2015年12月19日土曜日

20151219 香港二日目

わたしが宿泊しているホテルは遠くから見ると、巨大でした。
で、九龍では大きな通りのネイサン通りに面しているので、大変に栄えています。今日は、スタバと、ホテルの地下のカフェのふたつで作業をした後、このネイサン通りをずっと歩いてみましたが、かなり賑やかだ。
で、ネイサン通りからひとつ裏に入ったところのレストランに行きました。
ここでも全員が中国語です。広東語なのかな。
昨日はステーキとブロッコリーの二皿でしたが、今日は、海老とブロッコリーの二皿。完璧にブロッコリーにはまってしまった。海老の食べ方がわからない。殻ごと食べたほうがいいのか。中身を出して食べたほうがいいのか。わたしは頭だけとって、後はそのまま齧りました。口の中でいろいろ刺さったりする。
基本的に、香港の人は人に気を使わないのかも。セブンイレブンも、めちゃくちゃ愛想悪いし。レストランでも、皿を片付けた後も、背後でものすごく大きな音がする。皿とか投げているのか。この神経質でないところが、気楽です。
で、基本的に、何か買っても、袋はなしで、袋が必要な時には有料です。買い物する時には、自分でカバンとか持っていかなくてはならない。
香港では、英語の当て字が多いんですかね。タクシーは、的士です。
毎回1.5リットルの水を買うのが面倒くさいので、今日は、セブンイレブンで、5Lの大きなボトルの水を買いました。海外では、どこの国でも、これはよく見かけます。バンコクでも、これはたくさんスーパーに置いてありました。

午後になって、近所のデパートの地下の食品売り場で、マヨネーズ見つけた。
あとは、皿だな、と思って、探索しました。白い皿で10元と書いてあるのをみつけ、10元は、香港ドルにしていくらかなーと思っていたら、10元は10ドルらしい。
いまネットで見たら、1香港ドルは、0.836218298人民元らしい。
いかにも本土の人がやってるバッタ屋みたいなお店でした。
これで、さば並びにさんまの水煮缶詰があり、マヨネーズがあり、箸もくすねてきて、皿もある。食事できますね。デパ地下では、ウォールナッツの測り売りも手に入れたし。
香港では生野菜というのが、まだ見つからない。かわりに乾物がやたらに多い。

香港には本土のPM2.5は来てないようです。おそらく本土のPM2.5は、日本のほうに移動しているほうが多く、香港は方角的に、流れてこないらしい。なので、マスクをしている人は、ほとんどいません。わたしひとりが、マスクして歩いているので、ちょっと目立ちます。もうひとりマスクしている人を見かけたけど、あきらかに日本人ぽい。

海老のことなんですが、はじめ出てきた時に、手で皮を剥こうとした。すると、手が真っ赤になって、これでは続けられないと思って、直接手を使うのをやめたのです。で、ナイフとフォークで頭を切り離し、そのまま食べていた。なぜか、わたしは海老の尻尾を食べるのが好きです。それにしても海老とブロッコリーだと、繊維だらけだな。
バンコクと同じに、唐辛子を入れた液体がついてきたけど、相変わらず、わたしは、もうこの辛子というか辛さがわからなくなっています。酸っぱい液体だなとしか感じない。

いま、ホテルのテレビで古いアメリカ映画見ている。古いアメリカ映画は、夢の中にいるような雰囲気が多いです。コルンゴルドの音楽も影響があるのではあるまいか。それとか古いデキシーなんか。これに比較すると、現代の映画はほんとに神経にトゲが立ってる。
わたしはいま、マクロ宇宙に対応するミクロ世界を書こうとしているので、参考までに、ナノ小説を試験的に書いてみたいと思ったけど、ニコルソン・ベイカーは、最後まで読む前に挫折します。より小さいものはより大きいものに対応するということを、ありありと書いてみたいのですね。

ディートリッヒ・ギュンベルの、心臓に関しての記述に、とても良い部分があります。彼は、この微妙な部分を上手に表現しようとしている。他は狂信的な癖に、部分的には、妙に繊細な記述があるんですよね。それをわたしも評価したい。物質的な血液作用が、心に接続される部分。空洞で、それは変換されるのです。それにまるで音楽みたいに、基本リズムの中で、信号が理解される。これが基本の心拍数なんですね。