狼のブレニンを飼いはじめると、ブレニンは家のあらゆる場所を破壊しはじめて、それを食い止めるには、へとへとに疲れさせるしかなくて、それで一緒に走り始めたと、マーク・ローランズは書いている。ブレニンが老いると、それに気を使って、一緒に走るのをやめた。走るために出かけようとすると、ブレニンがじっとマークを見つめて、どうして自分を連れて行かないのかという表情をするので、それを見たくないために、走らなかったのだと。
マーク・ローランズは、まだマイナーな哲学者らしく、Wikipediaでローランズの項目がない。でも、わたしは彼がサルトルに関して、再評価しているので、驚いたし、とても好感を持った。わたしは19歳くらいの時には、サルトル全集が欲しいためだけに、アルバイトをして、一か月三万円を稼ぎ、それでクリーム色のサルトル本を少しずつ集めた。その時は、家賃7000円の部屋に住んでいた。サルトルは意識は空の構造で、この意識の存在を証明するには、ターゲットとなるものとの関係性、つまり意識には属さない外部的なものとの関係のみで可能となるということを述べている。
外部的な、まったく意識的なものではないものとの関係性のみで、意識が証明されるというのは、意識は物質、すなわち脳の神経組織の中にのみ存在するという勘違いを作り出すに十分な定義だが、このあたりの仕組みをノーランズはちゃんと説明できていない。
意識はある、というのは正しくない。意識は動的なものなので、それが働いている間のみ、存在する。だから、休みなく働いていなくては維持できない。走らなかったら、部屋を壊すブレニンみたいだ。
意識はある、というのは正しくない。意識は動的なものなので、それが働いている間のみ、存在する。だから、休みなく働いていなくては維持できない。走らなかったら、部屋を壊すブレニンみたいだ。
でも、ともかくサルトルの話を読んだので、とても楽しかった。
マーク・ローランズは、1962年1月1日の生まれで、ちょっと正確なデータがわからないのだが、もし彼の太陽が山羊座の数え度数10度ならば、-たぶん、そうとは思えず、1度違うと思うのだが、-異なる生態系との接触は、ローランズにとっては、重要だったのだ。だから、狼と暮らした。わたしも狼と走りたいけど、日本オオカミは顔が小さいので、これが気に入らない。ブレニンは、写真でみるかぎり、ものすごく顔が大きい。マーク・ローランズよりも大きい。