2015年12月18日金曜日

20151218 香港着

どこにいったか、後で忘れるので、備忘録として、書く雑記です。
今日、午後に、香港に着きました。で、空港に、日本と同じように、エアポートエクスプレスがあったので、90香港ドルで、九龍まで行きました。そこからタクシーで、ホテルに。これは39香港ドル。
このホテルは、繁華街の中にあり、周囲にはたくさん店があります。とくに、飲食店はやたらに多い。明日から、できるだけ屋台に近いような建て付けのレストランに行ってみます。雰囲気的には、密集度、汚れ度あたり、町の雰囲気も、マンハッタンに似ています。97年から中国に返還されましたが、そのときから50年は、それまでの香港を残すという契約なので、イギリスが残っているんですかね。マンハッタンも建物はかなりイギリス風ですから。アジアのあの匂いがしません。たぶん日本にも近いです。

で、わたしは数日前から、本を書き始めたので、少し近所に行くだけで、ずっと原稿を書き続ける予定です。至近距離にスタバがあることもわかったので。今回持参したパソコンは、15インチという巨大なもので、やはり画面が大きいほうが使いやすいということ。それにIpadもproで、12.9インチと巨大。このふたつ、持ち運びは苦になりません。マックの雑誌を読むと、アルフィーの高見沢さんは、いつも、マックを3台持ち歩いているそうです。で、まだ新マックブックのキーボードには慣れていないと書いてあります。つまりMacbook proと、airと、新マックブックを持ち歩いているらしい
高見沢氏が3台なら、わたしがパソコンとIpadproを持ち歩いても、まだまだ軽いです。ただし、わたしは町中でのwifiを使えないので、スタバで原稿を書くとき用に、ポメラDM100を持ってきました。それとKindleブックと、Ipadpro用のMagicKeyboardを持ってきました。これだけ持ち歩いても、たいしたことないね。
Ipadproの音の良さには驚きます。パナソニックのレコーダーに録画されたものを見ると、音がとても聞きやすいのです。それに12.9インチなので、ほとんどテレビを持ってきたみたいです。昼の東京テレビの「トランスポーター」をいつも見ているので、香港でも見ようと思って、これにしたのです。

ホテルに着いた後、近所で、いつものように、歯ブラシ、髭剃り、リステリンなどを購入し、レストランに入って、ニューヨークステーキというのと、ブロッコリーを食べました。そこで、お店の箸を、黙って持って帰りました。これはセブンイレブンで買ったマルハのさば水煮缶詰を食べるためです。150香港ドルでした。

このホテルの驚くところは、ランドリーサービスが、金額の高いバージョンにすると、午前10時までに出したものは、当時午後2時に仕上がるそうです。ノーマルのものでも、昼までに出すと午後の7時に仕上がり。アメリカでは、朝の8時までに出せ、そしたら、次の日の夕方までに仕上がるぞというのが多いと思うので、洗濯が早い。
子供の頃に、父親が香港に行ったら、町中で、声をかけられ、スーツいらないかと言われたという話を聞いたことを覚えています。で、そこで注文すると、次の日の出発前までに仕上がるそうです。そもそも30年前に、トランシットで景徳空港に到着する時に、ビルの真上を飛行機が飛んでいて、ビルの中で、たくさんのミシンがあり、そこで、数人の人が服を作っている光景を間近に見て、驚いたことがあります。そのくらい近いところを、飛行機が飛ぶのです。
わたしの記憶の中では、洋服とか衣類とか、香港は異様に処理が早い。というものだったので、ホテルのランドリーの早さを見て、やっぱりと思いました。

ワンダ・セラーの「メディカル・アストロロジー」(フレグランス・ジャーナル)を読むと、日本語訳の誤字脱字がかなり多いですね。熱・湿のはずの水瓶座が、熱・乾になっていたり、死や病の「脅威」が「驚異」になっていたりします。文字の欠落も多数。つまり校正をあまりしていないのかもしれず、ワープロで入力しているために、脅威を驚異にうっかり変換して気がつかないわけです。これは翻訳者と出版社の編集者の問題ですが、その前に、ワンダは、ロナルド・ハーベイが書いた内容を、微妙にねじ曲げて伝えている箇所もあります。はじめ、わたしは日本語版の前に、Kindle電子本でワンダとハーベイを併読していたので、それであれっ?と思ったわけです。

香港は日本と一時間の時差があります。いま午後7時5分なので、日本では8時5分ですね。タイランドでは、ホテルでwifiがかなりとぎれとぎれで、問題ありでしたが、香港のこのホテルでは、スムーズです。

わたしはどうやら、鉄欠乏症貧血で、いきなりステーキを食べても、それはあまり改善されないみたいです。もしかしたら、サプリメントもあまり効果がないかも。つまりそもそも鉄を吸収しない体質なのかも。これは中学生頃からの慢性的なものですから。低血圧は最近は治っているはず。しかし貧血は治ってないか。
香港では、わたしのアセンダントは、水瓶座の19.37度になります。またMCは、射手座の00.27度だ。嗅覚が絶頂的に高まる、この嗅覚で、探し物をする。嗅覚を頼りに、衝動的に行動をする、という配置になるのだけど。確かに九龍に着いてから、いきなりサーチ力が発動しましたからね。地図がなくても、どこでも探し出せるわ、という実感があります。

今日香港に来て、ちょっと意外だったのは、案外と英語が使えないことです。レストランでも、英語は使えません。これって、中国語です。で、料金はいくら聞いても理解できず、お店の人が、紙に150と書いてくれたので、はじめて香港ドルで150とわかったのです。でも言葉が通じないでも、ほとんど用が足ります。ボディランゲージで、オーケーです。香港、なじむなー。

昨日涌井さんのセミナールームでの講座をして、涌井ルームが、山田孝男グルの影響がかなり残っているのを発見して、とても懐かしい感じがしました。旦那さんが、そういう趣味だったというか、関係者だったようです。山田氏のヒランヤ関係のイクイップメントは、ほとんどが中村優一君が考えたものです。で、その頃いろいろと実験しました。
ある実験の時には、いきなりチャクラの渦が見えたので、驚きました。もちろん、このはじめての体験は優一君としたのです。優一君のチャクラを見たのです。で、水晶の中に、エジプト時代の、複数の人々の行進を見ました。彼らは何を運んでいたのだろうか。今なら理解できます。彼らは、書物を秘密裏に運んでいたのです。キリスト教がやがては支配力を発揮することを予見して、その前に、書物を隠そうとしていたチームです。アレキサンドリアから、ルクソールに運んだ。
で、涌井さんが、UFOと宇宙の愛読者だったことにも驚いた。わたしは北海道の中野少年に会いに行ったのです。それは土星人のラミューさんが好きだったからです。中野少年は、のちに、こういう宇宙人コンタクトを否定しましたが、おそらく、それはたくさんの人からの攻撃に耐えきれなくなったからです。でも、ラミューさんはいるよ。ラミューさんが中野少年に渡したという、金属リングを、構造を推理して、中村優一君と一緒に作りました。右回り螺旋と、左回りを対消滅的にぶつけて(つまりはハニカムだ)上位の次元の力を引き込むという構造の金属リングです。この世界においての新陳代謝が急速に抑止されることに、戸惑いました。でも、いま思うとそれも正しい効果です。
いろんな金属のイクイップメントに、アロンアルファを使いすぎて、アロンアルファ中毒になっていたあの頃の夏。指の皮が、ばりばりに剥けていました。