2015年10月13日火曜日

20151013 政治問題には向かうつもりがない

毎日、最後は中国だとか、アベだとかの話になるので、今日は違う方向に舵取りしたいと思っている。長く話をすると、最後は本音の場所にいくので、これで、毎度、中国の話になるんだけどね。
で、わたしがマニラは犯罪率はそう高くないということを書いたら、30年前にマニラに行った人から、マニラだけが直接暴力の気配を感じるというメール来ました。実は、ほかの犯罪はともかく、殺人率だけは、フィリピンは高いのです。

フィリピンの性格というのは、たとえば昨年巨大な台風で、壊滅的な影響がきたとき、日本なら東日本震災の時にも、めちゃくちゃ後をひく感じだし、毎年同じ日には、テレビでも特集しますが、マニラの人は、この首都ではない地域に及んだ巨大な被害に対して、まったく関心を持ってなかった。いまそれを言っても思い出せない人さえいる。去年の話だよ。

で、もうひとり、東北に住んでいる人から、思い切り日本人的感情のメールが来ました。日本は社会主義だから、動かないというものです。日本が社会主義で、全体主義的に動くという点に関しては、それは思想でなく、気質だ。単一民族的だから、さまざまな自由な考え方は生まれない。そして互いに監視する世界ができているのは、いまに始まったことでなく、むしろ昔はもっとひどかったと思う。それは織田、豊臣、徳川が構築してきたシステムなんだから。

で、社会に対してはかなんでいる人は、基本的に、自分の理念の通りの天国があるはずだと信じているからです。それは存在しない。また、神様が地上に降りてくることを夢見ているからです。神様は地上に降りることはない。生命の樹では、イエソドまでは来る。しかしマルクトという地上には来ません。なので、神様の世界に行くには人がイエソドまで、すなわちエーテル体まで上がらなくてはいけないのです。この段階で大乗仏教的な前提は失います。またなにか僥倖を期待するという姿勢も役に立たないことを自覚します。マルクト、大地は、沈殿した、生命の抜け殻で、そこには自発性はありません。それに同一化している人が、天国の入り口が見つからないと主張するのは、前提が間違っています。

だから、日本がアジアを助けるために、やってきてくれる、ということもないです。自殺した人のエーテル体が、流れる液体みたいで、自分で自転しないのを見た時、生きて、わたしが話をしているフィリピン人も、実はスタイル同じだと思いました。

で、コリン・ウィルソンの話に戻るけど、人類の5パーセントは能動的な人々であり、残りの95パーセントは、受動的で、何もしないし、一生はただ食って生きて死ぬだけです。この受動的な人々は、能動的な5パーセントの扇動に従って行動したら何か改善されるかというと、改善はされない。というのも、改善されないのは、彼らの姿勢が原因だから。5パーセントの人々の心をまず理解しない。なので、行動として迎合しても、それはなんの成果ももたらさない。
グルジェフワークに参加した人は、グルジェフに壊されただけだった。なのでグルジェフは晩年、もう何も言わなくなった。ワークをしても、その中から人間が発掘できなかったんです。

そうすると、5バーセントの人々は、その現実を理解した時、共感を持ち、改善に向かって、行動しようということをせず、地上を自分の意志の実験場にしていきます。
というか、あるべき理想ヴィジョンはすべて人為的に作られたものなので、それに向かって改善していきましょうという宣言をすることそのものが、とても腹黒いものです。残りの95パーセントは、黙って、それについて行ったりし、しかしそもそもヴィジョンの維持そのものをできない資質なので、いつのまにか初心を忘れ、気晴らしをし、ご飯を食って、年をとり、死んでいきます。基本的に、このレベルの人間は細胞であり、生まれてきて、次の細胞に交代し、細胞そのものの存在意義は、大きな面からみると、あまりはっきりしていません。吹けば飛ぶようなささやかな夢は抱きます。
この現状を自覚しないで、そのくせ、権利だけは主張するので、おかしなひずみ構造が生まれます。

東北の人は、こんな日本が嫌だから、どこか違う国に住みたいと言ってるけど、まあ、どこの国に行っても、そこの国なりの無気力があるよ。
以前わたしが言ったことがありますが、世界はだんだんと進化するという考え方をする人もいるけど、カバラ思想では、世界とは資材置き場で、そこは混乱があり、実験場であり、経験したら、人は去っていく。そして世代交代を起こして、振出しに戻る。世界はたびたび滅びる。
世界をなんとかしようという姿勢は、もし世界がなんとかなるとほんとに信じているのならば、かならず失敗します。それは甘えに過ぎないし、非現実な夢です。
ドンファンの教えに従い、「忍び寄りの技術を磨いて」適応しているように見せかける技巧が大切です。心のない世界なので、一点でも期待してはだめで、つまり東北の人の悲観主義は、世界に同一化しすぎて、忍び寄りの発想を失っているからです。

で、わたしは日本みたいな単一民族的な資質に、さらに、織田、豊臣、徳川が作り出した、互いに監視するシステムを持つ国に住むのが嫌なら、他民族が同居する国がいいと思います。仕事では協力するが、仕事が終わると、決して他民族に関わらないニューヨークみたいなところ。

維新は山口近辺の地域が作り出しました。花燃ゆ見たらわかる。なので、維新以後の政治システムは、山口近辺の人たちの支配力がまだ有効性を持っており、ほかのスタイルを誰も思いつかず、自民党は一党支配で、まだ日本は維新の後も、江戸時代と似たりよったりなんだけど。

小学生のころ、わたしは山口県下松市の公衆小学校に通っていた。で、近所の田布施から引っ越してきたA君が友達になったけど、A君の家に行くと、日本人の家とは違う匂いがした。これは部落民の場所の匂い。そのころ、匂いでどこに属しているか、なんとなくわかった。わたしは母親が買い物してきても、そのものの匂いで、どこの店で買ったか、全部言い当てていました。
小泉君も友達になり、小泉君の家は、バラックでした。が、父親か母親どちらかが、小泉君とは遊ばないように言いました。小泉君家族も、部落民だった。いつのまにか消えた。小泉君の家の沈む畳が好きだったのに。
いまのプライムミニスターあべは、この田布施系列という話がありますが、わたしは同じ匂いを感じるよ。たくさんのクラスメイトが熊毛郡から来ていました。A君のお母さんは、見てすぐに在日だとわかった。前の小泉首相は、わたしが遊びに行ってた小泉君の親戚なんじゃないかと、思ったりする。そりゃ、彼らの根性からすると、天皇家の血筋なんて変えかねないでしょう。それでなくても、歴史的に、たびたび変わっているんだから。

わたしはさほど深くはかかわらなかったけど、よく遊びに行ってた。これはわたしの立ち位置にも関係するのかも。親は、わたしがロバのパン屋さんでパンを買うことも、彼らの家に遊びに行くことも嫌がっていた。
維新とか、戦後の流れには、アメリカの支配があるということを言うけど、アメリカの背後にあるものはなにか、ということは考えないのかな。いつも彼らの推理はアメリカでストップする。あるいはもっと小さな範囲では、半島でストップする。やるならとことん、源流をたどってほしいんだけど。