2015年9月7日月曜日

20150907 アジェの図も、astro.comにありました

ブレッソンのことを書いたら、アジェのことも書かないとね。
アジェは41歳から、3000枚の写真を撮影したが、芸術家のための資料という目的で、パリの街を撮影していたので、芸術的な写真を撮ろうとしたわけではなかった。人とか馬が動き出さない朝に、パリの街を弁当を持参して歩き回り、あちこちの建物を撮影した。ブレッソンと違い、人を撮影するというよりは、人のいない、建物を撮影するほうが多かった。なんせブレッソンみたいに、ライカの小型を使っているわけではなく、ガラス乾板の暗箱で撮影していたので、瞬間を切り取ることはできない。



日本の写真家が、失われたパリの貴重な資料としてのアジェの写真が撮られた場所を逐一たずねてみたら、アジェの撮影した建物がほとんど残っていて、失われたパリと違うではないかと驚いていたのを読んだことがあるけど、日本と違い、海外って、建物残ってますよね。
水瓶座の太陽が6ハウスということで、自分の好みを捨てて、黙々と仕事として写真を撮影していたわけですが、そういうスタンスで歩き回ったくせに、魚座の火星・海王星とか、牡羊座の金星・木星がスイッチが入ったりします。

建物ってなんだろ。あちこちで、人がある程度集団的に立て篭もるもので、これは蟹座の象意ですよね。蟹座の集団性は、さまざまなサイズがある。小さなものは家族、大きなものは民族とか、もっと大きくしてもいいけど、山羊座の外皮に保護された中での内臓のように、暖かく心理的に充足していく範囲のものです。中身に目を向けると蟹座。外観に関心を向けると山羊座です。
なんせ空間的に大きなものなので、隅研吾によると、建築というのは、創造性の発揮という面では、もっとも戦闘的で攻撃的なものだそうです。現代では建築家は、世界中を駆け回る。国籍もなにもないそうです。特徴があれば、どこの国も採用する。

建物が山羊座の皮に包まれた蟹座だとして、わたしのように蟹座に天王星のある人は、普遍的で、範囲の大きなものを、この蟹座という閉じられた建物的な器の中に持ち込もうとする。で、奇怪な建物に関心を持ちます。いまのところ、一番興味のあるのは、螺旋階段のある建物。
アジェの土星は蟹座の8度にあって、これは蟹座の暴れる心を克服するという度数。天秤座の7度の月は、人の心のいろんな光と影に振り回されていく度数ですが、それらを、蟹座の8度のスクエアで押さえ込むというか、制圧しようとするアスペクトです。つまりひとつの建物があれば、この中に、いろんな人を取り込んで、土星の力で調整しようというものですね。建物とは、暴れたものを調停するための器。
で、牡羊座の種を植えるというところでは、金星・木星があり、これが天秤座の月をよけい暴れさせているのですが、というのも、牡羊座の種を天秤座は形にしようとする。天秤座が、光と影の7度になるのも、牡羊座の種植えに、さまざまな要素のものがあって、これを天秤座が鏡として次々に形にした時に、ひとつのものでは終わらないからですが、こういう牡羊座、天秤座の活動サインらしい、バラエティの創出を、蟹座土星の範囲の中に閉じ込めてみようということになるわけですね。
いろんな創意工夫が、建物の中に封入されているという意味でしょうか。
蟹座の8度は克服、調停という意味なので、ともかくこういういろいろ暴れるものを、建物が吸収します。
それにしても、魚座の火星・海王星の合、こういうのは時代性で、なかなか現代では、こんなことは再現できないです。どんなに頑張っても、このすごい表現を凌駕することはできないなー。最近生まれた子供なら、できるかもしれないけど。

でも、大雑把な共通点として、ブレッソンもアジェも、月に土星が90度です。
月は、形からはみ出し滲んだオーラのようなものです。肉体は物質。エーテル体とかオーラは、生命体。エーテル体は日本語に翻訳すると生命という意味になります。
もう書いたように、物質は鉱物を借りて、エーテル体は植物の表現を借ります。
なので、固いアスファルトから、植物が飛び出している光景は、物質的な肉体から、エーテル体が広がっている光景です。
月に土星という輪郭が90度で迫っているというのが、形をこえて広がろうとする気配、雰囲気、オーラ、生命を、写真のような物質的輪郭の中に閉じ込めようとするという作用なのかもしれません。
写真はすでに存在する形あるものしか撮影できない。この形あるものの中に閉じ込められた精霊たちを、気配を、写真は切り取るわけですね。
音楽は、形から開放する力だ。写真は、形の中に閉じ込められ、決してそこから開放されることのないものを記録する。

最近、ライカが、28mmの単眼レンズを搭載したフルサイズ受光素子のカメラを発売して、ライカQと言うんですが、だいたい価格が58万円くらいということで、ライカのファンは安いと興奮して予約した。クロップモードで、35mmと50mmも撮影できるところが、ricohGRをコピーしたのはあきらかだけど、そもそも単眼でフルサイズのカメラというスタイルは、ソニーのRX1を意識した、あるいは模倣したものですよね。これを意識しないで作ったわけはない。
で、sonyのRX1は、zeissの35mm、F2.0のレンズ。zeissらしく、極端に解像度の高い、濃い色のもので、精緻な、雰囲気をできるかぎり消したような感じです。といってもzeissらしい雰囲気はものすごくあります。緻密でこってり。一方でライカは、昔ながらのとろーんとした雰囲気のあるものになる。こういうので、建物とかをアジェみたいに、あるいは機動力を発揮してブレッソンみたいに撮るというのは面白そうですね。
聞くところによると、ライカはレンズが命のメーカーだけど、デジタルカメラ時代に、カメラとしての機能はかなり遅れていて、いままで出していたカメラはみなどこかに欠陥がある。で、今回は、パナソニックがデジタル面でいろいろ指導した結果、ライカQは、はじめてまともなデジタル・カメラをライカが出したという風評です。撮影しているうちに突然のトラブルに襲われるということもないらしい。初回は予約が一気に殺到したので、もう手に入らないそうな。
ライカのカメラって、木村伊兵衛の時代には、家一軒ぶんの価格といわれていました。そういうものなので、58万と言われると、安いっ!!となるんですね。

お昼ごはんは、いつもオリジン弁当なんですが、その理由は、わたしは炭水化物を食べないので、どこか定食に行っても、ご飯を全部残す。それはもったいないからです。で、オリジン弁当で、いろんな惣菜を選ぶのですが、この場合も、取りかたは偏っていると思う。たとえば、ワカメ、タコ、キューリの酢の物があっても、ワカメばっかり取ったりします。もともとはコンニャクが好きだったけど、最近はコンニャクは苦手。コンニャクはまったく消化しない。でも、食べたものは、排泄するのは2日後でしょう。だいたい腸の中のものは1時間で1センチ移動して、何か食べても、それが排泄されるのは、次の日ではなく、二日後です。なので、まったく消化しないコンニャクは、身体に二日とどまります。それが重たい。何か体の中に鉛のような荷物を抱え込んでいる感じで、これは苦しいです。なので最近はコンニャクを食べないです。
でもトレランでは、練習の時に10キロの重さのリュックを背負って走ったりする。ということは、多少重いコンニャクを抱え込んだまま走るのもトレーニングになるのかな。