2014年4月5日土曜日

20140405 重なるので、自分のいつもと違う趣向が混じる

K氏が近くにいることで、いつもと違う買い物とか、いつもと違う食べ物を摂ってしまう、という人のメールに対して、わたしもそうだと答えた。
>じぶんのしゅみと違うものが、どんどん入り込んでいる
というふうに。

で、その返信。

>先生も?
>こういうことってあるんですね。
>私は今までエーテル体が強い人の死を経験していなかったのだと思う。
>だからわからなかった。
>驚いています。
>先生は大丈夫ですか?
>先生の今のチャートとKさんの先生への想いの強さを考えると
>たぶん私と比較にならないほどリアルなのでは??

四次元的な世界は、空間的に対象化して見る、ということができない領域なので、Kが近くにいる時に、それをあたかも三次元の存在のように、対象化して知ることはできず、自分の感情、行動などに共鳴したものとして認識する。
いわば外にあるものでなく、内にあるものとして認識する。
で、Kが近づきすぎた時には、わたしのいつもの感情、行動パターン、感じ方とは違うものがわたしの中に出てくるが、近づきすぎると、わたし自身の均衡が保ちにくくなる。
時々寄りすぎになる。昨日はとくにそうだった。
ただ異物ではないので、入り込みすぎても、有害ではない。
想念内容でも、あ、これ、自分のと違うというのはすぐに識別できる。

わたしが占星術をしている時の考え方、姿勢には、山田孝男のかなりの部分を取り込んでいたことが自分ではわかっていたので、山田氏が死んだ時に、その成分はもっと増えた。血中山田成分みたいな感じ。
でも、山田氏が生きていた時、わたしは直接には一度しか会ったことがなかった。
ルル・ラブアさんが死んだとき、わりにルルさんとは座談会なんかで何度も会ってるのに、接点はほとんどなかった。
直接会う会わないというのは、霊的共鳴とはあまり結びつかないようだ。
むしろ、似たような共鳴する性質のものとは、三次元的な世界では、あまり近づかないと思う。
似ているのなら、近くにいる意義がないのだから。

>私は驚きとともに、喜びもあります。
>これは、8ハウスの木星(天秤14度)が受け取ったKさんからの遺産のようなものですね?
>トランシットの活動宮のハードはこういう感じでも出るんですね。
>考えてみたら
>時々食べ物と、そして音楽も今まで聴かなかったものを先週から聴いていて
>これもKさんの好きなものかも。
>そして、先生がKさんを話題にする、というのが
>彼としてはとても嬉しい、そんなのが伝わってきました。
>世界って、すごいですね! すごくないですか?
>Kさんの死は悲しいし、
>生前ほとんど関わりが持てなかった、そのことへの自分のタイミングの悪さにはイラつきを覚える
>けれど
>でも今は、私のガイド的な存在になりつつある。
>8ハウスの天体の数だけ、ガイドが出てくるのなら
>私は水星は弟で、太陽はKさんかもと思っています。
>死んだ時期で、考えていいのかな?
>先生の体温、上がるといいですね。

雪山では、34度で死にゆく、というのを読んで、
自分の34.6度というのは、あきらかに危険だと思ったので、
体温をあげる努力をはじめました。
金時生姜粉をネット注文し、おとといから飲んでいる。
紅茶にいれるとまずいので、お湯で飲む。
最近、走ってる時に心臓が苦しかったのは、どうやら低体温で血流が悪くなっていたかららしい、というのは、赤ひげ堂の先生からのインフォメーションでわかった。
低体温になると、基礎代謝が悪くなり、すると体重が増えていく。
すこしでも、たとえば1キロでも体重が増えると、つま先走りがしにくくなり、普通走りになる。
すると、走るのが楽しくなくなる。なので、またフォアフットに戻すために、全部の調整をするつもり。



2014年4月2日水曜日

20140402 資質の掘り出しについて2ハウス、5ハウス、11ハウス

こないだの講座で、ハウスサビアン的に、2ハウスの冥王星が、おうし座の5度、墓を掘り起こす未亡人のところにある人の例を説明した時に、
牡牛座は段階的に鉱脈を拡張し、もっと深いところに掘り下げていくという話をした。
あるレベルのバッテリーを使い切ると、さらにその下にあるより大きなバッテリーに行き着く。
なので、おうし座のサビアンには、地下から上がる、というようなイメージが使われる。
この場合、それを覆う上にあるものを使い切らないといけない。
あるいはまた、18度の鞄をひっくり返す人みたいに、詰まっているものを全部吐き出しきらないといけない。
このおうし座の発掘が行き着くところまで行き、それ以上は進んではいけません、という段階来るのは、おうし座の24度。そして常にサインは25度で完成し、打ち止めになる。25度は24度にストップをかける。それ以上は進むな、と。
牡牛座の24度は、骸骨をさげたインディアンで、脳の中核の本能的な部分まで掘り下げて、これ以上進むと、人間ではなくなるよ、というところに行く。ジュラシックコードの部分。古皮質。だんだん、レプタリアンになるのかもしれない。

視覚はおとめ座に関係し、特定のものをクローズアップしてみるが、全部を均等に見ることはできない。思考の反映されたものだけを見る、ということは前に説明したことがあるが、おうし座の場合も、資質のすべてを見ることはできない。そもそも土のサインである牡牛座、おとめ座、やぎ座は、すべて限定性ということが大きな特徴なので、思考、信念体系などが照らし出すものだけを取り扱うので、よく言う氷山の一角しか見てない。

で、2ハウスの資質を発掘するのに、あるいは違う言い方をすると、どうやったら儲けることができるのか、ということを探索するのに、これまでのものを使い切り、もっと気力と集中力で、深入りする、という単純で直線的な柔道一直線みたいな行為だけでなく、これまでの考え方が変わらないことで、見えてこなかった新しい側面を、ヴィジョンを変えることで新たに切り出すということも重要だ。

たとえば、5ハウスというのは、アセンダントの120度的な延長なので、その人が素直に自分の自己主張を遊び的、楽しみ的に拡大することをあらわす。何度か説明したように、5の数字、五角形には、その中に黄金比率があって、黄金渦巻とは、一方的に、ずうずうしく、自分のしたいことを広げていくことを意味する。自然界の中で、唯一それを許す比率なのだ。
で、この5ハウス的な拡張、リラックスして、わくわく楽しみながら夢を広げていくと、それは180度にある11ハウスを刺激する。

11ハウスとは未来のヴィジョン、計画、改革、物質的に存在しないがヴィジョンとしての所有物、飢えているということに満たされているものをあらわす。満たされないと、何か食べる人は多いと思うが、ひもじい感覚に広がりと満足感を感じる人もいます。しかしそれが継続するわけではなく、やはりひもじいと何か食べて、その欠乏感を失う。ひもじい状態は、つまり食べ物を引き寄せる。
それに11ハウスは、共有された5ハウスで、5ハウスはひとりで遊んでいたが、11ハウスは7ハウスから5番目なので、他人と共同で夢を追うことをあらわす。

この11ハウスの未来ヴィジョン、将来こういうことをしたい、自分はこんな未来を引き寄せたい、という欠乏感は、90度で、2ハウスの鉱脈の新しい部分を照らし出す。
11ハウスは未来、2ハウスは過去。90度なので、表向き対立している。未来派と保守派が対立するように。

でも、90度は表と裏、という異なる位相での協力関係だと説明したように、11ハウスのヴィジョンをこれまでと違うものにしてゆくと、結果的に、それに照応する異なる資質を、2ハウスの中でアクセスすることになる。
この玉突きは、5ハウスで楽しく遊び、この遊びの中でこうしたいというイメージを明確にする。すると、それは11ハウスを刺激して、将来の自分の像を形成する。この将来の自分の像をもとにして、2ハウスの過去の資質の新しい局面を発掘する。

2ハウスと11ハウスを同一平面で並べてしまうと、このふたつは確実に喧嘩します。
2ハウスはこれまで持っているものに守られて、その線上で容易に想像がつく未来にしか進まない。
なので、前にも書いたように、ものを捨てられない人は、そのものに守られて(呪われて)自分の人生を変えられない。ものそのものでなく、それに対する執着心という意味だよ。

この2ハウス、5ハウス、11ハウスの玉突きの例を考えていると、実は、自分がそれにそのまま当てはまっている時期だと気がついた。
5ハウスに出生図で、天王星があるのだけど、これは蟹座の14度近辺なので、いま、11ハウスから、やぎ座のトランシット冥王星が180度になってる。
11ハウスに死と再生、太陽系の外との扉の冥王星がやってくると、必然的に、それは未来ヴィジョンの変革という意味になる。
で、冥王星は天王星とスクエアになっているのが、今のトランシットの最大の影響で、このトランシット天王星は、2ハウスに入り、冥王星が壊しているどさくさに、天王星は分散しているものを新たに集合させて、新しい結晶を作り出す。2ハウスの天王星って、はじめは副収入、そのうちに、違うやりかたをはじめる、という意味。当然未来像が変わると、それによって収入が変わる。

2ハウスは収入だけでなく、持ち物、過去から照らし出されるもの、その人を地に縛りつけるものなのであるが、二年前くらいに、ヘミシンクで、わたしがものを持ちすぎていることに、ガイドからクレームつけられたことがあって、まあそれはそうだよな、と思っていたのだった。
本、レコード、スピーカー、CDなどで、わたしの重要な持ち物というのは非常に単純で、音楽聴く、パソコン使う、本を読むという三つに関連したもの。
わたしは30歳になるまでは、段ボールひとつかふたつ程度の所有物しかなかった。
これはどうしてなのかというと、子供のころからの体験的な実感というのがあり、ものを持つと、それがまるで祟りのように自分の思考能力を拘束して、身動きとれなくなるという実感。
それを感じると、急いでものを捨てたので、つねにもの、思考というふたつが葛藤をしていた。
で、年をとるごとに、それが緩和されていったのだが、ガイドに言わすと、バランスよくない、ものを持ちすぎているという話なのだ。
これはわたしからすると、という意味で、ほかの人と比較するべきではない。

で、冥王星と天王星という90度の活動サイン影響の実行者側の天王星が2ハウスにあるのだから、もの、所有の枠組みを変えなきゃと思ったのだ。違う、それはいま考えたわけで、天王星のことを考えるわけでもなく、2ハウスの枠組みを変えようとしているのが、ここ最近の話だ。
持っていたCDは全部waveファイルに変換した。
スピーカーは基本的にほとんど廃止。というのも、優れたヘッドホン、イヤホンで満足できることがわかったから。
で、数日前から、本のPDF化。一万冊でさえ1Tバイトに収まるというのは、計算してみて、あらためてびっくりでした。ipadmini一個あれば、それが全部読めるんだよ。

で、PDF化のことを雑記に書いたら、竜次さんから、もっと企業努力している、もっと安いところがあるという情報をもらいました。PDFを、ipadmini用にカスタマイズしてもらえるサービスつきなんだそうだ。で、いまは700冊をPDF化したらしい。
「しかも、2倍速の読み上げ音声データにもしてくれるので、スポーツジムで走りながら本の音声を流して聞いたりもしています。個人的にはこれが一番便利でした。」
このサービスは面白いかも。
犠牲になるのは、フォトリーディングだけだ。
いろんな会社で試したらしいので、自炊に関しては、かなり気合が入っていたわけですね。

わたしが2ハウスの持ち物を整理することを、ガイドからクレームつけられながら、それでいて、なかなか進まなかったのは、ともかく2ハウスを変えるというのは、抵抗が多いものだから。本来。
Huluのドラマ「ブレーキング・バッド」で、ピンクマンという、よれよれのジャンキーのあんちゃんが、部屋を借りて、この中でほとんど持ち物なく、床に転がっていた光景を見た時、あ、こういうスタイルもいいなと思い、それが刺激になりました。
ブレーキング・バッドは、4月11日から、シーズン4が出るらしい。

おとといは、体調的に好調だったのか、体温が35.6まで上がったけど、昨日は、また34.5まで落ちた。ある地域の人から、こういう体調が悪い時に申し訳ないですが、講座してください、という連絡が来たけど、違うんです、わたしが体温を上げる手段はいまのところふたつしかなく、走るか、それとも講座で喋るかなんですよ。喋ってる間は、ちょっと上がる。休憩時間はまだ下がり始める。










2014年4月1日火曜日

20140401 本はどっしり重すぎて場所も取りすぎるので

新書・文庫以外、持ち歩くのは大変だ。
昨年チェンナイに行って、聖トマスの墓にも行った。
聖トマスの福音書が登場するナグ・ハマディ文書のシリーズは数冊持っているが、みな分厚く、一冊でさえ持ち歩けない。
CDは全部リッピングしてiTUNESで管理している。
同じように、本もPDFにしてみようと思って、
大阪の自炊委託業者に、試しに、50冊送ってみた。
これは急便バージョンは、50冊まで、と書いてあったからだ。
で、PDFになったものは、その会社のサイトからダウンロードする。zipで保管されている。
一冊百円で、ファイル名を番号でなく書籍名にしてもらうと、50円増し。急便は100円増し。
二か月待ちでもいいのならば、一冊100円(350ページ以内)で可能だ。

ダウンロードしたPDFは、ナグハマディの一番分厚いもので、120MBくらいある。
このPDFを保管するための、buffaloの、外からスマホでもアクセスできるLanHDD、安全のために、Raid1にしたものを用意していたのだが、外から120mbのデータを読み込みする、などというのは、とうてい無理なことが判明した。街中のwifiは、あまり高速でない。wimaxでも、なかなかうまくいかない。

なので、Ipad_miniに、PDFリーダーを入れて、iTunesを通じて、データを転送してみた。
Ipad_miniは、64ギガあるので、そこそこたくさん入るはず。
キンドルペーパーホワイトだと、2Gしかないし、さらにPDFそのままだと霞んでうまく見えなくなる。
いま、ナグハマディを読んでいるけど、Ipadminiでは、なんの抵抗もなく、あたかも書籍のように読める。

キリスト教では、エデンの園の蛇は悪いものだが、グノーシス派だと、知恵を教えない神が悪い支配者で、エデンは収容所みたいなもので、知恵を与える蛇は救済者とか、またキリストだと解釈される。つまり意味がまったく逆転する。

非常に結果がよかったので、ファイル名は自分で変えることにして、最安値の一冊350ページ分が100円の申し込み形式で、段ボールをほかに四つほどクロネコ宅配で送った。これは五月の終わりにデータ化される予定。
iPadminiか、あるいはもっと他に目の疲れない適切なPDFリーダーがあれば、場所がすっきりする。果たしてRaid1が必要かどうか、ということではあまり必要はないのかも。iTUNESのwavデータにしても、裸族のお立ち台で、3TのHDDを、ほかにふたつバックアップ用としてクローン化していて、同じやり方のほうがいいかもしれない。
10冊で1G平均だとすると、1Tで、1万冊入る。いまどき、電源いらずのポータブルUSB接続2.5インチHDDでも、2Tを売ってるから、無線Raid1のサーバーは無意味か。



2014年3月31日月曜日

20140331 Kに関するメール

Kの死について、何人かメールが来ました。
この中で、ふたつ、要点だけここに引用します。

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1

私もおとといの晩、夢の中で
彼のエネルギ-と「共鳴してしまった」ようでした。
すぐわかって悲しい感じだったから大丈夫?
というエネルギ-を送ったら
向こうが手をガバーと掴んで来たので
怖くなって「私はまだ生きるからやめて!」と怒鳴って
エネルギ-を切って
こっちの世界に戻って来た(起きた)
というのが夜中の2時ごろありました。
怖くてそれ以降寝れなくなってしまった
そこは暗くて怖くて
感情が淀んでいるような場所で
そして向こうは一人のようで
私はいわゆるフォーカス23??
と思ったのですけど・・・
その夢の中で何かできたら
よかったのかなと気になっていたのですが
松村先生の雑記超タイムリー!!
向こうで誰かついてくれている人が
いるようなのでちょっと安心した・・・

亡くなったニュースを聞いてショックだったのですが
そんな夢を見てたり、
松村先生の記事を読んだり、
あと、3月入ってずっと心臓が
ばくばくしていたんだけど
その夢を境に普通になってきたというのもあったり
彼の死の意味が私の中で変容してしまいました。
空いた穴に違うものが、埋め込まれた感じです。
きっと他の人のところでも
いろいろ共鳴現象が・・・・
起きてるんじゃないですかね。

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2

Kさんは、私の傍にもずっといます。隣の時もあるし、左横の時も
右上と感じることもあるし。
先生は荒い感じと書いていたけれど、私は時々寒そうだと感じます。
でも嫌な感じではない。
先生が書いている女性は、私にはわかりません。

実際に2回しか会っていないので、言うのはとても気が引けるけれど、
ここ数日はほかの誰よりも、つながっていることを感じます。
ふだんから人の気配とかそういうのを日常的に
けっこうリアルに感じながら生活していると思うんだけれど、
Kさんは誰よりも近くにいる。

先週月曜の講座中、何か部屋に違和感を感じて
話に集中できず、外や天井に目がいった。
一番目が行くのは、トイレのドアでとても気になった。
誰かがいる、何かあるという感じです。

今年の春分に江の島へ行ったけれど、前日江の島にあるプールに入っていた。
入りながら、色々なことを考えていたけれど、頭上を飛び回るとんびが
とても印象的だった。
あの春分の江の島の雰囲気と、Kさんが重なる。
2回しかお会いしなかった私がリアルに感じ取るのだから
Kさんのエーテル体はすごく強いんですよね。
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31日には、以下のようなメールも来た。

3

このメール書こうか迷いましたが、Kさん来たので送ります。肋骨の後ろが痛いです。
一緒にワークショップを企画していたのですが、実家にいるので延期で、というメールをもらい、内容はただならぬ状況でした。ある日に我を失い、ここ5年の記憶が消えていたということでした。それを先生にお知らせしようと思いつつ、私はなんとなしにぐたぐた見送っていて、まさかKさんが急逝するとは思わず。。
Kさんがこちらで前後不詳になっていた間、私のところにはひどくざわざわした気配があり、山形に行ったという日にそれは消えていたので、あれはKさんが返信気にしていたのかな、でももう実家だし大丈夫だねと思っていました。今思えば身じまいのために山形に帰ったとしか思えません。ただ、結果は同じでしょうけど、先生には言えばよかった。申し訳ありません。
記憶が消えて狼狽し、数日かけて、今何をしているかやっとまだらに思い出したとメールにありました。山形では5年の間にあったことを、Kさんは手元のメールなどをたよりに反芻したと思います。会った時、ずっと小さい咳をしていて、今おもいかえせばそれは肺に水がたまる心不全の前兆で、記憶が飛んだのも血流不足でしょう。先生にずっとお世話になったままでこたえることができない自分が切ない、と彼にしては珍しい個人的な話をして、これから新しいやり方をして行きたいとか、とても熱心に言っていました。Kさんいよいよこれからだね、と楽しみにしていましたが、ロープレ、まさか中間領域でやるとは。

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わたしがKと関わるのは、三年くらいと、はじめにKに言った。
そのあとは、自分で自由にしてくれという感じで。
だいたい2010年から始まったと考えると、2012年か2013年まで、ということになるけど。
とくに体調が悪くなったのはやはり2013年だ。






 

2014年3月29日土曜日

20140329 で、今日は非常に近いところに

数日は、気配がなかったので、その間kは、わたしをサーチしていたのだと思う。そして、通路ができた。物質的には東京の渋谷区にいる、という感じで、探す必要などないけど、そういうレベルではなく、心理・アストラル的なレベルでは、差位性があると、接点をつくるのに時間かかる。

今日は、寝不足だったのでひさしぶりに、ゲートウェイのF12を聞いてみた。寝不足の時に聴くと、体力回復する。つまりずっと使っていなかったのだ。

聴き始めると、すぐに、2メートルひだりに、彼が立っていた。直後に、10センチの距離に来た。まだ、死んだ直後なので、荒れている。少し。たぶん時間の問題。この荒れている感じというのは、まず生々しさがあるのと、ちょっと怖い雰囲気というところ。無理矢理身体から引きはがしたところでできた、ゆがみみたいなもの。調整されていくと、これがスムーズにまとまる。

彼は自分が住むことになっている場所を示した。巨大なツボのようなものの中の、中腹にある穴。あまりにも大きな壷なので、ひとりが入る穴は非常に小さく見える。でも、そのまえに、彼の背後に女の人がいる。感じとしてお姉さんみたいな。これは、だれなんか?

彼は、丸い白い絨毯を見せた。わたしは、なら、中間領域で、展開しなよと言った。しばらくは、エーテル体の世界にとどまるつもりらしいので。
心残りは、わたしが提案した、ゲーム手法のTRPGらしい。それは、これからでもできるね。ここからその中二階にいけば。参加者は、そこにいけばいい。絨毯のサイズからすると、参加者は三人か四人程度しか入れない。

いずれにしても、わたしが異常な数日を過ごしていたのは、もやもやと気配を感じつつ、これ、自分の感情では、ないなーと感じつつ、それに包まれていながら、はっきりとKを、認識していなかったからだ。今日ははっきりと、接触した。なので、すっきりした。これからしばらくは、彼はわたしの、そばにいるらしい。

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で、わたしはモーエンとかに、今後はエノクかモンテーニュのような暮らしをしたいと言ってたのだけど、エノクは特に、死者ないし天使のようなものに囲まれて生きるという意味のことを指している。わたしの土星期には、土星のそばに海王星があり、しかも8ハウスなので、死後の人か、あるいは人になったことのないものが近くにいて、わたしはそれを対象化しておらず、(つまり合なので。)共存している感じ。こういうところでは、Kが十年くらいいても、違和感はない。

問題はわたしの生きている側のバランスの取り方で、関わり続けると、わたしのほうが、半分引きずり込まれている感じになるので、なんとも言い難い異常な精神バランスになること。前にも書いたけど、元気に爽快に生きていて、なお死者と関わり続けるというのはありえんでしょ。現代社会は、というかある時代から、生者と死者は分ち難く分離するという文化、精神の形を作り出してきたのだから。エノクのようになりたいというのは、共存可能だから。
生きた人々のいる社会と、霊・魂・死者・宇宙的な法則の領域には分離があると何度も書いたけど、この分離感が原因で、生きた人々に囲まれてにぎやかに生きている人は、宇宙法則や、霊との接点が薄くなり、霊との接点がある人は、結果的に、生きた人と仲良くない状態になりやすい。両立させようとしても、大きな溝があるので、生きている世界で何かしっかりとやっていきたい人は、いったん霊との関係を切り離したほうがいい場合もある。とはいえ絶対いいとは言い切れない。

雑記に書いたTさんの夫は、昨年死んだのだけど、講座で聞いた話では、その後、小さい娘と一緒に、ドコモタワーの隣のフレッシュネスバーガーに行ったことがあり、帰りに、娘が「いま、お父さんがいた。知らないおじさんと一緒に座ってた」と言ったんだそうです。死者と接点を作りやすい場所というのがあり、これは物質的な意味では、ちょっと良くない場所とか落ち込みのある場所、事故になりやすい場所で、物質的に脆弱なところは反対にエーテル的に強くなりやすい。身体でいえば縫合部で首とか股とか。

で、わたしはまとめて、死者、異次元、そしてUFOの来る場所というものはみな共通していると説明する。
なんとなく、体験的には建物の形が円形とか、螺旋階段があるとか、ぐるぐる回っている感じのものが多い。あのフレッシュネスはそういう構造。なので、わたしの見解としては、死者が来やすい。
いま思い出したけど、シュタイナーは肉体的な運動は直線に運動し、エーテル的な運動は、円形になるという話をしていた。ということは、ぐるぐる回転するような形は、エーテルレベルに接触しやすいということだ。これがわたしの体験と合致する。螺旋階段のある家で、客が異常な体験をたくさんする家があった。昨年行ったタンパのスティーヴのペンションも階段は回転していた。神宮外苑のマラソンは、直線に見えて、結果的に1.2キロの長さの円運動だ。クアラルンプールから飛び立った飛行機は直線で中国に行かず、回転した。

で、今どうして、この話を出したのかというと、死者はわりにひとりで来ない。Kの場合も、姉のような人が背後にいて、それはKの胴体よりも少し大きい体躯。Tさんの夫のそばにいたオジサンとか、この姉みたいな人たちは、案内者の役割でもあると思う。で、いつのまにか、わたしは一人で来る死者はさまよっていることの暗示。ほかに誰かいるのは、通路があり、助けがあることの暗示と解釈することにした。

人が死んで、肉体から離れると、肉体すなわち感覚組織が使えなくなるので、わたしたちが見ているような土地とか、建物とか、机とか、ものを認識できなくなる。なので死者は、わたしたちがものを見ているようには見ることができない。だからKも渋谷に行こうと思っても、行けない。つまり死後の世界はまったく違う地図、違う認識の線上で行動する。時間も進まない。あたかも空間を歩くかのように、時間を歩かなくてはならない。時間が進むためには、行動する労力が必要だ。
二メートル隣とか、10センチとかは空間的な意味でもないし、部屋の中という意味でもない。それは意識の共鳴の度合い。これがあたかも距離であるかのように見える。
なので、Tさんの娘が、お父さんが隣の椅子に座っていたという時も、死んだお父さんは、テーブルとか椅子を認識できないが、象徴的な意味としてのものには接近できる。象徴的な意味として、隣の椅子に座っていた、という。ちょうど夢を解釈するかのように受け取るといい。
もし誰かのところに、Kがいたら、共鳴したということです。シュタイナーの言い方がわかりやすいかもしれない。「思い出したらもうそれはすでに貫通してきている」








2014年3月28日金曜日

20140328 天秤座の24度

わたしのホロスコープでは、8ハウスに、天秤座の24度の海王星がある。ずっと昔、理由もなしに、唐突に倒れて立ち上がれなくなった時があって、その時に意識が遠のいている状態で、向こうの丘の上に老人が立っていて、にんまり笑いながら、わたしに手を振っていたのを見た。
その丘の上の老人から、わたしに向かって、川が流れていて、その時、この川が境界線の向こうとつなぐ作用を持っていることを知った。
で、わたしのホロスコープには、この海王星に関係した4つのオポジションのアスペクトが、2ハウスと8ハウスの間にあって、これが問題の川であることを知った。

これを死の川と考えてもいい。となると、まるで三途の川みたいだ。
で、とくに火星と海王星が、牡羊座と天秤座の24度領域に近く、この24度領域は、牡羊座と天秤座に関してのみ「外との接点」として働く。なのでハウス的にも、サインの度数的にも、川の作用が強調されている。

で、毎年、太陽はこの海王星というか川に接触するのが10月半ばで、わたしはいつもその時に、その年が終わったと感じる。というか、極端に脱力して、燃え尽き症候群みたいになり、何か壊れていくという印象を抱く。毎年決まって、だ。
川の先に、死の領域の接点としての海王星があり、ここを刺激されると、結果的に現世的な価値観とかアイデンティティのプチ崩壊を起こす。死の接点は、同時に生の価値観の崩壊と引き換えであることは言うまでもないので、元気に爽快に、死の領域との接点を作るということはあり得ないので、このプチ崩壊は自然なものだと思える。生のフォーマットがひずむのだ。川の先の海王星のとなりにある土星、すなわち老人はにんまり笑っていたが、このにんまり笑うところに、そうとうな意地悪な印象があって、これは生の価値観とかフォーマットを軽く壊してしまう意地悪さだと思う。それに、「そんなことは、前々からわかってるだろ」と言いたげな感じで、わたしに笑いかけたのだ。

で、昨日、雑誌のムックの記事を作るために、わたしに取材して、それを執筆する予定の編集者のYさんが来て、ひとあたり、説明が終わって、帰ろうとするときに、「そういえば、最近続々と人が死んでませんか。怖いんですけど、大丈夫でしょうか」と言った。
Yさんの個人的に知る人たちが死んでいるらしい。

で、わたしはわたしで、自分個人の周囲でも同じと考えていたのだけど、さらに、わたしにはそういう現象に接触しやすい面があった。
トランシットの火星が、わたしの出生図の問題の海王星の上にぴったりと張り付いて、動かないのだ。ずっと天秤座にある火星は、ここしばらくそこから動いてくれない。
毎年一年で一回転する太陽よりも、二倍、つまり平均二年で一回転する火星は、太陽よりも、もうひとつ深い作用を持つ。いつものことだが、ここでいう太陽は、占星術的な太陽、つまり地球のことである。
地球をわたしたちとみなした時、占星術の太陽は、わたしたち自身と同一化される。地球に生まれて、個人としてのエゴを持つ生き物としての同一視だ。

シュタイナーは、この地球(太陽)の両側にある天体の金星と火星について、金星はミクロコスモスへ誘う。火星はマクロコスモスへ誘うと説明している。夜眠って身体から離れるとき、人はマクロコスモスに。朝目覚めて身体感覚の中に入るとき、人はミクロコスモスに向かう。それぞれ案内というか、牽引するのが火星、金星ということなのだ。
シュタイナーの説明は、火星で飛び出し、木星で夢見し、土星で行動化するというものだが、このマクロコスモスでの三つの星の作用は、占星術の場合には、火星、木星、土星を社会的なコスモスに結びつけすぎているので、さらに、マクロコスモスを拡大解釈するためには、火星と天王星、木星と海王星、土星と冥王星を連動させた形で解釈したほうが自然だ。天王星は飛び出し、海王星で夢見し、冥王星で行動化する。太陽系の外へと。

で、火星はマクロコスモスへと誘う天体であるというシュタイナー的見解からすると、わたしの、川の先にあり、高みの見物をしている老人(天秤座の27度の土星)が随伴するところの海王星(天秤座24度)の上に、火星が乗っていると、毎年太陽が来る時よりも、はるかに、強くプチ崩壊が起きている。この場所は発射台で、火星はミサイルのような。
火星だけならまだ抽象的な、占星術的な作用しかないが、そういう時に今月の22日に、自宅療養中のK氏が死んだので、扉が開いたままの、毎日気配がなだれ込んでくる状態。

編集者Yさんの言う、最近人が続々死ぬんですけど、という話は、わたし個人の接点でも、そういう事情なので、よりいっそう印象が強いということなのだ。

24日に、Tさんが講座中に、自分の夫が死んだ状況はどうなんですかと聞いたので、死んだ人のホロスコープから、死んだ瞬間の状況を読んだ。この場合、死を悲しいとか不幸と解釈するのは、直線時間の習慣で、一方的すぎるので、そういう考え方はしないでくださいと説明することにしている。むしろ楽しい旅立ちのケースもあるのだ。これは円環時間的な思想を取り戻した後でならば、そう言える。つまりひとつの円の終わりは次の円につながり、さらにそれらを七つまとめて、大きな円が統括している。でも直線時間ならば、ともかくこの生きている今以外に何もない暗闇なので、死は怖いことで不幸で、取り返しのつかないショッキングな話なのだ。

Tさんは夫が死ぬ前後に、生前はもう車いすから立ち上がれない状況にあった夫が、立ち上がり、「ここなら自分でも立てる」と言った夢を見ていたそうだ。身体は動かないけど、エーテル体の身体は、むしろ肉体の身体が衰えるときに、その肉体の身体への自己同一化をうまく引きはがすことができたら、逆に元気に立ち上がり、歩くことができる。ホロスコープは、興味津々で、いままで馴染んでいなかった世界に飛び出すという配置を作り出していた。飛び出すエネルギィを十分に持っていた。

で、わたしの四天体が2ハウスと8ハウスの間で、四つのオポジションを作り出す川の場所は、土星と火星も含むので、ハーフサム的に言えば、石川源晃式熟語の「死軸」も作り出しているので、ともかくどんな天体がここを通過しても、その作用はいったん死ぬ。
なので、火星が通過するという自家中毒的な配置であるが、火星の作用は「それまで続いていた性質・テーマとしては」ストップする。
ただずっと停止しているので、ストップしたままになっていて、わたしの体温はどんどん落ちていってるのかもしれない。なんせ調子がいい時で35度。そこまで行かない時が多く、34度台の後半なんだが、「それでも人は生きていけるんですか」みたいな状況。生きていけると思うけど、免疫力は思い切り弱体化しているので、何かいろんな衝撃が耐えきれない状況です。跳ね飛ばせない。なので、前進するなり、逆行なりしてほしい。火星が死軸の上で寝てるんです。
K氏は、いつも接触していた囲炉裏のじいさんはわたしとほとんど同じ発想で、ほとんど筒抜けの関係に見えると言ってたことがある。そもそもそのじいさんは、出雲族だと言っていたので、わたしと同系の要素は多い。で、そのじいさんのモチーフには、わたしの8ハウスの、丘の上で笑って手を振るじいさんも混じっている。








2014年3月22日土曜日

20140322 はじまりはどこから

昨日の雑記の内容に関連していることだが、
円環時間には、始まりと終わりがない。しかし、異なるコスモス単位へのつなぎの節目はある。
上の次元から、下の次元に降下するときの節目は、下の次元の円からすると、はじまりだ。
わたしたちは、感覚的な存在として生まれた時、この感覚的な知覚のありかたを手に入れ、それを使い始めることそのものによって、それ以前の記憶を失う。
なぜなら知覚のしかたがまったく違うからだ。

で、ホロスコープの場合、アセンダントつまり地球の地平線に、生命の帯である黄道が接触したところを、個人の始まりにする。もちろんこれは、感覚的、肉体的な存在としての個人の始まりだ。
でも、これは感覚に縛られていない本来の生命存在の始まりをあらわしていない。
あくまで、肉体的な存在として生まれてきたところのスタート点だ。
このはじまりの設定は比較的あいまい。
何をもって始まりと決めればいいのか、というところでは、すべての人に共通した基準がないのではないかと思う。

それにそもそも、親とか周囲の人が生まれた時間を記録しているからそれをもとに計算しているが、自分で自覚していたわけではない。昏睡状態で、本人にはまったくわからないスタートであって、自我の始まりとか自覚の始まりを自分の始まりとするのならば、アセンダントを決めた出生時間の時には、まだ「わたし」は始まっていない。
この自我のありかたは、この感覚的で、肉体的な器官と結びついたところでの自我の始まりと、こんどはたとえば気の身体としてのエーテル体を素材にしたところでの自我の始まりというものを比較すると、それぞれ異なっているので、自我の始まり、自覚の始まりというところでも、万人に決まった基準がないのだ。
エーテル体を素材にした自我の始まりというものならば、母体の中ですでに始まっている。
しかしこの知覚の形式は、わたしたちが大人に育っていく過程の中で、記憶を消去される。
多くの人と同じように感覚的な目や耳で自覚するというしかたをおぼえこむ段階で、それそのものの感じ方がそれ以前の記憶を消してしまうのだ。

どのレベルを自分とみなすのか、ということを先に定義しなくてはならない。
そしてそこから、スタート点、というか節目、大なる宇宙から切り離されて、小なる宇宙が始まる節目を設定しなくてはならない。

この問題は、ホロスコープという個人の起点を考えるときに必要なことなのだが、集団的な意識としてのスタート点を決める時にも、よく考えなくてはいけない問題になる。
たとえば、土地とか地図の占星術的な12サイン割り当てを決めてくださいという話になると、
わたしは以前雑誌で、日本地図を12サインにわけて、あちこちを旅するというコラムを書いていたが、日本の起点をどこにするか、ということで試行錯誤した。
中国が、いったいどこからどこまでが中国なのかわからないように、
日本もどこからどこまでが日本なのかわからない。
現在の日本国という地図でわかるではないですか、と言われるかもしれないが、
それは「現在の日本国というアイデンティティ」の上でのものであって、
たとえば、縄文日本とか弥生日本とか、朝廷の日本とか、徳川家康の日本とか、明治の日本とか、それぞれに「自我のありかた」が違うのだ。

で、わたしは以前、自分がもと出雲族であるということを本に書いたのだが、
このもと出雲はまだ大地に着地していない雲の状態であり、大陸と地続きで、西に長く伸びた筒のようなものだ。そして日本のあちこちにアームが下りているような状態。
これは個人のホロスコープにたとえると、アセンダントになる前の状態で、まだ肉体的に下りていない状態。出雲は、雲から出てきたのか、それとも雲が出てきたのか。

で、雑誌の連載の時には、暫定的に、九州の伊万里あたりを起点にした。つまり徐福がやってきたときを、現在の日本の「自我のありかた」の原点とみなした。
そこを春分点、すなわち牡羊座のはじまり、前の宇宙の記憶を喪失する場所、そして新しい自我のうまれる起点としたのである。
地球で12サインの地図を作るとき、ジオデティックはグリニッジを起点にするが、
もちろんそんなでたらめを採用したくない。これは政治的な、イギリスの覇権のスタートを示した本初子午線であり、それは今日の国家意識をもとにして作られる人間意識のスタート点でしかない。
人間個人が生まれる前に、青い狐がいた。
この青い狐のスタートを意識するならば、起点はグリニッジでなく、ニジェール川にしなくてはならない。そうシリウス意識が降りてきた場所だ。
アフリカのすべての種族はそこから始まった。そしてエジプトでさえ、そこからの子孫なので、古地図で使われるように、大陸がもっとも大きなサイズになるピラミッドの経度位置を、本初子午線にするよりも、より精密だ。
でも、わたしたちは、青い狐は存在せず、人が生まれてきたところをスタート点にしたい。さらに、政治的、国家的な成立ののちの自我を人とみなすならば、グリニッジにするかもしれない。

地球の春分点すなわち始まり。日本の始まり。個人の始まり。
これらは共鳴しあう、異なるサイズの円なので、基本的には同じ理屈で考えることができる。
で、わたしはもと出雲族だとするならば、肉体的な始まりを自分の始まりとはしないタイプだ。
つまりエーテル体の上に立つ自我を、つまり"肉体"よりも、"意図"を重視する考え方で決めようとする。降りてきた後でなく、降りようとする意図、目的の部分を、まずは降りてきた後の自分の始まりとみなすのだ。結果からものごとを判断するわけでないということだ。

意図は動作よりも早いので、武道の達人になるには、この動作よりも早い意図のほうを読まなくてはならない。攻撃の始まりは、常に攻撃の意図の後、ワンテンポ遅れて始まる。意図を直接読めば、動作が始まる前に反撃できるのだ。
これがエーテル体を基盤にしたところのわたしということだ。
たとえば、真っ暗の中で会議してみよう。すると、誰かが発言する前に、発言しようという意図が先に発信されるのがわかる。明るい場所では、この意図が見えにくくなり、感覚的に誰かが口を開くのを見てから、その人が発言することがわかる。

一方的に流れる時間意識の中では、物質的な輪郭によって、タイミングとか起点を決める。なので、今日の午後六時に待ち合わせというときには、午後六時がスタートだが、実際にはそこに向かってなだらかに盛り上がる気の流れがある。物質的な輪郭としては午後六時だが、気の流れとしては、朝からかもしれない。昼からかもしれない。物質的に会合する六時には、もう形骸化して、もう残骸しか残っていない場合もある。そうでない場合もある。
たとえば、わたしが何か買い物するときには、たいてい実際に買う時間にはもう形骸化している。わたしはその購入するモノに対して、もう関心を向けていない。関心が向かっているのは、買う前までだ。
なので、買い物に行っても、実際には買わないことも多い。むしろそのほうが多い。現物を目にすると、気抜けするのだ。
物質的なものは、常にどんな時でも、表象、気、エーテル体よりもエネルギィが弱いので、現物を目にすると、それ以前よりもテンションが落ちる。常に。そして意図が間違っていたのではないかとさえ思う。こんなもの買うつもりではなかった、と感じる。

意図を意識せず、常に物質的な輪郭のみを重視するのならば、すべてを結果から判断するということで、こういうギャップは感じないと思うが、しかし日ごとに萎縮して、最後は石になってしまう人のことを示しているので、そんな生き方をお薦めしないのは言うまでもない。

個人的な話では、わたしの進行の新月は今年の七月ならば、七月から始まるというよりは、そこに物質的な節目があり、その前後に均等に山に向かう傾斜があるので、実際には、わたしはそれよりももっと前を始まりとみなすことになる。もと出雲族ならば、感覚的な始まりの前に、真の始まりがある。