2014年11月13日木曜日

20141113 スコット・ジュレク

スコット・ジュレクのEat and Runをキンドルで読んでいたので、スコットの図を、ジオセントリックで出してみました。時間はわからない。

180度のアスペクトは、卵としての静止したホロスコープを割って、前進する、飛び込むという意味なので、このスコットの火星に飛び込むという太陽、火星の180度は、興味深いです。
走りの中に全身で飛び込むわけです。モーエンなら、海王星に飛び込んでいた。
180度は触覚的な鏡というような要素があり、火星の感覚の中に飛び込み、そこに触覚を作り出して、そこから世界を認識するという。

これがたんに蠍座、牡牛座の180度のみならば、閉鎖的な行為です。
でも、そこに水瓶座の木星の横槍が入るので、これが、世界大会とかあちこちに参加する「よそみ」姿勢を作り出していると考えてもいいのかもしれません。
本の中で、走るのは孤独な行為なのに、逆にその行為の中で友達ができたのが不思議と書いていて、つまり予期しない90度の影響で、水瓶座の木星が接触してくるわけですね。
で、火星が牡牛座の初期にあるので、これは生まれつきの資質ということがかなり加わっていて、後天的に訓練するだけでは足りない、先祖からの蓄積によってもたらされたものがあるということです。

運動能力に関してコントロールするというのは、やはり土星、火星のアスペクトですかね。わたしも土星期になって、火星と180度があるために、この運動のコントロールというのが大変に興味が強まった。
Eat and Runを読むと、果てしないロングランは、肉体感覚の制限を突破して、意識が神秘主義的な領域へと拡大する。このクレージーな挑戦がないのなら、誰もこんなばかばかしい長さのランはしないということが書かれていて、よく幻覚を見るそうです。
長距離ランのマニアには、もとドラック中毒者が多いのだそうな。走るのはそのかわりになる。

こういうふうに、火星という運動能力を通じて、(あるいはシュタイナーの言うように、マクロコスモスへの誘いとしての火星)形のない世界へと拡大するのは、冥王星か海王星と、火星のアスペクトだと思っていたけど、スコットジュレクの太陽、火星の180度、さらに牡牛座の初期の火星というパターンは、新鮮な感じでした。
シュタイナー式に言えば、運動感覚は、射手座なので、そこに世代としては海王星があります。金星も。

わたしが走り始めた頃には、10キロくらいでも、拡大意識みたいなものがあった。しかし慣れてくると、もう普通になった。で、昨日、30キロ走っているときに、20キロを過ぎると、いつもの日常意識から拡大したのだけど、たぶん、これも慣れてくると、普通になると思う。
スコット・ジュレクの本を読んでいて、わたしは自分がもしかしたら、長距離ランに向いているのではないかと思った。つまり結局は、変成意識へと入ることと、ランを結びつける考えをしているのだから。身体の耐久性は練習すれば高まる。そして身体的に耐久できる範囲が大きくなるにつれて、変成意識領域は遠ざかり、ますます無理をしなくてはいけなくなると思う。
で、わたしの年齢から考えるに、スピードとか競争をしていくのはあまり意義がない。
そもそも競争する気がない。
なので、ゆっくりとランしながら、どんどん距離を伸ばしていくのがいいのではないかと思った。

だいたいわたしが走りたいと思ったのは、「脳を鍛えるには運動しかない」という本の中で、毎日二時間とか三時間走ってる人がいて、周囲の人がその話を聞くと驚いていた、という内容のことが書いてあり、そういうことをしてみたいと思ったのだけど、今では、もうこれはわたしには普通のことになった。趣味で、毎日二時間半から三時間というのは、わたしの今の状態。もう少し増やしてもいいのではないかと思うし。

大阪の権藤さんは、牡牛座の火星と冥王星が90度で、これはアスペクトとしてはちょっと危険だ。つまりわたしのように、火星と冥王星が120度の場合には、ある限界を超えると、より深いバッテリーに切り替わり、活力が出てくる。
でも、火星と冥王星がスクエアだと、怪我とか事故ぽい感じのところに早めに近づいてしまう。それにスクエアというのは意識的コントロールが効きにくい。バルブの微調整ができない感じでスイッチが入る。

わたしの話に戻ると、一年か二年かかけて、100キロくらいできるようになるといいかな。東京体育館で、いつもサロマ湖に毎年参加してもう28年目の越智利国さんが、いつも決まった人に筋トレを指導しているのだけど、(非公認で)、それにこの越智さんとは、よく神宮外苑で顔をあわせてしまうのだけど、ネットで見ると、生年月日は、1964年4月24日ですね。
チャート作ったので、これものせる




火星は金星と60度のアスペクトがあるだけで、牡羊座の数え20度ですね。盛り上がらないときでも調子が悪いときでも継続的に続けられる度数ですね。
昨日は、アイフォンのNIKE+が、27.9キロでカウント停止していた。理由はわからない。

スコット・ジュレクの出生図を見て、まさか、そんなはずはないと思った人もいるかもしれない。あのクレージーなウルトラマラソンで世界一になった男が、たかだかこれ?と、感じた人もいるかも。
で、わたしは時々ハーモニック講座をしています。
最近も需要あります。なのでhnで説明してみるかと思いました。

どうしても実現したい自己実現のホロスコープは、定番で、ハーモニック7です。
スコットのHN7を見れば納得する人はいるかもしれないです。
出生図は自然体のわたし。HN7はどうしても実現したい、夢の身体です。




冥王星、火星が合です。
しかも土星、冥王星のスクエアをひきずった上での合。
つまり記録破りです。火星、冥王星のみだと限界突破したいということだけど、そこに土星があると、これまでの記録を破りたいという欲求も加わってくる。
タイトなセブタイルがいかに脅迫的に強く働くかの事例です。
この図は、場所も時間も正確ではないので、ASC and Mcとかは無視してください。月も。
やはりクレージーになるためには、冥王星か海王星とのかかわりが必要ですね。









2014年11月10日月曜日

20141110 ipadで、手書きするには

昨日から、心拍計を手に入れて、走るときに心拍数を確認してみました。
というのも、LSDは、運動強度が60パーセントから70パーセントの間といわれていて、この狭い範囲は心拍計がないことには、まったく不明だからです。
指につける製造完了の品物を手に入れました。
で、皇居に向かったけど、キロ5分30秒の速度でも、運動強度が60まで行きません。心拍数も、90どまりくらい。
でも、一時間過ぎたくらいから、走ってる人を追い抜いたりしているうちに、速度がわからなくなり、運動強度が100になったりしました。これを運動強度60台に戻すのは、そんなに難しくないです。これは速度よりも気分の問題ですね。気分を変えると、心拍数はがくっと落ちます。つまりは興奮してはいけないのだった。ふっと自分の位置感覚がわからなくなるときがあり、このときにはだいたい運動強度が100に近くなることがわかった。たぶんこのまま10分くらい続けると、昏倒したりする可能性もなきにしもあらず、という感じだと思います。予想では。できるかぎり100に行かないようにする工夫が必要です。
インターバルは80くらいがいいらしく、これはこれまで心拍計なしで行っていたインターバルよりも、少しだけ遅くするといいことがわかりました。80だと、いつまでも走れそう。あきらかに、全力疾走ではない。
平静時の心拍数は55程度で、ネットをみると、これはスポーツ心臓なんだそうです。いつのまにか、そういう体質に変化したんですね。

原稿を書くときに、最初に気合というか勢いをつけるために、スタバに行きます。そこである程度調子を上げておけばそのあとうまく続きますが、スタバに行かず、ずっと部屋の中に座ったままだと、この心拍数55から60くらいの低空飛行を続けてしまうので、つまりテンションあがらないことに。この低空飛行はあきらかに、副交感神経主流なので、仕事するには、心拍数を上げるために何か工夫したほうがいいということですね。
会社員の場合、会社に行くと、ほかにもたくさんの人がいて、必然的にストレスが増加し、交感神経が刺激されると思うので、そういうふうに気合を入れるという意味だけでも、会社にいく効果はあるのかもしれない。ともかく皇居を走っているときに、抜いたり抜かれたりすると、心拍数が急速に上がることがわかったので。おなじ5分30秒にしても、ひとりで走っている時には、運動強度60になかなか行かなかったのですから。
マラソン大会は、応援の人がたくさんいて、それがいると、挫折しなくて済むと高橋尚子さんが書いています。たぶん、それに乗せられてしまい、持久力がいつもよりも強くなるのでは。人がいるといないとでは、どうも心拍数がかなり違うような気がしてきました。わたしがひとりで走ってるときには、かなりローレベルです。

それで、Ipadを、まるで手書きの手帳のように使うには、細いスタイラスのペンが必要ですが、最近ペン先1.9ミリというスタイラスが販売されています。
おもに二種類あって、
ひとつは、evernote仕様のJot Scriptです。
これはPenultimateという手書きアプリと連動して使うものです。そのまま自動的にevernoteに転送されます。
もうひとつは、wacomから出ているBAMBOOのCS-600です。
これも専用のBamboo Paperという無料アプリ専用です。筆圧感知します。

で、どちらがいいのかというと、Bambooのほうが微妙に反応が早いです。ただ、わたしは手書きは筆圧が低いので、Bambooの筆圧感知式だと、かなり細くなってしまい、圧力をかけないとスムーズに書けないので、力仕事的な作業に感じてしまいます。たぶんほとんどの人はそう感じないと思いますが。筆圧感知の場合、圧力によって太さが変わるので、まるっきり万年筆テイストで、字面の感触は、とてもレトロぽいです。

紙に書いたノートは、たいてい二度と見ない。そしていつのまにか捨ててしまう。なので、全部Ipadで書いて、そのままevernoteに転送すれば、保存率100パーセントですから、わたしには適しています。色も変えられるし。
こんな使い方をすると、最後に一本残していたウォーターマンのル・マンという万年筆、二度と使わなくなりますね。それに紙のメモ帳も、日々たくさん使うけど、それでも二度と見ない。重要なものでも、そのまま捨ててしまったりする。これも全部Ipadで書くといいと思います。

三次元ホロスコープのことを考えていて、自分の六角形の窓の前面60度の端が滲んでいるというものは、どういう理由でか、最近やっとわかってきた。
わたしの地球上においての知覚には、にじみがあり、そこに他領域の侵入がある。あるいは他領域への侵入がある。

明日は、まだいままで行ったことのないところでの講座です。

来年から、わたしの講座のほとんどを、
朝10時から、午後3時までのコースに変えたいと思います。
昼時間があると、実質四時間です。
これは東京以外でも、そうしたいです。
いままでは10時から5時までで、実質6時間でした。
たぶん、参加者の頭の働き方からしても、これは無意味に長いです。たいていの人は集中力はそんなにないです。

わたしがいま使っている世界最軽量のノートパソコン、レッツノートのCF-RZ4ですが、このままでも打ち間違いは少ない。しかし、このRZ4の良いところは、キーボードよりも、ごくわずかに、淵が高いことです。つまりこの淵に乗せるように何か乗っけると、キーボードには当たらないのです。
で、BluetoothのA4キーボードを、このキーボードの場所の上に乗せると、そのまま大型キーボード入力で、高速で入力できます。
なので、早くしたいときには外付け。そうでないときには、付属キーボードと使い分けができる。
ここまで便利なのは見たことない。
もしかして、製作者はそれを意識したのかな。そのために、ごくわずかに淵を持ち上げる。というよりもタブレットとして使う時に、蓋をそのままひっくり返しますから、キーボードが机にあたったりするとまずい。というところで、少しキーをひっこめているのでしょう。

いままで、シンクパッドなんかでもよくキーボードの跡が、液晶画面についていたりした。それはキーボードの高さがけっこうあったからです。閉じると、そのまま液晶に当たるのです。
大型キーボードも、上に乗せてそのまま使えるとなると、もう完全にA4ノートの意味がなくなります。というわけで、わたしはレッツノートA4と、Macbook Airを売り払いました。

RZ4は、タブレットとしても使用できるので、静電式のスタイラスペンを探して見ます。いま、手持ちのものはあらかた使えなかった。乾電池で、自分で静電気を出すものが最近は出ています。これがいいかもしれないのだが、ペンはいずれにしても、購入して試さないことにはまったくわからない。筆記具は、やはり手に持った感触とか、重さとか、筆圧とか、スムーズ感とか、人によって感じ方が違いますから。万年筆のル・マンはずっと昔、13万円で買った。万年筆はこういうふうにちょっと高い場合でも、数十年使うので、みんな買いますね。ペンはそのくらい、コストをかけてもいい感じがある。










2014年11月1日土曜日

20141101 インターバル走

いまは大阪行きの新幹線の中です。
「誰でも4時間を切れる!効率的マラソンメソッド」川越学著をコンビニで買って読んでからは、
インターバル走をすることにしました。
小出監督の本を読んだときも書いてはあったけど、なんとなく全力疾走をするのが苦しそうで、
避けていました。インターバル走は、有酸素運動が無酸素運動になるくらい、全力疾走をして、
その後、いつもよりも低速なジョギングに切り替えて、そこで、全力疾走の時に作られた乳酸を
逆にエネルギィにして走るというものです。

川越式の場合、1200メートルのうち一キロを全力の80パーセントで走り、残りの200メートルを
、ゆっくりとジョギングすることを五本繰り返すというものですが、体力がなくて、それはでき
ませんでした。ちょうど反対で、200メートル全力、残り1000メートルをゆっくりということに。
しかし繰り返しているうちに慣れて、半々くらいになってきた。
で、昨日は、これを16本やってました。
これはひじょうに楽しいです。全力疾走は、スピードが速くて、いつも速く走らないことの不満
があったのだなとわかりました。できるかぎり早く走るのだけど、やはり16回も繰り返すと、し
だいにもっと速くなりますね。

次に、いつもより速度の遅いジョギングをするのだけど、これがひたすら気持ちいい。全力のあ
とのスローなものは、ほとんど歩く気分だけど、実際には歩いてもこんなに気持ち良くはならない。
で、刺激が強く退屈しないので、気がつくと、もう20キロになっていた。
で、乳酸をスロージョギングで消化するからなのか、いつもの脚の痛みがないです。
非常に気に入りましたが、負担が高すぎるので、毎日するなと書いてあり、せいぜい一週間に一
度程度にしとけ、ということらしいです。
前に、少し早く走りすぎてひどく苦しくなった時、次の日とかその次の日に、その速度がそんな
に苦にならなくなっていたのが不思議でしたが、インターバル走も、そうやって、AT値をだんだ
んと、高くしていく手法らしいです。

いま、新幹線の中で、レッツノートのCF-RZ4で書いています。
これは、最近出た、重さ738グラムあたりだったかの、世界最軽量のパソコンです。
で、キーピッチは16.8ミリしかないのに、17ミリだったR4とかR6などのRシリーズよりも、打ち間違いが少ないというのは、やはりキーの形と、あとはストロークがやや深くて、深く打ち込まないと、文字を認識しないという作りが原因なのかもしれません。
で、いろいろ原稿をこれで書いてみたことからすると、この大きさで、実用的には十分で、ほかに持っているレッツノートの14インチ=A4パソコンはいらないのではないかと思いました。
わりに何も気にしないで、早打ちするのにはA4がいいと思っていたけど、このCF-RZ4で、十分に早打ちできます。

思い出したのは、十数年前は、NECのモバイルギアというのが、プロのライターの人たちには大
変に好評で、というのも、ウィンドウズCEマシンは、HDDでないので、辞書変換が高速だったし、蓋を開けると、すぐに使えるというのが良かったからです。
このモバイルギアは、キーピッチが、このレッツノートと同じく16.8ミリ。
でも、わたしはこれでなんでも書いていました。
今では、ウィンドウズ8は、比較的高速でブートできるし、辞書はもちろんSSDの時代なので、早い。バッテリーもこのCF-RZ4は10時間程度なので、現代のモバイルギアみたいなものです。
出先などはこれひとつでこなすのが良いのではないかと思いました。
ここから見ると、マックブックAir11インチでさえ、どっしりと重いね。





2014年10月29日水曜日

20141029 夢のシナリオのちょっとした書き換え

今日は夢を見ていて、しばらく使わなかった建物に行ったけど、肝心の鍵を忘れていて、入れない。また取りに戻ると四時間かかる、という段階で、目が覚めた。
で、鍵は持っていたことにしようと考え、また眠りました。すると、鍵は持っていた設定で、夢が続き、夢から覚める前に、鍵を取りにいくのに四時間かかるので、その間は外で何か時間をつぶしてくれと伝えていた男性には、二度目の続きの夢の中では、違う男性から携帯電話をかけて、呼び戻してもらうことになった。それがなかなか戻ってこないんだよね。
で、この建物は、旅館のようなもので、ここではかなり純度の高い自然食を出す。味付けは塩だけ、というものでした。これだけでも作れるもんだなと感心しながら、作っている。わたしが経営者だ。中には男性ばかりがいて、ひとりだけ女性いたんだけど、それは朝に追い出してしまい、その女性は、隣の家にかけあって、戻ろうとじたばたしていた。でも無理。

で、思い出したのですが、わたしはこういうふうに、途中で目がさめると、夢の内容を少し書き換えて、また続きを見るというのをよくやっていた。ヘミシンクとか、長い間してないので、というのも、昼は細かくいろんな作業すると、時間なくなってしまい、その余裕がない。
なので、夢で何かするというのがいいです。しばらくは。
途中で少し目がさめてしまう、というのが一番いい。
なんせ毎日寝てるので、わざわざ別の時間を設ける必要がない。

以下のようなメール。

>深川の前日の、走水でも話題にしていたんですよ。
>その、存在が消されて無意味化されるところを、
>光瀬が、百億の昼と千億の夜の中で、ディラックの海に還元されるって、
>描写しましたよね。そこがわたしの、ずっと憧れだった。渇望した時期もある。
>先生が、30年考えてきたってことは、先生も憧れてるんですね。
>わたしがN先生に対立するのは、そこの部分。
>N先生は、消されることにものすごい恐怖してる。
>でもわたしは消されることが救済だと、思ってきたのです。

わたしは憧れてるわけない。
30年考えているというのは、境界線をどこに置くかという問題。
果たして人間の意識って、どこまでをそれと定義できるのか、と。
人間の世界はトリトコスモスで、この下のミクロコスモスは、人間としては意識できない。書いたように、そこには無限の壁があり、無限というのは、意識が働かないということだ。しかしグルジエフは、トリトコスモスの上のメゾコスモスを理解すると、
同時にミクロコスモスに進展する、というふうに上下に意識は拡張すると主張する。
整理するために、このコスモスの種類を列挙しとく。

1.第一宇宙、プロトコスモス。これは創造の光における絶対の領域。
2.アヨコスモス、聖なる宇宙。あるいはメガロコスモス、巨大宇宙を示している。これは創造の光においては世界3と呼ばれ、全世界をあらわす。
3.マクロコスモス、大宇宙。われわれの星雲界。あるいは銀河系。創造の光では世界6
4.デュートロコスモス。第二宇宙。太陽、太陽系。世界12
5.メゾコスモス。中宇宙。全惑星、世界24。あるいは惑星界の代表としての地球。
6.トリトコスモス。第三宇宙。人間。
7.ミクロコスモス。小宇宙。原子。

アリストテレスは、プラトンの四元素の思想を「曲げて」怪しげな四元素論にしてしまったけど、プラトンの立体幾何図形としての四元素、さらに第五元素は、
メゾコスモスとしての、惑星グリッド。そして、ミクロコスモスとしての分子構造などに、そのまま拡張できる仕組みを持っていて、アリストテレスは、それに反して、人間をトリトコスモスの視点に閉鎖するきっかけを作った。その後、キリスト教などは、このトリトコスモス以外は「死物」とみなすようになった。そこに生命はない、と。
もちろん今日の科学も、トリトコスモス以外はすべて死物とみなしている。
トリトコスモス以外を死物とみなすことは、たとえば、地球とか日本とか大地は、人間が住むために存在し、御岳山がいきなり噴火したり、東日本震災があったりすると、それを意外な事件、不幸な出来事とみなすことになる。対応も対処もできない。
わたしたちが見ている天体図は、トリトコスモスの感覚で見ている宇宙で、メゾコスモスから見る宇宙は、まったく違う形に見える。
だいたい、火星に生命は住めるのか、金星にはどうなのか、という議論が出てきた時に、酸素とか水とか、温度とか、生命が住める条件を考えたりするけど、それは生命が発生できる条件でなく、地球に住んでいるかのような人間が生存できる条件であり、炎の中に生息する生き物だってありうるわけです。水がなくても、酸素がなくても、そこに住む生き物なんていくらでも想定できる。

フォーカス27は、人間としての意識として究極の頂点にある。
フォーカス35は、「非人間的な意識」で、つまりトリトコスモスからはみ出している。
ブルース・モーエンの死後探索3で扱っているギャザリング2の知性体ネットワークは、ブルース・モーエンの「解説者」が作り出した投影で、こんなんあるか、と突っ込みを入れたくなったので、こんど実際に突っ込み入れてみます。
で、人間に前世はあるのかということを検証する時に、トリトコスモスの視点では、それを確認できない。
トリトコスモスの真上のメゾコスモスの視点に入ると、ひとつの人生が葡萄の粒ひとつとみなしたような、葡萄の房が見えてくる。その段階ではじめて意識の連続性を確認できるけど、この連続性は、トリトコスモスの視点によって遮蔽される。
世界をプラトンの視点に戻すと、わたしたちはメゾコスモスと、ミクロコスモスに行ける。
以前、モンロー研のヘミシンクの初歩的な会にいった時に、地球を見るというのがあって、で、ヘミシンクの中で地球が「実体を見たいのか?」と聞いたので、見たいと答えたら、地表の芝生をはがすようにして、中に、正八面体の骨組みが組んであった。
シュタイナーは、地球が球体だというのは大きな間違いだと強い口調で断定していたけど、このロシアの科学者たちが言うような地球は巨大な水晶という見え方は、すこしばかりメゾコスモスに近づいたことをあらわすと思う。
わたしが関心があるのは、この領域が、文字の起源を作り出しているという点です。

人間は人間の意識の中に閉じこもった。それ以外を死物とみなした。フォーカス35は、この視点を打破する。
それと、トリトコスモスに閉鎖すると、それを基準に天国とか地獄が生まれるけど、この枠組みは、フォーカス35に行くと、いったん全部解体しないといけない。この解体過程で、問題の「クラスターに吸収できない、本来はクラスタの一員であったが、地球にやってきて、この地球の特殊条件にさらされたあげく、もとのルートを失い、しかも、アーリマンに入れ知恵されて、無条件の愛に戻れなくなった孤立した魂」を切り離すかどうかの判定する基準が変わってしまう。クラスタが親クラスタになると、下限も拡張するからだ。無だけが無限に近づくことができる、というもの。
消滅する人というのは、地獄に幽閉されるわけではないのね。
なぜなら地獄に住むのは、ずっとそこで閉鎖され、苦しみ続ける。
消滅する魂は、この地獄よりも下に行くのです。そして存在そのものがなくなる。
しかしエネルギィ不変の法則から言うと、消滅というのはないので、それは
「有機化できる限界」を超えた領域へ、分散化するという意味です。
有機化というのは、簡単に言えば、もっとも単純な素子の三角形になるかどうか。
この三角形が、意識が成り立つ限界だからです。

N先生が恐怖するのは、わりに想像できることでしょう。
トリトコスモスの中で消滅したかに見えて、より拡張された枠組みの中に入り込む可能性は、まったく新しいリスクのあるものだけど、可能性がないわけではない。
アーリマンも、意味のある意義によって生まれた。
トリトコスモスの中の愛着に生きている哺乳動物的な感性からすると、こんなに恐ろしいことはない。

わたしが言いたいことというのは、
無条件の愛の方向で、一体化していくコースは、ずいぶんとルシファー的なもので、
それは全体性、ユニティに戻るように見えて、実はトリトコスモスに幽閉される。
ということでしょうか。
二極化された思考の中で作り出された概念が無条件の愛というもので、それは実際には、ゼノンの矢のように目標に到達しない。











2014年10月28日火曜日

20141028 先週は二日続きで対談していた

土曜日はヒカリエ、日曜日は深川で対談していました。
ヒカリエは至近距離。深川も、大江戸線で25分くらい、一本で行ける場所だったので
行きやすかった。
それで、対談というのは、いずれにしても、人間相手で、相手のスピードに合わせるので、
それはとても緩い、リラックスしたものとなり、強い集中力を要求されないことなので、
やはりわたしにはこれはレジャーのようなものだと思いました。

直居氏との対談では、直居氏が、終末論の話に持って行ったので、結果的に、その話をせざるを得なくなった。毎度いうことですが、直線時間と円環時間の対比で考えると、
たとえば世界が終わるとか終末というイメージは、直線時間においてのイメージです。
つまり直線時間には、はじまりと終わりがある。
円環型の時間では、円の中にある4つの区切り、あるいはひとつの円から次の円に移行する時に
節目があり、この節目は、それまで続いていたものからすると、終末になるが、
しかし次の円につながるものなので、段差、変化などをあらわすものになる。

直居氏との対談では、終末の話になったけど、
その前の土曜日でも、わたしは、リタイアの年齢になったら、世の中の役に立たないことをしたほうがいいという話は出しました。
つまり直線時間において、老年は終わりに近づくことであるが
円環時間においては、老年は、次の円とかサイクルにつながるための準備などをする。
そのための知識などを提供する役割がある。
それは世の中の合意的現実の世界に貢献することではないという意味です。

で、終末論的な話でいうと、直居氏の口から、とても懐かしいとも思えるような話が出てきた。
世の終わりに、宇宙船が救済のために準備をしている。そして少数の人は、特定の場所に運ばれて、保護される、というものです。
こういう話がわりに話題になっていたのは、70年代くらいでしょうか。
昔はそういう時に、肉体を持ったまま、生身で連れていかれるということをみな考えた。
しかしそれはあり得ない話だと思うので、今の直居氏の話でも、死んだ後で、とか、
死んだ後なんだけど、またもとの肉体に戻される可能性もあるとか、そのあたりが微妙にあいまいなまま、話が続きました。

円盤に運ばれていく、という懐かしい話が出てきたので、わたしはその話の続きをいかにスムーズに運ぶかと考えて、モンローとかモーエンのギャザリングの話を持ち出した。
これは地球大転換の様子を見に、多くの宇宙知性がフォーカス35に集まっているという内容。
様子を見に来ているわけではない。
それぞれ、直結の子供たちが、地球の中に埋もれている。
そのつながりを、子供たちは忘れている。このつながりを取り戻して、
地球経験のエッセンスをレポートするというもともとの役割を思い出してもらい、
本来のルーツに再接続するために、ぎりぎりの至近距離まで来ているということなのです。
地球は極度に過酷な場所なので、ここに生まれると、すべての人が記憶を失うのです。
暗闇の中に沈んでいる子孫を、リトリーバルするというようなイメージです。
これはそれぞれのクラスタへ、再接続するという点では、
直居氏式の、円盤が待っているということに繋がらないことはないと思うのです。

で、モーエンは、このクラスタが回収される時に、どうしても引き取れない魂があり、
この引き取れない魂は、最後の最後には、クラスタは切り離す。
すると、この魂は、存在が消滅する、ということを、死後探索の三巻あたりに書いている。
これはごく稀な話です。
でも、ないわけではないと思われる。
というのも、ひとりの重すぎる負荷のために、クラスタが永遠に縛られるというのは無理だから。
そのあたりの見極めをしなくてはならない。
で、この切り離される魂というのは、存在の両端、無と無限で言えば
無限の部分、有機化不可能な領域に近づきすぎている存在です。
無と無限は、両極で似ている。
無に近づく魂は、つまりワンネスに向かうものたち。
聖なる固きもの、無限に近づくものとは、ばらばら、ちりぢりになる者です。文字通り無限。
無限にまで分解することで、救済される。つまり完全無意識になってワンネスに回収されます。
シュタイナーのいうアーリマンは、こういう存在たちを増やそうとしている。
そこに絶対悪の存在たちがいる。
クラスタは、完全なワンネスに近づかず、その途中にあるもので、まだ生命として
種々の活動をしていく集団意識だ。
でもこのクラスタが回収できない、クラスタそのものを壊してしまいかねない分離者たちは
一足飛びに、無限へと向かい、魂は無意味化され、逆ワンネスとも言える闇に吸収される。
この状況を、ブルースは描写している。
わたしはたぶん三十年くらい、この境界線はどこにあるのかな、ということを考え続けている。いつも、頭の片隅では。
だから、グルジェフの水素96と水素192の境界線のことばかり気にしていたんですね。
意識として存在する。意識として存在しない。その境界線だ。

で、ここにはちょっと特別な条件があって、
グルジェフは、上に進化する意識は、同時に下にも向かうということを述べている。
つまり、わたしはこれを水素の絶対値の拡張という言い方をしたんですが、
グルジェフ式にいうと、地球の生命を感じはじめると、それは同時に原子の生命を感じることになつていくという話です。大を理解するものは、小にも向かうと。
フォーカス27よりも、フォーカス35の生命たちは進化している。
これは言い換えると、27のクラスタが切り離そうとする孤立者を、35は、そうでもない、まだまだ境界線はもっと下にあるよ、と言えるということなのです。
27が否定したものを、35は否定しない。
クラスタが扱える境界線をどこにするか、という見極めは、ひどく重要なのだ。

ちなみに、死後は存在しないという考えかたの人は、死後は存在しないという信念体系に凝り固まっていると考えられているけど、死後は存在しないと考えているのではなく
死後は存在したくないという願望の表れであるケースもあり、
アーリマンが提唱するように、一足飛びに、全存在を消して、無限の闇に吸収されろ、それもまた、逆ワンネスへの回帰だという誘惑に乗った人々でもある。
ひとつの次元は他の次元と断絶があり、
ひとつの次元の上は無。下は無限。
そして、この次元のひとつ下から見ると、その下の次元においての無は、この上にある次元の底辺の無限と結びついている。
このコスモスの中で分解した魂は、ちりぢりばらばらになって無限化し、そして、実はより下の次元においての無の上空から降り注ぐパーツになる。
なので、わたしはブルースの見解には不足があると思っている。
でも、トリトコスモスに住む、わたしたち人間には、この無限の下の世界はとうてい認識できないのです。それは人間の知覚の限界、それこそ無限というつるっとした板の向こうにある話だから。
それを覗きに行きたいと思ったものは、自分がそこに引き寄せられ、もう脱出できなくなる。
自分が塵にならなくてはならない。

絶対者だけが無限に触れられる。つまり神だけが地獄に行くことができる。
神、人、地獄という三つの世界では、人はこの上にも下にも行くことを許されない。
無と無限は連動した開閉弁になっている。




2014年10月21日火曜日

20141021 コーヒーメーカー

アメリカのタンパにいったとき、そこで宿泊したスティーヴのペンションでは、キューリグのコーヒーメーカーが置いてあって、カップを入れたら、そのままコーヒーができるので、大変に気に入って、帰国した当日、夕方に日本についたので、そのまま秋葉原に行って、キューリグのコーヒーマシンを買いました。
これは一度壊れて、またもう少し大型のものを購入した。
でも、面倒なのは、キューリグのKカップのコーヒーは、日本ではあまり普及しておらず、新宿のヨドバシカメラに行かないと手に入らない。
で、ヤフオクで、アメリカ製の、徳用カップというか、ケースだけあって、中に自分でコーヒーを入れるという詰め替えアダプタを三つ手に入れて、使っていました。中に、コンビニで買ったレギュラーコーヒーを入れるのです。

わたしはコーヒーメーカーはあまり詳しくなかった。で、最近、知ったのは、自分でレギュラーコーヒー入れるのならば、紙パック式の、コーヒーメーカーのほうがもっと簡単だということですね。キューリグを使う必要性があまりない。
で、ゾウジルシのものを手に入れました。水を入れて、紙パックを入れて、そこにレギュラーコーヒーを入れ、電源をオンすると、そのまま三分くらいでできる。非常に簡単だ。掃除も簡単。だいいち値段がやたらに安い。

紙パックに感動したので、近所のコンビニで、三種類のメーカーのものを手に入れたけど、だいたいどのメーカーのも同じサイズなので、どれを使ってもいいようです。で、たくさん買いすぎて、これだけでも数百枚あるね。500枚程度だ。

いまは、また新しい本を書きはじめている。また、PDFの初校も、校正しています。
最近本の校正は、紙ではなく、いつもAdobe readerの注釈機能を使っているので、校正用に一本だけ持っていたウォーターマンのルマン100の使いみちがないです。
これ以外の万年筆は全部、新宿のマップカメラのビルの上にある万年筆中古屋さんに売ってしまいました。

何か書くときに、以前なら、紙の本を何冊か開いて、引用したりしていたけど、いまはPDF自炊本にかなりのものが入っているので、Ipadmini、IpadminiRetina 、IpadAirなどを複数置いて、それらを使い分けていけばいいのではないかと思った。さらにキンドルホワイトがあり、こないだ手に入れたonyxのE-inkリーダーもある。スタバで、机の上に、Ipad miniをふたつ置いて開くのもどうかなーと思うけど。でも、本の場合には二冊程度置くことはありますからね。
DropBoxは、無料版でなく、有料会員になったので、かなりのメモリーが使える。で、ここにPDFを大量に入れておくと、どんなマシンでも、そのままpdfをダウンロードして読めるのです。これはかなり便利なものです。




2014年10月16日木曜日

20141016 E-ink ブックリーダー手に入れた/ウエアラブル・ビデオでランニング撮影

おとといくらい、onyxの9.7インチのE-inkのブックリーダー手に入れました。
これは目が疲れなさそう。いま、またプラトンを読んでいます。
プラトンみたいに、対話形式で、抽象的な話をするのは面白そうですよね。
ただ、onyxは、動作速度はとても遅いです。
それとコントラストは弱い。

14日に、ウェアラブル・ビデオカメラで、走る光景を撮影してみました。
http://www.youtube.com/watch?v=-uzmvFiqa3Y&feature=em-upload_owner

19号台風が去った直後なので、風は強かった。
30分過ぎた後の、皇居の光景は、以下のものです。これはパート2ね。
ただ走っているので、退屈かもしれないけど、わたしはなぜか退屈でないです。

https://www.youtube.com/watch?v=bwSYMEEZOng&feature=youtu.be


二番目のビデオのほうは、youtubeの側で、画像の揺れを除去しますか、ということで、除去にしてみましたが、一番目のほうは、そのまま。なので、かなり揺れますが、
揺れているほうが、走っている感じが伝わります。
このパナソニックのHX-A500は、バッテリーが二時間しかもたず、
走る時間をフルで収録できない。
携帯電話充電用のポリマーのバッテリーを持っていけば、記録用のSDカードそのものは
8時間まで撮影可能なので、全部録画できるけど、大げさな装備で走りたくない。
こんなに面白く画像撮れるのならば、あちこち、違う場所を撮影しながら走りたいですね。
ただ都内は信号が多く、信号が多すぎると走った気分になれない。