2015年9月2日水曜日

20150902 二極化の話

惑星生活においては、人間は二極化すると書きましたが、これは次に四極化します。これは、円回転の中にある春夏秋冬と同等の意味です。目的を植えて、夏に内側から膨らみ、秋に成果が出て、それを外から締め付けて冬の硬い成果になる。
地球生活において、二極化したものの片方のみを意識する、というのは、直線時間で生きることをあらわし、これが社会全体のシステムの大きなひずみを作り出している。
直線時間とは、円の中の四つのサイクルのうち、前半のふたつのサイクルだけが存在すると考えることです。後半のふたつは影になる。
で、二極化されたものの、影になる領域は意識の裏に隠れているけど、統合化を目指す人は、この裏側の半身がやってくるスピードが早くなります。
二極化を統合化しようとする人には、カルマ(これは「行為」とその「結果」という意味です)が成立しない。なぜなら、カルマを生む、カルマを消すという両方が働くからです。
お金を増やしたいということを例にあげると、表の人格はお金を増やすことが善であり、未来であると考える。半身は、時間を逆に回すので、お金がだんだんと減っていくというイメージになっていく。それを表に、つまり善であると考えると、このお金が欲しいという欲望は台無しになってしまいます。カルマを生み出すもとの欲が消失しないまでも、相対化されてしまい、それに自己同一化しなくなります。
二極化を統合化する人は、特定の信念体系がなくなってしまうのです。なぜなら、どんな方向性も、それを善、あるいは未来、あるいは良いことと思わなくなってしまうからです。収益をあげたり、成功したりすることを良きことと信じるには、二極化されて、その半身のみを意識するということでしか成り立たないのです。
二極化を統合化しようと思いつつ、そのことにある程度無自覚な人は、なにをしようとしても、反対勢力がすぐさまやってくることにとまどうでしょう。自分で呼んでいるのです。二極化の法則をよく知っている人は、どんどん自己実現してゆき、同時に、それがある時期にすべてなし崩しになっていくことも知っています。いかなる価値も残らないことも知っています。

直線時間の概念によって、円の半分のみを重視すると、円はちぎれて、孤立し、次の円につなぐことができなくなる。人が死ぬことを不幸だとみなしているのも、この思想です。そして死ぬ直前まで、一方的な信念体系で生きるということも、この思想です。他人に対しても、次の円につながることを妨害し、引きずり落とそうとしている。いかに人間は孤立しているのか。
この偏りを自覚し、その信念体系から自由にならない限り、恒星に飛び出すことはできない。時間と空間の違いを作り出し、つまりカルマを生み出す構造を作り出し、この内部宇宙を楽しむことは、恒星の内輪の、内部活動です。自己を分割し、内部に回転する時間を作り出さないと、この二極化、四極化はできない。でも、恒星の意識の重心にいることは、このカルマ作りをゲームとみなし、そこから自由に離脱することができる。ゲームに参加してもいいけど、本気で同一化し、もとを忘れてしまってはいけない。しかし直線時間に生きると、完全に記憶喪失を起こします。
占星術も知っている、あるビジネスカウンセラーが、「占星術はあくまで裏の世界、ビジネスは表の世界」と言いましたが、これは正確に翻訳すると、ビジネスは直線時間、すなわち二極化された片方のみを信じないことには成り立たない世界。一時的なものに生きること。占星術は、全体性に回帰する手がかりを持った、すなわち永遠性と恒久性を考える手がかりを残したもの、それ自身はかなりのところ不完全だが、本来性をたどる細い糸は残っているという意味になります。

ところで、わたしの講座、わけていくといいのでしょうか。
⚫️地を這うもののための占星術。ジオセントリックで、いつものように、30分とか25分わりあてで、チャートを読む。
⚫️三次元ホロスコープ、精神宇宙探索講座。天とのつながりを取り戻す種類の講座。
精神宇宙探索センターを、九州、大阪、関東、北海道と作っていくのも面白いけど、この場合、どうみても、スタッフとかインストラクタとかが固定されて、すると、地上的横のつながりが固定されてしまいます。それ自身が、ヘリオセントリック的世界をディスターヴする性質が含まれています。太陽の光が差し込まないようにする人垣ができることなんです。グルジエフ的グループの概念が必要です。つまり目的が決まると、そのために人が集まり、目的が完了すると、すぐに消失する。それ以外の横的な絆は一切認めないというものです。横の仲間も、また継続する関係も作ってはならないのです。もしそれをしてしまうとしたら、それは人間の弱さで、決して宇宙旅行をするだけの耐久力が手に入りません。

わたしはよく、各々次元は、自灯明と法灯明が交互に繰り返されると言ってきました。玉と線です。で、横のつながりとかは法灯明であり、基本的に女性的なものです。それはつながりを求める。そして結晶は解体する。なので存在は危うく、不安定です。
自灯明は共鳴によるつながりです。それは孤立しているわけではなく、結晶があり、独立しており、男性的な側面で、そして共鳴して理解しあう。
たとえばある本を読んで、それに感銘を受けたら、法灯明の人は、著者に会おうとする。が、自灯明の人は、共感し、共感すればするほど、著者には会いたがらない。共感がひずむからです。共感しても、それを著者には決して知らせない。共感しているからこそ、知らせないのです。たとえばわたしはブルース・モーエンに共感しています。彼が死んだ時、決して葬式には行かないだろう。

で、恒星は基本的に自灯明的。星は自立している。で、惑星は法灯明的。惑星は自立しない。それは部品です。部品の本性は、依存性と、貢献したい気持ち。貢献するというのは、依存性です。つまり元に戻りたい意思があり、元に戻るためには、自分ではよくわからないが、もとにあるものに役立とうとする、役立つことでつながりを取り戻そうとするのです。誰でも自灯明と法灯明の両方の側面を持っていますが、ただ今日的な世界では、自灯明の比率がちょっと少ない。今の日本では、政治の世界でも、責任者不在になる。これは法灯明が強すぎる結果です。

2020年の東京オリンピック開催に対して、いろいろケチがついてますね。開催して、つつがなく、いいお祭りになること。これが二極化の片方。すると、反対側はこれが中止になったり、あるいは実行できても、さまざまな問題が発生することを推進するかもしれません。そもそも2020年にオリンピックが開催されたら、そこで、日本で本格的なテロを行ういい機会を作ることにもなります。ケチがつくことは、調整機能が働いているということもありますね。開催することは悪いことでないし、楽しいことです。ただ、そこだけに重きを置くことは良くないです。成功しても、失敗しても、どっちでもいい。

古い占星術で、恒星のアルゴルは欲深で、凶悪と言われていますが、これがいかに間違いかよくわかりますね。恒星は惑星においての二極化がない。欲の追求が一方向だとすると、その反対極は、欲を手放すこと、弱まること、消失することで、恒星は、このふたつを一体化させています。アルゴルの影響が地球にやってきて、地球において二極化した場合、人間の意識が一面的であれば、この片方だけを取り上げて、欲深という意味に変換される。しかしそれは影では、こんどは欲をすべて失うという意味が含まれていることになります。つまり、裏のアルゴルは欲を打ち砕くのです。弁財天の姉は貧乏神ですが、この両方を持つことで、やっとオリオン三つ星の意味に戻ります。
恒星の力は、惑星においては決してトータルには受け取られないという一例です。

いま、毎日雑記を書いているのは、書いた本の校正もひととおりやって、次に取り組むまで、少し余裕があるからです。今年、いままでに書いた本、三冊。出版されるまでは、しばらく間がある。校正は初校までは終わった。それで、この隙間に、Kindle本を書くかどうか考えている。ある出版社に、わたしの本を英語版にしてKindleで出してほしいと言ってるけど、アマゾンの企業に対する態度は、アップルと同じくらい高飛車で、差別的なので、それを受け付けられるかどうかわからない。クロネコなんてまさに犠牲を強いられています。社員に対してでなく、他企業に対するブラック企業がアマゾンです。

Kindle本の例。
ボルテックスの場所においての写真を撮影。この写真集。植物はエーテル体に対応している。森はうねる海のようだ。植物をたくさん。
わたしは建物好きでもある。物質は金属鉱物を借りている。建物のまわりをぐるっと取り囲む植物は、物質に対してのエーテル体(第二の身体)の関係性をあらわすが、そもそもエーテル体は物質体を虚弱にしたり、切れ目を作り出したりする。取りかこむよりも、むしろ入り込み、貫通するような関係性のほうがより理想的だ。
こういういろんなスタイルの建物の写真もいいかもしれないが。でも、ともかく写真はすでに存在するものしか撮れない。わたしが水晶を見る時、もっと固まらない源流的なもの、つまりもっと本質的な映像を見ているが、これは写真に撮影できません。