きでないからでしょう。わざとらしさが露骨に感じるし、いかにもアメリカ的な幼稚さですよね。

リコーGRで撮影した写真、調べてみると、すべてがピントあっていない結果でした。一枚も、まともな撮影がないです。これもすごいです。手振れ補正機能つきでないと、撮影できないということです。

2015年9月18日金曜日

20150917 草ばっかり

マンハッタンは、あちこちの店で、パックに入った野菜を売っています。で、会場の近くのPAXでは、ベビースピナッチのビニールパックを選んで、そこに、いろんなものを入れてもらうのです。チックビーンズと、グリーンピースとか。
つまりわたしの食事はNYでは、草だらけですが、それは非常に気分がいいです。
アメリカに来たら、草を食べる生活。これは定番なのかも。今回は、フムスは一度しか手に入りませんでした。後はいつも売り切れでした。でも、ベビースピナッチはたくさん食べた。というか、いつもベビースピナッチ。主食はなんですか、と聞かれたら、ベビースピナッチ。

で、炭水化物、糖質などを食べないと本当に体調は安定しますね。藤田紘一郎は、50歳を過ぎたら炭水化物をやめなさい、という本を出していて、わたしはそれを読んでから、炭水化物を減らすことをしたのですが、ここでは30代の場合には、むしろ炭水化物を食べたほうがいいと書いています。いまは、ほかの著者の本では、それもダメという話になっています。つまり人類すべてにおいて、糖質と炭水化物は危険なのだ、と。
ミトコンドリア・エンジン主体の、つまりケトン体体質になると、血糖値の上がり下がりが少なくなり、前にも書いたように、空腹という感覚がわからなくなります。空腹という感覚は、炭水化物中毒の症状の人にしか感じられないのでは、とさえ思います。いまのわたしは、いつ食べたいか、まったくわかりません。
カレーライスは、角砂糖35個ぶん、と公表されていますが、ソイジョイだと、角砂糖2.5個ですね。角砂糖ひとつが糖質4グラムなので。ポカリスエットがだいたい8個ぶん。
糖質完全排除なら、わたしの好きなチックビーンズも食べてはいけないことになりますから、そこまで極端にするつもりはないです。
で、こういうコンディションの確認は、わたしの場合には、いつも走っている感触で、見ています。糖質を摂っている人は、フルマラソンの距離が限界だと言われています。なので、ウルトラマラソンなどをするのならば、糖質回路を断たなくては続かないということですね。ケトン体体質になると、継続的にエネルギィを使うことができるということになるのです。

今日の朝のハドソン川沿いは、あたかも小型のマラソン大会ですか、というくらい、走る人が多かった。しかも暗いうちからですよ。まだ日の出前。これは土日の皇居に匹敵します。なんなんですかね、ニューヨーカーは、走るのが好きなのかな。テレビのニュースで、事件現場をキャスタが解説している時でも、うしろのほうで、だれかが走ってる姿が見えます。夜中に走るなよと思うのですが、どんな場面でも、だれかが走っています。なので、わたしが走ってもまったく目立たないので、助かります。

今回四日目は、タロット講座で、久しぶりにクラウドスプレッドしました。で、久しぶりにして、ぐらっと来ました。あ、これ、もう少したくさんしてもいいのでは、と。型がないので、いくらでもディープに入り込むことができるんですよね。それにわたしはずっと、世界の卵しかしてません。プラネタリウムも、クラウドスプレッドも、世界の卵です。スタイルを決めるものではなく、タロットの場合には、形のないところから引き出す。でも、何か満足感ありますよね。

今回もそうですけど、リロケーションのホロスコープの考え方を前面に押し出した感じです。特定の場所に張り付いた生き方でなく、場所によって、結晶の違う側面がクローズアップされるという考え方をもっと強く押し出すべきだと思いました。日本で、そろそろダウンする人は、ニューヨークで、そろそろアップする。そういうことを使いわけよう、と。人間は、どこかに定住するべきでなく、惑星グリッドに拠点をおくべきです。地球を取り巻く網目に、自分のグランディングのベースを置くと良いです。そして天国との綱を取り戻そう。穀物を作るには定住しなくてはならない。穀物をやめたら、鹿の群れを追跡して、巡回できます。











2015年9月17日木曜日

20150916 ニューヨークに住んでいる日本人

ニューヨークに住んでいる日本人は、はっきりと、日本に居たくない理由を持っています。ホロスコープで、それは比較的推理しやすいです。ある人は、母親がめちゃくちゃで、この母から離れるには、海外に行くしかないという 動機などです。日本にいると、人生が完璧に壊されることがはっきりしています。いままで見てきたら、家族とか地元とか、そういうところで問題が発生している人が9割です。
農耕(濃厚?)民族は、定住するので、逃げ出すと、それは「負け」を意味します。逃げるな、といいます。しかし狩猟民族では、逃げ出すというのは、一番円満な解決だし、とても気軽に行われます。そしてそれを無責任と誰も言いません。なんかあったら逃げよう、ということが正当なものです。

で、日本とニューヨークの関係ですが、日本の図で、9ハウスに天体があると、たとえば、太陽があると、海外で成功するという意味になります。で、9ハウスは、たいていニューヨークでは、4ハウスになるのです。すると、海外で成功するよ。で、ニューヨークに来ると、ここって地元みたいだよね、というふうになるのです。つまり海外の安心の地とは、ニューヨークなんですよ。
時差が12時間とか13時間とか、わりに反対なので、たとえばニューヨークで地下に沈む時には、日本ではそろそろ地上にあがる時期という感じです。小狡く利用するといいのではないかとわたしは思うのです。東京とニューヨークはとても似ている。もっと似せるには、東京にいろんな異民族が入るといいです。
今日もやはり黒人の英語はよくわかる。ふたつの店で、それぞれ
「あんた、どっから来たの」
「小銭、ないのかよ。」
そういうのがはっきりわかります。わたし白人の英語は認識できないです。そもそも彼らは早口を止める気はないからです。短縮形と、中抜けを起こすので、わからない。黒人はひとつひとつをはっきりと、コントラストを作ります。初心者向き。わたしみたいに、机上で英語を勉強している人は空気が読めないので、黒人と話すしかない。

新マックブックですが、キーボードのストロークが浅すぎて、とまどうことばかりです。で、わたしは大きく勘違いしていて、打ち間違いがあまりにも多いのは、ガジェットが悪いと思っていたのですが、わたしのほうが、正確な打鍵をしないというのが問題だということが、今日朝わかりました。正確に打鍵すれば、新マックブックは確実に文字表示をする。わたしの指はよたっているのです。酔っ払いの千鳥足みたいに、わたしの指は近隣の地域にはみ出すのです。
なので、練習しようと思いました。
おそらく、わたしが正確な打鍵さえすれば、新マックブックは理想的なマシンです。
ThinkPadに対する執着心を捨てて、この浅いストロークの新マックブックに賭けてもいいかもしれないと思います。
ニユーヨークに来る飛行機の中で、若いカップルがいて、この男性のほうが、デスクの上に、旧ThinkPadを置いていました。あれはあきらかにX220です。彼は旧ThinkPadのキータッチ、ヤマト研究所のこだわりに共感しているのだと思いました。
でも、時代は新マックブック。
わたしは、これを使いこなすために、自分の指の千鳥足的な揺れをなくすことを訓練することにしました。そもそもデスクトップのキーボードに慣れていると、キーの圧力の反射を確認しながら、間違えないように打ち込みできます。このやり方が通用しないということなのです。感覚的な反射を頼りに打つのは、新マックブックではあまりできない。はじめから位置を正確に打たなくてはなりません。それさえできれば、これはすごくいいマシンだということになります。ウルトラブックでもっとも評価のいい東芝のkiraは、すこしでも斜めに打つと認識せず文字のとりこぼしをします。しかしこの新マックブックは、キートップのどこでも、ともかく打てば、ちゃんと文字が表示できるのです。だから、わたしがいいかげんに打たなければ、いいのです。surfaceのキーボードも、わたしはちゃんと打てません。やはり製品が悪いのでなく、わたしの打ち方が悪いのか。surfaceのキーボードは、わりに評判がいいけど、わたしは最悪だと思ってたので。
NYの犯罪はわりに監視ビデオに映ってるんですね。犯罪者あほだなーという感じで映ってます。毎日NYのローカルテレビ番組見てます。ニュースばかりだけど。










2015年9月16日水曜日

20150915 海外旅行は9ハウスか

たいていの場合、海外関係というのは、9ハウスが担当していると考えることが多いと思います。でも、わたしの知ってる人たちで、海外に頻繁に行ったり、長期滞在したりする人たちは、旅を示す3ハウスにも9ハウスにも天体のない人たちがたくさんいます。
こういう場合、なんらかのトランシットが9ハウスを刺激して飛び出し、その後、出先でのリロケーション図が強力であれば、行き先に引き寄せられるという感じで、移動する頻度が増えるのだと思います。

わたし個人は3ハウスに木星があり、海外をあたかも国内のようにみなすならば、あちこち海外に行くことになります。その場合、9ハウスは惑星旅行になります。もうひとつは、月というのが、肉体でなく、生命体の生き方のスタイルを決めることになるので、たとえば、水瓶座の月の場合には、特定のどこかの土地にいることを嫌い、プラトン的な幾何図形ネットワークの中に自分のグランディングの場所を決めます。すると、地球の中に共通した場所が出てきて、そこを転々と移動するとリラックスできることになります。
今回のわたしの講座を企画したYさんが、典型的なこういうタイプになります。水瓶座の月が海王星と90度で、地上に降りることを嫌うのです。一番下に着地したところが惑星グリッドだったりするわけですね。
知らない街に行きたいというのが、恒星だったりすると、自然的に、3ハウスの近所をうろつくというのは、海外のあちこちということになります。訂正、9ハウスは恒星とかコンステレーションのレベル。そして3ハウスは惑星ということもあるし、9ハウスが惑星旅行ならば、3ハウスは海外をあちこち。3ハウスはバラエティを作ることが必須なので、そうなると、同じ場所に行くのではなく、あちこちと違う場所に行きます。

ともかく、9ハウスも3ハウスもまったく強くないのに、さらに射手座も強くないのに、海外のあちこちに行き続けている人というのが、多すぎるので、わたしは興味を持ってしまうわけです。28年前くらいに、進行の月が3ハウスに来た時には、近所の富士宮 市とか、山梨県とかに毎日のように出かけていました。同じ進行の月が3ハウスの今はちょっと水道橋に行ってくるというような感覚で、台湾に行ったりするという感じになってしまいます。戦前の日本人みたいだ。馬賊になろうとして満州に行くとかね。門馬カンメイ氏が占星術をするのは、津田塾大学の創始者が、海の向こうを夢見たのと同じです。over the seaでなくて、over the rainbowですね。

セッション中、ハドソン川沿いを走っていると、後ろから自転車がすごいスピードで脇を通る。それが怖いと言ったら、「すみませんね、これからは気をつけます」という人がいました。

それで計算上、日本の図で、9ハウスに天体がある人は、その天体がニューヨークで4ハウスに入ったりします。つまり9ハウスに太陽があったりすると、自分の成功の場所は海外。そしてニューヨークではここが地元という意味に変換されます。
たとえば8ハウスに天体があり、この心霊的な何かは、ロンドンに行くと1ハウスになり、その隠れたものが表面に出てきます。自分そのものになる。つまりは憑依されたものが、そのまま自分の個性とか自我になるのが、ロンドンです。

白人の英語がヒアリング困難。黒人の言葉はとてもわかりやすい。ひとつひとつの言葉のアクセントを強く発音するからですかね。









2015年9月14日月曜日

20150914 やはり朝からたくさん走っていた

外が明るくなるのは午前6時半で、すぐにハドソン川沿いに行ったら、もうたくさんの人が走っていました。予想どおり、NYの人は、会社の前に走る人がたくさん。こないだ6月に来た時、街中を走る人がたくさんいたけど、どうやら川沿いを目指していたようだったので。女性が多く、しかも女性がみなけっこう早い。で、こないだの6月の時も不思議だったけど、iphoneを手に持って走るんですよね。付属のイヤホンで何か聞きながら、手持ち。
身長の高いおじさんが元気一杯に走っていたので、その人をペースメーカーにして、後ろについて走りました。ペースは5分20秒くらいです。でも、その人は、途中でへばって、停止。そのおじさんを途中から追い抜いた女性がいたのだけど、その人も、途中で息切れして、停止。
洗濯が8時まで、ということだったので、ぎりぎり戻りました。今回は、クランチ(ジム)で、毎日35ドル払わなくて済むのでよかった。
ここは一階でコーヒーが飲み放題です。
6月の時にマンハッタンは汚いと思ったけど、いまはもっと汚いと思いました。道を歩いている人が、飲み終わった缶を道路に投げたのを見た。

講座の場所のビルは、古いので、かなり味のある場所だった。
マンハッタンは古いビルだらけ。ロンドンほどではないが。
むしろ日本がおかしいのかもしれませんね。日本は、新しいビルばかりです。







今回持ち歩いたカメラは、リコーのGRですが、これは手ぶれ補正機能がありません。しかしわたしは手が震える人かもしれない。なので、手ぶれ補正がないと、3分の2は、失敗写真になります。片手で撮影すると、ほぼ100パーセント失敗します。

------- 2015/9/15

15日の朝も走ってきましたが、今日は、犬連れで走る若い女性がけっこういました。
で、やはり中型犬程度だと、5分40のペースはきつそうです。
6分よりも遅くすると、飼い主と並んで走れるというところですね。
犬は、人間と違い、動作と呼吸が分離していない。それに首も横なので、重いだろうし。
赤ちゃんのキャリーを押しながら走るというのは最近は流行していますが、今日もいました。昨日と同じ時間に走ると、昨日と同じ人がいますね。10人いじょう、同じ人を見ました。意外とヘッドホンつけて走る人も多い。皇居でも、外人はわりに大きなヘッドホンでそのまま走る人たびたび見ましたからね。蒸れたら早めに壊れるのにね。ヘッドホン見るたびに、どこのメーカーか識別しようとするわたしもちょっとへんですが。
以前、足の右の親指の爪が根こそぎなくなったけど、いまは左の親指が全部血豆です。そろそろ、左の親指の爪がなくなるかも。








20150913 ハドソン川沿いを走った

飛行機でも、またホテルについてからも眠れず、昼になって、やっと2時間寝れたので、近所のATMで、VISAカードから現金を引き出しに行きました。100ドルです。このVISAから引き出すのが早いので、これからは空港で換金するのはやめることにします。VISAカードの裏にPLUSと書いてあるのを発見したので試したら簡単でした。

それから、天気がいいので、ハドソン川沿いに走ることにしました。
日曜日なので、川沿いの公園にはたくさんの人がいて、ミニコンサートもやってるし、船のレストランも満席だし、ドッグランの場所もあるし、川沿いの道はランニング、サイクルリング、ほかいろんな道具で走る人などたくさんいて、賑やかでした。5キロ走ったら折り返そうとしたのですが、この道はいつまでも続いてそうです。途中で雨が降りました。雨が降ることを想定して、5キロ地点で折り返しにしようとしたのです。つまり近場をうろうろです。天気がいいけど、テレビの天気予報では昼から雨になっていたのです。

犬をつれて走る人は数人。ひとり、黒い犬をつれて走る人がいたのですが、5キロ40分のペースだと、犬がすれすれついてこれる状態で、犬が苦しそうです。帰りコースでみたら、6分10秒程度の速度になっていて、犬はちゃんと走れていました。こういうペースは、わたしが後ろからしばらくついて走り、ガーミンのGPS時計で表示されたものを見るとすぐにわかります。わたしがガーミンの最新のGPSウォッチにしたのは、衛星を捕まえるのが瞬間だからです。前のepsonとかは、やはり数十秒待っていなくてはなりませんでした。時々捕捉できないのか、いつまでもスタンバイにならないこともありました。
しかもこのガーミン、アメリカに来たら、自動的にアメリカ時間に切り替わっています。

ホテルの近くにガソリンスタンドがあり、その敷地内に、小さなコンビニがあります。これはプノンペンの時とそっくりです。面倒臭くなると、たぶん、今回もわたしは、この小さなコンビニでしか買わなくなるかも。となるとピスタチオしか選択肢がありません。ここには中国製の怪しい缶詰はないです。ホテルのフロントの、アースウインドファイアみたいな髪の黒人女性がとても愛想がいいです。朝、ファーマシーの前の地下鉄の出口から、中年のかなり濃い感じの黒人男性が出てきて、その男は、イヤホンで音楽を聞いていて、大きな声で一緒に歌っていました。で、真面目そうな白人男性に、火はあるか?と聞いて、その白人男性は慌ててライターを探して、黒人中年男のタバコに火をつけてやっていました。日本だと、この濃さというのが、どこに行っても見つからないですよね。別に濃いのがいいと言ってるわけではないけど、うわっ、墨汁と油混ぜたみたい、という感じの人、見てて面白いです。こういう濃いのは、みなやたらに声が大きい。
NYのイエロータクシーの運転手は、かなりの比率で、英語が話せない人が多いと聞きました。というか読みました。(ネットで。)移民してから日が浅い。で、アメリカといっても、NYはかなりの民族が入っているので、今日のハドソン川沿いのランも、ともかく、いろんなばらばらな人がいて、てんで好きなことをしていて、面白い。わたしはこのバラバラ感が好きみたいです。バラバラが増えると、当然、犯罪率も増加してくるし、ローコンテクストが重要になってきます。誰も助けてくれない。自分で守らなくてはならない。そして、わかってくれるよね、という言葉足らずの表現は、まったくのところ、理解されなくなります。

講座以外で、バイノーラルビート聞くことはあまりないんですが、ほとんどないんですが、精神宇宙探索講座が増えるので、まじめにやってみようと思って、バイノーラルビートを時々聞きます。マインドスパで、光の点滅つきです。
で、ドローンで見ている地上の光景というのが生々しく続くし、二回目をすると、その続編というふうになってくるので、プラトンがいう、地球を上から見ると、色違いの布を張り合わせた鞠に見えるというのは、このことかなーと思います。この区画の一つに、段差のあるピラミッドを作るのだけど、今の建築みたいに、頭脳的に作るのでなく、まずは、グリッドの中から、区画が自動的に選ばれるのです。その区画を、階段状にして、横から見ると台形にして、隆起させるんです。ピラミッドはこの区画に正確に合致させないことには、まったくのところ、意味をなしません。今日の建築で、それを探すことは不可能です。だから、今日の建築は、惑星グリッドの性質を取り込めません。生命体のリズムからはますます遠ざかるのです。結果として、人格と内奥の生命的なものにズレが生じます。
上空から見ていると、草原の中に、幾何図形的な区画が見えます。どうも、マインドスパの点滅光が加わると、いままでのバイノーラルビートとかなり違った光景が見えますが、サウンドと視覚をあわせるという意味で、土地と波動を両方見るのかもしれません。
風水とか、気学とかで、土地とか場所を見るのは、やはり頭脳的で、理論で推し進めます。そうするときっと信念体系による乖離があります。
まずはその場所に行って、マインドスパで見て見るというのが第一優先では。マインドスパのおかしなところは、メガネに穴が空いていて、ものを見ることができます。で、そこに、光の点滅の薄膜ができて、シータ波で見た映像が重なるということになるのです。これ、なんか妙に面白いんですよね。建築家は、惑星グリッド測量するといいと思います。建物は、色のついた 布(もちろんバックミンスター・フラー的な支線です。)と合致するように建てよう。
で、思いついたけど、人体オーラ見るときに、マインドスパ使うと、わりに早いのでは。テレビドラマの民王みたいに、ヘッドギアつけて歩き回っているおかしな人に似ていますね。光が点滅する メガネをかけて、何か見ている。

食パン一枚が角砂糖8個、ご飯一杯が角砂糖14個の糖質ということだけど、このホテルの東横イン的な内容は、野菜もなく、パンケーキとかマフィンとかばかりで、今日の朝、自分の部屋で食べようとして、マフィン3個とコーヒーをトレイに乗せて、エレベータに乗った若い女性は、角砂糖何個ぶん食べるんでしょうか。千駄ヶ谷の事務所の近くで、時々昼にカフェに行ったけど、そこでは、食パンにイチゴジャムを塗ったものを食べていました。こういう場合、コーヒーには角砂糖を入れるのが正統派です。糖質尽くしですね。でも、ヨーロッパではそれが普通の感覚だということですよね。紅茶に砂糖を入れて、さらに、クッキーとかタルト。
いまのわたしだとわかるんだけど、こういう食べ物を摂取すると、数時間しないうちに、異常にお腹がすいて、食べないと血糖値が落ちすぎて倒れてしまいます。体内にセルロースを分解できる細菌を持った人は、青汁だけで生きていくことができると言いますが(つまり、パンダ化する。)、腸内フローラの比率を実験的にいろいろ試してみたい。腸内フローラはいくらいじりまわしても、その人の本来の比率に戻ってしまうと言います。でも、実験的に試してみることは価値があると思う。
今日も、ハドソン川沿いを走ったけど、糖質摂取しないと安定していました。カーボローディングしないほうが、変化もなく走り続けられます。ここまで犬を連れている人が多いとはね。

内的医療学会

それで、シータ波、あるいはバイノーラルビートを使って、自分の肝臓との対話、腎臓との対話、膵臓との対話などをする講座をするのはどうですか。肝臓木星、腎臓金星です。外宇宙と内的宇宙は共鳴するので、外の惑星と、内臓は呼応します。自分の身体的な健康とは、宇宙の調和なんです。健康、病気などは、その人の精神や思想と密接に結びついて生じます。それを「事情も何も知らない医者に機械的に判断させる」よりは、自分の内臓との密接な会議によってうまくいくようにするというのは、良いのではないでしょうか。自分の生きている目的は何かをはっきりと自覚する。その結果として、特定の内臓の重要頻度は変わってくると思います。わたしは肝臓に馴染み、肝臓を手なづけようとしています。腸はまさに地球を形態学的にひっくり返したものなので、それは全世界的です。わたしの父親はおそらく排泄器官の閉鎖で死にました。腸はもう何も通さない。とはいえ、摂取そのものも、あまりしてないです。取りこまない、出さない。新陳代謝の拒否です。なら生きることなんてできない。つまりは生きることを拒否したのだと思います。もう地球にはあまり住みたくないんだよねーっと。病院が用意した食事を投げ捨てたのは、よく覚えています。こんな人間生きられるわけない。こういう意志は尊重するべきです。
脊髄の中の特定の部位が拡大して脳になった。全宇宙の中で、自分の住む世界のリアリティが大きく拡大した。腸は宇宙クラスタで、管であり、銀河鉄道です。この中でたくさんの紆余曲折、すなわちドラマがあります。外からきて、わたしと内的に一体化したものは、いつまた外的になるのか。こうなると、バイノーラルビートも、腸に行きましょうというよりは腸のどこに行きましょうというふうに細かくする必要がありますね。さあ、今日はいよいよS 字結腸に突入です、みんなー、行きたいかーっ、おーっという感じです。アメリカ横断クイズみたいに、S字結腸に向かうのです。

こんなこと書いていたら、またリアルタイム的に、こんなメール来ました。えーとね、いまNYでは夜の8時なの。日本は朝の8時だよ。朝起きたら、すぐにわたしの書き込み見てんのかよ。

-------引用スタート。
それは絶対にやるべきです。原点です。身体のパーツに意識があるという見方もあるけど、パーツには特定の波長(オーラ?)があって、乗ってる人の
意識がそのパーツをすり減らしたり圧滅したりする。と、
思っている。

実際の例を言います。
腎臓が悪くなって、尿を作れなく(血液をろ過できなく)なって、
透析になる人がいます。
腎臓は、もう本来の機能を果たしていないのに、役に立たなくなった
腎臓に、のう胞を作って、そこが出血して、感染を繰り返す人が、
透析患者の中にもいます。
のう胞が悪さをする人の中には、もう、そのままでは永久に感染を
繰り返すので、腎臓を摘出してしまう人がいます。
摘出したら、問題は完全に解決した、と思いますよね?
今度は、腎臓を取っちゃったにもかかわらず、とったあとに膿瘍(膿み)
が溜まって、感染を繰り返す人が、居るんです。

つまり、腎臓に問題があるんじゃないってことね。
腎臓がある部分の波長と、乗っている人の意識が、喧嘩してるから、
ついに腎臓を取り去っても、病気をし続けるのです。

この、腎臓意識ってなんだろう・・・と、腎臓病の人たちのメンタルを
総括しようといつも考えてる。ざっくり言えることはあるけど、
不正確かもしれないので、あらためてことばにしてみたいと思います。

----引用おわり。

引用ではないだけどね。全文コピペです。このメールの人は医者です。
身体の部位には意識があると考えるといいでしょう。そして、それらを統括しているのは、人間の自我、太陽意識です。内臓はそれぞれ惑星です。分子、原子に行くと、それは銀河系にまで拡大します。小さいものにいくほど、大きいものに向かいます。
で、内臓は惑星に相応するので、やはり真剣に、内臓のひとつひとつと関わるべきではないでしょうか。夏目 睦の本を読んだ時、この人は、酒飲みの常識を書き換え、肝臓との個性的な関係性を築いているのだなと思いました。肝臓をわたしの一部だと、まじめに扱っています。他の人は通説に振り回され、自分と自分の肝臓の関係よりも、他の人が言ってることのほうを信じることで、肝臓を失望させています。その人の肝臓の特殊性、個性的な面を理解するほどには勇気がないんです。まあ、これも責任回避の日本人かな。
ハドソン川沿いは走れたので、こんどはメコン川沿いを走りたい。



























2015年9月13日日曜日

20150912 マンハッタンに着いた

成田を12日の午後4時半くらいに出て、JFK空港に、12日の午後4時半くらいに着きました。いつ寝ていいのかわからず、あまり寝てない。というのも、成田空港で買った新書を読んでいたらずっと読み続けてしまい、寝れなくなったし、おまけに映画も二本見てしまいました。飛行機の中で、赤ワインを頼んで、「少し多めに」と言ったら、なみなみと注いだカップをテーブルの上にふたつ、ドンと置かれてしまい、少しという意味が伝わってなかったです。もしかしてこのふたつで、瓶を半分開けたのでは。
で、その後に何回もコーヒーを飲んだ。たぶんあまり眠れなくなったのは、飛行機の食事の中で炭水化物らしき成分のものは、まったく手をつけなかったということもあります。
炭水化物を食べないと眠くならないというのは、その飛行機の中で読んでいた夏目睦の「炭水化物が人類を滅ぼす」という本にも書いてあります。で、やはり医者が指導する糖尿の治療は、ますます糖尿を加速するということも書いてありますね。60パーセント糖質という比率の食事が原因で、血糖値ががんがん上がり、それをインシュリン注射で落とすというやりかたで、一生治らないようにしていくという治療法です。

で、この夏目さんの本は、途中から話が壮大になってきます。穀物栽培をするために、定住がセットになり、移動し続けた人類はある段階から、動かなくなった。で、やはりこの本でも、炭水化物を人類が食べるというのは、かなり人工的な行為で、そもそも自然界にはそこまで糖質の食物はないということですね。糖質を増やした小麦とかコメを主食にするようになってきて、 早死にも増えて、特にトウモロコシの粥で、幼児の死亡率がかなり上がったそうです。
で、ご飯を食べたりすると、空腹感が早くやってきて、どうしても一日三食食べないと気が済まなくなる。たくさん食べる。たくさん働く。一日中働くという習慣は、この食事の比率がもたらした、と。食うために働かなくてはならないという具合に。日本では米、西欧では砂糖が、麻薬のような作用をもたらして、労働者をずっと働かせることができるようになったそうです。

で、ご飯とかパンを食べると、確かに、お腹空くのが早いですね。いまはわたしは糖質を制限というよりも、ほとんどカットしているので、そうすると、いつお腹空いたのかが、わりにはっきりしない。というよりも、いま食べたいと実感するタイミングがない。
特にランニングすると、胃から食欲を抑制する成分が出るらしく、ランニングすると、その後は数時間はものを食べたくない。空腹感がなかなか来ない。食べ物を想像すると、なんとなく嫌な感じにもなります。
飛行機の中では、電気を消している時間があるけど、いっとき、また明るくなった瞬間に、シロップのかかったパンだけをおやつとして出されます。それに食後は強制的にアイスクリームも置いていくし。こういうのを真面目に食べていくと、また空腹が襲ってくるというのが早くなるはず。

今回、マンハッタンで、前回みたいに、異常に甘ったるいプロテインバーは食べないようにしようと思ったんですが、夏目さん式だと、唯一アボガドを例外にして、果物もダメなので、屋台のバナナを買うわけにもいかず、昼に何を食べたらいいのかな。
走る前にパンとかおにぎりとか、少し食べとかないと、走っている時に貧血を起こすと思い込んでいたのは、単純に水を一日2リットルとか2.5リットル飲むと、貧血にならなくなったので、わたしの勘違いだとわかりました。で、パン類、おにぎりとか、ご飯、麺類とかも全部食べなくなったんですよ。すると、街中で何を買えばいいのかわからなくなる。低コストの食品は全部炭水化物ですから。東横インでは朝ごはんは、おにぎりとパンだったりします。関西セミナーハウスでは、うどんと、すこしだけ薄く何か乗っけたどんぶりご飯だったりします。これは極端すぎるけど、昔はこういうのはよくありましたね。ご飯のおかずに、塩を乗せた白ご飯というのもあったし、有名なラーメンライスもあるし。

で、夏目睦氏は、食物の神、穀物の神は、善なる神でなく、悪魔であることが判明したと書いていて、それが面白かった。穀物栽培は人類を定住させるだけでなく、栽培のサイクルに人を縛り付けるので、けっして自由を許さない支配の神である、と。たわわに実る麦は、イシスの手に常にあり、それはスピカのことだし、また日本では、農耕、豊かな穀物生産というのは昴、つまりアマテラスでもある。オオゲツヒメも、ケは穀物で、穀物が多く育つという意味をもっていて、これらはみな悪神であると言ってます。というのも、穀物を大量に生産することで、地下の水を枯渇させ、土地が死に、塩害が出て、現代ではそろそろこの弊害が人類を絶滅の危機に近づけているということなどです。
こうなると、夏目式だと、狩猟型、十五夜のお月見で笹を象徴するスサノオのほうが善神だという話になるけど、自由に動き回り、また米を食べないので、長生きして、あまり病気もしない。そのかわりに人口も増加しないということに。
夏目睦氏はかなり酒飲みらしく、二十代の時から一度も休肝日がないそうです。でも、糖質をやめてから、γGTPとか他の検査も、数値が全部30以下になったそうです。で、夏目式だと宗教とか思想なども巻き込む感じの展開なので、話が大きくなっていますから、食事指導だけでは済まなくなり、何かムーヴメントにしないといけなくなってしまうでしょう。たとえば住むこと、暮らすことのスタイルも変えなくてはいけない。労働の定義も。
夏目睦氏は、「土地のものを食べる」という思想も批判しています。建物とか住居は土地の上にどしっと固定して作るけど、ここでは定住型という基本のスタイルがあるからこそ、そう想定するわけで、「建築家、走る」の隅研吾によると、サラリーマンが頑張って働いてローンで自分の家を持つという夢は、アメリカが作り出したもので、それに一番洗脳されたのは、日本なんだそうです。日本も明治以前とかなら、長屋の発想なので、家を持つという概念がなかった。で、家を持つと長いローンが始まるので、人生で冒険ができなくなる。リスクを徹底して回避しようとする。ヨーロッパでは、働いていつかは郊外に白い家を建てる、という夢はないそうです。

夏目氏によると、ピスタチオは比較的理想的な栄養バランスらしいので、昼ごはんはピスタチオかな。わたしはコーヒーをおいしいと感じたことはなくて、いつも薬として飲んでいたのですが、こないだブルースモーエンが、コーヒーの禁断症状を起こしていて、前も、フロリダのペンションで、来たらいきなりコーヒーをがばがば飲んでいたので、また影響を受けて、それで飛行機の中でコーヒーを飲んでいたのです。コーヒーを飲みものとして嗜好品としておいしいという感じがまだよく理解できない。コーヒーがおいしいというのはわからないけど、缶コーヒーはとてもまずい、ということはよくわかる。
炭水化物を食べるというのはニコチンと同じで、習慣化しているので、いきなり減らすと、体が震えたりして、ともかく食べたくなると思います。なので炭水化物なし生活に適応するには半年とか一年くらいはかかると思います。わたしも前は、時々食べたいと思うことがあった。大阪の講座から戻って、千駄ヶ谷の駅構内の蕎麦屋さんを見ると、入りたくなることがあった。いまは、まったく食べたいと思わない。食べると、実は具合が悪くなるので。

わたしの父親は朝から晩まで働いて、郊外に白い家を建てたのだけど、父親のキャラクタは、まったくそれに適していないタイプだと思います。お金を貯めたのは母親であって、父親に任せていると、ボーナスでいきなり車買ったりして、全部なくす。なんせ、貧乏サラリーマンだった時に、町内で車を所有している人間はふたりしかおらず、内科のお医者さんと父親だった。世界じゅうで営業していたのも、当時、会社では父親ひとりだけで、英語ができたのは、会社で父親しかいなかった。外国の肉はゴム長靴の底みたいで、食えないとか、フィリピンで主賓になった時、豚の皮を出されてゲロしそうになったとか、そういう話をたくさん聞いた。こういう人物が、郊外に白い家を建てるという夢を持つわけもなく、一日中働いていたのは、家を買うためでなく、家に帰りたくないからですね。白い家を作ったのは母顔で、父親は稼いだものはすべて失うという方向に行く。働きもので、きわめて建設的なんだけど、お金を備蓄するという発想がない。
隅研吾の父親とだいぶ違う。たぶん同じ場所に住むのを嫌がっていたと思う。お休みの日には、朝からパチンコに行き、夜まで戻ってこないというのも、家に近づきたくないからですよね。
前回の6月、スタバにはトイレがないと思っていたのは、わたしの勘違いでした。むしろNYでは、スタバのトイレこそが、公衆トイレ扱いされているらしい。ユニオンスクエアの前のスタバ、ほかもうひとつのスタバもトイレはなかったのだけど、ほかはあるようです。かわりにユニオンスクエアの公園の中のトイレに行ったけど、中では黒人が数人固まっていて、さらに洗濯をしていた。

結局寝てないまま、13日の朝に、あちこちを歩き回って、ファーマシー見つけ出し、そこで歯ブラシとか購入し、サラダも見つけました。ホテルに戻ってみたら、一階の奥が大騒ぎで、ここは簡易型の朝食があるんですね。日本ならまるで東横インみたいな簡単なものを、みんなで狭いところで食っているので、超混雑状態。コーヒーとマフィンとか食べたくないよ。やっぱり炭水化物のカタマリ。東横インと同じだ。日本ならオニギリ、NYならマフィンだ。わたしはいま1ドル札10枚しか持っていません。キャッシュはこれだけです。なので、すべてをカードで購入することになります。ホテルの室内掃除の人のチップとして、枕元に2ドルとか3ドル置くというのは、日本人だけに流通している妙な習慣だそうです。旅行会社オリジナルらしい。なので、今回はそれをしないことにしました。レストランにはどこにも入るつもりはないので、チップが必要でない。
















2015年9月10日木曜日

20150910 人を集める場を形成するには

東京での、精神宇宙探索講座があっというまに満席になったことについて、それはTさんの力以外の何ものでもないです。で、数日おきにサーチしていた人も、見つけたときには、もう満席になっていて、参加できなかった。困ったという連絡が来ていました。

で、わたしは自分では主催できないということを昨日書きましたが、これについて考えてみると、四つのエネルギィを集中的に蓄積する四つのポイント、すなわち固定サインである牡牛座、獅子座、蠍座、水瓶座のそれぞれ真ん中15度近辺の中で、このうち、人を集めるというのは、蠍座なんですね。

蠍座は生命感覚で、生命感覚を強めるには、一番早いやり方は、たくさんの人を集めて、その人垣の頂点に立つことです。すると、複数の人の生命力が圧縮集合して、頂点にはその力が集まり、これが人を、地に落ちた蠍から、鷲に戻すのです。そして鷲は、この第三等級宇宙の前の第二等級宇宙の力に接触させます。この集まった力は、もちろん参加者全員にも共有されます。ブルースモーエンは、集団探索を重視していますが、集団探索によって得られるパワーは、ひとりで頑張っても獲得することはできません。
蠍座は権力に関係しますが、権力は集団の人間の中で作られるもので、元素としては土・水が持つものです。風・火は、その場から拡散して逃れようとしますから、火・風の元素の人には、権力は得られません。

で、わたしにはこの蠍座の真ん中の天体がなくて、だから、この人の集まり、圧縮場を散らしてしまう癖があるんですね。七年間くらい新宿の朝日カルチャーセンターで教えていたときも、三年以上は来ないでほしい、と言っていたことがあります。何度か。
で、わたしの月は水瓶座の真ん中あたりにあるので、活動の基本は、手を汚さない塀の上にいて、そこから、下界を見るという地点です。ビルの上から、街を見ているバットマンです。あるいはしらゆきひめと7人の小人というところでは、しらゆきひめです。小人ではないんです。小人には、小人のリーダーがいます。
人が集まる圧縮場の蠍座に、わたしはいないのです。この点で、わたしは人が集まり講座をするという場合には、誰かの手を借りなくてはいけなくなります。だいたい自分で講座を募集していたときには、最後には人数が把握できず、15人だと思っていたら、20人来たとか、つかめなくなっています。それに継続性というものがない。本を書くということなら、わたしは蛇のようにしつこい。それは継続する自信がある。でも、それは牡牛座力に他なりません。3ハウスの牡牛座の力です。そして、これはひとりで継続できるものです。ひとりで継続することは、わたしには慣れています。

で、ある人が、精神宇宙探索講座に参加したいけど、息苦しい場ができてしまうことに抵抗感があり、躊躇すると言ってましたが、誰かがコーディネートして、精神宇宙探索講座をした時に、この主催者のカラーははっきりあって、そして、人が集まるというのは、そのことそのものが蠍座の場ができて、ばらばらに個人が自由に展開するということはできにくいのです。蠍座の真ん中の度数は、集めることで強いパワーが発生し、このパワーに支えられて、ひとりでは決してできない領域に行くことができる。それはいい面と悪い面がある。いい面は力が集まり、一人では決して行けない境地に行く。悪い面は、互いに締め付けてしまい、自由が失われる。たとえば、モーエンの集団探索でも、ひとりだけ、自分はぜんぜんみんなが体験したことがわからない、自分の体験はまったく違う、みんなと共通したものなんて、ひとつもないと言ったら、それは失敗したとみなされますよね。
反対に、カフェに行ったら、みんなと同じ体験をした。参加者がそこにいた。君も見たよ、などというと、それは成功とみなされます。でも、この成功というのは、たんに共有体験であり、集団的主観性に過ぎず、集団で共通した体験をしたからといって、それが真実だとは言えないのです。たんに力付けをされただけです。この力づけこそ、生命感覚の充実という蠍座の意義なのです。
東京の精神宇宙探索講座を主催したTさんは、蠍座の真ん中に天体あります。この場合、蠍座の力は、ジオセントリックでもヘリオセントリックでもいいです。九州のTさんは、へリオで蠍座です。わたしは根本的に蠍座力が欠落している。人の集まりは仕切れない。牡牛座力はあります。万年筆をコレクションすることはできる。そして水瓶座力にスイッチが入ると、それをアッという間に手放します。
この場合、ハウスはあまり効力がないです。それはリロケーションすると、簡単に違うハウスに移行します。あちこち移動する人は、ハウスが流動的になり、ハウスの効力が弱まります。タクシー運転手には、方位が使えないというのと同じです。わたしが人間はあちこちに行くのがいいと言ってるのは、ハウスに沈没しないように、と言ってるのと同じです。

集団探索について、あらためて、その効果を正当に認めたほうがいいですね。人が集まり、共有体験をすると、蠍座の生命感覚、すなわち8の数字の力は圧縮され、蠍は鷲に戻り、アステカのピラミッドの頂点の台座が表れ、次の宇宙との接点が作られるのです。そして、それまでの個人が持つ、「個人としての人格のアイデンティティ、それにふさわしい意識の範囲」が砕かれ、溶かされ、より大きなものに再構築されます。そこで抵抗する人は、個人としての範囲にとどまりたいということを主張しているのです。自分のプライドを守りたい、と。その先にまで進みたくない、と。
わたしは、このことができないので、それについては、他の人にお願いしたいです。わたしは塀の上です。塀の向こうではなくてね。(笑)
塀の上では、地上よりは遠くを見渡すことができる。空間的だけでなく、時間的にも。中央高速で、トラックの運ちゃんは、「おい、渋滞はずっと向こうまで続いているよ」と言えるくらい、遠くが見れる。なので、わたしはヴィジョンを提供する。でも、大地には降りない。わたしにとってはグランディングは塀に着地することです。

こんなこと書いてたら、五分もしないうちに、北海道のけいざぶろうちゃんから、俺にも蠍座はあるでー、北海道で講座できるのでは?というメール来ました。面白いです。九州、大阪、東京、北海道ができたら、コンプリートだ。でも、けいざぶろうちゃんは、蠍座力というよりは、蟹座のパワーのピークを持っているということが重要なんだよね。それは蠍座力を補う。プリマドンナやってほしいなー。

李白は、わたしと同じ年齢の62歳で病死したけど、伝説では、船の上で、水に映る月を捕まえようとして溺れて死んだということになっています。月はエーテル体。そこに手を伸ばして、結果的に、肉体を失った。肉体をまるごと失うくらい、そこに意志を向かわせたのです。つまり彼は、肉体を捨て、エーテル体を肉体とする、すなわちひとつ次元が上の存在状態にシフトした。それ以後は、人と接触するときには、応身で接触することになり、それは集団に働きかけるということです。李白はさまざまな伝説で語られ、小説ではたくさん脚色された。これこそ、肉体を台座にして存在したのではなく、応身を土台にして生きたという意味です。彼は生理学的奴隷でなく、生命だったのです。伝説ばかりあって、実際のところがまったくわからない、というのが人の正しい生き方です。つまり物質的に、ひとつの塊に拘束されていないということです。
人間は伝説的存在にならなくてはいけない。それこそが神話・元型的な「人」です。伝説的な存在になれなかった人は、支えとなる細胞であると定義しましょう。草、細胞、歯車ですね。生理学的奴隷です。肉体の存命を第一目的にします。つまり肉体と自分を自己同一化します。この小さな身体が第一義である、と。シュタイナーは、アストラル体は肉体を破壊しつくしてしまうと言ってますが、普遍的なものになると、肉体の一個体から力がはみ出すので、結果的に肉体を壊してしまうのです。やりすぎだと一気に死んでしまうので、生きている間は、兼ね合いですね。ドンファンが言うように、第二の注意力の問題点は、力が強すぎてしまうということです。

江戸時代に生きていた清兵衛は、歯痛があまりにもひどくて、日枝神社の入り口近くで切腹自害した。そこに祠が作られた。清兵衛は歯神になって、「歯神の山王清兵衛」という名前で親しまれた。これも清兵衛は、神話・元型的な「人」になったということなのです。彼は肉体寿命よりもはるかに長い時間を生きている。肉体でなくエーテル体に身体を持ったのです。へたれは、へたれを貫けば、小原床助さんになれるよ。









2015年9月9日水曜日

20150909 東京での精神宇宙探索講座

東京での精神宇宙探索講座、Tさんが、東京で開きたいというので、主催をお願いしたけど、瞬時に埋まって満席なんだそうです。大阪では、違う名前のTさんが、計画しています。やっぱり九州、大阪、東京地区か。

この精神宇宙探索は、パックツアーなので、行き先は決まっています。それを集団探索するので、集団探索によってよりくっきりと強調され、初心者でもある程度効果を感じとることができるでしょう。パックなので、行き先での自由行動の時間はないです。勝手に買い物してはいけない。

それで、いずれにしても、とうぶんは、この宇宙探索、恒星探査をするので、それと直接関係する世界卵オーラの強化システムを作ってみようと思います。もちろんそれは、恒星マカバでもある。地表に張り付く人でなく、太陽に同化する人としてのオーラです。そこからあらためて地球環境に取り組むということを見直してみると、かなり視点が違ってきます。

わたしの場合、日本ではMC-ICという立ち位置の軸が、射手座と双子座になるので、これは運動の中にあり、そして言葉に生きるということになるので、回遊魚のように動いているのが自然。なので、決まった場所に事務所持ったり、講座のスペースを確保したりするのは、わりに適していない。なので持ったりするとすぐに違う場所に移動させたくなったりします。それにそもそも、いままでは縄文の海を船で移動しているかのように、まさに正確に流れていたのだけど、ある段階から、ぷつっと、この横に海を移動するというルートが途切れてしまいました。そのレベルというか次元で活動するのは終了ということです。これからは地球的な環境から引き出すエーテル体のリソースは、日本という単位よりも、地球サイズにしたほうがいいということで、惑星グリッドのほうにより重点を置くことになった。こうなると、定期的に、日本外に行くのが一番自然な感じになる。

餃子の王将みたいなフランチャイズにするのはどうかな。
精神宇宙探索講座、太陽の繭のオーラなどの基本的な仕組みは共通で、そこに各店舗のオリジナルを30パーセント入れてもいい、という感じで。というのも、各店舗の主催者は、なんらかの分野での専門家、プロですから。

バイノーラルビートは、いつもはMindwave2ですが、感覚は違うものを見る時には、12種類のうち数が多いほど、そのリアリティを深くできるということで、オーディオだけでなく、光の点滅も伴うマインドスパだと、もっとリアルです。12のうち、ふたつ使うということです。血液を神経接触しないようにするのは、もちろん身体をリラックスさせて、身体感覚から遊離させるとうまくいくわけですが、自分の身体がどこにあるのかわからなくなるくらいになれば、非常にスムーズ。そしてその後さまようことがないように、太陽の軸に同調すればいい。

2点の落差があると、この差の間に、エネルギィが流れていくので、日本国内で住んでいる場所と違う場所という感じでも活性化しますが、日本と国外という2点にすると、より範囲の大きな、つまりベースとしてもうひとつ大きな段階のエーテル体の力になるので、活動エネルギィは増加します。

ところで、手は、身体の中で、外に接触するインターフェイスというような意味があるし、呼吸する肺や手は双子座の象意。風、柔軟サインで、この柔軟サインは任意性があるので、つまり呼吸も手の動きも、規則的でなく自由に動かすことができる。もちろん呼吸は、身体に外界の空気を取り入れるという意味で、外との接触がある。
で、手の指は5本あるので、これはそのまま5つの元素とか、あるいはキロのように惑星に結び付けてもいい。それと類似性があるので。

脱カルマというか、身体の代謝毒が指から出る様子を見ている限りでは、小指は腰だし、薬指は内臓とか胃だし、中指は 胸、人差し指は喉に、そして親指は頭に関わっているように見えます。そのまんま、小指の順番から見て、身体の下から上です。
悪い食べ物を食べた後、その代謝毒を排出する時には、薬指がしびれて、そこからヤニ色のものが飛び出すのです。
となると、小指はムラダーラ、薬指はスワディスタナ、マニプラ。中指はアナハタ。人差し指はヴィシュダ。親指はサハスララ、アジナに関連づけてもいいと思う。指を5元素に結びつける時には、腰から喉までの5つのチャクラに対応させたほうがいいですけど。

肉体の手の周囲に、エーテル体の手があります。これを取り入れ口として活用するのは、わかりやすいです。へんな話ですが、肉体の手の外に広がる手の手相を見るというのも、ありですよ。エーテル体は生命体であり、だからエーテル体の指のコンディションは、その人の生命活動の特性をうまくあらわしています。そもそもチャクラは肉体というよりは、エーテル体の中にあるので、手の先にある手に、チャクラを関連づけたほうがいいかもしれない。
エアー指圧の場合には、もちろんこのエーテル体の指を使う。体から頭と手が5つ出ている形態を、そのまま小さく反映したものが手の指でもあり、人体構造がそのまま手のひらと指に反映されています。身体にあるものは手に反映され、手で何かすると、身体に反映される。








2015年9月8日火曜日

20150908 ロベルト・ジェラール

隅研吾が、建築はもっとも戦闘的で暴力的と言っていたのは、たとえば美術館の場合、その中に展示されている美術は、作者が何十年もかけて蓄積してきたもの。しかし美術館そのものは、そのような長年の実績なくても、独創性を発揮した建築家が、それひとつで、自分を誇示できる。通りを歩く人も、目にしないではいられないので、この押し付けがましさは最強だということですね。
いまは国の壁がなくなり、コンペでどんな国の建築家も参加できるので、実際には今回のオリンピック会場にしても、世界じゅうの建築家が参加表明すればいいのにね。隅研吾によると、現代の建築家は、日単位で、世界中を動き回っているそうです。今日はドイツのコンペ、明日は中国というふうに。

で、ゲーテは建築は凍った音楽だと言いましたが、視覚イメージが、そのまま聴覚というか音感覚に共感覚で交換されるタイプの人からすると、建築を見たら、そのまま音楽に変換されます。建物を見たら、音が聴こえる。わたしは毎日青山通りを通っているので、青山通り沿い(246)の建築物を見て、いつも一人批評している。奇をてらったものは飽きられやすい。すると、建築の押し付けがましさは、逆に恥ずかしさを目いっぱい披露しているはめになる。




神道の本居宣長とか、平田篤胤の神道的生命の樹は、カバラの生命の樹と大差ないのですが、右の柱はイザナギ、つまり顕の柱で、左の柱はイザナミ、つまり幽の柱。ナギは凪で静かという意味で、形とか粒子性。ナミは波立っているという意味で波動性。
物質もミクロになると、粒子は存在せず、ただ波動があるのみというか、粒子と波動の区別がつかなくなるので、粒子とか形は、波動とかに変換可能ということですが、これらはみな、大きな自己を複数に分割することで発生するので、粒子とか形と、波動と力は、裏腹な、相補関係のものであると見てもいいですね。
ひとつのものの内部に、特定の場所に、形を作ると、それ以外の領域、とくに形の周囲に、強い波動が発生し、この波動は、基本的に、この凝固した形を崩そうという力が働くようになる。つまり大きなものを分割した時に、ふたつの方向が出る。ひとつは凝固する。ひとつはこの凝固を溶かそうとするので、形に対しては破壊的に働く。
この形に対して破壊的に働くというのは、イザナミが毎日千人の子供を殺すと言った時に、イザナギがそれなら毎日千五百人の子供を産むといった会話に見て取れます。それで、毎日500人ずつ、形あるものが増えるのならば、バランスが良くないので、これはアーリマンの力と考えてもいいですね。
建築は暴力的なイザナミの力と考えると、建築物は長く残すよりは、次々と壊して、違う建築のものを作ったほうがいいのでは。桜は華々しく咲いて、そして散る。というのが日本の情感ならば、建築も華々しく構築されて、そしてアッというまに解体されるほうがいい。

聴覚というか音楽は唯一身体の外に連れ出してくれる作用を持つ感覚だという意味では、形から逃れようと力が働くわけですね。で、人体の外にオーラというのがありますが、人体とオーラというときに、今日的には、人体が実体で、オーラは影のようなものとみなされています。これはギリシャ時代以後の、物質は実の世界。その母胎の波動的、生命的なものは影という考え方がそのまま続いていることをあらわしていて、小さな自己は実、大きな自己は影という思想になっていった結果。で、オーラとかエーテル体、アストラル体は肉体よりもはるかに長生きするので、オーラのほうが実で、人体はこの中に発生した凝固成分、黒ずんだ固まり、ダマと考えたほうがいいです。つまりオーラという生命体からすると、身体という凝固した骨の固まりみたいなものができることで、そこだけが不活発になり、重たくなり、いつも気が沈んでしまい、憂鬱になっている場所ということです。
不自然なものは長続きしない。無理なことをしても、それは安定して続かない。そういう意味で、人の一生は短いのです。思いつきで作ったのだから、やはりそれは続きませんでした、という感じです。自殺を繰り返す前世を持っている人は、つまり、肉体を持つことを、おかしい、おかしいといつも納得していないわけです。肉体を持つ根拠について、理屈としてあまり納得していない。納得していないくせに生まれてくるんだよ。つまり思想が玉虫色なんです。

オーラは基本的に、肉体を好んでいない。毎日千人殺したいと言ってるんだから。オーラ視をする時に、肉体の周囲にある曖昧なもの、という考え方はやめてしまい、生命としての実体、世界卵があり、この中に、烏賊の骨のように、黒ずんだ固まりとして肉体がありますよ、というふうに考えたほうがいい。そしてそれは80年程度で消えてしまいますよ、と。長くもたせるには、ものすごい工夫が必要で、徳川家康みたいに健康オタクでなくてはならない。
宇宙人のいくつかは、わたしたちの肉体を認識できない。オーラのほうを実体のある形と見てしまう。人体というより重たい凝固成分を、視覚化できないのです。なぜなら、彼らがそれを持っていないから。こういう重たい、固い成分をまとった肉体を持つ生命体の形は、まさに地球オリジナルで、最新で、ものめずらしい。つまり個人というものがあって、これは他の個人とはばらばらに動くということが、驚くような話なのです。それで興味津々で覗きに来るのです。

で、以前はオーラ講座をしていたけど、考え方をあらためて、もう書いたようにオーラは実体である、この中に短命な肉体が一瞬形成され、そして消えていくという姿勢で、取り組んでみるのがいいのではないかと思いました。虚実が逆転しているので、ただしい虚実に戻す。オーラは実体。肉体は影。その時、オーラとしての世界の卵は、もちろん、わたしが言う、太陽中心の世界の卵です。そしてこの中にあるチャクラは、恒星マカバとして考える。
前方を地球ポイントと決めれば、身体のどこの位置に恒星が来るかが決まる。アナハタから、世界中に放射状に広がる光というものは、やはりオリオンの三つ星なんですよ。でも、それがどの方位かというのは、人によって違うということです。

本題のロベルト・ジェラールになかなか行かない。

わたしは前から、スペインの音楽を聴くと、何か血が騒ぐというか、奥底のものが反応するということを書いていましたが、なおかつ、12音技法のシェーンベルクとか武満徹のような音楽が好き。で、このふたつを合体させたような作曲家が、ロベルト・ジェラールなんです。
ピアノをグラナドスに師事し、後にシェーンベルクの弟子になったスペイン人。アメリカではアイヴズが、日本で武満徹ならば、やはりスペインならジェラールだよ。
オーケストラのための協奏曲は華やか過ぎて顰蹙と言われていますが、スペインならそれくらいでもいいじゃないかと思います。シャブリエがスペイン旅行して、興奮してエスパーニャ作ったように、キラキラしたのがスペインに違いないんです。


いろんな波動を、触覚としての形にしていく天秤座には、水星・金星があり、その表現力の面に、双子座のさまざまなバラエティある火星・海王星の印象が受け止められています。しかもそれが派手な獅子座の30度の木星によって、エンファサイズされています。
で、12音技法には、かなり細かいルールが決められています。この厳格な形式は、そもそも7音という自然な感性が失われているために、補う意味で、ルールを入れないと、まったくわけがわからないからです。そうしないと、ただの騒音になってしまい音楽ではなくなるのです。厳格な形式というと、アスペクトでは、土星・天王星しかありえないでしょう。
牡牛座の感性の卓越性(つまりまるでメシアンのような。)は、蠍座の土星・天王星の箱の中にきっちりと納まります。蠍座は生命感覚なので、ここでは凝縮されるほど、力は強まります。つまり蠍座の厳格なルールとしての土星・天王星は、押し寿司みたいに、きちんと詰め込むことで、充実感が増すのですね。
猫がダンボール箱に入りたがるみたいに、牡牛座の月は、この蠍座の土星・天王星にダッシュして、頭から突っ込みます。それにまた、常にどこかに弟子入りしたいと思って彷徨う卑屈な姿勢も、ここにあらわれています。厳格なものを受け継ぎたい。先生は、できるかぎり、厳しいのがいい。
シャブリエのエスパーニャもいいけど、ジェラールの管弦楽協奏曲には、グラナドスの魂も生きていると思う。本名のルベルド・ジュアン・レネ・ジェラルト・オッテンヴェルデー(Robert Juan Rene Gerhard Ottenwaelder)は、長すぎる。

こういう雑記を書いたら、即座にコメントきました。いま、20150908 AM9:54

>イカの骨説、めっちゃエエですね!!!
>感動しました。

>そうやって、イマジネーションを外からの視点に移動する
>ツアーコンダクター役をしていただくと、少し楽になります。

>地球が、こうやってどんどん、修正社会主義みたいに
>ボンデージの方向に走るのは、暮らしててほんとうに重たいし
>気が滅入る。でも、それを20世紀の早い
>時期から沢山の作家が予見してましたね。というか、未来を
>描いたものはぜんぶ社会主義とか独裁主義とかに集約
>されるのは、つまりはいまの人間の発展を演繹すると、
>そこに行きつかざるを得ないということなんでしょうか。

>先生や、出家した行者的な進んだ人たち(シャカみたいな)は
>そういうボンデージから自由になれるけれども、在家の人は
>どうやって縛りから意識を外して、希望持って生活できるかという
>方向を重点的にやって欲しいです。

>在家は在家で、逃げられないので、物質を引きずりながらも、
>諦めなくていい、という道を説いて欲しいと、心から思います。
>よろしくお願いします。

未来にはますますアーリマンの力が強まって、最後には、人間は存在しない、生命なんか存在しないという考えになると思います。科学が進むとそうなるね。これは慣性が働いていて、引き返すだけの「意識力」がないからです。
文面からすると、わたしも出家している人なんですか。
まあ、わたしはいま、自分をリタイアした老人と定義していますから、出家しているのと似ているのかな。
このような重たい、金属鉱物を含有した肉体を持つことは地球オリジナルで、宇宙人は、それにびっくりして、「クール!!」と感嘆していますが、じゃあ、おまえできるか?と言われると、敬遠する。
でもたった80年くらいの一瞬のことなので、これを楽しめばいいのではないかと。プラトン年からすると、これたった一日の話です。
重要なのは、もとに戻る回路を持つことです。戻る道筋を十分に持っていて、それならば、旅先での一日の体験は、そんなに不安ではないです。

ツアーコンダクターしてもいいよ。こんど、9月22日に、hさんの主催で、三次元ホロスコープの講座をすることになりました。もう締め切ったみたいです。これはhさんが教えてくれというので、人を集めたら、してもいいと答えたのです。一対一をする気がない、と。
で、hさんは、幼少期から、おかしなヴィジョンをたくさん見ていて、これが後にアカシック記録だと気がついたんだけど、つまり、肉体の中におさまり、知覚の閉鎖をすることに適応できなかったという状態だと思います。肉体の中に閉じ込めれて、その感覚で世界を知覚するというのは、アカシックなど絶対にやってこないわけです。アカシックはアカーシャエーテルであって、それは四元素に分割されていない、月の上の知覚なのです。地上の肉体で生きている人は、アカーシャを、4分割して、このひとつの中に同化するので、この時間・空間の縛られた知覚から「馴染み、はみ出した」情報を受け取ることはない。塔の中に、井戸の中にじっとして生きるのです。
わたしは六月に、NYのマンハッタンで、朝は、ユニオンスクエアの前にあるスタバに行ってましたが、店員は全員黒人で、踊りながら仕事してました。黒人って、アフリカというシリウスの帝国から、息苦しいアメリカに連れてこられた。そして奴隷的に縛られた。
こういう人たちは、息苦しい肉体で生きるという「鉄仮面」に我慢できなくなると、いきなり死んだりするか、アナーキストになると思います。難民が続々と西欧諸国に流入していますが、やがては、許容限界を超えて、西欧社会は破裂してしまうかもしれません。それまでにリミッターが働きます。かつて鎖国をしたのだから、その方向を反省しなくてはならない、というわけです。

hさんは、エジプト時代に、重要な書物を、地下通路を使って、ルクソールまで運んでいたことがあるという話をしていたのを聞いたことがあります。わたしが思うに、物質的世界観が支配する世界がやがてやってくる。重要な知識を、多くの人には発見されない裏の通路を通じて、破壊から救済するということをしていたわけです。かなりの人が、アレキサンドリア図書館の書物は、いずれはキリスト教徒の暴力、すなわち「さまざまな異なる見解を持つことは決して許さない」という姿勢によって、燃やされてしまうことを予見していた。なので、多くの人たちが、燃える前に、もっとも重要なものから順番に、地下から移送していたのです。キリスト教徒は無知であることを重視し、ひとつの教科書以外に書物があることは許せなかった。
で、hさんのブログには、トンネルのような映像の写真が掲載されています。このトンネルを向こうまで歩いて、書物を運んだわけですね。このトンネルはバス、あるいは銀河鉄道、デンライナー、クラスターの乗り物です。
要するに、一日で死ぬ蝉のような存在でなく、次の日、さらに次の日へと、筒を繋ぐといいのです。で、わたしはこの一日をつないで紡ぎあげられた世界の卵を復元するのが、もっとも重要であると考え、そうなると、個体に随伴するオーラでなく、アダムカドモンのオーラを復元し、ここから、今の地球生活の「再位置づけ」をするのがいいと思っている。ここが全部でなく、ここは一部だよ、一日の体験にすぎないよ、と。
わたしがけっこう印象的だと思っているのは、やはりフォレスト・ガンプだな。いかれたジェニーからナイキのシューズをプレゼントされたフォレストは、その後、走り続け、多くの人が、その後をついていく。たぶん毎日走ってる人は、意識のどこかで、フォレスト・ガンプを意識していると思います。くまなく歩きつくす、あるいは走りつくさないと、どこかの場所に沈没してしまう。そしてこの沈没に耐え切れない。本来の人間ならば、どこにも沈没してはいけない。体は一寸の虫であるが、精神は違うよ、と。最後、フォレストは息子をバスに乗せます。もちろんバスはクラスター。息子が、つまり自分の一部が、沈没しないように、最後まで面倒を見ようとしているわけです。

アレキサンドリアが燃えた後、キリスト教は、イエスと同レベルにあり、そして違う見解の人を見つけ出しては、殺害し、その家系も根絶やしにした。これ以外のリファレンスがあってはならない、と。これが異端を排斥するということと連動しています。信仰が大切で、知識は持ってはならないということですね。あるいは信仰のもとにある小さな派生物としての知識ならば、許容するということです。ここでは知性というのは存在しなくなる。知性風に装った感情というのは存在し得ます。つまりは水浸しの知識ということですね。危険を感じた人々は、アジアのほうに逃げた。大学でも、やはり、知性というのは決して許さないですよね、現代。知性風の信仰・感情なら許される。
エジプトから逃げた人々は、アジアとかにたくさんの足跡を残しているけど、日本にも拠点はあった。ところが、明治時代に、西欧的な姿勢は、日本に盛大に押し寄せて、日本を攻略してしまいました。

川島なお美は、肝内胆管癌で、体重30キロ台前半になったという話ですが、この癌の原因は、無理なダイエットと、赤ワインの飲みすぎという話です。多いときで一日三本。ムッソリーニは、昼ごはんの時に、赤ワインを二本開けていたという話ですが、フランスなら、赤ワインがないと、食事もできないという人はたくさんいると思います。MAXのNANAが、やはり多いときで赤ワインを一日に三本。でも、山本耕史は、時々一日五本とか言ってますよね。五本でも人間歩けるのかなー。
こういう人たちは、肉体に閉じ込められた生存ということに、納得できない。だから、この緊張感を、ワインとか他のアルコールなどで緩和しようとします。で、癌で早死にしたとしても、それは早期に撤収ということで、本人も了解済みです。