2015年12月10日木曜日

20151210 昨日は精神宇宙探索講座

最近は、新マックブックのキーボードにはかなり慣れてきました。これだけで全部こなせるような気もしてきました。慣れるのに、ほんとに時間かかりますね。このマシン。

で、昨日の精神宇宙探索講座ですが、やっと、ケンタウルス、シリウス、オリオンまで行きました。いままで、あちこちで精神宇宙探索講座したけど、初回が多かったので、ずっと、ベースのアクルックス、カノープスが多く、オリオンに行ったのは今回が初めてです。で、このあたりは、ベースのアクルックス、カノープスとかとはかなり違うということに、気がついてもらったみたいです。
たとえば、以下のようなコメント。

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私は、その黒い服の受付嬢と赤いじゅうたんを見て、
そこがペテルギウスだと気が付いて
あ、間違えました!と、
そこを出て、あらためてベラトリックスに行きなおしたので、
あまり長居をしなかったので、
今度しばらくいるってことをしてみます。
とにかく、気がついたらペテルギウスにいたことに驚いたのでした。
なんで、わたしここにいるの!?みたいな感じだったのです。

ベラトリックスは隣ですから、と隣に行ったのですが、
今、星座をみてみたら、やっぱりそういう配置なんだということに、
今、気が付きました。
ベラトリックスは、海に大きなクジラがいたり、ナマズがいたり、
人魚がいたりしました。

なんか、カノープスとか、アクルックスとかのが、
わりと、なんていうか抽象的で
陰と陽とか、砂時計のようなものを通って、反転する世界とか、
そういうものをみる感じだったりして、
抽象的なんですが、
オリオンとかになると、妙に人間的?というか、
わかり安い気がしました。
出てくるものがハッキリしてる気がしました。
神話とかがはっきりあるからかしら。
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とりわけアクルックスは幾何図形的な世界ですが、
オリオンあたりにいくと、有機的な生物的なものに変わっていきます。
しかしまた、さらに上に行き、アンドメロダにいくと、変わります。
でも、ともかくはっきりしているのは、
昨日も説明しましたが、
惑星は一方的な時間の中での、つまり時間と空間のある世界となり、
わたしはこの時にいる、わたしはこの場所にいるということは、
わたしはあの時にいない、わたしはあの場所にはいないという限定性があり、
恒星領域では、この限定性がなく、偏在する存在性ということになる違いです。
それで、また繰り返すけど、その宇宙にいくたびに、そこを示す霊界文字を手に入れてほしい。単語がひとつずつ手に入る。そして、最後は文字体系が出来あがる。
アメリカのコンタクティで、シリウス人に接触して文字をもらった。
そのいくつかは、ジョン・ディのエノク語と同じだったということですが、
エノク語は19語です。この程度の数です。
幾何図形的なものと、曲線のものが複合され、わりにシンプルな文字ができると思う。
フォーカス39とフォーカス49の違いは、
内部に自己分割的な、惑星の動きを持っているか、持っていないかの違いです。
太陽系の太陽は、その意味ではフォーカス39であり、常に自己崩壊の可能性を内包しています。オリオンにいくことで、弾け散るような創造的拡散を体験してほしい。たぶん、オリオンにいくたびに、自分の中で、この要素が拡大され、思い出され、覚醒していきます。そしてシリウスを通じて、あらゆるものに憑依可能だ。
いま「ゴーストライター論」神山典士著を読んでいますが、ゴーストライターの快感のひとつは、著者に乗り移ること。そして、著者の運命を支配することみたいなことも書いてあります。やはりゴーストなんだね。
作曲家は歌を作り、それを歌手が歌うが、あたると、その歌手は、この歌を死ぬまで背負わされた人生を歩む。ゴーストライターは、そういう醍醐味があるのだそうです。
これも、シリウスの性質のひとつだ。
シリウス人は、地球人からすると物質的な肉体を持たない。持っているんだけど、地球人からすると、相対的に物質的でない。しかし抽象的でもなく、かなり低い次元まで降りてきます。
それで、シリウスに行くというのは、同時に、日常の生活の中で、シリウス人に憑依されるということも、体験したほうがいいと思います。シリウスに憑依されると、ぐっと快感が高まります。超越的な気分になりますよ。ドラッグをした感じと言えばいいのでしょうかって、そんなのドラッグした人にしかわからないではないか。

シリウスのヘリアカルライジングは、太陽とシリウスが、重なることを意味するけど、ここでは、太陽の人格と、シリウスの人格が至近距離で重なることでもある。だから、分身的に、もうひとつのわたしが、オーバーラップする。
地球人は5方向しか制御できないが、シリウスなら6方向制御できる。つまり地球人は地表から離れることはできないが、シリウス的なもうひとつのボディは、飛び出すことができる。つまりシリウスが憑依してきた時の気持ち良さは、地球の重力に拘束されていることを緩和できる快感なんです。この世で何か一番不快かというと、やはり地球の重力に拘束されていることでしょう。すべての不快感は、ここに起因する。ブチ切れたくなりますよね。
わたしは映画「マスク」は、シリウスを描いている映画だと言いましたが、これ、シリウスをあらわす記号の犬と、またシリウス的なパワーが、ドーピングのような形で描かれていますね。日本では、山を走り、狼になる。この修験道の道が、シリウス道なんです。
あるいはヤマトタケルは、眷属が、白鳥か、日本狼です。ヤマトタケルは、東征したのでなく、西征した。ヤマトを攻めた。これを書き換えたのは、中臣鎌足一派だけど、ヤマトタケルを群れた狼、あるいはシリウスと重ねてもいいのでは。

すべての宇宙知性は、地球にくる時には、まるで上野駅みたいに、シリウス駅を通過する。外からシリウスを通じて地球に来る時には閉じ込めることに。地球からシリウスに行くと、それは開放することに。
で、より低次元的、物質的なところにシリウスを引き下ろすという意味ではヘリオセントリックでなく、恒星パランで、シリウス探したほうがいいかもしれないですね。ジオセントリックはいま、ここにしかいない、はかないわたしをあらわしているのだから。そこにシリウスがくるということが、低次元まで降りてくるという意味です。体から開放される方向性です。