14日に、日本に戻る飛行機に乗る予定でした。で、その前の日、13日の夜、眠る前に、クリスティンの気配が濃厚すぎると感じていた。しだいに眠くなる中でぼんやりと見ていた映像は、わたしが乗る飛行機の中に、日本人の三人の女性客室乗務員がいて、髪ぼさぼさの、まるでアサハラショウコウのような人間を取り囲み、わたしから遠ざけようとしている光景だった。ところが、三人の乗務員は、小綺麗で希薄すぎて、まあ空を飛ぶ女性ということで、天女みたいな感じもあって、そこからすると、アサハラショウコウは重く、天女たちからすり抜けてしまい、ほとんど乗務員では確保できないというところでした。
そんなものをみながら眠り込んで、悪夢で目が覚めた。鳥の爪のようなものが伸びた手で、わたしの右手をつかんでいる何かがいて、爪はわたしの手に刺さり、ひどく痛かった。そして、それは右手の側での体験なのに、その何者かはわたしのベッドの左側にいた。で、わたしはその左側のものに怒鳴って目が覚めた。
その時に、思い出したのは、眠る前に、客室乗務員から逃れた存在は、わたしのベッドの左側に来て、わたしを、50センチ前くらいから見ていたことだった。上からでなく、ひざまずいて、ベッドの高さで、わたしの顔を同じくらいの高さで見ていたことを思い出した。
たいてい悪夢を見ると、そこで話は終わってしまい、その後は、普通に眠ることができるのは通例。ところが、それから、10回いじょう、眠りそうになると、ベッド全体が地震のように揺れて、わたしの身体は痙攣をして、眠り込むことができない。今日はもうずっと無理なのかと思ったどころか、どうやら、このまま日本には帰さないというような気配まである。なんとなく眠る前に、不穏な空気は感じていたんだよね。
で、この10回の痙攣の中で、一番ヘビーだった時とは、一度眠り込んだために、身体が硬直して、それをほどくことができず、特に右手にかかる重みが、かなりねじれた感じになっていたことだ。黒い羽根を左右に振っているというような、なかなか表現しにくい現象。
で、クリスティンの意図はかなりはっきりしていた。言葉で伝えてこないが、これぞノンバーバル通信だ、といえるような明確な映像が出てくる。モルグから死体を取り出して、白い棺に入れてほしいということだった。それは西のほうに持っていかなくてはならない、というような。このメッセージが脅迫的すぎて、しかし、そもそもどうしてわたしに言ってくるのか、わたしにそれを頼めるものなのか、それは厚かましすぎると思いました。
で、その後の経緯ははっきりしないが、わたしはクリスティンの頭頂にぐりぐりとキリで穴をあけたようなことをして、そこに、管を取り付け、いわゆるフォーカス27まで、トンネルのような筒をつないだ。これはゴムのような筒で、わりに細い。コーヒーエネマの管を、肛門でなく、頭につけたような感じです。頭から吸いだす。エーテル体がほかの人よりも重く、それは持っていけない。だから、中身だけを、吸いだすのです。変成意識の中では人格が変わってしまう。前からそうだけど、変成意識に入ると、これに手慣れているとでも言えるかのように、わたしは素早く処理していたりします。なぜ、これに慣れているの?と、自分で不思議に思うことが多い。
これは西洋人が、ゆで卵を食べるときみたいでもあります。上のほうを小さなスプーンで、コンコンと叩いて、小さな範囲の殻を破る。そして中身をすっかりくり抜くのです。
それで痙攣で起こされるという現象は止まりました。そのあと、いくつかの夢を見たと思う。エーテル体は、複体と言われるように、生理的な機能が、エーテル体にもあり、一部の組織にあったものを、へらのようなもので取り除く。正確な時刻の電車に乗せる。移送には、軸あわせが必要で、これは軸の周囲にある12個のベアリングを組み合わせること。この組み合わせをあらためて考慮し、早いスピードで、組み立て、軸にはめて調整する。すると、上位の世界と同期をとれる。
この部分は、わたしが勝手にやってしまうことに、ちょっと懸念がありましたが。でも、時間ないんだ。
たぶんそんなこんなで、モルグから引き取る、白い棺桶を作るというのは、キャンセル。クリスティンが不満を言わなくなったからだ。地上の側をわたしが処理するのはルール違反。天国との門を開けたほうが、プライスは高いんだよ。
これではっきり思ったのは、自殺者でも、幽閉されたりしない。しかし、わたしのような、あるいはほかにもたくさんいるはずの誘導者が介在しなくて、自力でというのは難しいかもしれない。わたしが時間かければなんとかなるだろうと予測しただけで、何も手を出さなかったのが、気に入らなかったようだ。オーケー、お前は頑張ったと、言えばいい。
また天の側にいる、天女たち、つまり客室乗務員は、振動が高すぎて、どんより重いものは扱えない。フィリピンはやはり日本よりも重く、平気でテリトリーを侵害してきます。
フィリピンは唯一殺人率は高いと、雑記に書いた時、とくに、それは高年齢の日本人男性と書こうと思っていた。一番ターゲットにされる。それって、俺か?と思った。スーパーのレジで、Diplomat?というトボけた質問もへんだったし。クリスティンに関してほうっておいたら、帰れなくなっていたのかも。といっても、まだ飛行機には乗ってないんですけどね。物質的に凶暴な目にはあってないけど、エーテル体ではあったということです。恐怖映画みたいなシーンが何個かあった。
やはり、わたしの父ちゃんが、仕事で、フィリピンの人を家に招いて、海苔を食べさせていたのが
この顛末に影響を与えているのではあるまいか。去年、スカイプで話していた時に、クリスティンは将来日本に行って英語の仕事したい、と、夢を語っていた。日本をまるで桃源郷か、蓬莱みたいな感じで見ていた。スカイプで、何人かと話をしていると、そういう夢を持っている人が少なからずいます。要するに、給料が高いとか、そういう種類のものだと思うけど。
こんな雑記書いたら、メール来ました。
--------------------------------------start
でもわたしは火曜日の朝に夢見た。
間に合った。て、火曜日の朝には、先生が自分で
言ってた。
さて、当院にもマニラにつかまってる80代のお金持ちの
男性がいる。患者さんです。
体はボロボロなのに、3か月ごと、1回につき
4週間マニラに行く。
マニラに行くと、日本では絶対に考えられないのに、
身体の機能が一部回復するようだ。あり得ないんだけど。
それで、よほど気候がいいんだな、くらいに思っていた。
いちいち、めんどくさい(いろいろ、調整しなくちゃ
いけないし、割と迷惑している)ので、
「もう移住しちゃいなよ。」
と言うのですが、
「住むとこじゃない。殺される。とくに
お金を持っていると。」
ていう。そんな危険なのに、通っている。
殺されるのと同じくらい、動脈瘤が破裂する
危険が高いと思うけど、元気に通っている。
日本にいると調子が悪そうだ。
これも、エーテルの濃度のせいなんだろうか。
-----------------------------------------------end
わたしが小学生の頃は、海沿いに、バラックのような家がたくさんありました。
貧民の暮らす家です。
で、その地域は、すえたような匂いがするんです。
徳山から下松まで、海沿いにずらっと汚い家が並んでいる。
わたしが雑記で書いていた小泉君の家もそんな感じです。
ある日、小泉君の家に行くと、小泉君のお父さんがいました。
で、わたしを見て、「うちの息子をよろしく頼むね。友達になってくれて、うれしい。」
みたいなことを言いました。
超感じのいい大人だなーと感じていました。しゃきっとしていました。
でもその後、いなくなった。
海沿いの家、橋の下の家。
マニラにはそんなのがあります。
だからその80代の爺も、懐かしいんだよ。
戦後復興期の町のすえたような匂い。
今の日本にはそのカケラもないからね。
わたしもマニラに来なかったら、小泉君とか、田布施のあぼし君を思い出さなかった。
でも、たぶん、わたしは今回でマニラは終わりです。
もっといろんな場所を地回りしないと。
そんなものをみながら眠り込んで、悪夢で目が覚めた。鳥の爪のようなものが伸びた手で、わたしの右手をつかんでいる何かがいて、爪はわたしの手に刺さり、ひどく痛かった。そして、それは右手の側での体験なのに、その何者かはわたしのベッドの左側にいた。で、わたしはその左側のものに怒鳴って目が覚めた。
その時に、思い出したのは、眠る前に、客室乗務員から逃れた存在は、わたしのベッドの左側に来て、わたしを、50センチ前くらいから見ていたことだった。上からでなく、ひざまずいて、ベッドの高さで、わたしの顔を同じくらいの高さで見ていたことを思い出した。
たいてい悪夢を見ると、そこで話は終わってしまい、その後は、普通に眠ることができるのは通例。ところが、それから、10回いじょう、眠りそうになると、ベッド全体が地震のように揺れて、わたしの身体は痙攣をして、眠り込むことができない。今日はもうずっと無理なのかと思ったどころか、どうやら、このまま日本には帰さないというような気配まである。なんとなく眠る前に、不穏な空気は感じていたんだよね。
で、この10回の痙攣の中で、一番ヘビーだった時とは、一度眠り込んだために、身体が硬直して、それをほどくことができず、特に右手にかかる重みが、かなりねじれた感じになっていたことだ。黒い羽根を左右に振っているというような、なかなか表現しにくい現象。
で、クリスティンの意図はかなりはっきりしていた。言葉で伝えてこないが、これぞノンバーバル通信だ、といえるような明確な映像が出てくる。モルグから死体を取り出して、白い棺に入れてほしいということだった。それは西のほうに持っていかなくてはならない、というような。このメッセージが脅迫的すぎて、しかし、そもそもどうしてわたしに言ってくるのか、わたしにそれを頼めるものなのか、それは厚かましすぎると思いました。
で、その後の経緯ははっきりしないが、わたしはクリスティンの頭頂にぐりぐりとキリで穴をあけたようなことをして、そこに、管を取り付け、いわゆるフォーカス27まで、トンネルのような筒をつないだ。これはゴムのような筒で、わりに細い。コーヒーエネマの管を、肛門でなく、頭につけたような感じです。頭から吸いだす。エーテル体がほかの人よりも重く、それは持っていけない。だから、中身だけを、吸いだすのです。変成意識の中では人格が変わってしまう。前からそうだけど、変成意識に入ると、これに手慣れているとでも言えるかのように、わたしは素早く処理していたりします。なぜ、これに慣れているの?と、自分で不思議に思うことが多い。
これは西洋人が、ゆで卵を食べるときみたいでもあります。上のほうを小さなスプーンで、コンコンと叩いて、小さな範囲の殻を破る。そして中身をすっかりくり抜くのです。
それで痙攣で起こされるという現象は止まりました。そのあと、いくつかの夢を見たと思う。エーテル体は、複体と言われるように、生理的な機能が、エーテル体にもあり、一部の組織にあったものを、へらのようなもので取り除く。正確な時刻の電車に乗せる。移送には、軸あわせが必要で、これは軸の周囲にある12個のベアリングを組み合わせること。この組み合わせをあらためて考慮し、早いスピードで、組み立て、軸にはめて調整する。すると、上位の世界と同期をとれる。
この部分は、わたしが勝手にやってしまうことに、ちょっと懸念がありましたが。でも、時間ないんだ。
たぶんそんなこんなで、モルグから引き取る、白い棺桶を作るというのは、キャンセル。クリスティンが不満を言わなくなったからだ。地上の側をわたしが処理するのはルール違反。天国との門を開けたほうが、プライスは高いんだよ。
これではっきり思ったのは、自殺者でも、幽閉されたりしない。しかし、わたしのような、あるいはほかにもたくさんいるはずの誘導者が介在しなくて、自力でというのは難しいかもしれない。わたしが時間かければなんとかなるだろうと予測しただけで、何も手を出さなかったのが、気に入らなかったようだ。オーケー、お前は頑張ったと、言えばいい。
また天の側にいる、天女たち、つまり客室乗務員は、振動が高すぎて、どんより重いものは扱えない。フィリピンはやはり日本よりも重く、平気でテリトリーを侵害してきます。
フィリピンは唯一殺人率は高いと、雑記に書いた時、とくに、それは高年齢の日本人男性と書こうと思っていた。一番ターゲットにされる。それって、俺か?と思った。スーパーのレジで、Diplomat?というトボけた質問もへんだったし。クリスティンに関してほうっておいたら、帰れなくなっていたのかも。といっても、まだ飛行機には乗ってないんですけどね。物質的に凶暴な目にはあってないけど、エーテル体ではあったということです。恐怖映画みたいなシーンが何個かあった。
やはり、わたしの父ちゃんが、仕事で、フィリピンの人を家に招いて、海苔を食べさせていたのが
この顛末に影響を与えているのではあるまいか。去年、スカイプで話していた時に、クリスティンは将来日本に行って英語の仕事したい、と、夢を語っていた。日本をまるで桃源郷か、蓬莱みたいな感じで見ていた。スカイプで、何人かと話をしていると、そういう夢を持っている人が少なからずいます。要するに、給料が高いとか、そういう種類のものだと思うけど。
こんな雑記書いたら、メール来ました。
--------------------------------------start
でもわたしは火曜日の朝に夢見た。
間に合った。て、火曜日の朝には、先生が自分で
言ってた。
さて、当院にもマニラにつかまってる80代のお金持ちの
男性がいる。患者さんです。
体はボロボロなのに、3か月ごと、1回につき
4週間マニラに行く。
マニラに行くと、日本では絶対に考えられないのに、
身体の機能が一部回復するようだ。あり得ないんだけど。
それで、よほど気候がいいんだな、くらいに思っていた。
いちいち、めんどくさい(いろいろ、調整しなくちゃ
いけないし、割と迷惑している)ので、
「もう移住しちゃいなよ。」
と言うのですが、
「住むとこじゃない。殺される。とくに
お金を持っていると。」
ていう。そんな危険なのに、通っている。
殺されるのと同じくらい、動脈瘤が破裂する
危険が高いと思うけど、元気に通っている。
日本にいると調子が悪そうだ。
これも、エーテルの濃度のせいなんだろうか。
-----------------------------------------------end
わたしが小学生の頃は、海沿いに、バラックのような家がたくさんありました。
貧民の暮らす家です。
で、その地域は、すえたような匂いがするんです。
徳山から下松まで、海沿いにずらっと汚い家が並んでいる。
わたしが雑記で書いていた小泉君の家もそんな感じです。
ある日、小泉君の家に行くと、小泉君のお父さんがいました。
で、わたしを見て、「うちの息子をよろしく頼むね。友達になってくれて、うれしい。」
みたいなことを言いました。
超感じのいい大人だなーと感じていました。しゃきっとしていました。
でもその後、いなくなった。
海沿いの家、橋の下の家。
マニラにはそんなのがあります。
だからその80代の爺も、懐かしいんだよ。
戦後復興期の町のすえたような匂い。
今の日本にはそのカケラもないからね。
わたしもマニラに来なかったら、小泉君とか、田布施のあぼし君を思い出さなかった。
でも、たぶん、わたしは今回でマニラは終わりです。
もっといろんな場所を地回りしないと。