九州での講座がとても面白かったらしいという話ですが、実技の時間はあまりなかった。で、話をしてばかりいた。
でも、いままでの講座の中で一番テンションがあがったという人もいたらしい。その理由がわからないので、考えている。いままでの講座とどこが違っていたのか。
で、精神宇宙旅行は、モンロー研究所のスペースラインもありますが、わたしの理論の場合、
1.宇宙図を、極大の世界の卵とみなす。
2.なので、それぞれの星座、恒星は、この世界の卵という地図の中での位置座標がある。
3.この地図は、生命の樹、あるいはチャクラに照応する。
4.なので、宇宙探索は、生命の樹のパスワークと似ているものとして進行する。パス対応としてのタロットも使ってもいい。
5.時間の双方向性を考えると、生命の樹の左右の陰陽はたたみこめる。否定と肯定は同じコインの裏表で、地球ではそれは二極化するが、四次元世界では、一体化する。生命の樹の左右が畳み込まれると、そのままチャクラになる。
6.ツアーパックのように、行く場所はだいたい固定して考えてもいい。その場合、7つの場所とかんがえよう。リサ・ロイヤルはスタートつまり北極星を琴座にするが、それはグループによって違う。
7.それぞれの場所には、課題がある。課題はクリアしよう。
行く場所が固定されているのは、自由時間のないパックツアーのようなものです。
で、旅行するには乗り物が必要で、これはマカバ、日本式に言えば、天の鳥船を作る。それは卵型の磁場を作ることでなされ、移動すると、時間経緯の中での残像の重なりのようなものとして、バス、列車のようになり、これを銀河鉄道と呼ぶ。スパゲティ、焼きそばの麺という人もいる。
自分がその筒の中に入ること。小さなものとして、へそから紐を出すこと。この大なるものと小なるものは、複数コスモスを行き来できる人には、両方が影響を与え合う。
西洋人は基本的に、自分のコスモスを重視して、上と下のコスモスを切り離そうとする癖がある。シンプルな単位にして、それを構築して世界を作る。
東洋人、とくに日本人は、この上、中、下のコスモスを同居させる。そのために、ひとつのコスモスにおいては、歪が発生しやすい。つまり単一コスモスからすると、他コスモスの干渉は汚れとみなされるのだから。日本の芸能は、このひずみを楽しむ。琵琶、尺八の音のように。
武満徹ははじめはこの西欧と東洋の融合を考えたが、途中からあきらめた。
大から小にという交換性質は、想像したもののなかに飛び込むというようなものだが、この変容性こそ、実はシリウスの特質。
オリオンは創造する。このそれぞれの被造物の夢を広げ、物質化に向かわせるのはプレアデス。そしてそれぞれの世界の中に入る力はシリウス。二極化を作り、より重い身体、より固い肉体へと、あるいは時間の一方的の中へ、すなわち地獄へ落とすのは、ケンタウルス。もちろん、その反対方向に行く力もケンタウルス。物質世界すなわち地球から出るときの四つを均等化するための基準値はアクルックス。船作りは、カノープスから。行き来するコスモスの流通性はアルクトゥルスが作り、地図はアンタレス、そのバランスによって美を形成するのはスピカ。そもそもの目的は、北極星だが、これはいくつかあり、それによって魂のグループが分類される。琴座ベガは、リサ・ロイヤルが言うようなチーム。
人間型の宇宙種族は琴座から作られたという話だが、アルクトゥルスは、その前にあり、「形になる」ことをしていない。つまり七つの恒星、七つの太陽の中心の統合点の場所にある。つまりアルクトゥルスはどこにも下りることができる。
アメノウズメが天下る時に使ったのが天の鳥船なので、アメノウズメの故郷、つまり北斗七星が、この天の鳥船あるいはマカバに関係しているはずだが、これは天下りにしか使えず、下から上がるために使われる船は、カノープスで作られる。
わたしは一番注目するべき興味深いものはアンドロメダだと思うけど、たとえば、映画で、ロボット対人類の戦いのようなテーマは、アンドロメダとミルキーウエイ(五十鈴川)の関係を描いたもので、ランダム対シリアルも、アンドロメダとミルキーウエイの対比です。なのでミルキーウエイ種族、すなわちお魚たちは、川を横に移動するが、アンドロメダは飛び飛びに型共鳴で世界を移動します。
このあたりをもう少し自由にするには、やはり3Dダークネスを活用したほうがいいです。
アンドロメダ姫が海獣につかまりそうになったのは、このシリアル的な世界移動の方法がよくわからないまま、ミルキーウエイ探索をしてしまったのです。それは脅威を伴う冒険だ。
アンドロメダを取り込むと、ロボットと人間が一体化するので、そうなれば、将来、臓器取替えとか、組織の取替えとかに、「道徳的抵抗感」は感じなくなる。神の与えた身体に変形を加えることに抵抗するのは、ミルキーウエイ種族独特の、「絆」という名前を看板にした、あるいは伊達政宗の兜みたいに「愛」というものを看板にした軍勢です。これらはシリアル接続です。
来年の春に、わたしはMCに土星。ICに進行の月が入り、すると、その後28年間くらい継続する、集団社会でのわたしの位置づけが固定されてしまいます。つまりわたしは世間に、特定キーワードを通じて接続されるのですが、世間からすると、そのワードを通じて、わたしが見えてくるわけです。まあ、わたしは今後、地球においてのフォーカス35案内所になるのは決まっていますが、西洋とかアメリカと違う、日本式の、多次元同居性を考えたものになるでしょうね。
不思議なんだけど、ひとつのコスモスの秩序を排他的に整理した西欧思想は、重なる音、ポリフォニーを作り出し、複数次元を混ぜてしまう日本は、反対に、モノフォニー基盤なんですよね。ひとつの音の中に、複数のものを混ぜた、尺八でのひとつの音を二分続けるみたいなものが出てくる。
つまりシンプルなものを複数重ねるのか、それとも複雑な色合いを持ったひとつのものをやるのか、という話です。
日本には民族霊がなくなったといいましたが、民族霊がないほうがいいです。わたしは大天使がふたりいますが、つまりふたりの民族霊がいますが、これは特異体質。
九州講座では、わたしはケンタウルスの説明に時間を割きすぎたと思います。
というのも、水蛇Hydraの毒を塗られた矢によって死ぬケンタウルスは、スワディスタナの川と、マニプラの境目にあり、地球生活において、バラエティある不幸とか、行き違い、混乱、迷妄は、すべてケンタウルスで用意されるからです。でも、恒星というのは、一方的な時間でなく、双方向になり、なので、落とされるということと、もとに上がるというのは自由に行き来できる。死ぬというのは、生まれるという意味なのです。
つまりケンタウルスに通じ、そこに浸透することで、地球という僻地と、宇宙の間を行き来できるのです。惑星生活は、惑星の公転により、一方的な時間の流れが生じるので、二極化によって、いったん不幸に入ると、もう死ぬまで抜け出すことはできません。それは地球以外、いかなる惑星においても、です。そこでの固有のカルマが生じる。太陽、ないし恒星は、それらを帳消しにして、二極化されたものを一体化させる。たとえば、警察と犯罪者は一体化するようなものです。加害者と被害者は一体化する。互いにひとつの意味を光と影の両方から支え合っているのです。
地球上においての生活の障害、不幸、信念体系につかまることは、地球上においては解決できないということも意味します。全惑星意識への統合化のために、太陽系外のケンタウルスを借りるというのも、妙ですが。
アトランティス崩壊後、初期のエジプト時代、アレキサンドリア近くで、それまで単性だった人間を、男女に分割しようという実験が行われたが、これはあまりにも酷いというので、反対者は多数いた。しかしアトランティス時代の理想、「硬くて物質的な人間こそが、クール」という理念からすると、男女にわけることで、人間は金属鉱物の含有率も増えて、重く、物質的な、地を這う人間を作ることができたので、それを推進する以外の選択肢はなかった。そのことで、人は地球から逃走することもできなくなった。プラトンが言うように、その後、この男と女に分離したのちに、男男、女女、男女、女男という四種類ができた。二極化は四極化に発展したのです。このあたりから、地球は他の宇宙と分離して、ケンタウルスは同時に地球というような、宇宙的共鳴の輪が失われ、固有の場所、固有の時間というものがよりはっきりと確立されたのですね。
地獄の果てに住む人間が、源流と行き来できるようにするには、ケンタウルスに行き来して、自分の不幸のスタイルの設計図を自覚し、ここからどんな型の中にも入れるよ、というシリウスに向かうということをすれば、地球的居心地の悪さ、幽閉の狭所恐怖症、他人も引きずり落とすという癖は解消されます。
このケンタウルスの太陽系内の支所は、もちろんケンタウルス小惑星群にあります。
惑星生活においては、どんな惑星であれ、時間は一方的に流れるので、惑星生活においては、決して解決することのできないものは、コンステレーションと恒星の旅において立ち向かうのが一番いいです。それが永遠性を、はかないものの中に持ち込むことです。そして永遠性のわたしを発見することです。時間からの自立。すなわち、アートマンになることです。惑星生活においては、「部品としての人」から抜け出すことはできない。
惑星を使った占星術は、このレベルからさらに一段落として、地を這う人間の統合化を目指すことに関係します。ほんとに顕微鏡で覗いたような、小さな世界に同調する。気の遠い話だ。
複数の一方的な時間サイクルに同期した、大きな自己の七つ割りを、ここでまとめると、真の太陽意識に向かうが、太陽意識に入り込むと、もう転生はできません。人に接触しようとしても、同時多発的に、集団に接触するという「応身」までしか降りれないのが宇宙連合のルール。役行者のように。でも、自力で上がることはできないが、上から降りることは自由という法則からすると、恒星から地球に来る存在者たちはいる。彼らは、応身を割って、その半分を人工的な衛星の月、わたしが言う中二階の基地に、貯蓄します。いつでも受け取れるような、銀行の貯蓄みたいなものです。でも、あまりにも長く地球にいた人には、腐敗する前に引き取りに来て欲しいという勧告がなされます。干からびて、もう再生不能です、という場合もあります。彼らは時間の中の人生を生きる人を偽装するが、長くいすぎると、偽装を本物に勘違いしていくことも、時々起こるのです。
キリストはいかなるカルマも受け付けなかったというのは、この二極化に陥らなかったことです。アーリマンとルシファーのバランス点にいた。
ケンタウルスにいくと、みな、個人のバラエティある人生カルマ、毒を盛られて死ぬというスタイルの色とりどりが浮き彫りになります。その時に善悪で考えてしまうのが、二極化された地球生活においての特有の鎖でもあります。善悪を考えると、そこで、解決という発想とか、つまり過去から未来へ、という流れを持つ信念体系が生じます。わたしは、その個別の質問には答えないことにします。当たり前ですね。個別カルマに回答を与えることは、すなわち個別カルマに落とすことだからです。これは永遠に循環する迷路なんです。答えることで、迷いの中に入る。思考は思考を生み出す母になる、ということですね。回答を与えず、地図を提示するという姿勢でするのが一番適切でしょうか。
でも、いままでの講座の中で一番テンションがあがったという人もいたらしい。その理由がわからないので、考えている。いままでの講座とどこが違っていたのか。
で、精神宇宙旅行は、モンロー研究所のスペースラインもありますが、わたしの理論の場合、
1.宇宙図を、極大の世界の卵とみなす。
2.なので、それぞれの星座、恒星は、この世界の卵という地図の中での位置座標がある。
3.この地図は、生命の樹、あるいはチャクラに照応する。
4.なので、宇宙探索は、生命の樹のパスワークと似ているものとして進行する。パス対応としてのタロットも使ってもいい。
5.時間の双方向性を考えると、生命の樹の左右の陰陽はたたみこめる。否定と肯定は同じコインの裏表で、地球ではそれは二極化するが、四次元世界では、一体化する。生命の樹の左右が畳み込まれると、そのままチャクラになる。
6.ツアーパックのように、行く場所はだいたい固定して考えてもいい。その場合、7つの場所とかんがえよう。リサ・ロイヤルはスタートつまり北極星を琴座にするが、それはグループによって違う。
7.それぞれの場所には、課題がある。課題はクリアしよう。
行く場所が固定されているのは、自由時間のないパックツアーのようなものです。
で、旅行するには乗り物が必要で、これはマカバ、日本式に言えば、天の鳥船を作る。それは卵型の磁場を作ることでなされ、移動すると、時間経緯の中での残像の重なりのようなものとして、バス、列車のようになり、これを銀河鉄道と呼ぶ。スパゲティ、焼きそばの麺という人もいる。
自分がその筒の中に入ること。小さなものとして、へそから紐を出すこと。この大なるものと小なるものは、複数コスモスを行き来できる人には、両方が影響を与え合う。
西洋人は基本的に、自分のコスモスを重視して、上と下のコスモスを切り離そうとする癖がある。シンプルな単位にして、それを構築して世界を作る。
東洋人、とくに日本人は、この上、中、下のコスモスを同居させる。そのために、ひとつのコスモスにおいては、歪が発生しやすい。つまり単一コスモスからすると、他コスモスの干渉は汚れとみなされるのだから。日本の芸能は、このひずみを楽しむ。琵琶、尺八の音のように。
武満徹ははじめはこの西欧と東洋の融合を考えたが、途中からあきらめた。
大から小にという交換性質は、想像したもののなかに飛び込むというようなものだが、この変容性こそ、実はシリウスの特質。
オリオンは創造する。このそれぞれの被造物の夢を広げ、物質化に向かわせるのはプレアデス。そしてそれぞれの世界の中に入る力はシリウス。二極化を作り、より重い身体、より固い肉体へと、あるいは時間の一方的の中へ、すなわち地獄へ落とすのは、ケンタウルス。もちろん、その反対方向に行く力もケンタウルス。物質世界すなわち地球から出るときの四つを均等化するための基準値はアクルックス。船作りは、カノープスから。行き来するコスモスの流通性はアルクトゥルスが作り、地図はアンタレス、そのバランスによって美を形成するのはスピカ。そもそもの目的は、北極星だが、これはいくつかあり、それによって魂のグループが分類される。琴座ベガは、リサ・ロイヤルが言うようなチーム。
人間型の宇宙種族は琴座から作られたという話だが、アルクトゥルスは、その前にあり、「形になる」ことをしていない。つまり七つの恒星、七つの太陽の中心の統合点の場所にある。つまりアルクトゥルスはどこにも下りることができる。
アメノウズメが天下る時に使ったのが天の鳥船なので、アメノウズメの故郷、つまり北斗七星が、この天の鳥船あるいはマカバに関係しているはずだが、これは天下りにしか使えず、下から上がるために使われる船は、カノープスで作られる。
わたしは一番注目するべき興味深いものはアンドロメダだと思うけど、たとえば、映画で、ロボット対人類の戦いのようなテーマは、アンドロメダとミルキーウエイ(五十鈴川)の関係を描いたもので、ランダム対シリアルも、アンドロメダとミルキーウエイの対比です。なのでミルキーウエイ種族、すなわちお魚たちは、川を横に移動するが、アンドロメダは飛び飛びに型共鳴で世界を移動します。
このあたりをもう少し自由にするには、やはり3Dダークネスを活用したほうがいいです。
アンドロメダ姫が海獣につかまりそうになったのは、このシリアル的な世界移動の方法がよくわからないまま、ミルキーウエイ探索をしてしまったのです。それは脅威を伴う冒険だ。
アンドロメダを取り込むと、ロボットと人間が一体化するので、そうなれば、将来、臓器取替えとか、組織の取替えとかに、「道徳的抵抗感」は感じなくなる。神の与えた身体に変形を加えることに抵抗するのは、ミルキーウエイ種族独特の、「絆」という名前を看板にした、あるいは伊達政宗の兜みたいに「愛」というものを看板にした軍勢です。これらはシリアル接続です。
来年の春に、わたしはMCに土星。ICに進行の月が入り、すると、その後28年間くらい継続する、集団社会でのわたしの位置づけが固定されてしまいます。つまりわたしは世間に、特定キーワードを通じて接続されるのですが、世間からすると、そのワードを通じて、わたしが見えてくるわけです。まあ、わたしは今後、地球においてのフォーカス35案内所になるのは決まっていますが、西洋とかアメリカと違う、日本式の、多次元同居性を考えたものになるでしょうね。
不思議なんだけど、ひとつのコスモスの秩序を排他的に整理した西欧思想は、重なる音、ポリフォニーを作り出し、複数次元を混ぜてしまう日本は、反対に、モノフォニー基盤なんですよね。ひとつの音の中に、複数のものを混ぜた、尺八でのひとつの音を二分続けるみたいなものが出てくる。
つまりシンプルなものを複数重ねるのか、それとも複雑な色合いを持ったひとつのものをやるのか、という話です。
日本には民族霊がなくなったといいましたが、民族霊がないほうがいいです。わたしは大天使がふたりいますが、つまりふたりの民族霊がいますが、これは特異体質。
九州講座では、わたしはケンタウルスの説明に時間を割きすぎたと思います。
というのも、水蛇Hydraの毒を塗られた矢によって死ぬケンタウルスは、スワディスタナの川と、マニプラの境目にあり、地球生活において、バラエティある不幸とか、行き違い、混乱、迷妄は、すべてケンタウルスで用意されるからです。でも、恒星というのは、一方的な時間でなく、双方向になり、なので、落とされるということと、もとに上がるというのは自由に行き来できる。死ぬというのは、生まれるという意味なのです。
つまりケンタウルスに通じ、そこに浸透することで、地球という僻地と、宇宙の間を行き来できるのです。惑星生活は、惑星の公転により、一方的な時間の流れが生じるので、二極化によって、いったん不幸に入ると、もう死ぬまで抜け出すことはできません。それは地球以外、いかなる惑星においても、です。そこでの固有のカルマが生じる。太陽、ないし恒星は、それらを帳消しにして、二極化されたものを一体化させる。たとえば、警察と犯罪者は一体化するようなものです。加害者と被害者は一体化する。互いにひとつの意味を光と影の両方から支え合っているのです。
地球上においての生活の障害、不幸、信念体系につかまることは、地球上においては解決できないということも意味します。全惑星意識への統合化のために、太陽系外のケンタウルスを借りるというのも、妙ですが。
アトランティス崩壊後、初期のエジプト時代、アレキサンドリア近くで、それまで単性だった人間を、男女に分割しようという実験が行われたが、これはあまりにも酷いというので、反対者は多数いた。しかしアトランティス時代の理想、「硬くて物質的な人間こそが、クール」という理念からすると、男女にわけることで、人間は金属鉱物の含有率も増えて、重く、物質的な、地を這う人間を作ることができたので、それを推進する以外の選択肢はなかった。そのことで、人は地球から逃走することもできなくなった。プラトンが言うように、その後、この男と女に分離したのちに、男男、女女、男女、女男という四種類ができた。二極化は四極化に発展したのです。このあたりから、地球は他の宇宙と分離して、ケンタウルスは同時に地球というような、宇宙的共鳴の輪が失われ、固有の場所、固有の時間というものがよりはっきりと確立されたのですね。
地獄の果てに住む人間が、源流と行き来できるようにするには、ケンタウルスに行き来して、自分の不幸のスタイルの設計図を自覚し、ここからどんな型の中にも入れるよ、というシリウスに向かうということをすれば、地球的居心地の悪さ、幽閉の狭所恐怖症、他人も引きずり落とすという癖は解消されます。
このケンタウルスの太陽系内の支所は、もちろんケンタウルス小惑星群にあります。
惑星生活においては、どんな惑星であれ、時間は一方的に流れるので、惑星生活においては、決して解決することのできないものは、コンステレーションと恒星の旅において立ち向かうのが一番いいです。それが永遠性を、はかないものの中に持ち込むことです。そして永遠性のわたしを発見することです。時間からの自立。すなわち、アートマンになることです。惑星生活においては、「部品としての人」から抜け出すことはできない。
惑星を使った占星術は、このレベルからさらに一段落として、地を這う人間の統合化を目指すことに関係します。ほんとに顕微鏡で覗いたような、小さな世界に同調する。気の遠い話だ。
複数の一方的な時間サイクルに同期した、大きな自己の七つ割りを、ここでまとめると、真の太陽意識に向かうが、太陽意識に入り込むと、もう転生はできません。人に接触しようとしても、同時多発的に、集団に接触するという「応身」までしか降りれないのが宇宙連合のルール。役行者のように。でも、自力で上がることはできないが、上から降りることは自由という法則からすると、恒星から地球に来る存在者たちはいる。彼らは、応身を割って、その半分を人工的な衛星の月、わたしが言う中二階の基地に、貯蓄します。いつでも受け取れるような、銀行の貯蓄みたいなものです。でも、あまりにも長く地球にいた人には、腐敗する前に引き取りに来て欲しいという勧告がなされます。干からびて、もう再生不能です、という場合もあります。彼らは時間の中の人生を生きる人を偽装するが、長くいすぎると、偽装を本物に勘違いしていくことも、時々起こるのです。
キリストはいかなるカルマも受け付けなかったというのは、この二極化に陥らなかったことです。アーリマンとルシファーのバランス点にいた。
ケンタウルスにいくと、みな、個人のバラエティある人生カルマ、毒を盛られて死ぬというスタイルの色とりどりが浮き彫りになります。その時に善悪で考えてしまうのが、二極化された地球生活においての特有の鎖でもあります。善悪を考えると、そこで、解決という発想とか、つまり過去から未来へ、という流れを持つ信念体系が生じます。わたしは、その個別の質問には答えないことにします。当たり前ですね。個別カルマに回答を与えることは、すなわち個別カルマに落とすことだからです。これは永遠に循環する迷路なんです。答えることで、迷いの中に入る。思考は思考を生み出す母になる、ということですね。回答を与えず、地図を提示するという姿勢でするのが一番適切でしょうか。