2014年6月12日木曜日

20140612 講座が異様に増えました/ヘリオセントリック/折口信夫の霊魂

毎週のように、大阪とか東京とかで、講座をするようになっています。
で、わたしも予定が、日にちだけははっきりわかっても、内容についてはまだ整理ついていない。
というのも、次々に増加するために、たこ足配線みたいなイメージになっているからです。
とりあえず、九州の飛行機は、決まりきった定番的な時間を決めておけば、スムーズ。大阪の新幹線は、だいたいいつも同じ時間のものを使っています。このあたりで時間調整が必要になってくると、わたしは混乱します。まるで勤め人のように決めておかないと。

そういえば、台湾の紫微斗数占いでは、移動がやたらに多い人と言ってた。昔懐かしい四柱推命だと、駅馬がふたつあって、移動が多いと言われたことがある。でも、自分の意識としては、そう動かない印象だったのですが。
進行の月が3ハウス、9ハウスの時には、やたらに動いていた。いまはトランシットの土星が9ハウスに来たからかもしれないです。というよりは、進行の月と太陽の新月が3ハウスだからか。
一日一年の進行というものを使う平凡な三重円では、たいてい月から火星までしか進行は使わないというけど、わたしのように度数の意味、サビアンなどを使う人からすると、木星などもよく動いてくれるので、使いますよ。
で、そうすると、火星も双子座08.23度。木星も双子座1.81度にあり、これに太陽とか月がおうし座のサインのままで3ハウスに入るので、進行の天体は3ハウスで四つになる。

土地の移動というイメージは、むしろおうし座の3ハウスという印象です。風、柔軟サインの双子座よりも、土地が変わったり、風景が変わったり、食べ物が変わったりすると言うような。固定的なものの上を3ハウス的にスケートのように移動するという感じです。
それに、アボリジニの、土地の奥から、呼び起こすというソングラインの意義は、むしろおうし座だ。双子座になると、土地からは何もピックアップしなくなりますからね。
たとえば、わたしはいろんな土地の写真を撮影しようと思っている。これは牡牛座的の3ハウス的です。アロー通りとかダイマルの前の屋台探索とかは、やはりそうでしょう。

で、進行新月後もどうせ3ハウスだらけの人生なんだと思うので、もう少し情報処理を効率的に、素早くやっていくということを考えないといけないと思いました。神経が混乱しないで、疲労しないで、どのくらい高速に処理できるか、ということだ。3ハウスは基本は、風・柔軟の場所なのだから、情報がこまかく分散します。小学校の授業項目みたいに、いろんな分野に分散し、それらひとつひとつを高めるという射手座の火の、上昇の要素はない。ただ分散するのみ。射手座的になると、ひとつのものを高度化できるけど、3ハウスの小学校的なところで、それをしてはいけない。

で、わたしが三次元ホロスコープをする、ということで、その授業に参加したい人たちが、たくさん、ソーラーファイアを購入予定らしいです。たくさんといっても、何人なんだ?
ソーラーファイアは、思い切り高額です。

プラネタリウムを視覚的に見るのは楽しいので、三次元ではないけど、天球をくるくる回していくというのをするのに、ソーラーファイアは使いやすい。
で、太陽を中心に見るということから、天体位置計算も、ジオセントリックなはずはない。
で、ヘリオ計算で、なお太陽中心の座標のプラネタリウムだと、パランの時には想像もつかなかったような恒星が惑星に重なったりしますよ。
正直な話、個人的には、この時の恒星と惑星の重なりのほうが、わたしには実体験的にリアルです。パランよりも。そして、惑星の年齢域のほうも、かなりフィットします。年齢域を使ってください。オーヴはパランの場合には、かなりシビアにしていましたが、この三次元では、まるで出生図のようにルーズです。

ホラリー占星術なんかだと、12サインの壁は鉄壁で、サインを過ぎたりするとがらっと状況変わったり、またサインをまたがるアスペクトは使わなかったりしますが、これはホラリーだけの話であり、出生図では通用しないのと、ハーモニック理論なんかから考えても、12サインは鉄壁でもなく、8サインとか、10サインとかもあってもいいのですね。
で、2010年だったか、記憶がはっきりしないけど、レグルスが珍しくしし座の最後の場所から、おとめ座に移動しました、というのがありましたが、これも、12サインは鉄壁ではないということからすると、あまり重要な意義ではないかもしれないけど、わたしの水星に、トランシット的にレグルスが接近してきたという実感はあります。同じサインに入らないと合とは言わない、というホラリー的な観点からすると、合になった。
で、レグルスはロイヤルスターというけど、わたしはレグルスはいじましい、背の低い、妬み深い恒星だと思っているので、輝かしさなんかはないし、あまりレグルスは好きではないんてすが、でも商売には向いてるんですよ。アルデバランとかレグルス避けたいという心理はどこから来るのかわからないのだけど。これからは水星を使った商売かな。

で、ソーラーファイアをインストールするとなると、比較的面倒な話がいろいろあります。
わたしが持っているソーラーファイアのV7ゴールドは、windows8.1にはインストールできません。これは、windows7の英語モードまでなのではないかと。
で、昨日、わたしはけっこう時間をかけて、windows8.1のノートパソコンに、windows7のデュアルブート環境を作ろうと試みていましたが、いまのところ失敗です。

というのも最新のWINDOWS8.1UPDATEのマシンだったからです。つい先月発売されたマシンだからです。(常に生鮮食品みたいに、わたしはパソコンに関しては、最新にしてしまう傾向が。)
これは旧BIOSではなく、新基準のEFIシステムというようなものが組み込まれていて、windows7とかのOSを入れようとすると、拒否されるんです。(認証されていないという理由で。つまりセキュリティが厳重になっている。)EFIは起動とかが爆速になるそうですが。今後はこれがパソコンの基準らしいです。

しようがなしに、おかしなやり方ですが、ThinVNCというリモート接続の無料サービスを使って、デスクトップのwindows7の画面を、外からのノートパソコンで共有するという方式にしました。これで、とりあえず、最新windows8.1updateのノートパソコンでも、ソーラーファイアが走ることになった。

もちろん、マックの場合には、pallarel desktopに、windows7を乗せているので、ここではそのままソーラーファイアはスムーズに走ります。九州の講座では、この画面を参加者に見せました。
同時にwindowsXPも使っていて、これはSG専用です。英語版にいちいち切り替えるのが面倒なので、だから、XPはSG専用に。windows7は、ソーラーファイア専用にしています。こないだまでは、これにさらにwindows8を、音声入力専用に入れていたので、pallarel desktopには、三つのウィンドウズがぶら下がっていたのでした。

わたしはソーラーファイアに慣れていません。それに、そもそもヘリオセントリック計算すると、ソーラーファイアとSGでは、1度くらい誤差が出る場合もあります。サビアンなんかでは、はっきり意味が違います。
でも実用的な問題からして、SGから、ソーラーファイアに使用頻度が増える可能性はあります。

ホラリーの話を出したので、ついでにの話ですが、地上において、人類は偶然性の介入をどんどん積極的に推し進めた。これは宇宙的なリズムに従わないように、という目的で。人の自主性を重んじる結果、神々や天空の影響から自らを切り離そうとした。
さらに、法則的に地上と宇宙の間には断絶がある。
そういう意味では、ホラリーのように、具体的な事象を天体の配置から占おうとする目的の占星術には、解決不能な障害が存在するようになった。どんなに頑張っても、ホラリーの占星術の精度をあげることはできない理由を作り出す。物質的なことをターゲットにすると、必ずそうなるのです。

出生図の読み方とホラリーの読み方はかなり違う。たとえば、アスペクトは、12サインの壁に従う。なので、たとえば、おうし座の終わりの天体と、水瓶座のはじめの天体が120度になったとしても、それはアスペクトを作らないと考える。
出生図の場合には、こういうサインをまたいだアスペクトは、むしろその人の強い特徴になる。モーエンのリトリーバルの例で説明したけど、水瓶座の月と、おうし座の金星は、120度であるが、これが精密な120度への吸引力として働き、おうし座という土・固定サインに残されたものを、双子座へ導く牽引力として働く。
コメディアンのショウジ氏の、お笑い言動として、例のミキティーと叫ぶのをネタとして本に紹介したけど、さそり座の終わりにある感情を、獅子座のはじめの叫びとして出すのも、ミスマッチ的で、それはお笑い的なものになる。蠍座のものを、獅子座的に吐き出すというのは、もらしてはいけないものを漏らしているというギャップ感が面白いというわけ。親密でしつこく内輪のことを、大っぴらに放送してしまうわけ。これがいて座のはじめとしし座のはじめだと、普通すぎて、お笑いに使えない。ただの戦闘的なものでしかない。

ハウスで5度まえから次のハウスに、ということを考えるけど、サインの場合も、最後の5度は、もうすでに次のサインとのギャップというかショックを緩和するための準備をする。蟹座の最後の5度では、すこしずつ獅子座を混入させる。これがかに座の平和な環境に、不穏なものを持ち込むことになり、そっと出ていくのではなく、かに座を壊すという形で働くこともある。ブッシュ大統領のように、テロを誘発する、という引き寄せ力を発揮することになる。

ホラリーのように、モノ対モノという平面次元で扱う体系では、90度は排斥しあう関係で、回答はノーになるが、出生図の場合、90度は、裏側の意識の協力関係で、それは出生図の中では、もっとも可能性に満ちたものになる。わたしはこれをフルトランスと言ったけど、両方を同居させて、平面的に並べると対立するが、反対位相だと、協力的であり、なおかつ、それはコントロールが難しい面もある。太陽と冥王星のスクエアは、冥王星の過剰なパワーが、太陽に大量に流れ込む。もしこれが管理しやすい120度とか180度だと、力は弱まってしまう。洪水のように強力に流れ込む現象は起きない。わたしは太陽と冥王星が90度の人の「行き過ぎた成功例」を何人も引用したけど、これは扱いが難しいけど、うまくいくと強力無比です。

惑星の品位とかは、出生図では現実性を持たない。ハウスの中にある惑星よりも、ルーラーを重視するというホラリー的な発想は出生図では使えない。そもそもルーラーとサインの関係は、あまり信頼性がない。サインと惑星を結び付けすぎると、行き過ぎになる。

たぶん、ホラリーの細かいルールは、物質とか、すでに定義された事物-象意に対する固定的な信仰とか信念などのようなものが前提にないと、綱渡り過ぎる手法になってしまう。昔からずっと人間はこんな物質的な存在で、世界もコンクリートのように固まっていたという信念です。事物に対する言葉の定義は決して流動はしない、という信仰は、いろんな勘違いを作り出すのだが。
シュタイナーとかは、世界のもとにある源流的で流動的な要素を持ち込んで考えるので、シュタイナー的な世界では、ホラリーは成立しえなくなりますね。
事物の定義を固定的に扱いしすぎると、それを扱う人の頭も、しだいにそれに拘束されていくので、この硬直化に本人さえ気が付かなくなるので、ホラリーのルールは、特殊でマイナーなゲーム手法、いってみれば、シェーンベルクのセリー理論みたいなものなんだと考えるといいのではないかと思う。限定ゲームルールです。

で、ヘリオセントリックとか黄経・黄緯ばかり使う、いまのわたしのやりかたは、さらに、地上的な法則から分離する傾向があります。なので、そもそも「あてもの」にはまったく適していないどころか、月の存在さえ目に入らないものなのです。

ジオセントリックは、感覚の目で見た、ここに存在する肉体ということを中心にして、宇宙を利己主義的に見ることです。西欧人はそういう視点で見る。が、アボリジニーなどの視点はそれとは違っていた。
このヘリオセントリックの三次元的なホロスコープは、どんな視点かというと、そのひとつの例をあげてみよう。
わたしは前から、自分の前世的イメージとして、アレキサンドリアの図書館に深く関わっていたという印象があります。別にアレキサンドリアでなくてもよくて、ほかにもいくつかあったので、そういうところでもいい。
この時代の図書館の本に対する扱い方は、いまとは違うやりかた。つまり脳の使い方が、ボトムアップになっておらず、種の記憶を引き出すための索引機能として使われる。つまりはアボリジニーのオーストラリア抽象派の絵みたいなもの。
わたしがナグ・ハマディ文書にこだわるのは、そういう関係。
アリストテレスは、今日的な知性の使い方に引きずり落とすために邁進した。アレキサンドリアの図書館が焼けて、それでもアリストテレスのものはたくさん残っていたというのも、なかなか象徴的です。

で、紀元前2800年くらいは、竜座のトゥバンは、北極星だった。これは黄緯は66°N21’なので、地球と太陽の関係で決まる天球の頂点から、チャクラ的に分類すると、アジナチャクラに該当する。
北極星だった時代には、地球にとって、サハスララみたいなもので、価値の基準がトゥバンにあるが、これは太陽というもうひとつ大枠のところからすると、サハスララの自己分割、つまり生命の樹的に言えば、ケテルからビナーという家に入ったところを意味しており、トゥバンが北極星の時代には、トゥバンという家の中に、人類は入っていたわけです。地球から見ると、サハスララ。頂点。王の位置。そして、太陽からすると、たくさんの可能性のうちのひとつにすぎず、アジナチャクラ。
太陽からすると、地球の歳差は存在せず、地球からすると、地球の自転や歳差は、太陽に依存しつつ、地球内部に独自文化を創り出すための反抗衝動でもあるのです。(反抗しているつもりでも、自立できない。)
いずれにしても、その時代の考え方を、トゥバンはいまだに保持している。というか、地球の北極星がトゥバンになると、また同じトゥバン的、竜的な発想法になる

わたしの水星は乙女座のはじめのほうで、金星と正確な合なんですが、これはアジナチャクラあるいはビナーの位置の66N21のトゥバンの記憶を、水星で受け止めようとしている。それはアジナチャクラでしか働かないのだが、いわば生体の内燃機関みたいな惑星が、それを生体の感覚器官と結びつけようとする。トゥバンは誰の中にも貫通している。どんな恒星の力も、すべての人を貫通しているが、それを、特定の個人が、貫通したままにさせず、自分のところに引き止め、じっと維持しようとするには、心臓、血液、感覚へと引き止める「惑星の接触」があるということです。
トゥバンが通り過ぎるのを、わたしの水星がちょっと待てーと言って、つかんでいるわけです。

面白いのはブレイディは、水星とトゥバンのパランは、図書館員と言ってる。それはそうでしょ。トゥバンは財宝を守る竜で、それは熊女ミザリーみたいなもので、しかしアジナチャクラあるいはその陰の要素であるビナー作用なので、物質的な守りにはなりにくい。
失われたアレキサンドリアの、物質的には消えたが、アカシックには記録の残るデータ類の、図書館員みたいな形で、わたしの水星・トゥバンは働いていることになります。

で、ジオセントリックならば、図書館員は、実際の本を集める。あるいは検索する。ジオセントリックは地を這う占星術だからです。具体的な本、どこかにあるものを集める。
が、ヘリオセントリックはエルダーセルフの自己分割図だし、地上と宇宙の間には、断絶があるのだから、この断絶を埋めないまま、ヘリオセントリック三次元占星術で見る視点からすると、わたしが守ろうとしている図書館の書物は、この世のどこにも存在しないのです。
そのごくわずかな痕跡が、ヘルメス文書などに関係することになります。
それで、以前ヘミシンクなどを見ていた時、頻繁に出てくる釣鐘の内部の文字列。これはそれらを読むためのアルファベットのようなものでもある。

ジオセントリックではわたしの水星は春分点に限りなく近いので、春分点から、外宇宙の記憶を持ち込む。地上のどこにも根拠のない知識を持ち込む。地上から見ると、このように映るのです。そして太陽の自己分割というヘリオセントリックからすると、アレキサンドリアの資料を、天空からかき集めてきて、今日の言語にコンバートしているような感じだ。こんなところに、数年前から、レグルスがにじり寄ってきたというわけですね。

ヘリオセントリック三次元ホロスコープは、こんな感じです。財布がなくなったけど、どこにありますか、という質問には決して答えられないのはわかるでしょう。財布ってなんですか。今の文明には、そんなものがあるのか。というよりも、貨幣があるというのは不思議だ。(エジプト時代には、貨幣制度がなかった。)こういうのがヘリオセントリック三次元的、太陽の自己分割占星術です。
目を開いて感覚でものを見ることでなく、むしろヘミシンクで見た世界のようなものに近いね。肉眼で見たものでなく、松果腺で見た光景です。

あるスピリチュアルリーダーは、そのアレキサンドリア時代のわたしの名前まで言ってましたが、具体的になると、趣旨がはずれます。これは地上的な習慣を、そのままヘリオ的な元型光景に押し付けることになるので、具体的になりすぎるのは、誤認を招きます。コーヒー豆袋に、象は入れられないのです。
表象は事物に張り付く。ジオセントリックでは、しばしばこの事象が中心で、表象がないがしろになる場合もある。ヘリオセントリックは、あくまで表象が中心であり、事物は、それが止まる止まり木でしかないということをはっきり認識しておく必要があります。
ヤマトヒメは、アマテラスを背負って数十年放浪した。ジオセントリックは、ヤマトヒメの人となりを描写し、ヘリオセントリックはアマテラスに注目する。それが何か人影みたいなものを引き寄せてるね、という程度にしかヤマトヒメのことを認識できないのです。

個人の感覚を活用している視点は、以前書いた三つの視点、個体、地球、太陽のうちの個体に属する視点。この感覚を遮断して、地球レベルに移行するには、たとえば、シューマン波のように、地球を一回転して、一か所で、大地に接触して跳ね返される8ヘルツ前後のアルファ波の脳波に入った時の視点も、参考にできるかもしれない。一回転、地球一周だからです。

関係ないけど、今日夢を見ました。折口信夫は、生前から、死後の世界のイメージと地続きに生きており、これが彼の太陽と海王星のスクエアとして、二点の信号を発信しており、この二点の信号を発信し続けることで、このプロトコルと同族の人々の間にネットワークが張られていて、今は折口信夫は華僑の中に横たわって生きているというものです。
なぜ二点なんだ?と、さっきまで考えていました。夢では二点を強調していた。
どうも、海王星は霊界の、太陽は現世の、と考えると納得がいきます。
つまり、折口信夫は、生前から霊界に接触していた。太陽から海王星へ、と考えてみます。すると、こんどは反対に、死後霊界から現世に接触もする。この霊界と現世の同調が、太陽と海王星という二点の信号に象徴されているのです。夢では、太陽と海王星の距離感、これが注目してほしいことかもしれない。太陽と海王星がかかわっているというよりも、太陽と海王星のかかわり方、距離感、このプロトコルがあり、共通のプロトコルの上では、種の共存があるのです。直接折口信夫に近いところに、もうひとりキーパースンがいて、それがつながりをよくしている。

windows7と、windows8.1のデュアルブートはいまのところ、成功していない。
ヘリオセントリックとジオセントリックも、いまのところデュアルブートの整合性がやや不足。
夢の中で、折口の二点のデュアルブートはうまく行っているようだった。

でも、この折口の二点というのは、もっと違うイメージも結びついていることにさらに気が付きました。カシオペアは、天の二上山である、という日本の考え方です。折口信夫は、死者の書で、大津皇子が、二上山の日没に出現するということを描いています。死者の世界は、二上山を通じて、地上と接触している。二上山の二点は、タカミムスヒ、カミムスヒの二点を意味します。
このカシオペアに関係するシェダルは、背後から支配力を発揮するという意味で、霊界から地上に支配力を及ぼすという意味でもある。それが華僑に関係しているという話と、何か結びついたのかもしれない。
奈良の二上山は、雄岳と雌竹があり、ここはサヌカイトの産地。で、夢の中で、何か二点から信号が発信されているという時に、わたしは昔から、サヌカイトの音が好きなので、サヌカイトを叩いた時のキンキンという音が、夢の中で信号というふうになったのかもしれない。

wikiの二上山の写真




やっぱり、これでは不足なので、もう少し説明しておこう。
仏教は、本来、死後の霊魂というものを否定する。
仏教では、人が死ぬと、解脱するか、あるいは49日経過すると、6界、つまり天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界のどれかに再生する。
なので、死後、じっと霊魂のままとどまる存在はない。
なので、仏教というのは、先祖供養という考えかたを認めない。基本的には。先祖なんかはいないのだ。

折口信夫は日本の古代思想を重視していたので、この仏教の考え方をとらなかった。霊魂は死後も存続する。それは次の6界に入らないまま、とどまることもある。事実、処刑された大津皇子は、ずっと霊魂のままとどまっていた。
この霊魂が継続するという考え方は、儒教の魂魄説に近い。華僑社会は儒教が重視されていて、東南アジアのタイ、台湾、シンガポールとか、そういうところに、折口の霊魂が、横たわっているというのは、比較的納得しやすい話です。とはいえ、華僑の正確な定義としては、中国、台湾、香港、マカオに住んでいないにもかかわらず、中国国籍を持つ漢民族ということらしい。

追放されたインラック首相は、家族を要職につけたりという不正を働いたということになるが、インラックは華僑で、華僑は同郷の人、家族などの輪を重視するので、インラックは当たり前のことをしただけ。台湾で、ホテルに泊まった時、空港までのタクシー代を先払いで払えと言われたので、払ったら、次の日の朝に来たタクシーは、プロの人でなくて、ホテルの家族の人がマイカーでやってきた。なので、タクシー代金のレシートとかは発行してもらえなかった。こういうふうに家族ぐるみで商売するのは、華僑の特徴だ。
折口式は、2点を融合する。仏教は2点をくっつけない。そういうことでもある。2点は、ここでは、魂魄の魂と魄でもある。