2015年12月1日火曜日

20151201 今日もヘリオセントリック講座だ

昨日の質問。
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ところで、昨日の講座の感想ですが
最後の参加者の、ジオセントリックとヘリオセントリックの対比がとても面白かったので
今後の講座では、ぜひみなさんの両方を軽くやっていただけると更に分かり易くて面白い講座になると思いました。

もう一つ、ヘリオ初心者として、ここを深く説明して欲しかったと後から思ったのですが
私自身がヘリオの地球をどう考えるかが不完全燃焼でした。
水星が大事なのはわかるのですが、だったら地球って何?ということを聞きそびれました。

私の今の理解だと、ジオだと人生の柱になる太陽と心情の月の両方が、ヘリオで考えた時はジオの太陽の180度反対の度数になるので、それこそ統合された自分自身の終着点になりますよね?でも、あくまで太陽系の9天体のうちの一つに過ぎないので
そこを重視しすぎてはいけないのでしょうか?

ジオの出生図を読むときに、太陽の反対の度数をもっと意識しないといけないとも思いました。特別な計算もいりませんし、太陽の度数そのものの意味ももっと深くなりますよね。人生が進むと180度反対の方に動くわけなので。


月の心情の部分が無くなって、一番感情に近いところが金星になりますし
次の螺旋を生きるという感じでしょうか?
ヘリオの地球は、水星のように直接の行動には結びつかない、自分の状態、存在のあり方、という感じかなあと思いましたがいかがでしょう。
ジオの太陽と違って、それが人生を引っ張っていく力にはならないということでしょうか?

私のジオの太陽は獅子座21度で酔っ払った鶏ですが、その先には水瓶座21度があるわけですよね。やはり獅子座21度を卒業できたら辿り着ける境地であって、ジオの月の到達地点もそこになるのは面白いです。

逆に水瓶21度の人は獅子座の21度を目指していると思うと興味深いです。


まとまりが無くなりましたが、次の講座に活かしていただければ幸いです。
シュタイナーは、生まれるときに決めた人生の目的を見つけられる人はほとんどいないと言っていたようで、生きている間にヘリオ的な生き方までいける人は少ないのでしょうね。
もちろん、私は目指したいと思いますが。

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1.ジオセントリックの太陽は、地球から太陽に向けて、植物が伸びるように上昇しようとする。
2.太陽にはサインのカラーもないし、太陽系の中で唯一、無の領域。
しかし地球から見ると、地球の逆像を投影し、それが太陽のサインになる。これは例えれば、自分が緑色の存在は、無を見ると、そこに赤色を発見する。
太陽サインで自分を見ている人は、緑色の人が自分は赤色と主張しているようなもの。
3.太陽サインは、太陽に向かっているが、この太陽に自分の逆像を投影するという姿勢によって、どこまでも、二極化されており、しかも逆像ということもあり、決して太陽には到達しない。
4.下から上に上がることは、自力ではできない理由は3にある。その時に、上から下に降りてくるものがあると、それは下からあがるものを助ける。この上から下に降りてくるものが、ヘリオセントリックの地球ポイント。
それを太陽サインという視点にぶつけることで、二極化が統合化される。
5.太陽から各惑星に分散しているものを同時に全部意識することで、これはもともとの太陽を復元する。ただし、太陽を1とすると、全惑星をあわせて0.99999999のような印象。一度割れてしまったものは、もとに戻らない。金継ぎしなくてはならない。

緑色の人は、外界に赤を見るというのは、自分自身の存在を、当人だけが意識しておらず、そこに穴というか、空無があるということだ。自分が緑であることに気がつくと、それがこれまでの「空無としての、無意識的なわたし」から離脱することを可能にする。
これは、自己想起とすこし似ている。考え事をしているときに、その人は考え事になりきって、自分が不在になるのだが、その時に、「わたしはいま考え事をしている」ということを意識するのが自己想起だ。

サインの180度関係は、互いを反射器にして、自分を意識する。
互いを反射器にするが、この対抗にあるものを、自動化して活用している。
たとえば、太陽サインが獅子座の人は、熱感覚。地球ポイントは水瓶座の嗅覚。嗅覚を発揮するには、自分の熱感覚を活用しつつ、それを消さなくてはならない。
この「活用しつつ、消す」というのは、わかりやすい例をあげると、わたしは英語で自分の考えを述べることができない。なぜなら、英語が自動化されておらず、わたしは英語という言葉を意識しており、なので、それを使って、(反射器にして)考えを話せない。日本語なら、自分の考えを述べることができる。その時、日本語は自動化されており、わたしは自分の考えを述べているときに、日本語を意識しない。思考を言葉にぶつけて活用しているのに、この言葉を意識していない。

熱感覚があるからこそ、嗅覚が働く。嗅覚は周囲のものを察知し、嗅ぐことだが、それは自分に熱感覚があるからこそ可能なことだ。熱感覚によって、周囲との落差が生まれ、この落差は、嗅覚として受け止められる。熱感覚がないと、嗅覚は機能しない。熱感覚の人にとって、嗅覚は支えになりつつ意識されておらず、嗅覚の人にとって、熱感覚は支えになりつつ意識されていない。熱感覚と嗅覚は、いわば呼吸作用だ。
太陽サインの獅子座を持っている人は、そのことを自己想起していない。でも、獅子座という熱感覚を意識するというか対象化すると、水瓶座の嗅覚がクローズアップされる。その嗅覚で、自分の熱感覚に気がつく。
「ユダヤ人は匂わない」という皮肉の言葉は、ユダヤ人は自分の熱感覚に没入しており、自分が浮いて匂っているということを知らないということを言いたいのだろう。