2015年9月23日水曜日

20150923 下層民と、高等遊民

下層民と高等遊民という区分を作るのはどうでしょうか。こんな不埒なことを言うのも、わたしは昨日のハッシーがコーディネートした三次元占星術講座で、あいかわらず、「ワーキングプアは、ヘリオセンリック占星術はしてはいけない」と言ってたからです。
職業、恋愛、対人関係などで悩み、占星術を参考にしようとする人は、間違いなく、下層民です。わたしの仕事は何が向いているのでしょうかなどと質問する人は典型的な下層民です。つまり人間にとって基本的な生活レベル、機械の要素に不足を感じ、それを占星術で可能性を探すというテーマでは、ジオセントリックの通常の占星術しか役に立ちません。
そういう通常の独力で開拓するべき領域は本来ならば占星術を使うなというのが、正しい見解です。占星術はその人の魂、すなわちアストラル体をあらわすので、機械部分としてのものを記述していません。社会が作り出した価値観、モノ、金、暮らしなどについて、占星術はあまり関与しない。

で、ヘリオセントリックは、通常の地上生活において、だいたいあらかた、こなしている。その地上において、あらぬ空想を抱いていないという段階で、はじめて意味を持ちます。地上生活はだいたいこなしている。そこに期待できない。なんか退屈。たいてい果たしたが、それが根底的なものを満たすわけではないと気がついた。その段階で、ヘリオセントリックは意味を持ちます。成功していない人がヘリオセントリックをしてはならないのです。
著書でも説明していますが、虹の7階梯のうち、下の三つはジオセントリックで考えることができる。しかしその上に行こうとした時、ジオセントリックはもうまったく可能性がない。上の4つはヘリオセントリックが埋めることができるのです。

下層民と、高等遊民とわけるのは、まあわたしのひとつの冗談ですが、生理学的奴隷としての、モノとしての人間と、アストラル的な人間をわけることです。お金のない高等遊民もいれば、金持ちの下層民もいます。極貧の高等遊民って、いるに決まってるじゃないですか。で、もう生活できない、妥協してバイトに行ったりした段階で、下層民に転落します。高等遊民ならば、妥協しないで、駄目なら餓死しろよ、というところです。でも、そこまで決意が固いと、環境が根負けします。タロットカードで言えば、20審判のカードの極意です。

惑星生活は、惑星が移動することで生じる、一方的な時間と重力場に入るので、存在は二極化する。この二極化によって、個人には特有のカルマが発生する。恒星は、この二極化を統合化するので、惑星生活での二極化に埋もれた人からすると、影、反対要素が急激に接近してくる。恒星は、この二極化の光と影を両方持つのです。オリオンは創造、分裂と、反対の融合を両方兼ね備えています。惑星から恒星へ向かうことで、固有の価値観、信念体系はすべて打ち砕かれるのです。だから、二極化の一方にのみ固執する地球生活から見れば、恒星は邪悪で破壊的で、影をつれてくるものと勘違いします。キリストはあなたがたに傷を与えるといいましたが、そんなもんです。
でも、惑星が恒星とバイパスすると、はかない惑星に、恒星の永遠性の手がかりを与えます。そしてそれは惑星のパワーを非常に強くもたらします。惑星の狭い範囲の意識をぶちこわし、そこに、より大きな力をチャージするのです。
昨日は、シリウスが火星とつながった時、日本の修験道のような、行動を通じて、極限的な開放をもたらすということを例にあげました。スパルタスロンなんか目じゃないぜ。スパルタスロンでは、食料を好きに持ち込んでもいいですが、修験道では恐ろしいことに食事は制限されます。修験道をなめんな。山岳宗教の極意なんです。
ハッシーは、土星にシリウスが関わっているので、やがてハッシーは、シリウスばばあになるといったら、みんながウケていましたが、土星の役割に、シリウスは超越性を与えるのです。
この発想は、新差別主義だ。精神的格差社会ですね。占星術は差別主義です。人はみな同じと言ってない。

お医者さんからのメールです。

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ローカーボのメールの人が話す内容。
食は文化であるって、宗教と同じレベルだよなぁと
あらためて頷いてしまう。

別のところで、不食について考えている人が、
ある実験について書いていました。
あまりに暇になったとき、食べ物を口にいれて
しまったということでした。

これは、先生が書かれていた、
体は忙しいが内面的には恐ろしく暇、
ということにつながる。

内面の暇を癒すために食べている。
、、、でも、これは肥満が精神的防衛って
昔から言われているのと同じですね。

暇の恐怖を散らすために食べているって
ことですね。

でも、好きなもので珍しいものをいただいた
ときの至福って、なんだろうかと。
一種宗教的な至福がありませんか。
ワインでも、極上の天ぷらでもいいんですけど。

恐怖を払うのが宗教。
宗教の至福。
でくくれるのかな。

あと、前から言ってますけど、
医学も完全な宗教ですよ。
感染症と外傷、工学(体外循環とか透析とか)以外は、
中世の迷信の域を出ないのでは。
本草学(中医含む)は体験と観察の蓄積なので
科学だと思います。
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好きなものをいただいたときの至福。これをわたしは体験したことがないんです。食物で、至福を感じたことはないです。音楽ならばありますけど。うまいなーと思ったことはあるけど、至福とまでいかないなー。でもLSDもまあ食物だよね。それなら、至福もありかな。
マリファナは、タバコよりも百倍健康にいいですが、つまりは健康食品ですね。

生理的なもの、物質。これらはまずは精神の投影、思考の投影によって発生すると思います。
原子は想像の産物。
で、陽子に中性子が混じり、外側に陰の電子があるという構造は、
わたしはキリスト教的錯誤から生まれてきたものだと考えています。
なので、思想が変わると、原子の構造は変わります。
ミクロな世界においては、人間の精神が自身をそこに刻印するのです。

ローカーボの人の話は、あきらかに狂信的な宗教ですよ。
で、これは面白いと思ったので、わたしも信者になろうと思いました。
ご利益、効能ははっきりとしていると思いますし。
これからは、糖質や炭水化物は一日5グラム以下にするというのをやってみようかと。
ソイジョイは、10グラムなので、ソイジョイは食べてはいけない。
鳥ササミにマヨネーズぶっかけは、何の問題もないというのが、凄い。

肥満している人は、暇の恐怖を散らすために食べているのは、そうだと思います。
つまり空虚を食うことで埋めようとする。
太った人は、みな恐れに取り囲まれている。皮下脂肪は、感じないこと、ストレスを緩和するための麻酔みたいなものだ。だから皮下脂肪を溶かす時に、このストレスの再演が起きて、それに持ちこたえられなくなるケースもある。
で、わたしは生命感覚を蠍座とみなし、依存症とかは、蠍座がどこのハウスにあるのかで判断してほしいと書きました。(本で。)つまり生命感覚が満たされないと、生きた感じがしない。緊急で、生命感覚をなんらかの手段で満たさなくてはならないのです。
わたしは蠍座が9ハウスなので、思想的な展開をすると、満たされます。ほかのいかなる事でも、満たされないんだよ。なので書いたり考えたりすると、満足感がある。9ハウスの意味でもある海外をうろつくのも充実感がある。マンハッタンは飽きたけど。
思想活動によってしか充足しないというのは、お金かからなくていいね。
蠍座がどこのハウスにあるか、ということだけで一冊の本が書けると思った。かなり特殊ネタですが。これはカスプというより、途中から蠍座が入っている場所も考えてください。

雪乃さんが、蠍座に4つくらい天体を持ち、それらがみな7ハウスにあるのですが、見ていると、ほんとに仲間というか人との交流に、満足感を感じていますね。友達がパーティを開いてくれる、というのを喜んでいる。水・固定サインというのは、セットすると、そこから生命感覚を吸い込むので、その設置場所を動かすと、吸い取ろうとしている力がこぼれてしまうので、枯渇するまでは、供給源との関係を動かしてはいけない。
なので、蠍座以外の天体が7ハウスにある場合には、また違う意味になってきます。ここで取り上げているのは蠍座の生命感覚というものだけ。