2015年11月24日火曜日

20151124 肉食にするにしても

ゼロカーボの食事をしようとすると、メインの食べ物は牛、豚、魚とかの肉食になると思いますが、この肉食の種類について、もうすこし選択を細かくしてもいいのではないかと思います。で、この場合、毎度わたしが取り出す定番の基準として、グルジエフの水素があります。

1 絶対
6 大天使、これは恒星に対応
12 小天使 太陽系の太陽は恒星であるが、同時に内部に自己分割した惑星群を持つために、大天使の結晶がまとまっていない、半凝固状態とみなし、この12に、太陽をあてはめる。つまり恒星という基準からすると、ヒルコのような状態になってしまったということ。
24 全惑星
48 惑星
96 月、火
192 空気
384 水
768  土、とはいえ、これは木の中層重心
1536 鉱物
3072 金属

それで、牛とか豚とかは、哺乳動物で、これは12に食べられ、中層重心というか本体が48、そして192を食べるという、12・48・192という三層生物。この場合、この「法灯明」連鎖では、セルロースの768と、3072の金属が連動している。牛はセルロースを分解する。牛自体がひどく植物的な生き方をしている。大地に捧げられた生き物。
で、やはり食べ物に、誰でも同化してしまい、肉体の成分にはそれが多く含まれるのだから、わたしたち人間は、脳の働く哺乳動物として生きることになるでしょう。基本的に、これは法灯明の連鎖群なので、独立性はあまりない。惑星意識に生きている。羊を食べると特にそうなるような印象がある。羊は自分の意志を持たない生き物ではあるまいか。意志を持たないものは、意志を持つものに依存して、まとわりつく傾向がある。犬はこの羊の性格に時々いらだって、羊たちを崖から落として殺す。

人間の理想形態は、6・24・96で、これは恒星あるいは大天使に食べられ、全惑星意識としての24が中層重心で、96を食べている。この96は、無脊椎動物の中層重心です。無脊椎動物は、24・96・384の三層生物。
人間には二種類いて、小天使に食べられる哺乳動物としての人間と、大天使に食べられる人間がいる。小天使に食べられる人間はつながりとか絆が大切で、大天使に食べられる人間は、独立性と自発性が強い。自灯明だから。哺乳動物の牛とか豚などを食べる肉食と、菜食は、同じ系列で、両方とも、つながりと絆の世界に生きようとする。ラインとかSNSとか、ツイッターとかも、つながりですね。
前から書いているように、自灯明的な存在のコミュニケーションは、共鳴による。そして法灯明的、小天使的、哺乳動物的なつながりは、直接回線を接続する。

大天使に食べられる位置にある6・24・96存在になろうとするのならば、哺乳動物を食べる(一体化)するよりも、無脊椎動物を食べたほうがいいと思われる。

無脊椎動物というのは、とても曖昧な区分ですが、基本は、アリストテレスのいう無血動物のことで、脊椎動物以外の動物は、単純に背骨とか脊椎を持たないという意味で、無脊椎と呼ばれることになる。
ラマルクの無脊椎動物は、wikiによると、獣、鳥、両生爬虫類、魚を除いた動物で、日本でかつて「蟲」と呼ばれたもののうち両生爬虫類を除いたすべてのものと言ってもよく、ホヤ、カニ、昆虫、貝類、イカ、線虫その他諸々の動物が含まれるとなっています。

両生爬虫類は爬虫類の中でも少しばかり哺乳動物的で、法灯明的な性質を持っている。たとえば、皮膚は乾いておらず、長い間水から出ていられない。
で、この蟲というのは、本体が96なので、暗い火としての呪術などに使われていますね。小学生の時に、みみずとか、虫をあつめて、瓶の中に封入し、数ヶ月、建物の裏の暗い場所に保管して、時々見ると、見ただけで気持ち悪くなったのを思い出します。いま思い出しても気持ち悪いです。小学生の時に、なぜこんなことをしていたのか、わからない。

昆虫以外の無脊椎動物はほとんど水の中に生きている生き物で、これは水棲無脊椎動物と呼ばれている。イカ、タコ、エビ、カニ、貝、クラゲ、ウニ、ナマコ、牡蠣とか食べるといいのではないかと思います。エビは昆虫に分類される生き物。

水素96の暗い火は、外界に吐き出した作用ではなく、内的なものとして受け止めると、孤立感のひどい感情です。どこにもつながりのない感情。この孤立感を解消するために、下に落とすと空気の192があり、それは無機的になり、また上に上がると通常の人間の思考としての水素48になる。でも、どこにもつながりのない感情というのを、上か下かにシフトして、絆を作るよりは、孤立したまま、自灯明特有の「共鳴」によって、大なるものとつながるのが、もっとも正常な方法です。つまり96の上に24が共鳴し、その上に6が共鳴する余地があるのだから。そうやって、暗闇の中でひとり輝く恒星になるのです。

東北の「絆」を看板にする人々は、哺乳動物的な世界に生きているとすると、これは地上の牛、豚、羊などを食べると、ますますそれが強まる。でも、イカ、タコ、エビ、カニ、貝、クラゲ、ウニ、ナマコ、牡蠣などを食べるのは、昔から、いかにも日本的な、酒飲みの食事みたいで、そんなに不自然ではないです。やはり、"いきなりステーキ"でリブ食べるよりは、いかセンターで、死後硬直直後の、ぴんと伸びたイカそうめん食べたほうがいいのではないかと思う。醤油をかけた瞬間に、皿の中で暴れるイカの切り身。で、魚はできるかぎり食べないというふうに。

NYの人が言うように、ゼロカーボはあまりにも常識的ではないので、どうせ常識的でないのなら、もっと先を行って、生きた水棲無脊椎動物に噛み付くのがいいよ。しかし、これだとあまりにも食費にお金かかるね。おそらく現代ではもっとも贅沢な食事ですね。ランチはまだ尻尾が動いている伊勢海老を、なんて、いくらかかるんだ。

でも、わたしは精神宇宙探索講座しているではないですか。これは恒星に飛ぶ。つまりは恒星・大天使に食べられるという方向性ですから、伊勢海老がいいのでは。で、惑星探索の場合には、牛ステーキ、あるいはその同族のベジタリアンです。

シュタイナーによると、6方向からの圧力をそれぞれ対立する力のぶつかり合いによって、均衡を保ち、人間は静止することができるようになったという話ですが、実際には、人間は6方向の圧力均衡で生きていない。つまり大地に立っている。という意味では、地球に依存しており、中空に浮かんで静止していない。
で、中空に浮かべないということは、独立的な存在ではないんです。水の中に生きている生き物は、水の中という条件ではあるが、中空に浮かぶ。つまりは低次のレベルにおいて、独立的な存在であるということだ。これが自灯明的な、無脊椎動物の特質だと考えてもいいかもしれない。高次の場合には、水の中で浮かぶのでなく、宇宙空間の暗闇の中で浮かぶということです。惑星は浮かんでいるが、静止できず、マグロのような回遊魚ですね。浮かぶというのは、自分の個性、位置付けがあるということです。浮かばないというのは、何かの付属品ということです。人間は地球の付属品です。

で、瞬間的には、地表から浮かぶこともある。でも、すぐに着地します。飛行機で飛んでも、ずっと浮かんでいるわけではない。大地から離れるには、ずっと大地の意味するものを排泄し続ける必要があって、排泄というのは意識すること、目覚めることを意味するので、わたしたちはまだ地球の力に対して、意識化できず、依存しているものが多すぎるということですね。瞬間的に、きれぎれに、力なく、排泄することができるが、それは継続的なものにまで至らない。地表に張り付いて、横との電位差の中に、生きる動機、活力を引き出している。
以前グルジエフと変成意識の中で話した時、(つまり夢の中に出てきた時)、エニアグラムの各要素を獲得してしまうと、9の位置で、いきなりその存在は地球から吐き出されるという説明を受けたのですが、これは大地から浮いてしまうことと同義です。
肉体は地球の持ち物なので、もちろん持って行ってはならない。持っていくと、それは泥棒です。中身、実体が地球から吐き出されるという意味では、脱魂という体験も、またその一部の事情を教えてくれます。(この場合、地表に戻れるというメリットがある。)
昨日、渋谷の講座で、参加者の一人が、冥王星とスクエアの木星を、12ハウスに持っていて、これは射手座の3度くらいだったかな。
で、冥王星と木星のスクエアは、過剰拡大をあらわし、12ハウスで過剰拡大するのですから、それは肉体から離れたアストラル・エーテル体をあらわします。木星の年齢域には、身体から外に飛び出してしまう体験に悩まされたと、本人は言ってました。
火星で飛び出し、木星で夢見をするという仕組みもあるけど、冥王星とのスクエアは、態度がLLサイズで、小さな肉体に収まることに憮然としているわけです。
で、この人は音楽療法などをしているのですが、そもそも音楽は、魂が身体から外に拡大することを目的にしたものです。昔の音楽はそうだった。今日の音楽は、そのことを忘れている。これは琴座が重要な意味を持っているでしょうね。オルフェウスの神話だ。脱魂を自由に扱えるというのが、やはり理想的でしょう。そして死後どこにいくかを、生きている間にはっきりと決めておく。いずれにしても、この人の12ハウス木星と冥王星のスクエアは、この仕事にとても向いているということを意味していますね。

アマゾンで、東芝の2.5インチのHDDを、バルク品で2TBを3個。3TBを一個注文しました。まだ3TBは届いてないけど、2TBは注文した当日に届いた。
これまで使っていた3.5インチはあまりにも大きいし、そもそも電源が必要。しかし2.5インチは、USBから給電できて、独自の電源を必要としません。数ヶ月前までは、3.5インチでもUSB給電できるHDDケースを作った秋葉のガレージメーカーがあって、それを使おうとしたけど、ヨドバシカメラの店員の人が、「絶対にやめてください」と言ったので、それを買わなかったのです。
時代はかわって、いつのまにか、2.5インチで3TBができてしまったんですよ。驚きです。ただ、これ2TBでも3TBでも、 ものすごく分厚いです。ノートパソコンには入らない。別に入れなくても、外付けのUSB接続で使えばいいだけなんですが。
わたしのiTunesの音楽が入ったHDDは、2TBを超えているので、3TBを買わないかぎりは、これを移植できない。前から、3TBがいつかできないか、待ち続けていましたが、いつのまにか製品化されていた。
これがあると何かいいかというと、たとえば、レッツノートのRZ4とかに、外付けで2.5インチのHDDをつないで、iTunesデータを聴けるということです。新幹線の中とか、飛行機とかで。あるいはスタバで。
ミニマリズムのためには、書籍はPDFで、音楽はiTunesで、というのが基本でしょう。電源いらずの2.5インチHDDが重要なのは言うまでもない。音楽は12音技法のものしか聴きたくないけど、12音技法であれば、これからもいくらでもCD買ってリッピングするつもりはある。7音の世界は、さすがに疲れました。本当のところは、12音よりももっと数を増やしたほうがいいのだと思う。するとスーフィーの音楽ですかね。

NYの人がこんなことを聞いて来た。

>物を整理されているそうですが、IPODやウォークマン&高級イアフォンを使う場合、
>HIFIオーディオセットレベルの音が再現できるのでしょうか? 10万レベルのイアフォンに触れる
>機会がないのでわかりません。
>先生、音の妥協できるのですか? 

これはデータが圧縮でなく、waveファイルならば、CDと同じ音になります。いままで持っていた一番高額なヘッドホンは45万円くらいのものですが、でも、オーディオテクニカの定価5万円程度のものでも、遜色ないです。最低限、この手のものは持っています。それと、室内では、自作のスピーカがあり、というのも、これは自作なので、売るわけにはも行かずということですが、品質はかなりいいです。