一日の糖質を20グラム以下と決めてしまうと、なかなか食べるものがない。昨日、オリジン弁当のお惣菜、ひとつずつラベルを見て確認したら、100グラム中、炭水化物は15グラム前後が多く、オリジン弁当の中のお惣菜は、およそ全滅です。もうオリジン弁当には行けない。
すると、買うものが思い切り減ってしまい、気軽に食べるものがない。
糖質を制限すると、血糖値のあがる食べ物を食べないので、この血糖値が上がった結果として「満腹だ」という満腹中枢を刺激された状態を体験することができず、しかし血糖値がさほど落ちもしないので、お腹すいたという感じもしなくなる。おなか一杯もなく、おなか空いたもない。中途半端な感じがだらだらと続きます。で、糖質中毒の状況が続く中で作られた「満足なまで食べた」という体験を食事に求める人は、糖質制限食に挫折するそうです。たとえばの話、糖質制限で一日5000キロカロリー食べても、満腹感はない。これを続けると、どこにも行き場がないという感じになってきます。
「お腹がすいた」という感覚は、ひとつの妄想で、それは習慣的に人によって変わって来るので、この感覚を信じてはいけない、というのは、前からわたしが主張していたことです。習慣によって変化する感覚です。そんなものに乗せられたら、ナチュラルな生命感覚からどんどんと離れてしまうと。食事計画は、こういう、おなかすいた、とかおなか一杯とかの感覚とはまったく別な形で考えたほうがいい。ただ、たくさん食べると、体は重いと感じます。腹の中に何かいつも詰まっていると感じることになると思います。
で、たとえば、ステーキを500グラム食べても、食べた気はしないです。まだポテチを食べたほうが、満足感があります。ステーキには、たいていニンジンとかインゲンとか、ポテトとか、ついていると思いますが、それらはみな糖質が多いので、これらはみな食べてはいけないことになります。それらを食べないのなら、毎日500グラムのステーキを食べても、少しずつ体重が減っていきます。
で、わたしはいままで、生魚が苦手で、刺身とか出てくると、下に敷いてある大根の千切りを食べるけど、刺身はあまり食べないということをしていましたが、糖質制限からすると、大根はたっぷり糖質なので、食べてはいけない。しかし刺身はほとんど糖質ゼロなので、どんどん食べたほうがいいという話になります。もう書いたけど、カロリーオフのマヨネーズよりは、昔式のキューピーマヨネーズのほうがいい。
いまはまだ、多くの人が糖質制限理論だけでなく、前世紀の遺物としてのカロリー理論を気にするので、両方意識する人が多いと思いますが、思い切ってカロリー理論を捨ててしまうと、いくら食べても、糖質制限すると、体重は重くならないということです。これは実際にそうですね。食べても食べても体重は増えない。
わたしの場合、どうして体重を重くしたくないのかというと、体重が軽いほうが、楽に走れるということだったのですが、糖質を消費することで走る回路から、糖新生回路になると、ちょっと走るときのコンディションに変化が出てきて、いまの段階ではよくわからなくなってきた。ランニングの時に使うエナジージェルも、異様に甘いので、これは使ってはならないことになるし。
昨日は、雨の中を、長時間、ずっと走っていました。北参道交差点から高島屋まで実は5分かからないということがわかって、驚いた。高島屋の地下に行けば、食材はたくさんあるので、糖質ゼロのものを見つけ出すことができるかもしれない。
出口王任三郎は、日本人はやはりお米だよ、とか言っていたらしいけど、この日本人のアイデンティティを、弥生時代以後ではなく、もっと古代にまで引き伸ばして、日本人定義を大きくしたら、日本人はやはりお米だよ、とは決して言えなくなる。
日本人という定義は、時代範囲をどこに絞るかで、まったく変わってしまいますよ。中国とか韓国が言う日本は、もちろん明治以後の日本ということです。
で、占星術では、日本という定義を考えるときに、たいてい、戦後憲法の日本、あるいは大日本帝国の日本という狭い範囲でしか考えません。安部総理は、この戦後の日本のアイデンティティを壊そうとしている。わたしは戦後の日本人像は、まったく虚偽であると思っている。これはアメリカ人、マッカーサーなどが決めた日本イメージで、実体から大きくかけ離れているので、あまり洗脳されてはいけないと思う。
この時代スパン、その範囲の設定しだいで、国のイメージが違うというのは、明確に定義しないことには、かなりの混乱が生じると思います。たとえば、中国は?というとき、中国人にはかなりの混乱があると思う。秦の始皇帝が思い描いたあたりの中国というイメージをひきずっている。ウィグル自治区はもちろん中国ではない。
プラトン月、すなわち2200年範囲程度で、国イメージを決めるほうがいいですかね。日本なら、室町時代以後の日本。日本の歴史上、もっとも拡大力のある日本イメージかもしれない。朱印船の乗組員は、中国人、ポルトガル人、スペイン人、オランダ人、イギリス人、日本人がいた。
いまの日本人は戦後刷り込まれた日本人イメージに支配されすぎていると思うので、これは早めに脱ぎ捨てるほうがいいと思うけど、そのためには、憲法をどんな形でもいいから、改変して、リニューアルしました、という宣言をしなくてはならない。
ホリエモンは、英語のヒアリングは得意だけど、話せないと書いていた。どんな英語でもだいたい聞き取りできるそうです。で、わたしは反対です。話せると思うけど、聞き取れない。でも、実は、これは日本語でも同じで、誰かからいきなり話しかけられたら、聞きなおさないことには、意味を理解しません。マンハッタンでは、みなが全員超せっかちで、わたしは対応できませんでした。
それはとても頭に来ることなので、これからしばらくはヒアリングの特訓に入りたい。言葉をつないで、発音が省略形になり、さらに、途中中抜けを起こすというスタイルを、習得しないことには。
でも、この省略形プラス中抜けは、非ネイティブだと無理なんだそうです。非ネイティブ、すなわちグローヴィッシュは、きちんと会話している。中抜けしない。で、フィリピン先生は、安いけど、タゴリッシュの癖を受けてしまうので、あまり良くないのでは?という日本人英語教師がいました。でも、わたしはRを全部発音するヒングリッシュよりはいいと思う。
みんな何のためにダイエットしてるのかな。
肉体が地球上で占める比率が減るほど、生命体としてのエーテル体は強くなります。
肉体と生命体は、反比例の関係に従っています。
近代、あるいは現代、生命体と肉体を混同する習慣が出てきました。
なので、肉体を強めることは生命体を強めることであるという勘違いが生じています。
しかし肉体が大きく強い人は、基本的に生命体は弱いです。
その虚弱さを補正しようとして、肉体の力を誇示しようとします。でもたかが知れています。
で、ダイエットして、痩せていくことで、少しずつ生命体を強めていくという考えならば、ダイエットは正しいと思います。それに地球上において、自分の面積の比率が高いのは、みっともない。肉体を構成する成分は、エーテル体に引き寄せられて集まってきた地球上の物質なので、それをは私たちのものではありません。非常に速いスピードで新陳代謝をしており、休みなく交代するので、長くとどまっているものでもありません。なので肉体よりは、軽く、早く、そして強烈な生命力がある。こういうほうがいいでしょう。面積が多いと、重く、遅く、どこかに張り付いていて、そして元気がなく疲れやすい。それは地球の所有物になっているという感覚を強めていきます。別に地球の所有物になってもいいのだけども、動けないというのが困ります。
夏井さんのお勧めのピスタチオは、調べてみると案外と糖質多いです。
くるみ(炒り) 4.2g
カシューナッツ(フライ) 20.0
マカダミアナッツ(炒り) 11.7
アーモンド(乾) 9.3
ピスタチオ(炒り) 11.7
バターピーナッツ() 14.4
この中で言えば、クルミが理想的ですかね。
縄文時代はクルミ、クリ、トチ、ドングリなどの堅果類を食べるのがメインらしく、焼き上げて食べたり、粥や雑炊にしたらしい。副食は魚介類。ネットによると、列島北部の寒流域でトド、アザラシ、オットセイ、サケ。暖流域でタイ、サメ、イルカ、サザエ、アワビ。内陸部では、コイ、フナ、アユ、シジミ。ほかに動物では、シカ、イノシシ、クマ、カモシカ、キツネ、タヌキ、ノウサギ。
縄文時代末期から弥生時代にかけて、栽培が普及して、米が主食になるが、まだ弥生時代には、稲作の効率性が低いので、一日あたりの米消費量は一合前後だったそうな。足りないので、米とドングリの粉を混ぜて食べていたという話だが、いずれにしても美食に走らなければ、何を食べても、あまり気にならない。わたしも美食派ではないので、何を混ぜても気にならないです。虫は混ぜたくないけど、エビはいちおう昆虫の仲間。
>糖質オフ、カロリー問題外はとても
>魅力的なので、久しぶりに食品成分表買いました。
>野菜の糖質なんか気にしたことなかったので。
>ちまちま、マーカーペンで食べてもいいものを
>調べるのが楽しそうです。
すると、買うものが思い切り減ってしまい、気軽に食べるものがない。
糖質を制限すると、血糖値のあがる食べ物を食べないので、この血糖値が上がった結果として「満腹だ」という満腹中枢を刺激された状態を体験することができず、しかし血糖値がさほど落ちもしないので、お腹すいたという感じもしなくなる。おなか一杯もなく、おなか空いたもない。中途半端な感じがだらだらと続きます。で、糖質中毒の状況が続く中で作られた「満足なまで食べた」という体験を食事に求める人は、糖質制限食に挫折するそうです。たとえばの話、糖質制限で一日5000キロカロリー食べても、満腹感はない。これを続けると、どこにも行き場がないという感じになってきます。
「お腹がすいた」という感覚は、ひとつの妄想で、それは習慣的に人によって変わって来るので、この感覚を信じてはいけない、というのは、前からわたしが主張していたことです。習慣によって変化する感覚です。そんなものに乗せられたら、ナチュラルな生命感覚からどんどんと離れてしまうと。食事計画は、こういう、おなかすいた、とかおなか一杯とかの感覚とはまったく別な形で考えたほうがいい。ただ、たくさん食べると、体は重いと感じます。腹の中に何かいつも詰まっていると感じることになると思います。
で、わたしはいままで、生魚が苦手で、刺身とか出てくると、下に敷いてある大根の千切りを食べるけど、刺身はあまり食べないということをしていましたが、糖質制限からすると、大根はたっぷり糖質なので、食べてはいけない。しかし刺身はほとんど糖質ゼロなので、どんどん食べたほうがいいという話になります。もう書いたけど、カロリーオフのマヨネーズよりは、昔式のキューピーマヨネーズのほうがいい。
いまはまだ、多くの人が糖質制限理論だけでなく、前世紀の遺物としてのカロリー理論を気にするので、両方意識する人が多いと思いますが、思い切ってカロリー理論を捨ててしまうと、いくら食べても、糖質制限すると、体重は重くならないということです。これは実際にそうですね。食べても食べても体重は増えない。
わたしの場合、どうして体重を重くしたくないのかというと、体重が軽いほうが、楽に走れるということだったのですが、糖質を消費することで走る回路から、糖新生回路になると、ちょっと走るときのコンディションに変化が出てきて、いまの段階ではよくわからなくなってきた。ランニングの時に使うエナジージェルも、異様に甘いので、これは使ってはならないことになるし。
昨日は、雨の中を、長時間、ずっと走っていました。北参道交差点から高島屋まで実は5分かからないということがわかって、驚いた。高島屋の地下に行けば、食材はたくさんあるので、糖質ゼロのものを見つけ出すことができるかもしれない。
出口王任三郎は、日本人はやはりお米だよ、とか言っていたらしいけど、この日本人のアイデンティティを、弥生時代以後ではなく、もっと古代にまで引き伸ばして、日本人定義を大きくしたら、日本人はやはりお米だよ、とは決して言えなくなる。
日本人という定義は、時代範囲をどこに絞るかで、まったく変わってしまいますよ。中国とか韓国が言う日本は、もちろん明治以後の日本ということです。
で、占星術では、日本という定義を考えるときに、たいてい、戦後憲法の日本、あるいは大日本帝国の日本という狭い範囲でしか考えません。安部総理は、この戦後の日本のアイデンティティを壊そうとしている。わたしは戦後の日本人像は、まったく虚偽であると思っている。これはアメリカ人、マッカーサーなどが決めた日本イメージで、実体から大きくかけ離れているので、あまり洗脳されてはいけないと思う。
この時代スパン、その範囲の設定しだいで、国のイメージが違うというのは、明確に定義しないことには、かなりの混乱が生じると思います。たとえば、中国は?というとき、中国人にはかなりの混乱があると思う。秦の始皇帝が思い描いたあたりの中国というイメージをひきずっている。ウィグル自治区はもちろん中国ではない。
プラトン月、すなわち2200年範囲程度で、国イメージを決めるほうがいいですかね。日本なら、室町時代以後の日本。日本の歴史上、もっとも拡大力のある日本イメージかもしれない。朱印船の乗組員は、中国人、ポルトガル人、スペイン人、オランダ人、イギリス人、日本人がいた。
いまの日本人は戦後刷り込まれた日本人イメージに支配されすぎていると思うので、これは早めに脱ぎ捨てるほうがいいと思うけど、そのためには、憲法をどんな形でもいいから、改変して、リニューアルしました、という宣言をしなくてはならない。
ホリエモンは、英語のヒアリングは得意だけど、話せないと書いていた。どんな英語でもだいたい聞き取りできるそうです。で、わたしは反対です。話せると思うけど、聞き取れない。でも、実は、これは日本語でも同じで、誰かからいきなり話しかけられたら、聞きなおさないことには、意味を理解しません。マンハッタンでは、みなが全員超せっかちで、わたしは対応できませんでした。
それはとても頭に来ることなので、これからしばらくはヒアリングの特訓に入りたい。言葉をつないで、発音が省略形になり、さらに、途中中抜けを起こすというスタイルを、習得しないことには。
でも、この省略形プラス中抜けは、非ネイティブだと無理なんだそうです。非ネイティブ、すなわちグローヴィッシュは、きちんと会話している。中抜けしない。で、フィリピン先生は、安いけど、タゴリッシュの癖を受けてしまうので、あまり良くないのでは?という日本人英語教師がいました。でも、わたしはRを全部発音するヒングリッシュよりはいいと思う。
みんな何のためにダイエットしてるのかな。
肉体が地球上で占める比率が減るほど、生命体としてのエーテル体は強くなります。
肉体と生命体は、反比例の関係に従っています。
近代、あるいは現代、生命体と肉体を混同する習慣が出てきました。
なので、肉体を強めることは生命体を強めることであるという勘違いが生じています。
しかし肉体が大きく強い人は、基本的に生命体は弱いです。
その虚弱さを補正しようとして、肉体の力を誇示しようとします。でもたかが知れています。
で、ダイエットして、痩せていくことで、少しずつ生命体を強めていくという考えならば、ダイエットは正しいと思います。それに地球上において、自分の面積の比率が高いのは、みっともない。肉体を構成する成分は、エーテル体に引き寄せられて集まってきた地球上の物質なので、それをは私たちのものではありません。非常に速いスピードで新陳代謝をしており、休みなく交代するので、長くとどまっているものでもありません。なので肉体よりは、軽く、早く、そして強烈な生命力がある。こういうほうがいいでしょう。面積が多いと、重く、遅く、どこかに張り付いていて、そして元気がなく疲れやすい。それは地球の所有物になっているという感覚を強めていきます。別に地球の所有物になってもいいのだけども、動けないというのが困ります。
夏井さんのお勧めのピスタチオは、調べてみると案外と糖質多いです。
くるみ(炒り) 4.2g
カシューナッツ(フライ) 20.0
マカダミアナッツ(炒り) 11.7
アーモンド(乾) 9.3
ピスタチオ(炒り) 11.7
バターピーナッツ() 14.4
この中で言えば、クルミが理想的ですかね。
縄文時代はクルミ、クリ、トチ、ドングリなどの堅果類を食べるのがメインらしく、焼き上げて食べたり、粥や雑炊にしたらしい。副食は魚介類。ネットによると、列島北部の寒流域でトド、アザラシ、オットセイ、サケ。暖流域でタイ、サメ、イルカ、サザエ、アワビ。内陸部では、コイ、フナ、アユ、シジミ。ほかに動物では、シカ、イノシシ、クマ、カモシカ、キツネ、タヌキ、ノウサギ。
縄文時代末期から弥生時代にかけて、栽培が普及して、米が主食になるが、まだ弥生時代には、稲作の効率性が低いので、一日あたりの米消費量は一合前後だったそうな。足りないので、米とドングリの粉を混ぜて食べていたという話だが、いずれにしても美食に走らなければ、何を食べても、あまり気にならない。わたしも美食派ではないので、何を混ぜても気にならないです。虫は混ぜたくないけど、エビはいちおう昆虫の仲間。
>糖質オフ、カロリー問題外はとても
>魅力的なので、久しぶりに食品成分表買いました。
>野菜の糖質なんか気にしたことなかったので。
>ちまちま、マーカーペンで食べてもいいものを
>調べるのが楽しそうです。
カロリーは100パーセント無視したほうがいいようです。
まあそれは自分の身体で実験すれば、あっというまに判明すること。
あとは、糖質チェックは、趣味の領域ですよね。
ピーマンはだめ、ということに驚いた。
わたしの赤、黄、緑のピーマン人生はもう無理なんですかね。