今日は夢を見ていて、しばらく使わなかった建物に行ったけど、肝心の鍵を忘れていて、入れない。また取りに戻ると四時間かかる、という段階で、目が覚めた。
で、鍵は持っていたことにしようと考え、また眠りました。すると、鍵は持っていた設定で、夢が続き、夢から覚める前に、鍵を取りにいくのに四時間かかるので、その間は外で何か時間をつぶしてくれと伝えていた男性には、二度目の続きの夢の中では、違う男性から携帯電話をかけて、呼び戻してもらうことになった。それがなかなか戻ってこないんだよね。
で、この建物は、旅館のようなもので、ここではかなり純度の高い自然食を出す。味付けは塩だけ、というものでした。これだけでも作れるもんだなと感心しながら、作っている。わたしが経営者だ。中には男性ばかりがいて、ひとりだけ女性いたんだけど、それは朝に追い出してしまい、その女性は、隣の家にかけあって、戻ろうとじたばたしていた。でも無理。
で、思い出したのですが、わたしはこういうふうに、途中で目がさめると、夢の内容を少し書き換えて、また続きを見るというのをよくやっていた。ヘミシンクとか、長い間してないので、というのも、昼は細かくいろんな作業すると、時間なくなってしまい、その余裕がない。
なので、夢で何かするというのがいいです。しばらくは。
途中で少し目がさめてしまう、というのが一番いい。
なんせ毎日寝てるので、わざわざ別の時間を設ける必要がない。
以下のようなメール。
>深川の前日の、走水でも話題にしていたんですよ。
>その、存在が消されて無意味化されるところを、
>光瀬が、百億の昼と千億の夜の中で、ディラックの海に還元されるって、
>描写しましたよね。そこがわたしの、ずっと憧れだった。渇望した時期もある。
>先生が、30年考えてきたってことは、先生も憧れてるんですね。
>わたしがN先生に対立するのは、そこの部分。
>N先生は、消されることにものすごい恐怖してる。
>でもわたしは消されることが救済だと、思ってきたのです。
わたしは憧れてるわけない。
30年考えているというのは、境界線をどこに置くかという問題。
果たして人間の意識って、どこまでをそれと定義できるのか、と。
人間の世界はトリトコスモスで、この下のミクロコスモスは、人間としては意識できない。書いたように、そこには無限の壁があり、無限というのは、意識が働かないということだ。しかしグルジエフは、トリトコスモスの上のメゾコスモスを理解すると、
同時にミクロコスモスに進展する、というふうに上下に意識は拡張すると主張する。
整理するために、このコスモスの種類を列挙しとく。
1.第一宇宙、プロトコスモス。これは創造の光における絶対の領域。
2.アヨコスモス、聖なる宇宙。あるいはメガロコスモス、巨大宇宙を示している。これは創造の光においては世界3と呼ばれ、全世界をあらわす。
3.マクロコスモス、大宇宙。われわれの星雲界。あるいは銀河系。創造の光では世界6
4.デュートロコスモス。第二宇宙。太陽、太陽系。世界12
5.メゾコスモス。中宇宙。全惑星、世界24。あるいは惑星界の代表としての地球。
6.トリトコスモス。第三宇宙。人間。
7.ミクロコスモス。小宇宙。原子。
アリストテレスは、プラトンの四元素の思想を「曲げて」怪しげな四元素論にしてしまったけど、プラトンの立体幾何図形としての四元素、さらに第五元素は、
メゾコスモスとしての、惑星グリッド。そして、ミクロコスモスとしての分子構造などに、そのまま拡張できる仕組みを持っていて、アリストテレスは、それに反して、人間をトリトコスモスの視点に閉鎖するきっかけを作った。その後、キリスト教などは、このトリトコスモス以外は「死物」とみなすようになった。そこに生命はない、と。
もちろん今日の科学も、トリトコスモス以外はすべて死物とみなしている。
トリトコスモス以外を死物とみなすことは、たとえば、地球とか日本とか大地は、人間が住むために存在し、御岳山がいきなり噴火したり、東日本震災があったりすると、それを意外な事件、不幸な出来事とみなすことになる。対応も対処もできない。
わたしたちが見ている天体図は、トリトコスモスの感覚で見ている宇宙で、メゾコスモスから見る宇宙は、まったく違う形に見える。
だいたい、火星に生命は住めるのか、金星にはどうなのか、という議論が出てきた時に、酸素とか水とか、温度とか、生命が住める条件を考えたりするけど、それは生命が発生できる条件でなく、地球に住んでいるかのような人間が生存できる条件であり、炎の中に生息する生き物だってありうるわけです。水がなくても、酸素がなくても、そこに住む生き物なんていくらでも想定できる。
フォーカス27は、人間としての意識として究極の頂点にある。
フォーカス35は、「非人間的な意識」で、つまりトリトコスモスからはみ出している。
ブルース・モーエンの死後探索3で扱っているギャザリング2の知性体ネットワークは、ブルース・モーエンの「解説者」が作り出した投影で、こんなんあるか、と突っ込みを入れたくなったので、こんど実際に突っ込み入れてみます。
で、人間に前世はあるのかということを検証する時に、トリトコスモスの視点では、それを確認できない。
トリトコスモスの真上のメゾコスモスの視点に入ると、ひとつの人生が葡萄の粒ひとつとみなしたような、葡萄の房が見えてくる。その段階ではじめて意識の連続性を確認できるけど、この連続性は、トリトコスモスの視点によって遮蔽される。
世界をプラトンの視点に戻すと、わたしたちはメゾコスモスと、ミクロコスモスに行ける。
以前、モンロー研のヘミシンクの初歩的な会にいった時に、地球を見るというのがあって、で、ヘミシンクの中で地球が「実体を見たいのか?」と聞いたので、見たいと答えたら、地表の芝生をはがすようにして、中に、正八面体の骨組みが組んであった。
シュタイナーは、地球が球体だというのは大きな間違いだと強い口調で断定していたけど、このロシアの科学者たちが言うような地球は巨大な水晶という見え方は、すこしばかりメゾコスモスに近づいたことをあらわすと思う。
わたしが関心があるのは、この領域が、文字の起源を作り出しているという点です。
人間は人間の意識の中に閉じこもった。それ以外を死物とみなした。フォーカス35は、この視点を打破する。
それと、トリトコスモスに閉鎖すると、それを基準に天国とか地獄が生まれるけど、この枠組みは、フォーカス35に行くと、いったん全部解体しないといけない。この解体過程で、問題の「クラスターに吸収できない、本来はクラスタの一員であったが、地球にやってきて、この地球の特殊条件にさらされたあげく、もとのルートを失い、しかも、アーリマンに入れ知恵されて、無条件の愛に戻れなくなった孤立した魂」を切り離すかどうかの判定する基準が変わってしまう。クラスタが親クラスタになると、下限も拡張するからだ。無だけが無限に近づくことができる、というもの。
消滅する人というのは、地獄に幽閉されるわけではないのね。
なぜなら地獄に住むのは、ずっとそこで閉鎖され、苦しみ続ける。
消滅する魂は、この地獄よりも下に行くのです。そして存在そのものがなくなる。
しかしエネルギィ不変の法則から言うと、消滅というのはないので、それは
「有機化できる限界」を超えた領域へ、分散化するという意味です。
有機化というのは、簡単に言えば、もっとも単純な素子の三角形になるかどうか。
この三角形が、意識が成り立つ限界だからです。
N先生が恐怖するのは、わりに想像できることでしょう。
トリトコスモスの中で消滅したかに見えて、より拡張された枠組みの中に入り込む可能性は、まったく新しいリスクのあるものだけど、可能性がないわけではない。
アーリマンも、意味のある意義によって生まれた。
トリトコスモスの中の愛着に生きている哺乳動物的な感性からすると、こんなに恐ろしいことはない。
わたしが言いたいことというのは、
無条件の愛の方向で、一体化していくコースは、ずいぶんとルシファー的なもので、
それは全体性、ユニティに戻るように見えて、実はトリトコスモスに幽閉される。
ということでしょうか。
二極化された思考の中で作り出された概念が無条件の愛というもので、それは実際には、ゼノンの矢のように目標に到達しない。
で、鍵は持っていたことにしようと考え、また眠りました。すると、鍵は持っていた設定で、夢が続き、夢から覚める前に、鍵を取りにいくのに四時間かかるので、その間は外で何か時間をつぶしてくれと伝えていた男性には、二度目の続きの夢の中では、違う男性から携帯電話をかけて、呼び戻してもらうことになった。それがなかなか戻ってこないんだよね。
で、この建物は、旅館のようなもので、ここではかなり純度の高い自然食を出す。味付けは塩だけ、というものでした。これだけでも作れるもんだなと感心しながら、作っている。わたしが経営者だ。中には男性ばかりがいて、ひとりだけ女性いたんだけど、それは朝に追い出してしまい、その女性は、隣の家にかけあって、戻ろうとじたばたしていた。でも無理。
で、思い出したのですが、わたしはこういうふうに、途中で目がさめると、夢の内容を少し書き換えて、また続きを見るというのをよくやっていた。ヘミシンクとか、長い間してないので、というのも、昼は細かくいろんな作業すると、時間なくなってしまい、その余裕がない。
なので、夢で何かするというのがいいです。しばらくは。
途中で少し目がさめてしまう、というのが一番いい。
なんせ毎日寝てるので、わざわざ別の時間を設ける必要がない。
以下のようなメール。
>深川の前日の、走水でも話題にしていたんですよ。
>その、存在が消されて無意味化されるところを、
>光瀬が、百億の昼と千億の夜の中で、ディラックの海に還元されるって、
>描写しましたよね。そこがわたしの、ずっと憧れだった。渇望した時期もある。
>先生が、30年考えてきたってことは、先生も憧れてるんですね。
>わたしがN先生に対立するのは、そこの部分。
>N先生は、消されることにものすごい恐怖してる。
>でもわたしは消されることが救済だと、思ってきたのです。
わたしは憧れてるわけない。
30年考えているというのは、境界線をどこに置くかという問題。
果たして人間の意識って、どこまでをそれと定義できるのか、と。
人間の世界はトリトコスモスで、この下のミクロコスモスは、人間としては意識できない。書いたように、そこには無限の壁があり、無限というのは、意識が働かないということだ。しかしグルジエフは、トリトコスモスの上のメゾコスモスを理解すると、
同時にミクロコスモスに進展する、というふうに上下に意識は拡張すると主張する。
整理するために、このコスモスの種類を列挙しとく。
1.第一宇宙、プロトコスモス。これは創造の光における絶対の領域。
2.アヨコスモス、聖なる宇宙。あるいはメガロコスモス、巨大宇宙を示している。これは創造の光においては世界3と呼ばれ、全世界をあらわす。
3.マクロコスモス、大宇宙。われわれの星雲界。あるいは銀河系。創造の光では世界6
4.デュートロコスモス。第二宇宙。太陽、太陽系。世界12
5.メゾコスモス。中宇宙。全惑星、世界24。あるいは惑星界の代表としての地球。
6.トリトコスモス。第三宇宙。人間。
7.ミクロコスモス。小宇宙。原子。
アリストテレスは、プラトンの四元素の思想を「曲げて」怪しげな四元素論にしてしまったけど、プラトンの立体幾何図形としての四元素、さらに第五元素は、
メゾコスモスとしての、惑星グリッド。そして、ミクロコスモスとしての分子構造などに、そのまま拡張できる仕組みを持っていて、アリストテレスは、それに反して、人間をトリトコスモスの視点に閉鎖するきっかけを作った。その後、キリスト教などは、このトリトコスモス以外は「死物」とみなすようになった。そこに生命はない、と。
もちろん今日の科学も、トリトコスモス以外はすべて死物とみなしている。
トリトコスモス以外を死物とみなすことは、たとえば、地球とか日本とか大地は、人間が住むために存在し、御岳山がいきなり噴火したり、東日本震災があったりすると、それを意外な事件、不幸な出来事とみなすことになる。対応も対処もできない。
わたしたちが見ている天体図は、トリトコスモスの感覚で見ている宇宙で、メゾコスモスから見る宇宙は、まったく違う形に見える。
だいたい、火星に生命は住めるのか、金星にはどうなのか、という議論が出てきた時に、酸素とか水とか、温度とか、生命が住める条件を考えたりするけど、それは生命が発生できる条件でなく、地球に住んでいるかのような人間が生存できる条件であり、炎の中に生息する生き物だってありうるわけです。水がなくても、酸素がなくても、そこに住む生き物なんていくらでも想定できる。
フォーカス27は、人間としての意識として究極の頂点にある。
フォーカス35は、「非人間的な意識」で、つまりトリトコスモスからはみ出している。
ブルース・モーエンの死後探索3で扱っているギャザリング2の知性体ネットワークは、ブルース・モーエンの「解説者」が作り出した投影で、こんなんあるか、と突っ込みを入れたくなったので、こんど実際に突っ込み入れてみます。
で、人間に前世はあるのかということを検証する時に、トリトコスモスの視点では、それを確認できない。
トリトコスモスの真上のメゾコスモスの視点に入ると、ひとつの人生が葡萄の粒ひとつとみなしたような、葡萄の房が見えてくる。その段階ではじめて意識の連続性を確認できるけど、この連続性は、トリトコスモスの視点によって遮蔽される。
世界をプラトンの視点に戻すと、わたしたちはメゾコスモスと、ミクロコスモスに行ける。
以前、モンロー研のヘミシンクの初歩的な会にいった時に、地球を見るというのがあって、で、ヘミシンクの中で地球が「実体を見たいのか?」と聞いたので、見たいと答えたら、地表の芝生をはがすようにして、中に、正八面体の骨組みが組んであった。
シュタイナーは、地球が球体だというのは大きな間違いだと強い口調で断定していたけど、このロシアの科学者たちが言うような地球は巨大な水晶という見え方は、すこしばかりメゾコスモスに近づいたことをあらわすと思う。
わたしが関心があるのは、この領域が、文字の起源を作り出しているという点です。
人間は人間の意識の中に閉じこもった。それ以外を死物とみなした。フォーカス35は、この視点を打破する。
それと、トリトコスモスに閉鎖すると、それを基準に天国とか地獄が生まれるけど、この枠組みは、フォーカス35に行くと、いったん全部解体しないといけない。この解体過程で、問題の「クラスターに吸収できない、本来はクラスタの一員であったが、地球にやってきて、この地球の特殊条件にさらされたあげく、もとのルートを失い、しかも、アーリマンに入れ知恵されて、無条件の愛に戻れなくなった孤立した魂」を切り離すかどうかの判定する基準が変わってしまう。クラスタが親クラスタになると、下限も拡張するからだ。無だけが無限に近づくことができる、というもの。
消滅する人というのは、地獄に幽閉されるわけではないのね。
なぜなら地獄に住むのは、ずっとそこで閉鎖され、苦しみ続ける。
消滅する魂は、この地獄よりも下に行くのです。そして存在そのものがなくなる。
しかしエネルギィ不変の法則から言うと、消滅というのはないので、それは
「有機化できる限界」を超えた領域へ、分散化するという意味です。
有機化というのは、簡単に言えば、もっとも単純な素子の三角形になるかどうか。
この三角形が、意識が成り立つ限界だからです。
N先生が恐怖するのは、わりに想像できることでしょう。
トリトコスモスの中で消滅したかに見えて、より拡張された枠組みの中に入り込む可能性は、まったく新しいリスクのあるものだけど、可能性がないわけではない。
アーリマンも、意味のある意義によって生まれた。
トリトコスモスの中の愛着に生きている哺乳動物的な感性からすると、こんなに恐ろしいことはない。
わたしが言いたいことというのは、
無条件の愛の方向で、一体化していくコースは、ずいぶんとルシファー的なもので、
それは全体性、ユニティに戻るように見えて、実はトリトコスモスに幽閉される。
ということでしょうか。
二極化された思考の中で作り出された概念が無条件の愛というもので、それは実際には、ゼノンの矢のように目標に到達しない。