チェンナイは、11月の後半だというのに、炎天下です。
雨期の時期だけど、一日か二日程度しか雨期を体験しておらず、後は果てしなく晴れ晴れとしています。空気は良くないです。しかしニューデリーよりは良いらしい。
感染症にはならずにすみました。
おとといは、アディヤールの神智学協会の帰りに、リクシャーに乗って、乗る前にメーターでやってくれとしつこく三回くらい要求したら、オーケーと言ってたくせに、途中でメーターの電源を切ってて、やはり150ルピーよこせと言ってきたので、メータも無意味でした。リクシャーはいろいろで、共通していません。途中でメーターの電源をこっそり切っていたのを見ていたので、ならば、と、わたしも降りる時に100ルピーだけ渡そうとしたら、なんか悲しそうな顔して、あと50というので、断りきれなかった。
辛いものを食べたいと思っていたら、この辛いものとしては、ビリヤーニがあった。ホテルでは、これは800ルピーくらい、さらに税金で倍くらいになります。が、町中でビリヤーニは200ルピー程度です。味としては、一番フィットしますが、残念ながら、これはご飯というかインドのチャーハンです。わたしはご飯は好きではないです。塩もスパイスも油もきつく、糖尿とか腎臓の悪い人、血圧の高い人などは要注意の食べ物らしいです。大さじ二杯程度でやめとけ、というくらいのものらしい。トラヴィタ料理なんですね。
博物館で見た、蛇足のナーガが気に入って、今日、歩いてスペンサー・プラザに行って、あちこちと、彫り物とか人形とか、彫像とかのお店見たら、金属製で、壁から吊るすタイプで、お店の人がナーガ・レディと呼ぶ、頭に蛇が七匹、足はヘビ足の人形みたいなナーガレディ見つけました。形は非常に良い。とても不気味。ただ、大きく重く、それに価格が13000ルピー程度で、とても持ち帰れない。でも、これは欲しいです。欲しいけど、ここでは買いません。これから数ヶ月、それでも欲しいと思ったら、スペンサー・プラザに戻って買うことにします。それまでに手に入らないのならば。
わたしのホロスコープは、マレーシアでは木星が4ハウス。チェンナイでは、金星、火星、木星が4ハウスに入ります。それで、このマレーシャ、チェンナイ、両方とも、わたしは深く眠ることができるようです。八時に寝て、三時半まで起きない。東京では、十二時半とか、一時半とか、二時半に起きて、三時半まで寝ていることは滅多にない。つまり4ハウスがディープになる。深層意識がより深くなり、そこからチャージできるということですね。
日本では、わたしは根の意識を感じないようです。どこにも、どの地域にも深く入れないという状況が続きます。
朝の通勤ラッシュ見ていると、チェンナイの人たちはほんとに真面目に働いています。リュック、ジーパン、長袖シャツが多いです。ロンドンでも、わたしは通勤ラッシュの時の人々の動きばかり見ていました。日本でもそうだけど、朝の通勤ラッシュでは、みな笑いはないですね。怖い顔で会社に行きます。とくにチェンナイとマレーシアの道路の渋滞はかなりのものです。東京ではあまり道路は渋滞しません。なぜなら、ほとんどの人は電車通勤だからです。チェンナイは比較にならないほど、車、バイク、リクシャー、自転車で埋め尽くされて道路が見えないくらいです。
で、インドでは、女性の数よりも男性が多いです。これは結婚の時に、女性は過剰に持参金がかかるらしく、できるかぎり女性を生まないように、という意志が働いた結果だそうです。
で、男ばかりの社会なので、どこに行っても、なぜか、男が折り重なっています。バイクでは、男二人乗りが多いです。インドの映画をホテルで見ていたけど、トイレで用を足している場面で、友達の男が、背後から、その用を足している男の肩にあごをのせて、会話しているんですよ。こういうふうに、前後に折り重なるシーンが多く、町を歩いていても、男どうし、というのがめちゃくちゃ多いです。横に並ぶよりも、前後に折り重なるんです。そしてテリトリーが異常に狭い。昨日は、手をつないで歩いている男ふたりを発見しました。男女で手をつないで歩くと後ろ指指されるのに、男どうしだと、なぜかナチュラルに見えてしまうのはなんでですか。
それにしても、日本人だと何を買うにしても、絶対に二倍とか三倍の価格にするので、これを現地人価格にするには、現地の友達を作って、かわりに買ってもらうしかないね。彼の背後に背後霊のように折り重なるようにしてお店に入るときっとうまくいくに違いない。
おとといは、朝リクシャーに乗る時に、道を歩いていた女子大生くらいの年齢の女性も、たまたま成り行きで、わたしと一緒にリクシャーの価格を値切ってくれていたのですが、ネイティヴの彼女には値切っても、この価格はまだ高いよ、というのがわかっていたので、笑いながら一緒に値切っていた。やはり日本人だとこんな価格なんか、と、その場であらためて理解したみたいです。内情を理解した、というのが顔に出ていた。
いつもの屋台で、今日も昨日も、おばあさんが、屋台の近くで、地面に座り、地面に皿を置いて、右手で、ご飯を食べていますが、これはご飯にただカレーというか、スパイスがしみ込んでいるだけです。ご飯に薄いカレーがしみ込んでいるだけ、というのは、あきらに栄養的に不足で、ダルとご飯しか食べさせてもらってない子供が角膜が溶ける病気にかかるというのを数年前にテレビで見ていましたが、このおばあさんの食べているものも、シンプル過ぎる。この屋台のご飯、食べてみたいけど、再起不能になるのが予想されるので、手を出せない。
今日はお店に入って、何も買わないで出るということを練習していました。こんなに困難ことはないです。たとえば、ipodの何かインド的なケースを探すとします。五分もしないうちに、絨毯、カーテン、Tシャツ、さまざまなものが、ビニールケースをばりばり破って、十個くらい、目の前に広げられて、何か買わないと恐ろしいことになりそうな、という気配が出てきます。その時に思いきって、外に出るのです。背後は大丈夫かなーと思いながら。今日はそれをスペンサー・プラザで練習していました。
たぶん、インド人からみて日本人という決まりきったイメージがあるはずで、たとえば、地球の歩き方を持っていると、その表紙がインドでは非常に有名らしく、数分しないうちに、詐欺師が集まってくるそうです。なのでインドに地球の歩き方を持っていく人は、ホテルの中でのみ見ることという注意をしている人がいます。
カモの日本人。そういうイメージで接近してくるわけですから、それに抵抗して違う行動をするというのは、そうとうに苦しいけど、やはりそれを押し切らないといけないと思ったわけですね。
神智学協会のクリシュナムルティとか、ヴィヴェカナンダとか、ブラバツキとかの本は全部湿気ってよれよれでした。管理はめちゃくちゃです。クリシュナムルティの垂れ目は、なんか岸辺一徳みたいだと、あらためて思い出しました。
インドで可能な仕事は全部やり終えた。あとは日本に戻らないとできないものばかり。予想よりは早く仕上がりました。
わたしのホロスコープは、マレーシアでは木星が4ハウス。チェンナイでは、金星、火星、木星が4ハウスに入ります。それで、このマレーシャ、チェンナイ、両方とも、わたしは深く眠ることができるようです。八時に寝て、三時半まで起きない。東京では、十二時半とか、一時半とか、二時半に起きて、三時半まで寝ていることは滅多にない。つまり4ハウスがディープになる。深層意識がより深くなり、そこからチャージできるということですね。
日本では、わたしは根の意識を感じないようです。どこにも、どの地域にも深く入れないという状況が続きます。
朝の通勤ラッシュ見ていると、チェンナイの人たちはほんとに真面目に働いています。リュック、ジーパン、長袖シャツが多いです。ロンドンでも、わたしは通勤ラッシュの時の人々の動きばかり見ていました。日本でもそうだけど、朝の通勤ラッシュでは、みな笑いはないですね。怖い顔で会社に行きます。とくにチェンナイとマレーシアの道路の渋滞はかなりのものです。東京ではあまり道路は渋滞しません。なぜなら、ほとんどの人は電車通勤だからです。チェンナイは比較にならないほど、車、バイク、リクシャー、自転車で埋め尽くされて道路が見えないくらいです。
で、インドでは、女性の数よりも男性が多いです。これは結婚の時に、女性は過剰に持参金がかかるらしく、できるかぎり女性を生まないように、という意志が働いた結果だそうです。
で、男ばかりの社会なので、どこに行っても、なぜか、男が折り重なっています。バイクでは、男二人乗りが多いです。インドの映画をホテルで見ていたけど、トイレで用を足している場面で、友達の男が、背後から、その用を足している男の肩にあごをのせて、会話しているんですよ。こういうふうに、前後に折り重なるシーンが多く、町を歩いていても、男どうし、というのがめちゃくちゃ多いです。横に並ぶよりも、前後に折り重なるんです。そしてテリトリーが異常に狭い。昨日は、手をつないで歩いている男ふたりを発見しました。男女で手をつないで歩くと後ろ指指されるのに、男どうしだと、なぜかナチュラルに見えてしまうのはなんでですか。
それにしても、日本人だと何を買うにしても、絶対に二倍とか三倍の価格にするので、これを現地人価格にするには、現地の友達を作って、かわりに買ってもらうしかないね。彼の背後に背後霊のように折り重なるようにしてお店に入るときっとうまくいくに違いない。
おとといは、朝リクシャーに乗る時に、道を歩いていた女子大生くらいの年齢の女性も、たまたま成り行きで、わたしと一緒にリクシャーの価格を値切ってくれていたのですが、ネイティヴの彼女には値切っても、この価格はまだ高いよ、というのがわかっていたので、笑いながら一緒に値切っていた。やはり日本人だとこんな価格なんか、と、その場であらためて理解したみたいです。内情を理解した、というのが顔に出ていた。
いつもの屋台で、今日も昨日も、おばあさんが、屋台の近くで、地面に座り、地面に皿を置いて、右手で、ご飯を食べていますが、これはご飯にただカレーというか、スパイスがしみ込んでいるだけです。ご飯に薄いカレーがしみ込んでいるだけ、というのは、あきらに栄養的に不足で、ダルとご飯しか食べさせてもらってない子供が角膜が溶ける病気にかかるというのを数年前にテレビで見ていましたが、このおばあさんの食べているものも、シンプル過ぎる。この屋台のご飯、食べてみたいけど、再起不能になるのが予想されるので、手を出せない。
今日はお店に入って、何も買わないで出るということを練習していました。こんなに困難ことはないです。たとえば、ipodの何かインド的なケースを探すとします。五分もしないうちに、絨毯、カーテン、Tシャツ、さまざまなものが、ビニールケースをばりばり破って、十個くらい、目の前に広げられて、何か買わないと恐ろしいことになりそうな、という気配が出てきます。その時に思いきって、外に出るのです。背後は大丈夫かなーと思いながら。今日はそれをスペンサー・プラザで練習していました。
たぶん、インド人からみて日本人という決まりきったイメージがあるはずで、たとえば、地球の歩き方を持っていると、その表紙がインドでは非常に有名らしく、数分しないうちに、詐欺師が集まってくるそうです。なのでインドに地球の歩き方を持っていく人は、ホテルの中でのみ見ることという注意をしている人がいます。
カモの日本人。そういうイメージで接近してくるわけですから、それに抵抗して違う行動をするというのは、そうとうに苦しいけど、やはりそれを押し切らないといけないと思ったわけですね。
神智学協会のクリシュナムルティとか、ヴィヴェカナンダとか、ブラバツキとかの本は全部湿気ってよれよれでした。管理はめちゃくちゃです。クリシュナムルティの垂れ目は、なんか岸辺一徳みたいだと、あらためて思い出しました。
インドで可能な仕事は全部やり終えた。あとは日本に戻らないとできないものばかり。予想よりは早く仕上がりました。